第43話 私は貴方の腐り切った根性を叩きのめす

「行かせたのかよ、なんでまた……」


 司教府の中枢、鏡の間でグスタフはどこか咎めるようにアーデルハイドを詰問した。ヴァンを暗殺ないし拘束する下手人に対し、彼女はあろうことか幼馴染のテレーゼを送り込んだのだ。ヴァン程の手練れを相手に同程度の実力を持つテレーゼを送るのは理に適っているが、問題はそんなことではない。


「最期なのだから、知り合いに別れを告げるくらいいいじゃない」

「せっかく死亡扱いのまま連れてきたというのに……いや、それどころか死んだはずの女が突然現れたんだ、いろいろと追及されるぜ。これは確実にお前と俺の関係を気づかれるな」


 ハノーヴァー砦からテレーゼを護送するにあたって、グスタフはその生存を徹底的に秘匿した。奪還を企てられないようにという理由からだが、それ以上にアーデルハイドとテレーゼを亡命させる関係上、両者を関連させる要素は排除したかったのだ。

 娘が人質に取られたとあっては、母であるアーデルハイドの信用はガタ落ちである。脅迫されて利用される可能性、それは彼女の人格云々ではなく、あくまで可能性の問題である。するかもしれない、常に味方に猜疑の視線を見せるのがリヒテルのやり方であり、それは強さであり、同時に弱さでもある。

 とはいうものの、グスタフはテレーゼを向かわせたことをアーデルハイドの我儘だとは思ってはいなかった。衰えたとはいえ、彼女はそこまで馬鹿ではない。


「司祭長とは利用し合う関係だが、お前とは十年以上の長い付き合いだ。腹の探り合いばかりでは少し胃がもたれるじゃないか」

「そうね、マグデブルクで私は貴方と遊んであげたことがあったわね。あなたはいつも泣き虫で、リディアさんが来た時も張り倒されて馬にされてなかったかしら」

「なかなか気が強い女だったな、いつの間にか従者にされていて、だがそれでも愉しかったよ、変に憎めないところがあって、なぜか人が寄ってくる。あの頃はアールヴとスヴァルトの対立も今ほど激しくはなかった。スヴァルトは勢力で勝るアールヴには一定の敬意を持っていたし、アールヴにしてもたかが辺境の蛮族であるスヴァルトに目くじらをたてることもなかった。お前と、テレーゼ、そしてリディアの三人は根っこの部分が似ているのだ。人に好かれるところが特に……ヴァンの件、側近の誰かがテレーゼに漏らしたな」

「……っ!!」


 和やかな空気の中で突然放たれた凶刃、迂闊にもアーデルハイドは取り繕い損ねた。


(これは想像以上に統率力を失っているな)


 アーデルハイドの計画は娘と共に亡命することだが、司教区の支配者になったバルムンクに隠しきることなど不可能だ。恐らく古参の、アーデルハイドに忠誠を誓う幹部の何人かが協力しているのだろう、彼らの忠誠は本物だ。

 だが同時に心のどこかでは、スヴァルトであるグスタフと手を組んだ彼女に失望した部分が必ずある。そのまるで腫瘍のような一部分から膿が出るように情報が漏れているのだ。初めは親しい味方から、それが次第に無関係の人間にまで広がるのは避けられない。


「計画を急がせるぞ。今日、明日にでもここを立つ。テレーゼにもそう伝えて置け」

「少し待ちなさい、まだ弟をおびきだせてないわ。弟を殺してゴルドゥノーフ家に恩を売らないと、私達はバルムンクの関係者として見られるのよ。亡命先で殺されるのはまっぴらだわ」

「その件ももう手は打った」


 アーデルハイドは表面上、平静を保った。だが目ざといグスタフは彼女の手がわずかに震えているのを見逃さなかった。動揺しているのだ。情報網が腐っている、自分が名目上の頭領であると今さらながらに気付いたのかもしれない。


「弟はここから一週間かかるヒルデスハイムにいるはずよ。そこで傭兵団やファーヴニル組織と会合し、今後の対応を協議するはず」

「そうだ、それは間違いないだろう。だが会合の議長は代行のエルンスト老だ、リヒテルじゃない」


 それは何の根拠もない理論だった。だがグスタフはなぜか全身の血液が沸騰するような感覚を感じていた。奴が来る。十年以来の仇敵にして宿敵、同じ釜の飯を食った親友だったこともある。ハノーヴァー砦で雌雄を決するはずだった。禍根を断つはずだった。そのずれ込んだ祝杯がこんなにも早くやってきたのだ。

 急速に自体が動いている。それを衰えたアーデルハイドは恐怖したが、グスタフは歓喜を覚えた。


「リヒテルは自分の手でお前を殺したいのだ。そしてその最期のチャンスが今だと正確に理解している」

「そこまで私は弟に恨まれているというの……私が何をしたと言うのよ!!」


 激昂しかけるアーデルハイドをグスタフは嘲笑でもって応えた。それはグレゴール司祭長に良く見せる獰猛過ぎる笑みだった。自分以外の存在を虫けらか何かのように扱う強者の傲慢だ。


「逆だ。愛しているが故に自分の手で殺すのだ。もし仮にお前が誰かに殺されたらリヒテルはそいつに仇討ちする。その相手がたとえ自分が命令した部下であってもだ。だからこそ他者に八つ当たりしないように自分の手で殺す。あいつはそういう偽善者だ、大した偽善者だ」

「……」

「女には理解しづらいか?」

「いえ、理解する必要はないわ。私は娘が助かればいいのだから」

「いい答えだ」


 そう言うと、グスタフは立ち上がり、まるで慰めるようにアーデルハイドの頭を撫でようとする。それはかつて彼女が夫であり、親子程年が離れたベルンハルト枢機卿がよくしていた行為だった。

 だがその行為をグスタフは知らない、意地っ張りだった彼女が人前ではしないように頼んでいたのだ。だからそれはただの偶然である。そうあるべきなのだ。


「……つっ」


 グスタフの伸ばされた手から鮮血が舞う。少しでも反応が遅れれば手が、あるいは腕が斬り落とされていたかもしれない。


「大人をからかうものではありません」

「怖い、怖い、からかうのは命がけか」


 グスタフは何事もなかったように鏡の間から出ていこうとする。それをアーデルハイドはまったくの無表情で見送った。ヴァンのような感情が壊死している類の者ではない。どこか、激情を押し込めているようなそんな仮初の無表情であった。


「とっとと、テレーゼを説得してしまえ、一言いえばいいだろう。お前の父、ベルンハルト枢機卿はリヒテルに殺されたんだってな」


*****


同刻、スラム街―――


「ま、まさかテレーゼ様か」

「いや、そんなはずはない。ハノーヴァー砦攻略時に城壁に押しつぶされて死んだはずだ」

「お化けじゃありませんわ」


 ヴァン抹殺を狙っていたファーヴニルらに動揺が走るなか、なぜか自慢げに自身の生存を訴えるテレーゼに対し、ヴァンは厳しい視線を女医者、改め死術士ツェツィーリエに注いでいた。


「屍兵じゃないさ。死術は死体を操る術、生き返させるものじゃない。同じ死術士ならば分かるはずだろう?」

「……ならばいいです」


 切り離された足をくっつけながらツェツィーリエは自身の潔白を証明した。そのことにヴァンは安堵する。本当に生きていたのだ。


「どうも、くだらないことで悩んでいたみたいです。なるほど、リヒテル様もそそっかしい。それとも過労が原因ですか」

「てめえ、リヒテル様を馬鹿にするのか。間違いがあったっていうのかよ」

「リヒテル様も人間、間違うことはあります」


 そう知れっと言い放ったヴァンは自分の右手が嫌に軽いのにやっと気づいた。見れば手に持っていたカトラスが石畳に落ちている。いつのまに落し、なぜ今まで気づかなかったのか。その理由を考えたくはない。


(呆けているのは私も同じか、なんという様だ。汚れ役を担うと決心したのは口ばかりではないか。この程度で動揺するなど……)


 そう、死んだはずの者が生きていたくらい、驚くことではない。それが慕っていたテレーゼであるかどうかは無関係だ。彼女を他の人間と差別化してはいけない。それより前に考えなくてはいけないのだ。

 なぜ、彼女はここに現れたのか。助けたのはスヴァルト、これは間違いない。今までその生存を隠せるのは敵対しているスヴァルトだけだ。ではなぜここに現れたのか。自分を殺すためならばその理由が必要だ。まさかテレーゼの私怨とは考えにくい。そこまで恨まれることはしていないはずだ。根拠もなくヴァンは自分がテレーゼに嫌われていないと断定した。

 そして彼の思考は、彼の高められた知性と猜疑心は真実へとたどり着く。彼女の性格ならば当たり前のように選ぶであろう選択へと。


「なるほど、あなたは我々よりもアーデルハイド頭領を選んだというわけですか」

「……さすがはヴァンね。何もかもお見通しという訳」


 やや驚きつつもテレーゼは平常心を保った。彼女は母親より真実の一部を聞かされている。ただし一部だけだ、自分が〈何者か〉に助けられ、母親は自分と共にどこか安全な場所に亡命しようとしている、バルムンクの面々を見捨てて。

 その真実の中にスヴァルトという言葉は含まれていない。母であるアーデルハイドが娘に反発されることを恐れて意図的に情報を制限したのだ。グスタフもその意図を見抜いて彼女の監視には純血のスヴァルト兵ではなく、混血のシャルロッテを配置していた。ただ、どこか作為的なものをテレーゼは感じてもいた。彼女はそこまで馬鹿ではない。

 しかし、母親が敵であるスヴァルトと手を組むはずがないという固定観念が真実を見る目を曇らせていたのだ。今のテレーゼが思うのは単なる母、アーデルハイドと義兄、リヒテルの〈喧嘩〉でしかない。


「馬鹿なことはお止めなさい。もはやこのバルムンクはただの盗賊団ではない。数十万の民衆を束ねる一大勢力なのです。申し訳ありませんが、アーデルハイド様はそれに適応できる能力をお持ちではない。無能な長は害悪、自ら長の座を降りて、一市民として生きるか、あるいは力づくで引きずり落されるか、好きな方を選んでください」


 慇懃無礼としか思えない言い回しでヴァンは冷徹を装いつつテレーゼに最終勧告を叩きつけた。アーデルハイドの暗殺が決定していることなどおくびにも出さない。母親を殺すことをヴァンは彼女に言うつもりはない。殺した後でさえも事故でかたずける気でいるのだ。

 それは娘である彼女への配慮か、あるいは自分が非難されないための保身のためか、それは誰にも分からなかったが。


「それならば大丈夫ですわ。私とお母様は亡命するつもりですから。これ以上バルムンクの事に口出ししたりはしません」

「亡命……逃げるのですか姫、俺らを見捨てて……」

「いったいどこへ、ここ以外はスヴァルト野郎の支配地ですぜ」


 言わなくてもいいことをテレーゼは言った。ファーヴニルの動揺は激しくなり、それは怒りと失望へと変わるだろう。ヴァンは彼らの敵が自分から裏切り者であるテレーゼへと変わることを予期してほくそ笑む。

 もう自分は安全だ。後は彼らを扇動してテレーゼを捕えるだけのこと。そうすればアーデルハイド暗殺は容易となる。自分に科せられた責務からは逸脱するが、この事態を利用しない方法はない。そして彼はトドメをさす。


「話になりません、どこに亡命するというのです。このザクセン及びヒルデスハイム司教区、バルムンクの支配地以外はスヴァルトの勢力圏。つまり亡命するということはスヴァルトの庇護下に置かれるということ。それは明確な裏切り行為だ。考え直してください、裏切り者は殺すしかない。私達は有能なあなたをこんな形で失いたくはない」

「断りますわ」

「そんな我儘が許される事態だとお思いですか?」

「よくわからないけど、私はお母様についていくわ」


 あくまで信じる道を行く彼女は傲然と言い放つ。その一瞬、その眩しさにヴァンはわずかに目を細めた。


「私が貴方に寝返ったらお母様は一人ぼっちになっちゃうじゃないの!!」


 その瞬間、ヴァンは笑った。あまりにもおかしいことを聞いて笑い続けた。そして同時に涙があふれた。それは止めようがなかった。生じた激情を止められなかったのだ。ヴァンは自身の敗北を確信していた。説得をあきらめたのだ。

 そうだ、こういうヒトだったのだ。利益や打算ではなく、情愛によって動くヒト。自分の立場や風聞など気にせず、ただ助けたい者を助ける。もし仮にアーデルハイドとリヒテルの立場が逆ならば……粛清されるのがリヒテルだったのならば、もしかするとテレーゼはリヒテルの味方をしたかもしれない。

 その輝きに曳かれ、その輝きのそばに近づき、そして耐え兼ねて逃げ去った。自分はそんな人間である。そしてその過ちを悔い改めない頑迷な男だ。

 しかし、幸か不幸かその選択は祝福された。テレーゼはこの一つ屋根の下で生きる家族同士が殺し合う狂気の中にあって純粋過ぎるのだ。それを人は弱さと、愚かしさと呼ぶ。


「なんとも哀れな小娘だ……」

「……」


 ヴァンは外見上、恐らくは実年齢でも上であるテレーゼを小娘と言い放った。安っぽく、傷つきやすい自身の矜持を守るためのむなしい努力であった。だが勝敗にはそんな内面など関係がない。

 アーデルハイドはある意味正しい、テレーゼはバルムンクにいていい人間ではないのだ。スヴァルトからの独立という美名を唄いながら、一皮むけばドロドロとした権力闘争を繰り返すバルムンクにいては淘汰される。

 ならば遠ざけよう。どこか安全なところに亡命させよう。ただし、その道程に裏切り者である母親は帯同させない。その条件を飲ませるためだけにヴァンは愛する者に刃を向ける。


「もはや語るべきことはありません。いつかの時は見逃しました、だが今回は容赦しません。手足の一本でも奪って、ファーヴニルとしての道を閉ざしてあげましょう。そこに医者もいます。頭か胸、致命傷でなければ死ぬことはありません」

「随分と大きく出ましたわね。だったら、私は貴方の腐り切った根性を叩きのめして鍋に入れて真赤に煮込んであげますわ!!」


 慕う兄貴を不死兵に変えた死術士に、自分達を見捨てようとする姫、否、テレーゼに対する憎悪は大分薄れている。何か事情があるのではないか……そんな思いが周囲を固めるファーヴニルに広がっている。

 それはテレーゼ自身が知りえない力だ。理屈抜きに人を引き付ける魅力。皮肉なことに相対するヴァンがそれを一番理解していた。

 しかしファーヴニルは未だ迷っている。どちらかに味方しようとする動きは見られない。彼らは檻だ、ヴァンかテレーゼ……敗れた方を拘束する縄でもある。

 つまりはこの瞬間、二人のファーヴニルは何の邪魔をされることなく決闘に臨むことができるのだ。図らずも両者とも得物は同じ鉄製のカトラス。武装が同じ、条件も同じ一対一。ならば後は各々の技量が勝敗を分つ。

 眼を閉じ、精神を統一するヴァン。余分な力を抜き、十全の状態へと体を作り替えるテレーゼ。刹那の瞬間、二人は互いの正義を胸に宿敵と成り果てた彼・彼女へと突進した。

 起こるはずのない、いや誰かが言っていた。この決闘は何度でも起こると……しかしまったく同じにはならないのだ。それは予言。三度目はない。三度目が起こる前にどちらかは死ぬ。二人は知らない、これが最期の決闘であった。


*****


 リューネブルク市が遠目に見える水門に所属不明の船が数隻現れたとの報が管理者であるファーヴニルに届いたのは彼が昼食を食べ終えてすぐのことだった。

 彼は無頼漢の盗賊でありながら学の無さを自覚し、独学でありながらも読み書きを習得していた。故に事務仕事が大半である関所の統率者として抜擢され、ハノーヴァー砦攻略に参加することはなかった。

 彼はリヒテルに忠誠を誓い、その主張に感銘を受けていたが、全軍の半数、精鋭であるファーヴニルの実に八割が死傷した攻略戦に参加しなかったことを内心喜んでいた。

 彼はミハエル伯が戦死し、リューネブルク市が解放されたその夜に幼馴染に求婚し、そしてそれは受け入れられた。

 彼には妻、そして未来に生まれる子供たちを守る義務と権利があり、おちおち死んではいられなかったのだ。

 所詮、独学でしかない彼をお飾りの長と呼ぶ配下の下級神官の嫌味も気にならない。彼は幸せの絶頂にあったのだから。だからこそ職務に熱心であり、不審船に対する詰問も厳しいものであった。


「……これはリヒテル様の命令だ。下っ端如きが口答えするな」

「では書類を提出してください。ここはリューネブルクを守る最後の関門、許可のない者を通すことはできません」

「バルムンクの長の命令だぞ。お前、名前はなんだ、次の戦いではお前は決死隊に配属させてやる。督戦隊が後方にいる特別待遇だ、それでもいいのか!!」

「長ならばなおさら法律は守らなくてはなりません。そうでなければ下の者に示しがつかないでしょう。手順を守ってください、脅しても無駄ですよ、私はバルムンクのファーヴニルだ。貴様ら腐敗神官と一緒にするな!!」


 脅しに屈しない剛毅なファーヴニルに不審船の代表を名乗る神官は目に見えて怯んだ。

 彼の常識では役人とは賄賂や恫喝でどうとでも法を曲げる存在であり、ここまで〈反発〉されるのは予想外であったのだ。

 手をこまねき、そのあげく沈黙でもって事態の解決をはころうとする腐敗神官に件のファーヴニルは不審を抱き始める。この船の中に何かあるのか。

 そういえば以前、密航という形でヒルデスハイムのファーヴニルがリューネブルク市に潜入しようとしたことがあった。結局、何者かの密告によりその作戦は失敗に終わったものの、策自体は悪くない。

 元々砦であるリューネブルク市は生産性が低く、物資の多くを輸入に頼っている。行き来する船の数が多いのだ。全てを臨検するのは容易ではなく、お偉いさんの一声で素通りする船もゼロではない。そういえば現在港の管理は頭領アーデルハイドの管轄であった。

 副頭領であり、実弟でもあるリヒテル司令官との軋轢が噂される彼女が何かを企んでいる可能性もある。

 勿論、それは憶測であり、何か大きいことが起こるかもしれないというある種の願望でもあった。不正を見つければ報奨金がもらえるかもしれない。 その金で妻にうまい物でも食わせてやろう。そんなことを考えながら彼は神官を無視して不審船に近づいていった。


「何を……!!」

「船を臨検する。身の潔白を確信するのならば文句はないはずだ」


 彼は顔を引き締め、戦士の顔つきとなった。ここは戦場ではない。だが彼はなぜか戦場にいるような緊張を感じていた。この船には何かある。あまりにも必死過ぎる腐敗神官の表情がそれを物語っている。この先には何か…… 威厳に満ちた戦士はその顔が床にたたきつけられたその時も戦士のままだった。

 気配を感じることなく背後に回ったスヴァルト兵に首を切断された彼は、自身が気づかぬまま、天国に送りこまれていた。


「斬りました」

「よし、よくやった」

「な、何も殺さなくても……」

「アールヴの分際で我らスヴァルトに歯向かうなど許されることではない。死刑は当然だ」


 慌てふためく神官にスヴァルト騎士ローベルトは冷然に言い放った。不審船の中身はゴルドゥノーフ家の私兵団、彼らはセルゲイの助言、そしてグスタフの情報を軸にリューネブルク市侵攻を計画した。その数、数百。とても数千の人口を誇る同市を攻略できる兵力ではない。

 だが彼らの目的はリヒテルの抹殺。もはや生存を考えてはいない。イエを守るために彼らは決死となった。

 それは強制されたバルムンクの決死隊とはわけが違う。文字通りの死をも恐れぬ狂気の軍隊である。


「グスタフ卿には感謝しても、し足りない。あのリヒテルをおびきだしてくれると言うのだ。我らはただ殺すだけで良い。」

「本当です。そうでなければ我らはイエを失い、ただ不名誉だけを甘受していたでしょう」


 続々と船から降りる彼らの手には凶器。この関所は突如として戦場と化した。


「皆殺しにしろ。リューネブルクに我らの侵攻を知らせるな」

「はっ!!」


 ローベルトの号令の下、まるで一つの生き物のように一糸乱れぬスヴァルトらが水門を蹂躙していく。彼らは次の朝日が昇る前に全てを終わらせる気でいた。その宿願も、そしてその命も……

 その危機を知る者は、それを危機と感じる者はリューネブルク市に存在しない。

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