第32話 俺に死に場所をよこせ

補足 スヴァルト貴族の呼ばれ方 例 ボリス侯爵

スヴァルト人……侯爵閣下 (婿養子なので)王太子殿下

支配下のアールヴ人……侯爵閣下

敵対しているアールヴ人……侯爵を自称する一般人。ボリスと呼び捨て

 アールヴ人国家であるグラオヴァルト法国には貴族制度がないため、公式文書では爵位は全て自称扱いになります。またウラジミール公は公爵なので王様ではありません。ですがスヴァルトにとっては王にも等しいので陛下と呼ぶスヴァルトもいます。ちなみに二章で倒されたミハエル伯は司教位に着いていましたので、公式文書ではミハエル伯爵ではなく、ザクセン司教区司教ミハエル、です。


*****


 戦闘が小休止を迎えて一日、城壁に押しつぶされた戦友の死体を回収することすらできずに連合軍はハノーヴァー砦の前面に陣を敷き、仇敵を睨みつけている

 千三百名を数えた兵力は激しい戦闘により、千名を切っている。損害のほとんどは城壁崩しに巻き込まれた北門でのものであり、精鋭部隊を失った連合軍は部隊の再編に手間取っていた。次の戦闘で先陣を切る者には〈突撃金〉と称して多額の金銭が支払われる。だが、それはすなわち、二回目の城壁崩しに巻き込まれるということである。生活に窮している難民崩れの飢狼軍とて命は惜しい。先導兵二百名の募集は遅々として進まない。よって盗賊流の暴力的手段での募兵となった。


「は、離せ、いくら金を掴まされても俺は行かないからな!!」

「戦争に参加したのでしょう。覚悟を決めてください。そのまま抑えて……」

「はっ!!」


 屈強な男は力の限り暴れたが、その抵抗も長くは続かなかった。業を煮やしたヴァンの手刀が腹に突き刺さると陸に上げられた魚のようにパクパクと口を動かし、詰め込まれたミストルティンの種を嚥下してしまった。


「これであなたは明日の戦闘に参加しなければならない。逃げれば内部から体がはじけ飛ぶ」

「はっ、げ、げげげ!!」

「無駄です。一度飲み込めば根を張り、吐き出すことはできません」

「くっ、くそ、死術士……うっ!!」


 逆上した男は死術士ヴァンに掴みかかろうとしたが、いつの間に抜いていたのか、剣を眼前に突き付けられて黙り込む。まったく反応できなかった男とヴァンとの実力差は明確であった。


「あなたには確か病気の母親がいるはず。薬を買うお金が欲しいのでしょう。悪い話ではないでしょう」

「……」

「前金です。酒を買うなりなんなりして覚悟を決めてください」


 ヴァンは項垂れた男に無理やり金貨を握らせると、興味を失ったかのように静かに立ち去った。残された男はその酷薄さの前に何も言えなくなってしまう。


「くそ、これがバルムンクのやり方かよ。これじゃあ、スヴァルトと少しも変わらないじゃねえか……」


 遅々として進まない募兵に対し、全権を任されたヴァンは死術士としての悪辣な方法で兵士をかき集め始めたのである。人を屍兵に変える種を埋め込んで逆らえないようにする。そして無理やり戦場に連れていくのだ。

 男の嘆きを聞く者はいない。追いつめられた連合軍に人情を見せる余裕など残されてはいないのだ。その現実を極端に表すのがヴァンである。もはや彼はリヒテルの意向など無視して冷徹に物事を処理し始めていた。


*****


「本当に内側からはじけ飛ぶんですか?」

「いや、ただの脅しだ。種は根を張っても、取りつている人間が生きている限り数日くらいで胃酸で溶けてしまう。ただし、死んだ場合はこちらの命令で発芽して体を乗っ取る。明日の戦いでは是が非でも本城を落とさなければならない。例え死んでも使命を完遂してもらわなくては……」

「……ちょっと、強引すぎないか?」

「もう手段を選んでいられる余裕なんてバルムンクにはない。それよりも、アマーリアに竜司祭長殿、あまりしゃべると正体を隠している意味がありませんよ」


 募兵に回っているヴァン本人は素顔を晒しているが、残りの随伴は黒いコートと仮面で正体を隠していた。理由は先の通り、恨みを買うからだ。無理やり死地に送る彼らのことを兵士は憎悪し、場合によっては復讐心から殺意すら向けるかもしれない。ヴァン本人はその事実に耐えられる。今までとそう変わらない状況だからだ。しかし他は違う。特にアマーリアのような戦闘の心得がなく、自衛できない者にとっては死活問題である。


「それって心配してくれているのですか?」

「……そうです。心配しているのです。私の巻き添えで殺されるのは嫌でしょう」

「ヴァンさんの愛人とかなんとか言いふらしちゃったので、今、正体を隠しても意味がないです。自業自得ですね、あはは」

「その割には少しも大変そうに聞こえないのですが……」


 なぜか、危険に晒されて楽しそうなアマーリアを訝しく思いながら歩いていると、目ぼしい男を探させていた仮面の男が戻ってきた。


「良さそうな男が見つかったのですか」

「ええ、見つかりました。体格も良く、武の心得もある。独身で何よりも志願です」

「それはそれは……」


 強制的に兵士をかき集めているヴァンだが無論、志願してくれるに越したことはない。ちなみにそろそろ規定の二百名は集まりそうだが、その内で志願した者は三十人程、二割にも満たない。


「オレの名はアル。よろしくな……」

「アンゼルム殿」


 しかして、連れてこられた男はヴァンの良く知る人物であった。まるでボロ雑巾のように憔悴しきったその姿は彼を知る人物でさえその正体を訝しく思う程だが、ファーヴニル部隊副官、大隊長アンゼルムであった。


「弟達と、姫の仇を討たせてくれ。もう俺にはそれ以外にできることがない」

「あなたは確か、後方待機になったはずですが……」


 アンゼルム含め、壊滅したファーヴニル部隊の人間は怪我の度合いとは別に一律予備兵力に回されていた。あれ程の敗北の後ではショックのあまり、まともに戦闘できないだろうとのリヒテルの考えである。


「いいから、入れろよ。知らなかったって言えばいいだろう。入れろ、俺に死に場所をよこせ。お前、俺が邪魔なんだろ、死んで欲しいんだろう。お前が混血であったことをばらした俺を恨んでいるのだろう、だったら……」

「残念ながら足手まといです。それにリヒテル様の命令でもあります」

「いいじゃありませんか。死にたいと言うのならば死なせてあげれば……」

「黙っていろ」


 余計な茶々をいれるアマーリアを叱りつけながらヴァンは思案する。確かにここで自分と敵対するアンゼルムを始末することができる。だがそれで何の解決がある? 彼が自分を嫌うのは自分が仇敵スヴァルトとの混血であるからだ。その考えは彼独自のものではなく、反スヴァルトを掲げるバルムンクの総意。

 つまるところ、アンゼルム一人が死んだところで状況は変わらない。そしてもう一つ、ヴァンは例え独断専行を行おうとも私的な目的で組織を使うことには抵抗があった。


「私は兵士を殺したいわけではありません。使命のために死ぬことは必要ですが、生きているに越したことはない」

「姫の仇を討ちたいと言っているんだぞ!!」

「残念ながら……私はテレーゼお嬢様が嫌いです」


 瞬間、アンゼルム含め、その場にいた全員が息を飲んだ。ただ一人、アマーリアだけが仮面の奥でうっすらと笑みを浮かべていた。


「我儘で世間知らず。手前勝手な正義を振りかざす。もはやバルムンクに間違いが許されないにも関わらず、現状を理解しようとしない。彼女は組織のじゃまだ。死んでせいせいしたよ。そうさ、死んでくれてありがとう。初めて感謝しましたよ、テレーゼお嬢様!!」


 凍り付いたように場の中、ヴァンの笑い声が辺りに響く。その笑いが治まった後、続けるように錆びた車輪が回るような軋んだ笑みがアンゼルムから漏れる。

 彼もヴァンに負けず劣らず、壊れた笑みを浮かべていた。


「そうか、そうか、それがお前の本音か……なるほど、やっと得心がいったぜ」

「それは良かったですね」

「ああ、初めてお前の本音を聞いた気がする」

「そうですか?」


 アンゼルムがどこか疲れたように手で顔を抑えて俯く。その顔からは幾分か先ほどよりも安らかだった。現世から乖離していた。


「お前はどこか得体が知れなかった。いつも無表情で何を考えているのか分からなかった。バルムンクの幹部でありながらも、スヴァルトを憎むわけでもなく、仲間を守ろうとするわけでもない。そして姫に好意を持たれながらもそれに何の反応も見せない」

「……」

「だから、お前がスヴァルトだと知って思ったんだ。こいつは間者だ。バルムンクに潜む薄汚いネズミだ。だから他の奴と毛色が違うって確信した」

「私は間者ではありませんよ……ただ、他に行くところなんてないだけです。中途半端な混じり物なのですから。ただリヒテル様に拾われたから、その理由でここにいます」


 恩を返すなんてなんとおこがましい言い訳であったのか。ヴァンは自分がそんな殊勝な性格の人間でないと気づいてしまった。リヒテルも、テレーゼももはやどうでもいい。バルムンクの覇権なんて輪をかけて興味がない。圧制を敷くスヴァルトと戦う? 弾圧しているのはお前らアールヴも同じだろう。


「ははは、俺はこの戦いで何もかも失ったが、お前は既に全てを失った後だったのか。なんだ、気が合うじゃないか。友達になれそうだ」

「利害が衝突しなくなったら友達ですか。では状況が変れば敵ですね」

「それがどうした。それが現実ってもんだ。ところで物は相談だが、俺を先行部隊に……」

「駄目です、リヒテル様の命令です。私はバルムンクの禄を食む身。長の命令には従わざるをえません」

「だったら、水上戦でもいい。竜司祭長ブリギッテに頼んでくれ」

「……明日はエルベ河では戦わない。本城への道が切り開かれた以上、港は制圧したも同然だし、何より精鋭のファーヴニル部隊を失った以上、数で押すしかない。もう連合軍は兵力を分散できる余裕がないんだ」

「ヴァン、もしかしてその仮面はブリギッテか?」

「……と、ブリギッテ竜司祭長様が言っていたぞ」


 正体が露見しかけたブリギッテが慌てて取り繕う。ヴァンとしては余りに杜撰なごまかし方だが、アンゼルムは一週間以上前の捕虜解放式以外でブリギッテと面識がなく、声だけで相手を特定するのは難しいかもしれない。それ以前に、どうでもいいことかもしれなかったが……。


「そうか、それでもダメか」

「無駄に死なせたくないと言うのがリヒテル様の考えで、この状況化でとも思いますが、どうやらテレーゼお嬢様を失った……行方不明となったのがかなりの重荷となったようです」


 テレーゼが死んだ、を行方不明と言い換えたのはその胸の痛みに耐えかねたからであった。嫌いであると、どうでもいいと思いつつも、今まで育んだ思いはなかなか消えてくれず、そして割り切れない。古傷のようにジクジクと心を苛んでいた。


「そうか、無駄に死なせたくないか、さすがはリヒテルさんだ、優しいぜ。だけどよ、その優しさは今の俺には重すぎる。全てを失った俺は戦場に出て死にたいんだ。ヴァン、お願いだ。俺を、俺を屍兵に変えてくれ!!」


*****


 早朝、城壁の瓦礫に隠れるように連合軍兵、953名が北門跡に集結した。これが最期となる大規模な攻勢である。これを凌がれればもう後は散発的な攻撃しかできず、ハノーヴァー砦を攻略できない。折しもそれはスヴァルトの反撃を招くこととなり、バルムンクの滅亡に直結する。

 精鋭のファーヴニル部隊は壊滅し、頼みである南方のファーヴニル組織からの援軍はやって来ない。まさしく背水の陣と化したこの状況で唯一の好条件はスヴァルト側の内部崩壊である。

 味方をも巻き込んだ城壁崩し、それを行った司令官ボリス侯爵に対する反感は隠しようがなく、士気の低下は必然である。接戦になればその差が必ずや顕在化する。だが、その儚い望みはグスタフの策によって脆くも崩れ去った。


「将兵諸君にはオレは謝らなければならない。昨日の戦闘における城壁崩しの件だ。確かにオレは最後の手段としてその策を用意していた。だが諸君らを巻き込むつもりはなかったのだ。全てはオレと……そしてこの裏切り者の罪だ!!」


 集められた兵士の前でしおらしい態度を見せていたボリスは、その表情を一変させ、ボリスが背後の物体を指さした。そこにはでっぷりと太った神官兵の串刺があった。

 遡ること一昨日の昼、連合軍の竜司祭長ブリギッテと内通し、八百長を仕組んだ男の片割れがそこで無残に死んでいたのだ。いや、まだ生きている。拷問に長けた騎士セルゲイの技術により巧みに急所を避けられた故に激痛に支配されながらも辛うじて生きている。だが死の誘いは決して避けられず、ただ薄ら笑いを浮かべていた。脆弱なる神官兵は既に正気を失っていた。


「こいつは全てを吐いた。卑劣なるアールヴと内通して勝手に城壁崩しを行い、我らを背後から一突きした。裏切っていたのだ。何か申し開きはあるか、ヒルデスハイム司教区司教、バルタザール・デッサウ!!」


 名指しされた長身の司教は一瞬だけ身震いしたが、すぐに取り繕って自らの潔白を宣言した。彼もまた串刺しになった竜司祭長と同じくブリギッテと内通していたが、それはあくまで八百長を行い、つまりは戦闘を避けるための物であり、連合軍に勝利を与えるための物では決してない。連合軍が勝っても自らの上に立つ者がスヴァルトからバルムンクに変わるだけの事、それでは何の利益にもつながらないのだ。

 そもそも、味方を巻き込んだのは紛れもないボリス侯爵自身の命令、これは完全に罪の擦り付けである。自分の罪は八百長を仕組んだこと。しかしそれも実祭に行われなかったのだから、裁かれる責はない。企んだことさえ知られなければ自分は裁かれない。


「おっしゃることが良く分かりませんな。もしかするとその豚が何かしたかもしれませんが、それはその豚の罪、私には何の責任もありません。私は司教、確かに司教区の存亡をかけた戦さ故に従軍しましたが、戦闘に関して門外漢の私が何かできるわけがありませんよ」

「ほう、全ては部下がやったことと……」


 ボリス侯爵の声音が微妙に変化したことを司教は完全に見逃した。熊の背中に土足で蹴りを入れた愚行を理解できなかった。そして蜘蛛が心の奥底で高笑いしたのにも気づかなかったのだ。


「そもそも、戦闘が始まる直前にこんな仲間割れをするとはボリス侯爵閣下は何を考えているのですか。全ては戦いが終わったあとにやればいいこと。そうです、この続きは戦いが終わった後で……後で……」


 周りの空気が一変していることに司教はようやく気付いた。ふと見渡すとスヴァルト兵が憎悪の視線を向け、逆に配下の神官兵は恐怖に包まれていた。


「ゆ、許してくれ……城壁崩しは司教が勝手にやったことだ。俺ら一兵卒は関係ない!!」

「ふざけるな……ああ、そうだな。戦いが終われば何とでも言い繕えるだろうな。俺らは負けるからな。お前らが裏切ったせいで……」

「リューネブルクと同じくまた裏切る気だな、下賤なアールヴが!!」


 司教の命乞いにも等しい弁明はまったく逆の効果を生んだ。城壁崩しをボリス侯爵が命じたことを一般のスヴァルト兵は知らない。そんな彼らの前に今、嘘で塗り固められた真実が現れた、裏切り者の汚名を着せられた神官兵に弁明の機会はなく、嘘は決して暴かれない。


「裏切り者は殺せ!!」


 短いボリスの命令が全ての始まりだった。周囲を取り囲まれた神官兵が怒り狂ったスヴァルト兵に虐殺されていく。


「しねぇぇぇぇ!!」

「友の仇!!」

「ぎゃぁぁぁぁぁ!!」

「お許しください、お許しください、スヴァルト様!!」

「な、なにを……図られたのか!!」


 虐殺を前に茫然自失の司教は目の前にグスタフを見た。柔和な笑みを浮かべたその獰猛な獣の前に彼は無力である。


「犠牲の羊、ご苦労……」


 司教が聞いた最後の言葉であった。


「もはや、我らの軍に裏切り者は存在しない。将兵諸君、汝らに不死王の加護を……勝利を手に、バルムンクを討ち滅ぼせぇぇぇぇぇ!!」

「ウッラー、ボリス!!」

「プリーンツ(王太子)、ボリス!!」

「うぉぉぉぉぉぉ!!」


 最高潮にまで士気が上がったスヴァルト軍は万全の体勢でバルムンクに相対した。

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