第五話 ローブの女

「山のふもとを探索して、ある程度で見切りを付けて戻るけど、最後まで気を抜かないようにね」


 朝食を済ませて周囲を片付けると、俺は出発前の皆にひと声かけた。そして、自分でも気付かぬ間に、自然とエルフィへ視線を向けてしまっていた。


「なに?」

「あっ、いや、あのぉ……」


 自分自身でも気付かぬ己の行動に対し、急にエルフィが反応したので、見知らぬ美女から声をかけられたときのような反応を返してしまった。


 まぁ、ボケ~っと歩いているときに女性から声をかけられ、『えっ? もしかして逆ナン?』と思い、咄嗟に反応できずにしどろもどろになっていると、『あの~、ティッシュどうぞ』って言われるときの反応なんですけどね。


 そんなどうでもよいことを考えていると、エルフィは軽く目尻を下げ、口角を上げニタッ~とする。それに対して、僅かに俺がドキッとしたのにも気付いていないエルフィは、笑みを深めつつ口を開いた。


「ははぁ~ん、また身長のことね」

「ち、違うし。全然違うし」

「へぇ~」


 ちっ、小馬鹿にしたような顔しやがって! 昨日は、めっちゃ綺麗な姉ちゃんを想像しちゃったけど、……本当はこの小馬鹿にしたような顔をしてたの、かな……?

 ぬぅぁ~、考えても無駄無駄! そんなことより今日の探索に集中集中!


 朝からエルフィに気分を掻き乱された俺は、昨日思い描いた『とても神秘的で気高く、慈愛の篭った笑みを湛える妖精の如き儚くも美しい女性』像を脳内から破棄し、気持ちを切り替えた。


 俺の姉ちゃんがあんなに美しいわけがない!


 今朝の出来事を軽く引き摺る俺が、釈然としない気持ちのまま歩くこと暫し、唐突に「ねーリーダー」と、ミリィから気の抜けた声がかかる。俺は軽く「なに?」と聞き返す。


「リーダーは何か探してるものでもあるのー?」

「あー、何ていうかな、未開の地で人が住める場所……かな?」

「そーなんだー」


 山を右手に見ながら膝丈程の草を踏みしめつつ、『つまーんなーい』とでも言いたそうな顔をしたミリィに、正確な答えが返せないことが歯痒かった。


「ん?」

「どうかしましたかぁ~?」


 ふいに足を止めた俺に、真後ろを歩いていたイルザがいつもの調子で反応した。


「イルザはわからない?」

「ほぇ?」


 可愛いなコンチクショー……って、そうじゃない。俺は何で昨日のうちに気付かなかったんだっ!


 小首を傾げるイルザの魅力にあててられ、思わず惚けてしまいそうになる気持ちを押し留め、思考を本来向けるべき方向へ戻した。


 シュタルクシルト王国は南北で気温の差こそあれど、実は湿度の差は殆ど無いらしい。

 俺自身は王国の隅々まで行っていないので体感していないが、それでも訪れた場所は何処もカラッとしており、ジメッとした湿気を感じたことが無かった。

 だが今しがた、何となしに額を流れる汗を拭ったのだが、その際に『やけに蒸し暑いな』と感じたのだ。

 しかし俺は、このジメッとした感じを知っている。だがそれは、ブリッツェンとして生活をしてから感じたことのない、古い記憶にある残滓ざんしようなものだ。昨日のうちに思い出せなかったのも仕方がない。


 だがその考えは、自分を擁護する言い訳のように感じ、実際は失態を犯してしまったような気になってしまっている。

 そんな失態とも呼べない”気付き”は、俺だけが感じ得たことだ。それが誰かに露見したわけではない。『ここから挽回すれば問題ない!』そう心を強くもち、現状だけを正確に把握することを心掛ける。そして改めて実感した。


 ここは空気の質が違う、と。


 更に思う――


 若干ではあるが気温が高い気がするし、湿度も高い。まぁ、気温のことはこの際置いとくとしても、この湿度は捨て置けないな。

 ってことは、ここは伏魔殿跡地でほぼ確定だ。しかも、高温多湿とまでは言えないけれど、若干その傾向がある。多分、特殊気候地の一種だ。

 こんな未開の地で、平定された伏魔殿の跡地というだけで普通ではありえないのに、特殊気候を維持しているとなると、普通に考えて……異常、だよな。


「リーダー?」

「……、んあ、ごめんごめん、ちょっと考え――っ! イルザ! 皆も用心して!」


 会話の途中で黙りこくってしまった俺にイルザが話しかけてきたので、いかんいかん、と意識を戻した瞬間、何だかわからないが嫌な感じがし、考えるまでもなく俺の身体は反応してくれており、自然と叫ぶように注意を呼び掛けていた。


「え? あっ、はいぃ~、わかりましたぁ~」


 俺の急な叫びに、会話をしていたイルザは驚いていたが、あたふたしながらも即座に警戒するような姿勢になった。

 イルザ以外の面々も、急に俺が大声を張り上げたことにピクリとしたが、緊急事態であることは皆が皆気付いたようで、各々が自分の獲物武器を手にしたり防御の姿勢をとるなりの動きをしていた。


 気の所為かもしれないが、こんな違和感たっぷりな場所でこの感じ……、用心するに越したことはないからな。


 そう思った刹那――


「右前方、魔力反応っ!」


 先ほどまで一切感じなかった魔力の反応が、山間の右前方から突如現れた。


「ちょっ、なんすか?」

「ヨルク、盾!」

「あっ、はいっす!」


 距離は結構ある。どんな攻撃がくるかわからないけど、直撃はない……と思う。


「あら、こっちの気配に気付いたのかしら?」

「こんな所までくるからには只者じゃねーとは思うが、あんなガキがねー」


 こちらの警戒など意に介さず、呑気な会話をしながら二つの影がこちらに近付いてきた。


 こんな緊急事態を想定し、違和感なり危機感なり、なんらかの異変を感じた場合に無意識に身体が反応できるよう、常々この小さな身体に叩き込んでおいたので、今の俺は五感の中でも視覚と聴覚を魔法でかなり鋭敏にされている。

 そのお陰で、本来であれば聞こえないであろう場所に存在する二つの影……いや、二人の人影から聞こえる会話を、俺の耳はしっかり拾い上げていたのだ。


 漆黒……のローブを纏ってる方は、声からして女、か? もう一人は喋り方もそうだが、薄っすら見えるシルエット的に戦士って感じのゴッツイ野郎だろう。

 こんな辺鄙な場所にいて、ただの冒険者……ってことはないよな?


「ねぇ? あのボクちゃん、魔法陣も出してないのに魔力反応があるのよね」

「そいつぁー妙だなー」

「それと、神官の格好をしてる三人の内、白い神官服を着てる金髪と銀髪の娘もですわね」

「身体強化の魔術……って感じでもねーなー」


 ちっ! 魔力探知か? しっかり魔力持ちを言い当てられたぞ。


 ――スッ


「土壁!」


 ローブの女がおもむろに右手を上げると、大きな魔力が襲い掛かってくる。それに対し俺は、神殿の掘り起こしの際に身に付けた土魔法を駆使し、咄嗟に土の壁を作っていた。

 あまりにも巨大な魔力を向けられたため、シュヴァーンの皆に魔法を隠すような余裕もなく、とにかく身を守ることを身体が優先して動いていたためだ。


 ――ドゴォォォォォォーーーーン


「おいおい、加減って言葉知ってるか?」

「何を言っているのかしら? 初めてのお客さんですのよ、最高のおもてなしをするのが礼儀でしてよ」

「相変わらず……って、マジか?!」

「あらあら、あれを防げるのね?」


 何なんだよあの威力!? 咄嗟に作った土壁とはいえ、簡単に破壊できる程ヤワじゃないはずだ。それを崩壊寸前までのダメージを与えてくるとか……、これはマジでヤバイぞ。


「ってか、アイツ無詠唱だったぞ」

「そう言えばそうね。もしかして、あの子も魔法使いなのかしら?」


 あの女は、今なんて言った? あの子、ではなく、あの子って言ったよな?


「ねえボクぅ~?」


 ローブの女が声を張り上げ問うてきた。


「ボクとは私のことでしょうか?」

「そうですわよぉ~」

「私になにか? いや、それ以前に、いきなり攻撃しくるとか、どの様な神経をお持ちなのでしょうか?」


 無警戒で近づいてくるローブの女との距離はずんずん縮まり、今は五十メートルといったところか。それにも拘らず、ローブの女の声は、さも当然のようにスゥーッと俺の耳に届いてくる。それはきっと、俺と同じように風に声を乗せる魔法を使っているのだろう。

 そんな女の問に、俺は多分に嫌味を含んだ返答をした。

 そして、『こんな厭味ったらしい返答をするとか、俺もすっかり・・・・子どもだな』などと思っても、それを表情には出さない。


「ボクはここが何処だかわかっているのかしら?」


 ローブの女は俺の嫌味も意に介さず、余裕……があるのだろうか、不遜な笑みを顔に貼り付け、再度の質問を飛ばしてきた。


「知りません。それがいきなり攻撃してきた貴女の常識外れな行動と関係しているのでしょうか?」

「大ありですのよね~」


 まぁ、普通……かどうかは別にして、状況から考えると、魔法使い・・・・が自衛のため外敵に対して攻撃をした、ってところなのだろうけど、それにしても……。


「ところでぇ~、ボクはどこで魔法を覚えたのかしら?」


 ローブの女から発せられる艶っぽい声は、シュヴァーンの皆の耳にも届いてしまっているのだろう、皆は「魔法?」と口にしながら首を傾げている。


「何のことでしょう?」

「とぼけても無駄ですのよ。魔法陣も使わずにあれだけの土の壁を作るなど、魔法でなければどう説明するのかしらねぇ~? もしかして、魔法陣が不要な魔術が開発されたのかしら?」


 御尤も過ぎて返す言葉も浮かばないよ。

 ってかどうするよ? シュヴァーンの皆は、俺が魔術を使えないことを当然知っている。それにローブの女が言うとおり、俺は魔法陣を使っていない。どちらにしても”魔術だった”という言い訳は使えないぞ。

 実は、『新しく開発された魔法陣を必要としない魔術なら取得できた』とでも言うか? いやいや、そんなのシュヴァーンにはすぐにバレるだろうし、あのローブの女もネチネチ聞いてきそうだ。


 こうなったら、はっきり魔法だと言うのが手っ取り早いか? ……そーだよ、魔法使いの村があったら、シュヴァーンには魔法の存在を教え、あまつさえ習った貰おうとしてたんだ。

 それなら、ここで魔法の存在を口にしても、少し早く魔法の情報がシュヴァーンに伝わってしまった。それだけのことじゃないか。

だったら――


「……独学です」


 誤魔化すことを諦めた俺は、渋々ではあるが認めることにした。


 今は未来さきのことを考えている余裕はない。取り敢えず現状をなんとかしないと……。


 俺は今、ワイバーンと対峙したとき以上の危機を感じている。”倒す”や”逃げる”の発想などもなく、何とか穏便に”見逃してもらいたい”一心であった。


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 第四章の『第十三話 スパルタ教育』と『第十四話 王都での日常』の間に『閑話 アルトゥールの執務室にて』を投稿してあります。詳しくは近況ノートをご確認ください。

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