第四話 ポンコツ?

「ねぇブリッツェン」

「なに姉ちゃん」


 伏魔殿を進むこと数日、いつもの如く暇潰しの会話のお誘いだろう、俺の隣を歩くエルフィは、こちらに視線を向けることもなく淡々と呼び掛けてきた。


「左に魔物の群れがいるのはわかる?」

「あぁ、アルミラージだね」

「……あれ、狩りたいのだけれど」


 まだ仮冒険者になったばかりの頃、『魔物の肉が食べられる』と知る切っ掛けとなったのが、角の生えたウサギ型の魔獣であるアルミラージだ。

 あの頃のエルフィは、それこそ狂ったようにアルミラージばかりを食べていた。俺はそれを、今でもしっかり覚えている。

 そして、『もしかして食べたいのか?』と思った俺は、さり気なく聞き出してみることにした。


「なんでアルミラージなの?」

「魔物を初めて食べて、凄く美味しいと思ったのがアルミラージでしょ。でも、それから多くの魔物を口にして、もっと美味しい魔物を知ってしまったの」


 そりゃまぁ、食に無頓着だった姉ちゃんが、すっかりグルメになっちゃったくらいだからね。わざわざ言わなくても知ってるよ。

 ってか、これはもう『アルミラージが食べたい』で確定だな。


「それでもたまに思い出して懐かしくなるの。……でもね、今更アルミラージをわざわざ狩ったりしないでしょ?」

「まぁ、わざわざ追ってまで狩ろうとは思わないし、かといって、潜んでまでして狩るのは追う以上にやる必要性がないからね」

「でしょ?! それに、今はベルンハルト様達が魔物を狩ってしまうから、単純に狩りもしたいの」


 元々美人さんだったエルフィは、相変わらずペッタン娘ではあっても、十六歳になり美しさに磨きがかかっている。

 そんな見目麗しい女性であるエルフィは、口を開くと残念なことばかり言う。

 今も、憂いを含んだ瞳で遠くを見つめているが、それは『アルミラージが食べたい』や『狩りがしたい』という、この美人さんの見た目からは想像できない、”腹を空かせた腕白小僧”みたいな欲求が思考を支配し、単に妄想に忙しくて視点が定まっていないだけなのだ。


「姉ちゃん、ベルンハルト様は俺達が安全にここを通過できるようにと、わざわざ狩りをしてくれているんだよ。それを『狩ってしまう』とか言うのはどうかと思うな」

「…………」


 俺の言葉を聞いたエルフィは、身体こそピクリと反応したものの、口をつぐんだままだんまりだ。


「あのさぁ、姉ちゃんはもう成人してる大人だよね? そんな子どもみたいなこと言わないでよね」

「……あぁ、あの香ばしくも少しクセのあるアルミラージ。久しぶりに、……食べた、かったわ…………」


 悲哀の篭った瞳で恨み節を言うエルフィは、それでも唇を噛み締め、我が儘を言うことなく我慢をしてくれた。


 姉ちゃんは頼もしいときもあるけど、やっぱりこんな感じの、ちょっと手のかかる妹っぽい残念なポンコツ娘の方が、何ていうか……可愛気があっていいね。


 ここは魔物が跳梁跋扈ちょうりょうばっこする伏魔殿の中、とは思えないくらい呑気な会話をする俺達姉弟。それくらい余裕のある移動をしているのだ。


 頼もしい――エルフィは不満のようだが――ベルンハルトの率いる軍と共に進んでいるこの伏魔殿は、常時冒険者に開放されていたため、それなりに間引きがされていたのだろう、必要以上に魔物が出ることもなくすんなり通過できた。


「では、我々はここで戻るが、あまり無理をしないようにな」

「ありがとうございました、ベルンハルト様」


 今回の移動はそこそこの人数を携えた軍と移動していたため、進行速度にやや難があったものの、それでも思ったよりも早くトリンドル領を出ることができたのは僥倖であった。

 ベルンハルトの率いる軍は、流石王国の騎士団といったところか、統一された一団の動きは非常に素晴らしく、そこいらの領軍であったならこの速度すら出せなかっただろう。


「さて、ここから俺達だけでの探索だ。油断することなく行くよ」

「早速狩りをしましょう!」


 やっと自由になり、これからが本番だ、とばかりに俺が宣言した横で、鼻息も荒く『狩りをする』と言い出すエルフィ。

 そんな残念なエルフィを、微笑ましそうに見つめる聖母の如き姉であるアンゲラ。

 最早エルフィの奇行に慣れてしまった、俺の大切な仲間である四人のパーティメンバーの引き締まった表情。


 そんな皆の顔を確認し、『若干一名、欲望に忠実で頭のネジが緩んだおかしなのがいるが、それはそれで気合が入っているので良し』として、俺達は未開の地へと足を踏み入れたのであった。



 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



「ここも普通の伏魔殿だったね」

「メルケル領とトリンドル領を隔てる山脈もすぐそこだけれど、本当にそんな村があるの?」


 満を持して未開の伏魔殿に向かったものの、特殊な気候や地形でも何でもない標準的な伏魔殿ばかりで、名目でもある『王国直属地の未開の地の調査』を軽く行いながら連日足を進めるが、魔法使いが住んでいそうな村は見当たらなかった。


「姉ちゃん、魔法使いなら伏魔殿でも生活できると思う?」

「できなくはないでしょうが、……厳しいでしょうし、わざわざしないと思うわよ」

「だよね」


 いくら魔法使いであっても、伏魔殿の中では生活しないと予想していた。……いや、できなくは無いと思う。ただ、いつ魔物が襲ってくるかわからない環境で、わざわざ生活しようなどと、俺だったら思わない。

 その考えから、伏魔殿に囲まれた中に平定された通常の地があり、『そこに魔法使いの村がある』と想定して行動していたのだが、進めど進めど伏魔殿ばかりで、伏魔殿が途切れると次の伏魔殿が現れるのだ。

 あまりにも何もない――伏魔殿しかない――状況に、自分の予想が外れているかもしれない、と自身の考えに疑念を抱き、思わずエルフィに尋ねてみたのだが、姉は美しい銀髪を手櫛で梳きながら、俺と同意見であることを口にした。


「そろそろ二ヶ月になるけれど、一度ここを出て休憩してから再度探索に出てはどうかしら?」


 俺とエルフィの遣り取りを聞いていたもう一人の姉であるアンゲラが、木漏れ日を浴びて美しい輝きを放つ、ふわふわした金髪をなびかせながら振り向き、いつもの優しい雰囲気ながらも芯の通った声で、休憩することを提案してきた。


「もしかして、姉さんは無理してたの?」

「私は平気よ。だけれども……」


 俺の問に答えながら、チラリとシュヴァーンの方に目配せをしたアンゲラ。

 そのアンゲラが再び俺に視線を戻し、更に言葉を続けた。


「皆は本当の目的を知らないでしょ? そろそろ休ませてあげないと、”身体”ではなく”心”が疲弊してしまうわよ」

「そう……だよね」


 未開の地の調査だと思ってるシュヴァーンの皆は、ひたすら伏魔殿を通過してるだけの現状だと精神的にキツいか、な……。

 それに、姉さんの言うことも尤もだな。明確な目的もわからず、魔物の住まう地をただ進む。いつ終わるともわからないそんな日が、ただただ毎日続くとなれば、……俺も耐えられないだろうし。


 そもそも、一生をして探そうとしていた魔法使いの村なんだから、焦って探しても簡単には見つからないって理解していたはずなのに……。

 俺って本当に駄目だな。こうして探し始めると、自分でも気付かないうちに焦ってしまっていたんだろう……。助言をしてくれた姉さんには感謝だよ。


「姉さん、この伏魔殿を抜けた先の確認をしたら、一度戻ろう」


 アンゲラに言われて現状を鑑みた俺は、反省と感謝をしつつ、一度戻ることを決意した。



「リーダー、次の境界が見えないっすね」

「そうだね」


 日が傾き、そろそろ野営地を探そうか、と動き出した際に、たまたま境界が見えたので伏魔殿を抜け出てみた。するとビックリ、そこは久々の通常地であったのだ。

 ここまで散々伏魔殿を抜けてきたので、伏魔殿の境界と境界の間に、大凡十メートル前後の隙間的な場所が存在していることを俺達は知っている。

 しかし、今しがた抜け出てきた伏魔殿の境界から既に百メートルは歩いたというのに、未だに次の境界が見えないのだ。


「今日はここで野営をしよう。それで、明日はこの先を軽く探索して、その後は一度トリンドル領に戻る予定だから」


 程良い場所を見つけたので、ここで野営をすることと共に、一度引き返す旨を皆に伝えた。


「了解っす。……あー良かった」


 やはり、ヨルクの心は折れかけていたようだ。……いや、他の三名も安堵の表情を浮かべていることから、シュヴァーンの四名全員の心が折れかけ、疲弊していたに違いない。

 そして、ヨルクが何気なく呟いたのであろう言葉を耳にしたとき、『姉さんの忠告を聞いていて良かった』と、俺は心底思った。――思ったのだが、それでも、”もしかしたらこの先に”……そう思ってしまい、口では『軽く探索して』などと言ったものの、『ガッツリ調べたい』と思ってしまっている自分がいる。


 そんな相反する感情が心の中でせめぎ合っていたが、流石に『ちょっとだけ、もうちょっとだけだから』などと言うのは、『さきっぽだけ……』と言う童貞と同じだ。……いや、俺も童貞だけど。

 そうではない、心が疲弊した仲間を裏切ってまで我を通すのは、彼等にとって、そして俺自身にとって、それは決して良いことではない。


 俺は、自分が宣言したことに対してみっともなくあれこれ考えてしまったが、最後は”信頼する姉の助言”を信じることにした。

 ここで、”仲間を思って”と言えないところが、俺の俺たる所以ゆえんであろう。


「俺って、ちっぽけな男だな……」

「ん、また身長のこと? 大丈夫よ、きっとそのうち伸びるわ」


 どうやら漏れていたらしき俺の独り言を拾ったエルフィが、なにやら明後日の方向に勘違いして慰めてくれた。

 だがそれは、通常時であればエルフィがからかい半分でかけてくる言葉で、俺が苛ついてしまう言葉である。

 それが何故だろうか、今はそんなエルフィのポンコツ具合がとても心地良く、心がスゥーっと和らいでいくのを感じられたのだ。


「……ありがとう、姉ちゃん」

「ん? どういたしまして」


 黄昏時の所為でよく見えなかったが、今のエルフィは俺の心の中で思い描いた表情をしているだろう。


 それはとても――

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