愛おしき彼女の愛という守護(6)

 リネーマーの居城から離脱しつつ、無礼にもディグロのアイデンティティを暴いているこの場所は、寂れたビルに囲まれて盆地みたいになった広場だ。どこからともなく油の匂いがしてきて、生ゴミの腐った匂いも同時にしてくる。

 前方には十二の刺し傷をつけて殺す猟奇殺人鬼がいて、殺しそこねたディグロに底知れない殺意と憎悪を向けている。「増えてるけど、分身したのか?」崇道がこちらに近づきながら言う。建物に阻まれて喧騒は遠くにあるし、広場には俺たちと殺人鬼以外に誰もいない。だから声がよく通る。

 帽子を深く被った上にフードまでしてる。監視カメラに映っていた時より、外見がますますわからなくなってる。

 つーか……ディグロのみならず、俺と零以をも、ディグロの中にあった人格として認識しているのか?

「私たちは違うよ? 固くて赤いもので結ばれてるだけ」零以が反応する。

 ディグロは……銃を構えている。銃が入っていた紙袋は風に流されていく。一度は崇道に対して発砲していることだし、メイカーお手製とはいえ、それほど勝手は変わらないとは思うが心配だ。

「だったら」崇道は立ち止まって、手に持ったナイフで俺達二人を指し示す。アズライールだ。「お前等は? 何者? 自分が分身でない証明とかできるのか?」

「分身でない証明?」

「そうさ。俺達、姿形以外は色々と情報交換してきたろう? こうしてディグロと俺とで分身してる以上、俺にもディグロにも、別人格を持って分身するってのはあり得ない話じゃないだろ」

「わけわかんない」苛立ち混じりの声が零以から発せられる。「私たちは元々ここに住んでるんだよ?」

 そういえば蜂蜜切れを起こす寸前だっけ。零以が蜂蜜切れを起こすとどうなるか。部屋中が滅茶苦茶になる。

 ……外でそれが起きたことはまだない。

「そういう記憶が作られた状態で分身したんじゃなければ、そうなのかもな」崇道はおどけて言う。

「じゃあ、久川建人はここに来たことがあるのか?」俺が訊いてみる。来たことがあるのなら、崇道の言い分も一理ある。

 ……あってたまるか。

「さぁ? その辺をあいつは隠してたからな」

「アンタのご主人様は、旅行した先々でその内容をネットに書いてる。ここに来たんなら、そのことだって書いてもいいはずだろ」

「ここはインターネット禁止じゃなかったのか?」

「いいや? 報道規制が敷かれてるだけだよ。個人のネット活動なんか知るかよ。YouTubeでも見ろ」

 俺は一呼吸置いて、話を切り出す。「ディグロはアンタの別人格なんだろ?」

「そうさ。勝手に分裂して勝手に逃げ出したからこうして追っかけてきたんだ」

「そうして追っかけてきたアンタもまた、久川建人の別人格ってことで合ってるか?」

「それがどうした?」

「別にどうも。確認したかっただけだ。「ディグロもまた別の人格を持って分裂する」とアンタが考えた理由も気になるといえば気になるが」

「俺達の持ってるダガーがそういう性質だからだよ。なんだ、聞いてないのか、ディグロから」

「……説明しろ」俺はため息をついてディグロを見やる。銃を構えたまま動かない。

 ずっとそうしてるつもりか?

 ……なんて悪態をついている裏で、俺は一人で勝手に納得する。「ああ、そうか、そういうことか」などと。

 ディグロは持ち物諸共、復元という形で復活する。一度は撃った銃弾も、死んで生き返れば復元される。ならばアズライールは? メイカーの作った武器の特性が持ち主にも作用して、結果的に持ち主を分身させることになるのだとしたら? 分身対象が持ち主の全てであったならば。対象の持ち物まで分身するのだとしたら。

 勝手極まる自己解決。クソ食らえと言いたくなるくらいに面倒な仕様をしているらしい。アズライールとかいうその武器は。

 人格と外見だけが別のものとして、持ち物や衣服はそのまま、という何とも異様な形での分裂を果たした、と。

 そして、崇道がアズライールを持っているのと同様に、ディグロもまたアズライールを持っている、と。

 ディグロも崇道も、靴の色は同じだ。ジーンズも同じ色。上に着ているものだけが違う。

 俺の考えの浅はかさがここで出てくる。なんてことはなかったのだ。アズライールそのものが分裂する性質を持っているのだし。

 持ち主にもその作用が発生すると考えるところまでは至っても、その持ち主が多重人格者だった場合のことなんて考えてられるかってんだ。

 リアムも今の状況を知れば驚くだろう……いや、もう驚いてるんだろうか。それともこうなることは知ってたんだろうか。

 久川建人がアズライールを買った時点で、リアムは久川建人が多重人格者だと知っていたんだろうか。その上で売ったんだろうか。

 考えるだけ無駄か。

 目の前で起こってるこの状況だけを見るなら。

 ディグロは……片手で銃を向けたまま、腰からアズライールを取り出していた。

 アズライール。ダガー。両刃。中心線を軸にして、刃先から持ち手まで白と黒の二色で塗り分けられているせいで、その素材が判然としない。刃が光を反射しないおかげで、金属で作られているのかもわからない。木製のペーパーナイフに同じような塗装を施しても、見分けはつかないだろう。光沢の全くないダガーは、果たしてそこに本当に存在しているのかという認識すらも危うくさせる。

 おまけにその存在を上手く捉えられない理由はもう一つあって、それはダガーの輪郭がブレにブレまくっているからだ。今にも分裂せんかというくらいに輪郭がぼやけているせいで、造形もはっきりとしない。

 そしてそのダガーの刃先を、銃口を向けるのと同じように、ディグロは崇道に突きつけている。

 崇道もまた、ディグロに対して刃先を向けている。

 なんだこの状況は?

 俺達は蚊帳の外なのかもしれないし、そうであるならもう帰ってもよさそうだ。零以は蜂蜜を欲している。

 おまけに「手出したら殺すし逃げても殺す」と、崇道は釘を刺してきた。俺達は標本の虫のように動けない。

「なぁディグロ、俺のことを一度たりとも殺せてないのに、よくもまぁそんな度胸が生まれてくるよな。いくら自分が死なないからって」

「……そういうお前は違うってか?」ディグロが言う。ディグロが?

「さぁ? 死んだことないからわかんねぇな」

「建人含めた家族全員を殺しておいてよくもまあヌケヌケと」

 なんだ。どうなってる。

 ディグロの言葉からは段々とアイデンティティが抜けていく。ディグロの皮を被った別の存在……ともすれば、分裂したディグロにも別人格が宿っているのか?

 あるいは、「分裂した持ち物」の中に「内包していた人格」も一緒に入ってたか? ……もうやめてくれ。これ以上俺を混乱させるな。

「殺した、ね……お前が俺にその容疑をかけてるとして、じゃあ俺の姿をはっきりと見てないのに、これはどう説明するつもりだ?」

 崇道がフードを脱いで、帽子も脱ぐ。

 浅黒く焼けた肌と、洗いやすい程度には短く切られた髪。筋肉質な輪郭のせいで、変わらないはずであろう体の見た目まで大きく変わる。

 SNSの久川建人のプロフィール写真と同じ顔が、俺達の目の前でダガーを構えていた。

「崇道雅緋は久川建人……そう言いたいのか?」俺は思わず口を挟む。言いたいも何も、目の前の状況はそう説明してるようなものだ。「じゃあ久川家で殺された家族はどうなってんだ。あの中にはアンタもいたんだろ?」

「報道内容を易々と信じたわけか」

「情報源はそこだけだからな」訊こうと思えばアルファに訊けるだろうが、答えてくれるかどうかはわからない。ニュースサイトは堂々と久川建人の名前と年齢を公表していた。十二カ所の刺し傷と、家族全員の名前。人数も一致。

 ならば目の前の久川建人は誰だ?

 もしくは、向こうで殺された久川建人は誰だったのか?

 そういう問いになる。

「わけわかんない」零以が愚痴をこぼす。

 ディグロは……何を考えているかわからない。動きは完全に止まっている。銃とダガーを構えたまま、微動だにしない。

 俺は落ち着いて考えてみる。

 アズライールの特性は分裂。使用者もその影響を受けるなら、使用者も分裂、もとい分身能力を得る。

 久川建人の場合、多重人格者だったおかげで、複数の人格を持つ人間がアズライールを持つとどのようになるのかを結果として見せてくれた。人格が肉体を持った状態で文字通りの物理的な分裂を引き起こす。その例がディグロ・ウェルズであり崇道雅緋である。

 ならば多重人格者でない人間がアズライールを持つとどうなる?

「そのまま分身するんじゃない?」

「そうだな……本来ならただ単に分身するだけで済む話だったんだ」

 人格がいくつもあったから話が拗れただけで。

「久川建人から久川建人が分裂することもあるんじゃないかな」零以の言葉に、そうかもと返す。「それか、人格は別でも外見は同じとか。姿形も決まってるディグロが例外なだけで、他の人格はみんな同じ姿かも」

「随分と無責任な推論をするんだな」崇道……久川は言う。

「久川建人から久川建人が分裂する。何もおかしくはねえよ。武器と同じように分身として分裂しただけなんだから。アズライールの性質をそのまま引き受けただけなんだから何もおかしくない」

「本物かもしれない存在に向かって分身かもしれないなんて言っちゃうのはどうなんだよ」

「そこまで言うなら、まずは偽物と分身を区別してから話せ。アンタは偽物ではなくても、分身である可能性は高いんだ」どうやってオリジナルと区別するかって話になる。俺はそんなの御免だ。これ以上俺を混乱させるな。

 久川建人の返答を待たずに、俺は続ける。

「アンタはそのダガーを買ったときに、何か説明を受けたのか? 持ち続けると体が分裂するだとか、そういう忠告を、アンタは受けたのか?」

「受けてなかったら、俺はもう自殺してたかもな」

 リアムはこうなることをわかっていたのかもしれない。もしくは、久川建人自身がリアムに頼んだのだろうか。

 どっちにしても、タチの悪い武器商人だことで。  

 俺はまだ動かないディグロを呼ぶ。反応はない。もう一度呼ぶ。「おい」

「黙っててくれ。俺は考えてたんだ」

「そんな余裕はない。アイツはもう殺し尽くす気満々でいるぞ」

「もう考え終わったんだよ。これからどうするかって」

「そんなもん結論は一つだろ、オリジナルの座を奪え」

「そうじゃないんだ。違うんだよ。もう決めたんだ」

 会話が成立しない。「あのなあ」

「だからそれはもう終わった話なんだ!」「この体は無限に死ぬことができる訳じゃないってもうわかったんだよ!」「違う、そうじゃない、細胞分裂に限りがあるみたいに、死ぬ回数にも限界があったんだ」「それはもう、すぐそこまで来てるんだってば!」「だからこそ僕は」「俺はこの武器を」「願ったんだ」「叶ったんだよ」「そしてもう念願はそこまで来てるんだ」「細胞分裂のループをこれで実現できるんだ」「アズライールは完全じゃなかった」「元の人間が大部分の性質を持ってたおかげでね」「このダガーも性質が薄れてきてる」「もちろん武器としての性質はこれっぽっちも落ちてない」「持ち主への影響力がこれでもかと言うくらいに下がっちまった」「こんなんじゃ分身なんてできやしない!」

 全部ディグロから発せられた言葉だ。一人芝居でもしてるかのようだ。

 実際は葛藤してるだけか。ディグロの中にも複数の人格があったってことになる。久川建人の中に複数あった人格のうちどのくらいがそうなったかはわからないが、いくつかは分裂したディグロ・ウェルズの肉体に移ってしまったらしい。

 そう考える他ない。久川建人も同じだけの人格を持ち合わせてるなんて状況は考えたくない。同じ人格が複数あるだなんて。そうなれば勝手に戦ってくれとしか。

「え……、なんか……すごいね」零以は呆気に取られている。俺もそうだ。口調の変化は度々あったし、俺はそれを不審に思っていたが……こうも炸裂すると、言葉が出ない。

「退屈させやがって」と久川建人は言う。これが退屈なもんか。面白いショーでも見てるかのようだ……が、元は同じ人間なのだとしたら、複雑な気分になるのも無理はないのか。

 そういうわけで、痺れを切らした久川建人がアズライールをディグロめがけて投げてしまった。

 苛立っている様子は見て取るようにわかっていたので、特に驚きはない。

 時間を止めてしまえば、アズライールとて例外ではないのだ。

 近づいて観察する。刃先がディグロを真っ直ぐに向いている。面白い形状だと改めて思う。ディグロが持っていたものと全く同じように(分身だから当然だが)、完全に白黒で二分されたダガーは、その輪郭を複数に揺らす。

 目の錯覚でも何でもなく、ダガーは存在そのものがブレている。

 残像がダガーを取り囲むように現れていて、どこが本当の刃なのか、止まった時間の中でさえも一瞬では見分けがつかない。もちろん残像も止まったままだ。

 俺はダガーを掴む。

 そのまま動かし刃先をディグロから逸らそうとした。

 だが失敗した。

 柄を掴んだ感触はまだ残っているし、手にダガーは握られたままだ。

 問題は、俺が動かした軌跡に沿って、ダガーが分裂を果たしていることだった。

 無闇に動かすべきではなかったらしい。

 俺が掴んだことでダガーに時間が流入したのか? 自分でもびっくりだ。てっきり止まった時間の中で動くことができるのは俺だけだと思っていた。物質とて例外ではない、と。俺の銃だってメイカーお手製のもので、俺の時間停止の影響を受けないように調節された銃だった。

 止まった時間の中で零以を抱きかかえてリネーマーから逃げたときのことを思い出す。零以の時間は確かに止まったままだった……いや、そういうフリでもしていたのか?

 ともかく、ダガーは一時的に時間を取り戻し、隙を突くように分裂しやがった。

 フリーズしたパソコンみたいだ。マウスポインタは残像を残し、ウィンドウは動いた分だけ増え続ける。だがその実動作は止まっている。ダガーもそんな感じだ。

 刃先がディグロを向いたままのアズライールは、まだそこに残っている。

 七個にまで分裂してしまった。俺以外からすれば、一瞬で分裂したように映る。

 時間が動けば、やはりディグロに刺さるのだろうか。ダガーに付与された勢いの方向……つまりベクトルのことが気にかかる。刃先を先頭としてダガーを矢印にたとえてみる。ディグロに向いた矢印もあれば、零以に向いた矢印もある。うっかりしていた。

 時間を進めた際、矢印の方向にダガーが飛ぶのであれば、と考える。更なる分裂を承知で、俺はダガーを動かして久川建人に向ける。俺の手から離れたダガーの時間は再び停止して、まるで貼り付けられたように空中に留まる。

 ディグロと零以を、ダガーの飛ばない安全な位置に動かせば終わりだ。

 俺が触れても、彼らは微動だにしなかった。零以はまだしもディグロは俺の能力を把握していない。ディグロなら驚くはずだ。でもそうはならなかった。

 ……無駄な労力だったか?

 俺は止めていた時間を動かす。

 分裂したダガーがあちこちに飛び散る。ディグロのいた位置、零以のいた位置にも飛んでいく。ダガーは落ちて、重い金属音が立て続けに耳に鳴り響く。

 そして、久川建人の腹にも突き刺さる。

 表情の変化は乏しく、だが緩やかに苦悶の表情へと。力を失った体は地面に引き寄せられるように。

 跪いて腹を抑え、ナイフを……抜いた。腹から、更に口からも血を流し始める。

 ディグロは尻餅をついて怯え始める。今はそのことに構っている状況じゃない。

 問題なのはアイツだ。

 ディグロは死んで生き返る。

 久川建人は……どうなる?

 分身は分身らしく、おとなしく消滅するのだろうか。だが、ディグロだって中身の違う分身そのものだ。恐らくは……死ねばコイツも生き返る……だろうな。

 散らばったアズライールはまだ散らばったまま、そこら中に転がっている。いずれは誰かが拾い上げてまた分裂する。持ち主も一緒に。危険だ。そんな事態が延々と続くのであれば、世界がナイフで埋め尽くされる前に、宇宙にでも飛ばすなどして対処するしかないだろう。

「刺されてどんな気分?」不機嫌そうに零以が言う。自らの投げたナイフが自らに突き刺さる。零以だったら、その気分はいかほどなものかと考えるだろうし、相手の状態にかかわらず、彼女はその疑問をちゃんと声に出して質問する。

 彼はまだ生きている。荒い息で「ふざけるな」と血混じりに答えるが、零以はそんな回答じゃ納得しない。

「どんな気分かって訊いてるの」

「……変な気分だよ」ありきたりな回答をよこす。零以がため息をつくという動作は、その回答がたまらないくらいありきたりでつまらないものだったのだということを表す。

 彼女は壊すのが専門だ。血肉なんか飽きるほど見ている。好きなことだから飽きることなんて無いんだけど。「もうちょっとまともに答えてよね、わかりやすくさ」

「零以」かといって、黙って見ている訳にはいかない。コイツが死んだらどうなるのかを確かめる必要がある。

「ハッ」久川が笑う。「アレが一瞬で十数個に分裂する訳ない。何をしたんだよ、お前」

 簡単さ。「時間を止めたんだ。アンタにナイフが刺さるようにしたってだけだ」そのまま死ね。俺はそう思う。

「ディグロを死に損ないって言ってたっけ」後ろにいるディグロを見る。ダガーと銃を持ったまま、立ち上がろうとしているところだった。

「ディグロと違って、このまま死んだら終わるのか?」ディグロはコイツを一度撃っている。その時に死んでいたとしたら、コイツも任意の場所で生き返るだろう。無駄な質問だったかもしれない。

「分身に撃ったんだよ、アイツはな」久川は血を吐きながら答える。お前も分身だろ。「アイツが銃を取ったときに、俺はもう分身してたのさ」

「そのうちの一人が死んだ、と」

「そう、死んだのは一人だ」

「……何人に分身した?」

「さぁ?」そうとぼけて、久川建人は血を吐いて動かなくなった。

 死んだ。

 残りは何人だ?

 何人の久川建人がいる?

 死体が消えていく。体がどんどん透けていって、何もない、地面だけが残る。血の跡もない。ダガーの刃にすら血は残っていない。思っていた消え方と違う。もっと灰になるように消えるのかと思っていたから。 

 この街にやってきた時点で複数に分身していたというのなら、残りの久川建人もいずれここにやってきてディグロを殺そうとするだろう。

 その時は俺が時間を止めて殺す。

いや、逃げた方がいいだろうか?

 アズライールの法則に従うなら、分身した彼ら全員がダガーを携行しているはずだ。全員がダガーを投げて殺そうとしたなら、分裂承知でベクトルを変えて返り討ちにする。ダガーを構えて突っ込んできたなら同じように時間を止めて銃弾をブチ込んでやる。彼らへの対処法ならできている。ディグロと零以の物理的な位置にだけ気を配ればいい。

 問題は数だ。

 奴らはどれだけの数分身したのか?

 もちろん弾にも限りがある。斯くなる上はディグロの銃を奪うまでだが……メイカーお手製のその銃の挙動と特性を俺はまだ知らない。何が起こるかわかったもんじゃない。普通の銃じゃないってことがわかってるから尚更だ。

 撤退も視野に入れておくかと思っていると、遠くから足音がこちらにやってくるのが聞こえる。そして広場を囲む建物の隙間のあちらこちらから、その姿が見えてくる。

 久川建人と同じ格好。フードをかぶって、ダガーを携え、こちらに向かって歩いてくる。目つきが殺意に満ちていて、何が何でも殺してやるという気概を感じる。

 五人いる。久川建人が五人。同じ靴、同じ服。服のはだけかたと、ポーズだけが違う。ダガーも五つ。表情も同じ。憎悪に歪んだ口が五。殺意のこもった目が十。コピー・アンド・ペーストを五回繰り返した久川建人が色んな場所に立っている。

 憎悪五倍。殺意五倍。何もかもが五倍。

 そこまでしてディグロを殺そうとするのは何故だ?

 コイツは何を持ってるって言うんだ。

 俺の後ろにディグロを避難させ、彼を挟むように零以が後方に着く。

「死ね」という声が五重になってエコーを奏でる。いやビブラートか?

 俺は時間を止めて、向かってくる五人の近くへ行く。

 様子がおかしい。彼ら五人。

 ……厄介だ。シャム双生児みたく分裂しかかった状態で時間を止めてしまった。

 五人の久川建人が、その全員が、右半身と左半身を共有した状態。頭が二つずつ、腕が二本で、分裂しかかった下半身は三本脚。右半身の右腕にも、左半身の左腕にも、ダガーは握られている。体の分裂と同時にダガーも増えている。こんなおかしな事があってたまるか。

 馬鹿げた話じゃないか、姿形がそのまま分裂するのなら、そして右手にダガーがあったならば、左手には何も握られていないのが道理だろ? そんな道理など自分には通用しないとでも言っているみたいだ。さも当然のように、自分だけは例外であるかのように振る舞い分裂して増殖を繰り返しているのだ。このダガーは。まるで生き物だ。

 文句を重ねていてもしょうがない。

 銃弾をブチ込んでやる。念を入れて、丁寧に。頭二つ、両方に。

 時間を動かせば、一瞬で十の頭に銃弾がめり込んで彼らは死ぬし、実際そうなった。彼らは次々とダガーを落とす。金属音が連続して、広場に反響する。そして彼らはまたもや透明になって立ち消えてしまい、跡形も残らない。

 そこら中に白と黒のダガーだけが散乱している状況が完成する。ただでさえ俺のせいでダガーがあちこちにあるというのに、さらに増えてしまった。

 他にもまだ増えたままの久川建人がいたとして、そんな彼らがダガーを携えてきて、そのたびに俺が撃ち殺し続けて。或いは分裂させてまで対抗して。そんなことをずっと続けていたら、いずれ地面はダガーで埋まるんじゃないか?

「でもそれって、よく考えたら相当おかしいよね」零以が呟く。その通りだ。「分裂したダガーが消えないなら、この街の外にも、久川家にも大量の分裂したダガー達があるはずだよね」そこが問題だ。まだそうなっていないだけで、いずれこいつらは普通に消えるのかもしれない。まだそうなっていないだけで。

 もうすぐ消える。消えるまでに時間がかかる。そう考えるしかない。

「希望的観測ってやつだね」

「そうだな」

 やっぱり一旦帰るか。

 零以の苛立ちは、一見すれば鳴りを潜めているように見えるだろうが……相当我慢していることはもうわかってる。その我慢が限界であることも。

「ディグロ。帰るぞ。作戦を立て直す。アイツらがどれくらいの数いるのかが検討もつかん。俺の力にも武器にも限りがある。アンタもアンタでさっきはかなり大変な状態だったろ。一旦落ち着こうぜ……あと、そのダガーについても話を聞かせろ」片手にアズライールを握りしめたままのディグロは疲弊しているらしい。立ち上がっても肩で息をするばかりで何も言わない。

「……よくやったよディグロ。その姿勢は評価するべきだろうな」一度アイツを撃っているとはいえ、相当な恐怖にやられてるのは確かだ。そんな状態でまともにオリジナルの座を奪えるかというと。

「いいけど……建人達はいいの?」やっと口を開いたディグロは銃をポケットに、ダガーも同じようにしまう。

「零以の蜂蜜不足を解消するほうが、今は手っ取り早い」

 きっとアズライールもそこに隠していたんだろう。銃を入れていた紙袋はとっくにどこかへ飛ばされている。広場の隅にでも縮こまってそうだ。

​ 今のところ足音は聞こえない。ディグロを呼ぶ声も、殺意も憎悪も感じられない。動くなら今だろうな。さっさとこの忌々しいダガーだらけの広場から退散する。

「あ」と、零以が俺の服の裾を引っ張って指をさす。

 分身したアズライール達は、もう広場のどこにもなかった。

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