・《僕の正義はなんですか!?》- 2 -
水に”スベテハクーン”を混ぜ、僕は
すると伴野は、余程喉が渇いていたのか、すぐに全てを飲み干してしまった。
と言っても、僕も物凄く喉が渇いていたので、コップの水はすぐにカラになった。
「水…。」
伴野が何かを呟くが、聞き取れなかったので聞き返す。
「何ですか?」
「水だよ水!」
なんだ?もう一杯持って来いってか?
これも作戦のためだ仕方ない…と、席を立とうとしたところ。
「何やってんだお前。ちげえよ。コップだよ。水、入れてくるからよ。」
「あ…あの!す…すみません…!」
なんだ?いきなり優しくして。
むしろ、この優しさが不安にすら感じられる。
「ほら。氷、沢山入れてきた。その格好じゃ暑いだろうしな…。」
「あ…ありがとうございます…。」
熱で弱った…訳ではなさそうだ。
僕とは目も合わせなくなって、少し照れているような、そんな感じがする。
「あの…ここでよかったですか…?」
「あ?あぁ…いいんだ。場所なんて…どこでもよ…。」
「そう…ですか…。」
き…気まずい…!
なんだ!?これも”スベテハクーン”の効果か!?
大人しくなる成分とか入ってるのかな?
『ちなみにじゃがノゾム。それは”スベテハクーン”の効果ではなく、伴野本人の気遣いじゃ。”スベテハクーン”は飲んでから3分程度で効き始めるからの。』
そうなのか…?じゃあやっぱり、僕の事を気遣っているってわけか…。
「先輩…あの?」
「な…なんだ?なんか食いたいものとかあるか?」
「いや…そうじゃなくてあの…。」
『ノゾム!そろそろ効き始めるぞ!覚悟はいいかの!?』
大丈夫。
もう、僕は”のぞみ”になってるから。
「今日は…こんな私のお誘いを受けて下さって…ありがとうございました!」
頭を下げ、感謝の意を示す。
さあ、伴野。どう出てくる?
「いや…その。とりあえず、顔を上げてくれ…。」
「え?」
「感謝するのは俺の方だ…。
「そ…そうなんですか?」
なんだ…!?薬のせいとはいえ妙に従順だぞ…!?
『おいおい怖いなこれ。女装男子とデートして本気の感謝してる絵を見せられてるぞ俺ら。』
『……目線の先が伴野だから、趣味の悪いVRゲームみたいだ…。』
『これ…
『先輩よだれ!よだれ出てます!』
思ってた以上に効き目が強い…!
これじゃ相当なインパクト残さないと、改心しても残らないんじゃ…!
「あの…俺の話をして悪いんだが…聞いてくれないか?」
「は…はい?なんでしょう。」
いつもの偉そうな態度から一転、伴野はおずおずと話し始める。
「俺はな、アンタから手紙を貰った時、本当に嬉しくて…なんというか…周りに自慢までしちまうぐらいでよ。」
「は…はぁ…。」
「俺、
「そうですね。先輩は野球部のエースですから。」
「そんな時に、アンタから手紙が来たんだ。イタズラかと思ったけど、信じて行ってみたらアンタが立ってた。すごく嬉しかった。俺のことを好きな人が、本当にいるんだって。しかもこんなに可愛くて、とても良い子で…。」
「…………。」
やばい何も言えない。
すごいなんか、胸が罪悪感で苦しくなって来た…!
色々迷惑かけられたとはいえ、ラブレターを書いたのもデートしてるのも男で、更には元々は罠にはめるつもりだったなんて…流石に不憫だぞこれ!!!
『おい、アツシ。これ、真実を知ったらバンノは喉を掻っ切って自決するんじゃないかの?』
『……あのラブレターは
『可哀想すぎるわ…。流石に私も同情を隠せない…。』
『すまん…その節は…本当にすまん…。』
もっと誠意出して謝れ篤志!
仕方ないとはいえ悲しすぎるよこんなの!
「だからこそ。同時に怖かった。俺は昔から女の人にすごく執着してしまうんだ。白沢にもそうだったように…あ、白沢というのは同じクラスの…。」
「知ってますよ。白沢
「そうか…じゃあお前は…俺の言ってることも嘘だって…。」
「気付いてました。ずっと、見てましたから。」
ある意味一番すぐ側で…。
被害者側の目線だけどね…。
「そうか…。本当にすまない。俺は失うのが怖い、幻滅されるのが怖い…。どこかに行ってしまうんじゃないかって思ってしまうんだ…。母親のように…。」
「母親…ですか。」
「そうだ。」
そう答えると、伴野はグラスの水を飲み干した。
「母親は俺が小学生の頃に自殺した。俺が家に帰ったら、リビングで首を吊っていたんだ。」
また、彼はグラスに手を伸ばす。
もうグラスには水なんて入っていないのに。
彼は残っていた小さな氷を、口に含むと、行き所のない感情を氷にぶつけるかのように噛み砕いた。
「俺は、母さんが大好きだった。母さんの言うことはなんでも聞いたし、負担にならないために沢山手伝いもしていた。」
伴野の目には、いつのまにか大粒の涙が溜まっていた。
僕はそれを、ポッケから取り出したハンカチで優しく拭き取る。
「母さんは厳しいが、とても優しい人だった。普段は怒るとすごく怖いが、なにかを上手くできたらすごく褒めてくれた。なかでも、母さんは俺の野球のセンスを凄く褒めてくれたんだ。褒めるときはいつも、激しく頭を撫でられたよ…。」
「だから…今も野球を…?」
「ああ。母さんが褒めてくれたことを俺は続けたかった。そうすればいつか、また母さんが褒めてくれるような気がしたから。」
「それじゃあなんで…野球部の部員をあんな…。」
篤志が頼まれていた事件。
伴野が奏先輩に振られた腹いせに、後輩に当たっていたってやつだ。
彼にとって思い出深い野球なら、そんな汚すようなことをしたって悲しいだけじゃないか…。
「分かってた。俺は分かってたんだ。意味なんてないってことを。そんなことをしたって、母さんは帰ってこないって…。それでもやめられなかった!縋り付くしかなかった…。」
「先輩…。」
この人にとって、野球は希望だった。
お母さんが残してくれた、唯一の希望。
だからそれにずっと縋り付いて、ずっと生きてきたのだろう。
しかし彼は孤独だった。
ずっとずっと、孤独だった。
「そんな訳ない、帰ってくる訳ないんだよ…!!母さんは死んだ…父さんに殺されたんだ…!!」
下唇を噛み締め、涙をこぼす伴野。
僕は、彼の滝のように溢れるいくつもの線を、ハンカチでなぞることしかできなかった。
「父さんは…知らない女を連れ込んでた。今の母親だ。俺はよく、その二人に連れられて出かけてた。母さんがいない時に目を盗んで、父さんはよく言っていた。”新しいお母さんだぞ”って。」
なんだ、それ。
なんだよそれ…。
訳わかんないよ…。
「そしてその数年後、母さんは死んだ。その知らせを聞いた父さんは言ったよ。弱いから死んだって。強かったら死なないって。訳わからないだろ?」
「訳分かりませんよ。分かる訳ない。分かりたくもないです…!」
「でも俺は、父さんの言うことを信じるしかなかった。新しい母親にも慣れようとしたし、物なら父さんはなんでも買ってくれた。それで満足しようって、そうすれば幸せだって思ってた。」
「本当は、違うんですよね?」
「ああ。俺はただ寂しかった…。親は俺を見ていない。友達だっていない。自分を強く見せないと、強くあらないと、俺はきっと死んでしまうと思ってたから。だから他人に対して、いつも高圧的で、傲慢で…嘘ばかりついていた。」
「そんなことない。そんな事ないですよ。あなたを見てる人は今、ここにいます。」
思わず、僕は伴野の手を握る。
皮が分厚く、ゴツゴツした手。
掌には野球のバットを握ったマメがしっかりとついていた。
「灰霧のぞみさん…。俺は…俺はアンタに嘘をついた。本当は俺は臆病で…孤独が怖いだけの愚か者だ。自分がわからなくなって、怯えてるだけの負け犬だ。親の金と権力で威張り散らして、自分には何にもないってのに…。」
「違いますよ、先輩。あなたは負けてなんかない。確かに、あなたのした事は許されないことかもしれないけれど、だったら嘘なんてつかず謝ればいい。一人一人に心を込めて、謝り続ければいい。本心で人と語り合えば、きっとあなたを分かってくれるはずです。」
きっと、謝れば済む話だったんだ。
きっと、プライドなんて捨てれば済む話だったんだ。
多分これは、僕たちが想像している以上に、簡単に解決できる話だったんだ。
「アンタはとても…、母親に雰囲気が似ているんだ。なんでかな…?歳も身長も全然違うのに…。アンタになら、なんでも話しちまえるような気がして…。」
伴野の目は、透き通っていた。
自分を偽っていた時の目ではなく、ただ純粋にまっすぐと、僕の目を捉えていた。
今の彼の気持ちが薬のせいだなんて、僕には口が裂けても言えなかった。
『
もうか。
10分ってとっても早い。
僕は彼に、まだ何も残せていない。
僕はまだ、何もできていない…。
「伴野さん。私、急用ができてしまいました。」
もしかしたら、作戦は失敗に終わるかもしれない。
「え…?」
「ごめんなさい。どうしてもこの用事は外せなくて…。」
だから、せめて僕が’’灰霧のぞみ’’として。
「でも…それじゃ…。」
「大丈夫です。きっと、きっとまた会えますよ。」
‘’伴野
「俺は…俺は誰かに認められなきゃ…!俺を一人にしないでくれ…。頼む…。」
「違いますよ先輩。あなたは一人じゃない。一人になろうとしてるだけです。」
やれることを…やるしかない…っ!!!
「先輩。私、思うんです。あなたが周りに見せてない’’ウラ’’の顔は、とても優しいものだって。だったら、それを’’オモテ’’にして仕舞えば良い。そうすれば、きっと誰かが、あなたを認めてくれるハズです。」
僕はそう言って、彼の頭を激しく撫でた。
正解は分からない。彼の母親の撫で方がどんなものか僕にはわからない。
でも僕は精一杯、彼の少し伸びたスポーツ刈りの頭を激しく、そして優しく撫でた。
「母さんと…。」
伴野の目からはまた、大粒の涙がボロボロと零れ始める。
「なんです…?」
「母さんと…一緒だ…。」
ただ、その顔は悲しみではなく、笑顔の涙だった…。
「そう…ですか…。」
「あぁ…。」
「野球、頑張って下さいね?ウチの高校を、甲子園に連れて行ってください。期待のエースなんですから!」
「頑張るよ…!俺…絶対変わるから…!変わったらまた…!」
「また…。またいつか、会いましょう。」
「あぁ、いつか…。いつか必ず…!」
きっと、もう大丈夫だろう。
なんでかな、不思議とそう思うんだ。
彼の元から僕は去る。
霧のように彼の前から消えてゆく。
人が変わるのに難しいことなんていらない。
人が変わるのに、魔法や特別な力なんていらないんだ。
だってこんなにも、現実はまだまだ輝いているんだから。
これは、僕たちの『ウラとオモテ』の物語。
誰もが持っている『ウラとオモテ』の物語。
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