最終話 冒険の終わり
少女は本が好きだ。あるとすれば挿絵だけの、他に映像のないそれが広げる物語が好きだ。ページを開く時の乾いたパラパラする音。軽い本のサクサクとページが進む、野原を駆けるように読める親しみ深さ。ページがぎっしり文字で埋まっている細やかな本のページの重さ、濃厚さ。
病院のベッドの中で、少女は登場人物と共に世界を歩く。ゴブリンだらけの洞窟を歩き、竜になった恋人が飛んでいく空を見あげる少女と夕映えの輝きを浴び、王子様とオバケだらけの幽霊船を歩いた。
開かれた窓から風は入り込んでくる。気候は春の穏やかさを持ち始めている。温かさと生えかけの植物の気配を持つ風に、少女は今読んでいる本に出て来た、妖精の住む花畑のチューリップの香りを感じた。
本文によれば、妖精の住む場所に咲き乱れる花は、お菓子のように甘い匂いを放つらしい。どんな匂いがするのだろう。弟が摘んで持ってきてくれたドクダミみたいな、生き物って感じの臭いじゃないのかな。きっとお母さんがくれたショートケーキみたいな匂いがするんだと思う。
お菓子みたいな匂いの花畑には行けなくても、私も綺麗なお花畑にピクニックとか、遠足とか行けるようになるのかな。本当に小さい頃は、家族と一緒に出かけて行った記憶もあるけれど、昔過ぎてあまり思い出せない。紙の上の、文字に踊る世界の方が身近ではっきりと感じられるのが、少女は悲しいというより不思議だった。自分の手で世界をめくって、展開させていることだというのに。
本の中のストーリーは終盤に差しかかっていた。王子様が騎士と魔女と、おかしな発明家のおじさんと一緒に、悪い魔王をやっつけにいくのだ。倒しても倒してもよみがえる魔王を、魔女の魔法で、王子様のお母さんからもらった剣で、魔王の発明で、騎士の輝く正義の剣技で倒していく。
そこで病室のドアが開いた。
「美晴ちゃん、そろそろ時間よ」
王子様の冒険の行く末は見届けられなかった。魔王が三度の復活をした後、彼らはどうなるのだろう。
自分の行く末もどうなってしまうのだろう。
今日は美晴の手術の日だった。美晴は別の部屋へと向かう。王子の冒険の末と、自分自身のこれからを見るために。看護師に促され、少女は大人しく本を閉じた。
お題:少女の経験
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