寄り添う影(6)



「そう言うものが存在する世界があると聞いたことがある」


 ハルは言った。


「そういうものって?」


「雨雲の向こうに大きな光の玉が浮いていて直視できないほど眩しいそれが世界の中心だそうだ。そしてその世界はこんな風にいつも雨が降っていないと」


「雨が降らない世界?」


 驚きだった。


 一凛は想像する。


 乾いた風が吹き眩い強い光が頭上を照らす世界を。


「きっと素晴らしい世界ね」


 ああ、とハルは頷き「少なくともこの世界よりいいところに違いない」と一凛を抱く腕に力を込めた。


「その世界だったら、わたし達は逃げなくてもいいのかな。ハルのことみんな分かってくれるのかな。人と動物は平等なのかな」


 ハルは黙って一凛にしゃべらせた。


「その世界はわたしが望むような世界なのかな。檻なんかなくて動物も人と同じ権利と自由を持って生きられるのかな。誰が一番賢いとかなくて、こんな風に人間の作るルールが当たり前のルールじゃなくて、人以外の動物がもっと幸せな世界なのかな」



 稲妻が黒い空を駆け抜ける。


「この世界の一番の悲劇は動物が人と同じ言葉を話すことかもしれなない」


 ハルは言った。


「どうして?」


 ハルは一凛の問いには答えなかった。


 ただ心の中で一凛に優しく語りかけた。


『こんな風に優しい人間が無駄に苦しむからだ』


 ハルは稲妻が去って行った空をいつまでも見上げていた。


 ハルと一凛が失踪してから三ヶ月が経っていた。





 しばらくして引き出したお金が底をついた。


 一凛は働くことにした。


 身元を隠しての仕事は限られていた。





 油にまみれた換気扇はその役割を果たしていないわりには大きな音を立てて回り続ける。


 その下で一凛は食べ残しの多い皿を洗う。


 後ろでは耳の遠い客がテレビの音量を最大にして野球中継を見ている。


 最近白内障が進んだという店の主人は、近頃は夜も八時になると住居を兼ねた二階に引っ込んでしまう。




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