ハルの記憶(5)
その感情がどこから湧いてくるのかハル自身にも分からなかった。
死への恐れはなく、逆に安らぎを感じていた。
ただそこへ逝くのに絶対に一緒でないといけない何かが欠けているという喪失感があった。
遠ざかりそうになる意識に懸命に抵抗し思い出そうとしたが無駄だった。
人の声が聞こえたような気がしたがさっきの鳥の鳴き声だったのかも知れない。
最後に聞いたのは雨がジャングルを叩く音だった。
動物園の檻の中の生活はそれほど悲惨なものではない。
少なくともハルにとっては。
ハルがずっと言葉を発しなかったのは、自分の知性を隠すためではない。
そもそもハル自身自分が特別な存在だとは思っていない。
ハルは話す気力を失うほど絶望していた。
自分が今生きていることに対して。
命にかえてでも覚えてないといけないものをハルは失っていた。
ただ自分は生きている。
怒りさえ感じた。
そんなハルにとって檻の中での生活はちょうどよかった。
探さなくても食べ物と眠る場所を与えられ、身の危険を脅かす存在の心配がない生活はいろんなものを麻痺させていった。
飼いならされた多くの動物たちがそうであるように、いつしか自由に広い空を、海を、森を駆け抜けたいという衝動は枯れてしまう。
生きるために他の命を奪うという本能は、決まった時間に与えられる肉と同じに死んでしまう。
本来は激しい争いの果てにメス近づくことができるオスは次第に戦う本能を失っていく。
去勢、避妊された動物たちは自分の体に起こった変化に最初は戸惑いながらも、湧き上がる衝動を失ってしまったことにもいつしか慣れ、代わりに与えられた長い寿命をただ消費する。
こんなことを言う人間もいる。
病気のリスクが減り長生きできるのだから幸せだと。
ハルは不思議に思う。
なぜ人間はそんなにも長く生きたがるのだろう。
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