ハルの記憶(1)
しばらく檻の前に佇んでいた一凛が去って行く気配がした。
ハルは手に持った本の表紙をめくった。
冒頭の文章が目に飛び込んでくる。
『この本をこの宇宙で最も崇高な精神の持ち主ハルに捧げる 一凛』
ハルは大きく太い指で小さな文字をそっと辿った。
風と一緒に降りこんでくる雨に濡れないよう胸に本を抱きページをめくる。
『わたし達、人はこの地球上の動物の中で一番複雑な心理と高い知能をもっていると信じている。
けれどそれは全くをもって人類中心主義の偏った考えであると同時にこの地球上の生物の中で一番浅はかな考えであることは確かだ。
もし一番愚かな動物を競えばそれが人であることに間違いないだろう。
人と動物を比較するとき、わたし達は人ができることを基準にして考えてしまうが、本来はそれぞれの分野に分けて判断すべきである。
例えば人は記憶や言語の処理に優れていると言われているが、犬と比較するとき、犬は人とは比べ物にならない高い嗅覚と、それを記憶し判断の材料に使う能力をもっている。
またイルカは人には不可能な超音波を使って他の個体と会話をする能力を持っている。
もしイルカが人のように愚かであったら、イルカは人を超音波も使えない能力の低い動物だと判断するだろう。
犬も人は単純な匂いしか嗅ぎ分けられない低級動物だと自身に与えられた高い能力を神に感謝するかも知れない。
(中略)死を理解するということは実は人でいう高い知能をもった者だけがなし得ることではない。
殆どの動物が死と生の違いを本能的に理解している。
ただ死に対する感情表現の方法が個々の生物学的理由によって変わってくるだけである。
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