キス(5)



「わたしファーストキスはぜったいにほんとうに好きな人とするんだ」


 一凛は鞄から図書室の本を取り出した。


「今日ね、本を借りたの。まだ読んでないから内容は分からないけど、わたしこの本みたいな一生忘れられない恋をするんだ」


 一凛は目を閉じ想像する。


 周りがキラキラ輝き音楽がじゃんじゃん鳴り響くなかキスをしている自分を。


 本を抱いた胸元がかさりと揺れ薄目を開ける。


 黒い毛に覆われた大きな手が今にも一凛の胸元に触れようとしていた。


 一凛は短い叫び声をあげ飛び退いた。


 一凛と檻の間に本が転げ落ちる。


 いつの間にか目の前にやって来ていたゴリラは一凛ではなく落ちた本に視線を落とし、その手を伸ばした。


「あ、だめ」


 ゴリラは檻の中に本を引き入れると表面についた水を手で払い、表紙を眺めるような仕草をする。


「本に興味があるの?」

 

 ゴリラは黒い指を器用に使いページをめくる。


 一凛は息を呑んでその様子を見つめた。


 まるで文字を読んでいるかのようにゴリラは視線を落としたまま動かない。


 しばらくして次のページをめくり、また動かなくなる。


 一凛が信じられない思いでゴリラの黒い瞳をのぞき込むと、微かに瞳の奥が動いている。


「まさか文字が読めるの?」


 そんなはずはないと思いながらも、恐る恐る一凛は訊ねる。


 おもむろにゴリラは顔をあげ一凛の方を見ると本をぱたんと閉じた。


 そして本を掴んだ手を檻の外に伸ばす。


 一凛が手を伸ばせばすぐに届くところに本はあった。


 でもその距離はゴリラが一凛の腕を掴める距離でもあった。


『簡単に腕折られるぞ』


 さっき依吹の言った言葉が頭をよぎる。


 一凛は両手を自分の胸の前で握りしめたまま動けないでいた。


 そのときだった。

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