短編集

さばくの鯨（2012/04作）

　死んだラクダを５００円で買った。店の主人は僕に、死んだラクダには水も餌も必要ない、だから砂漠のお供には最高の動物だと言った。

「じゃあなぜこんなに安いのか？　ずいぶん役に立つ動物なのに」

「そりゃあ旦那、今生きてるラクダの数に比べたら、すでに死んだラクダの方が圧倒的に多いからですよ」

　なるほど。つまりラクダの価値とは役に立つかどうかではなく、生きているか死んでいるか、あるいは数が多いか少ないかで決まるということか。

「ええ。旦那の選んだ奴はもう千年以上も昔に死んだ、ありふれたラクダですよ」

　僕は店主に５００円を支払うと、死んだラクダの手綱を引いて砂漠を歩き始めた。後ろを振り返る度に街が小さくなって、その代わりに空が大きく膨らんでいった。

「ちなみに生きているラクダはいくらか？」

「一番安い奴で２万円ですね」

　それから僕は三ヶ月も砂漠の中を歩いていたのだが、その頃になると、自分で自分の頭の中をさ迷っているような錯覚によく襲われた。でもここが自分の頭の中だとしたら、夢のように記憶を手繰り寄せ、行きたい場所や会いたい人を自由に呼べるかもしれないな、などと空想していたら、砂漠の真ん中に真っ赤な自動販売機が立っているのを発見した。

　コカ・コーラが１万５千円で水が１万３千円だったので、僕はコカ・コーラを買い、死んだラクダには水を買ってやった。ラクダの口にペットボトルを突っ込んでやると、そいつは死んでいるくせに美味そうに水を飲み干しやがった。

　僕は砂に腰を下ろし、コカ・コーラを飲みながら世界の果てを眺めていた。もうここでゴールしてもいいかもなと考えていると、視界に入り切れないほど大きく膨らんだ青い空にぽつんと、針の穴ほどの黒い点が見えた。

「じゃあ死んだ人間はいくらするのか？」

　僕は砂に寝そべって目を閉じた。すると頭の中で先ほどの黒い点が大きく膨らんできて、脳味噌が破裂するかしないかくらいまで我慢したところで僕は目を開けた。

「ハロー！」と目の前の黒い塊が言ったので、僕は反射的にグッバイと返した。

「馬鹿ね」

　よくよく目を凝らすと黒い塊は巨大な鯨であり、その背中には一人の女の子が立っていた。君は誰だ？

「わざわざ砂漠まで呼び出しといて」

　女の子は鯨の背中を飛び降りると、鯨の脇腹にある自動扉をクーと開けた。

「あなたはもう死んでるのよ」

「馬鹿な」

　僕はもう二千年前に死んだのだとその女の子は僕に説明した。

「じゃあ君は誰なんだと僕は質問してる」

「私はただの時間の粒。あなたもね」