第59話 『探索者』の本分

公都キルグスタン

 『シュレーベン城』――



 執務室へ入り顔を上げたメルヴェーヌはかすかに眉をひそませた。

 それは黒檀の重厚な執務机に並べられたふたつの・・・・ペン差しを目にしてのもの。扉と机の位置関係に自分の背丈を考慮すれば、自然と目に付くことになるのだが、これまで何度部屋を訪れてもいまだに彼はその光景に馴染むことができずにいた。

 とはいえ、ふたつのペン差しにさほど見た目の違いはなく、価格的な相違もあるわけではない。

 あるのは、ただ、持ち主の相違のみ。

 ひとつは今、羽根ペンを走らせている己が主人のものであり、もうひとつは以前の・・・部屋の主のものである――つまりはそれがメルヴェーヌを不快にさせた原因であった。

 もっと云えば室内にあるすべて――壁に掛けられた絵画、書棚に収められた多数の書物に、所々に置かれた調度品の数々に至るまで、己が敬愛する主人・・の色・・があまりに薄い室内に、メルヴェーヌはどうしても不満を感じてしまう。

 例えば、絵画は先代の肖像画よりも厳しさの中に美しさを秘めたアル・カザル山岳の風景画が。

 調度品は歴史的価値のある骨董品に拘らず周辺各国を含めた近代の前衛的な美術品を取り入れて。

 書棚も今の倍は容量が必要で、集めるべき書物は政治・経済・戦史など一揃えがあるものの、美術や芸術面にもう少し力を入れるべきであり、主人が好きな魔術教書に至っては一冊も置かれていない。

 そこに一度思いを巡らせてしまうと、知らず鼓動が早くなり沸き上がる憤りを抑えられなくなってくるのはいつものこと。 

 ここは大公の応接室――ならばルストランらしさ・・・があって然るべきであろうと。


「――どうした、私に用があって来たのだろう?」

「失礼を」


 我に返ったメルヴェーヌが恐縮して急ぎ歩み寄る。だが、主人であるルストランは机上の書類から目を離すことはなく、机の両側を占める書類の束を思えばこそ、メルヴェーヌはむしろ、一時なりと邪魔立てすることに心苦しさを感じてしまう。

 それでもこちらで出来ることは、すべて済ませてきたつもりであった。


「帰城した特務派遣団からの報告がまとまりましたので、お知らせに参りました」

「ルブラン伯は?」

配慮頂き・・・・安堵したと」


 それは派遣団の撤退命令を差してのことであったが、“感謝”の二字を口にすれば“借り”となる。貴族流の謝意をルストランはかすかに鼻で笑い、メルヴェーヌも同意を示す。


「バシューム男爵も寄親に泣きつくなど小賢しい真似をするものです。ですが、派遣団500は刺激が強すぎたのも確かかと」


 若干の反省を促した言葉を、だが、ルストランは当然のように聞き流し「エルネは?」と本題に入るように促してくる。


「やはり“魔境”に踏み込んだようです」

「根拠は?」

「同じく“魔境”に踏み込んだ『俗物軍団グレムリン』のひとりバゥムから聞き出したので確かだと」

聞き出した・・・・・?」


 メルヴェーヌの回答に引っ掛かりを感じたらしいルストランがすかさず聞き返す。

 『俗物軍団グレムリン』は通常の正規軍から離れて独立権を有し、これに命令できるのは大公若しくは名代となる総司令官しかいないことから、組織的に自由気ままな気風があり、連携を取るのが非常に難儀する相手であった。

 その中でもバゥムといえば公国でも戦闘力上位に位置する『幹部クアドリ』のひとりであり、獣人の血を引くと言われる荒くれた山岳民族でもあることから、あの無法者集団の中でも常軌を逸した行動は有名であった。

 その情報共有を図るのさえ困難な人物を相手に“聞き・・出す・・”という積極的な行為を耳にすれば、いかなる策を弄したかと興味をそそられるのも当然のことであろう。


「以前の報告で、蛮族との一件があり、派遣団が『俗物軍団グレムリン』へ応援要請をかけたことを申し上げさせていただきました」

「覚えている。それでバゥムが部隊を引き連れ“魔境”に入ったというのだろう」


 派遣団からは逐一報告が入っており、詳細に至るまでルストランの耳に届けられている。これまでの経緯を思い起こしたのだろう、ルストランが軽く予測すれば、だが、メルヴェーヌは「いえ」と首を振った。


「部隊ではなく『幹部クアドリ』三名に帯同者を加えただけの少数精鋭で踏み込んだようです」

「ほう?」


 そこで初めて、羽根ペンの走りがピタリと止められる。

 “集団”としての力を発揮できる平野部と違い、“個人”の力がものをいう森林を舞台とするならば、『幹部クアドリ』は正に百人力――それを三人も投入する力の入れように・・・・・・・、ルストランが関心を示したのは声の趣で分かる。


「単に“戦闘好き”が高じたとも言えますが」

「そうではないのだな?」

「はい。“来るのが早すぎた”とカストリック卿は云っておりました」


 つまり別口で・・・情報を得て独自の判断・理由を持って出立していた、ということだ。そのあたりも気になるところだが、差し当たりは最初の疑問だ。

 過剰戦力と云える『幹部クアドリ』三名を投入したにも関わらず、くだんの結末を迎えたのはどういう経緯があったのか。

 先の内容から推測されるのは、試みが失敗したらしいという程度。


「先に申し上げますと、“魔境”から帰還した者はバゥムただ一人。派遣団の拠点へ立ち寄りもせず、こっそり通り抜けようとしたところを発見、囲い込み、逃げようと暴れられはしましたが、最後にカストリック卿自らが捕らえたようです」

「それで?」

「奇行の理由は、仲間を置き去りにして勝手に離脱したからのようです。処罰を怖れたのでしょう」


 自由度の高い『俗物軍団グレムリン』といえど軍隊である以上軍規もある。むしろ敵前逃亡に対する罰則は通常の正規軍より厳しいくらいだ。

 だからこそ、真っ直ぐ故郷へ逃亡するつもりがそうはいかなかったというわけだ。

 自分の実力を過信し騎士団を舐めていたこともあるが、一番の要因は手負いで注意力が散漫になっていたことが挙げられよう。

 その辺を憶測も交えながら語って聞かせれば、ルストランは興味なさげに別の話を催促してくる。


「他には?」

「はい。バゥム達は“魔境”の奥地まで踏み入り、そこで蛮族の砦を見たそうです」

「それはいい――エルネは?」


 余計な情報はどうでもよいとわずかに苛立ちを帯びたルストランの声に、主人が何を欲しているのかメルヴェーヌはようやく思い当たって手短に答えた。


「見てはいない、と。ですがその砦に間違いなくいると確信しているようです」

「連中にしては不明瞭な発言だ。なぜそう言い切れる?」

「彼らの力です」

「なに?」


 思わず上がった疑念と不審の声に、メルヴェーヌは当然とばかり丁寧に説明を行う。自身もまた、カストリック卿からの聴き取りで同じ反応をしたからだ。


「彼らは一人一人が特殊な力を有します。仲間の一人であるガンジャスという者は、制限があるものの“運命を操る力”を持っているのだとか」

「……」

「それ故、意図的に高めた自身の強運頼みでエルネ様を捜索した結果、“蛮族の砦に導かれた”と。それは即ち、エルネ様がその砦にいる証だと彼らは信じているのです」


 馬鹿げた話しではあったが、ルストランが笑い飛ばすことはなかった。

 実はメルヴェーヌが知らぬことであったが、今一人の側近である騎士バルデアによって、『俗物軍団グレムリン』の情報を色々と調べさせていたからだ。

 すでにもたらされていた情報と今の話しが一致することで、ルストランの中では、異能の戦闘士団にあってガンジャスという男が特異な能力を持つことは疑いようのない事実となっていた。むしろ疑念を持つとすれば――


「噂に聞く『幹部クアドリ』にしては、ずいぶんと口が軽いのだな」

「同感です。そう思って質せば、バゥムの心がすでに折れていた・・・・・ので尋問はスムーズであったと」

「『幹部クアドリ』が……?」


 二度目の驚きは一瞬のこと、ルストランはすぐに何かに思い当たる。


「“魔境”というよりは、その蛮族のせい・・・・・というわけか」


 仰るとおりとメルヴェーヌが頷く。いちいち大仰に頷いてみせるのには、当然、理由があった。ある意味、この一件ではこれこそが本命だと言えるからだ。


「“鬼女”がいる、と。身の丈ほどもある大剣を自在に操る“剣の鬼女”がいて、その化け物に砦を護持する門番のごとく阻まれ、バゥムが云うには三人で相対したにも関わらず、返り討ちに遭ったと」

「――馬鹿な」


 今度こそ、これまで冷静さを保持していたルストランの相貌に驚愕という名の衝撃が波紋のごとく広がった。

 『俗物軍団グレムリン』が『俗物軍団グレムリン』たり得るのは、現在のようにある程度の逸脱・・さえ許容されるのは、ひとえに軍隊としての強固な力があるからに他ならない。

 戦いに対する異常なまでの士気の高さ。

 実戦主義の戦法を支える場数の多さ。

 それらに裏打ちされての“個”としての強さ――その最たる者が『幹部クアドリ』という“力の象徴”なのだ。

 ならば彼らが負けることなど、あり得ないし決して許されることではない。

 だからこそルストランの声には深刻さが紛れはじめる。


「『幹部クアドリ』と云えば“三剣士”とも同じ領域で語られる戦士達だ。いくら何でもそれを三人同時に相手できる者など……」

「嘘でしょうな」


 やけにあっさりと、報告した当のメルヴェーヌ自らがはっきりと否定する。


「カストリック卿も云っておりましたが、手負いだったバゥムでさえ捕らえるのが至難の業であったとのこと。

 彼もまた、人にして『精霊之一剣スピリチュアル・ソード』の遣い手である希有なる力の持ち主――その彼をして“不可解”と言わしめた所業は、疲労からくる世迷い言であったと受け止めるべきでしょう」


 だが一抹の不安を覚えるのであろう。


「仮に、本当であったなら?」

「もし、万が一にもそれが真実だとすれば――」


 自然と声は低くなり、少しの間を置いた後、ひどく慎重にメルヴェーヌは自身の見解を口にする。


「――その生死に関わらず、エルネ様の心配を為さるのはここまでにすべき・・・・・・・・と愚考します」

「……」


 真摯に頭を下げるメルヴェーヌにルストランからは何も告げられなかった。

 門番でさえ人外の力を持つ蛮族だ、その奥にどれだけの力を持った鬼共が巣くっているかは見当も付かない。

 つまり、例えエルネが『五翼』や“三剣士”を連れていたとしても生き延びるのは相当難しいということ。

 それでも生きていたとすれば、砦に囚われているのは間違いなく、今度はそこから奪い去る難題が立ちはだかることになる。

 軍隊が運用しにくい場所で、かつ、頼みの『俗物軍団グレムリン』も跳ね返されたとあっては、現状、これ以上の力を割く余力の無いルストラン陣営にとって、もはや打破できる手駒はない。

 冷静に考えれば、メルヴェーヌの判断は非常に現実的であるというのが分かろうというものだ。いやもっと云うならば――


「……考えてみれば、鬼女なる者の実力が嘘であったとしても、バゥムが逃げ帰ってきた事実に――蛮族が相応の戦力を有する事実に変わりはない。つまるところ、我らに手を出せる力がない、という現状にも。違うか?」

「……いえ。誠に遺憾ではありますが」


 色々考えを巡らせたところで、「打つ手無し」の無情な結論に変わりないと気付いて、ルストランの肩から力が抜けたように感じられた。

 そこにいかなる感情の動きがあるかはメルヴェーヌにも分からなかったが、主人を気落ちさせるためだけに非情な現実を突きつけたわけではない。

 むしろ分散させられていた戦力を集中させる転機にも成り得るのだから。

 だからこそ、毅然とした態度で彼は訴える。 


こうなる事も・・・・・・はじめの予測にあったはず。それを避けるべく殿下も最善を尽くされてきました。

 ある意味、すべては“魔境”に閉ざされ、誰にも・・・手が出せなくなったのが不幸中の幸い、そう前向きに捉えるべきでは。

 取るべき選択肢が絞られたのだと。

 お辛いでしょうが、今は公国の未来のため、すべきことを為すことに集中致しましょう」

「……言われるまでもない」


 切々と訴えるメルヴェーヌにルストランの重苦しい声が応じる。


「だが例の件・・・はまだだ」

「殿下」

「エルネの懸念がなくなったのだ。ならば本来の目的に注力するのが当然」


 有無を言わさぬ主人にメルヴェーヌは承諾の意として恭しく低頭するも若干の困惑を覚える。


 即位した方が・・・・・・、色々とやりやすいはずなのに、と。


「肝心の、貴族諸侯の動きはどうだ? 先日のような世辞・・はいらん」

「滅相もありません。ほとんどがルストラン様を支持するのは本当のことです。不服を訴えるルブラン伯に二割ほど流れるのも想定の範囲内。ただ気になることが少し――」


 不愉快な懸念を口にすることへメルヴェーヌは躊躇いを示し、一度口を噤んでから再び言葉にする。


「『俗物軍団グレムリン』の肩を持つ貴族が妙に目立ってきました」

「両者に何らかの関係・・・・・・があるとの噂は聞いている。地盤を固めるのは結構だが、あまりにあざとい・・・・となれば放置するわけにいかん。何より、連中の後ろには――」


 顔を向けたルストランの双眸に“戦意”ともいうべき覇気が漲るのをメルヴェーヌは目にして、思わず声高に応えていた。


「ベルズ辺境伯がおります」


 ヨルグ・スタン公国は小国であっても大公の力が突出しているわけではない。ルブランとベルズという二人の伯爵も大きな力を有しており、そこにスタン公爵家を含めた三者が結託することで成立していると云っても過言ではないのだ。

 だからこそ、二人の伯爵の動きは常に注視せねばならず、有事の際は三者の結託を何よりも優先し公国運営の基盤を安定させることが求められてきた。

 この場でベルズ伯爵の名が上がったことの意味が、いかなるものであり、二人が神経を尖らせるのは当然のことと理解できようというもの。


「『俗物軍団グレムリン』の味方が増えるということは、そのまま辺境伯の力が高まることを示すもの。連中の活動が政治的な狙いがあっての――」

「あるに決まっている」


 メルヴェーヌの弁舌をルストランは無造作に断ち切る。論じるまでもないと。


いつからだ・・・・・……?」

「?」


 癒着のための活動が、という質問なのは分かるが、その意図を計りかねてメルヴェーヌは眉をひそめる。


「こちらが動き出す前か後かによって、ベルズ辺境伯がどれだけ・・・・先んじているか・・・・・・・が判断できる」


 それはつまり、こちらがすでに後手を踏んでいることを認めてのもの。元々の目的を考えれば、あまりに不甲斐ない状況に、云ってしまえばそれを招いた自身の至らなさにメルヴェーヌは軽い衝撃を受け、かつ、大いに慌てることになる。


「そ、早急に調べさせますっ」

「いや、この件はバルデアに任せる」

「ですが――」

「いい。お前には政治的混乱を避けることに注力してもらわねばならん。ルブラン伯の動向だけでなく国外の動きにも目を光らせておけ。特に都に巣くってる鼠の動き・・・・をだ」


 自分に課せられている業務の量と何よりもその重大さを思い出させられ、メルヴェーヌは気持ちが逸った未熟さに恥じ入りながら「承知しました」と低頭する。

 実際、主人の机に積み上げられた書類の山を目にすれば、自分が手腕を振るうべき事案は何かなど考えるまでもないことだ。


外側・・に対しては、派遣団を即座に解散とし、その分で国境警備を厚くしておこう。あとは大公陛下の件で都民を不安にさせているのに一定の配慮が必要だろう」

「ならば治安の悪化が耳に届いているので、その改善に着手しましょう。ただ、警備兵の人員に限度がありますので、第三軍団も先の役割に人員を割くとなれば……遺憾ながら手駒不足故、ここは『協会ギルド』の協力を取り付けてみるとします」

「それでいい」


 もはや話しは済んだというように、ルストランは再び書類に羽根ペンを走らせはじめる。「すまんがバルデアを呼んでくれないか」その依頼が退室を促すものと察してメルヴェーヌは静かに頭を垂れた。


「……ふぅ」


 廊下に出て扉を閉めたところで、メルヴェーヌの胸には小さなわだかまりが残っていた。

 それは先ほどのやりとりのひとつ――『幹部クアドリ』三名を相手にするほどの力を蛮族が有していたなら、という下りである。


 もしそれが事実とするのなら――


 あの時、自分はエルネに言及したが、もうひとつの見方があったのを、あえて口にせず無視していたことが妙に胸に引っかかっていた。

 それでよかったのかと。

 いや、我が主ならばその事に気付いていたはずだとも。


「もしそれが事実とするのなら――」


 もう一度、メルヴェーヌはそれを小さく口にして答えは己の胸内で・・・・・はっきりと形にする。


(――この国を転覆させるほどの“力”が、あの“魔境”に存在していることになる)


 考えただけで背筋に氷を這わせたような冷たい戦慄が走り抜ける。

 この世界では軍隊の力がものを云うのは当然として、圧倒的な個人戦力も怖れねばならぬ存在だ。記録では文字通りの“一騎当千”を体現する存在が実在していたことが明記されているのだ。

 実際、王族の命を奪った伝説の暗殺者は今でも存在するし、『銀翼級』の『探索者』を数名そうした戦力として用いれば、条件が揃えば、城内奥にいる重鎮の殺傷など成し遂げてしまうだろう。

 だからこそ、人外の域にある者達を食客として抱えあるいは重鎮として登用するなどの対策を講じるのが、もはや一般的であるのだが。

 それでもやはり、あるいはそれだけに圧倒的個人戦力の存在にはいくら警戒しても足りるという事はない。


「それも『協会ギルド』に相談してみるか……」


 浮かんだ案をすぐにメルヴェーヌは否定した。それはバルデア卿の役目と割り切って。それこそ主人の意を汲まずして何が臣下かと己を叱責する。とりあえず、彼に一言添えておけば十分であろうと。

 そう腹を決めれば、歩き出すのみ。

 辞去した後の執務室で、羽根ペンを止め、沈思黙考する主人の姿があったのを彼が知ることはない。

 その重苦しい空気がルストランのいかなる感情を表してのものかなど、本人以外に分かろうはずもなかった――。


         *****


協会ギルド』総括支部

        講義室――



 『探索者』を隠れ蓑とする以上、仮初めの役割をきちんとこなす過程で情報を集めていくのが、最も安全な手法である――トッドの妙に力強い助言を受けていた鬼灯たちは、再び『協会ギルド』支部を訪れていた。

 当座は【見習い】脱却が目標となるのだが、定期的に行われている座学が本日開催されるという幸運もあって、二人は迷うことなく受講の申し込みを行った。

 

「――実は、昨日から非常に・・・気になっていたのですが」

「うん、トッドさんが止めるのに・・・・・苦労してたからね」


 分かってると頷く扇間は、今も視界のあちこちで目に入る人物達・・・をできるだけ気にしないように心がけていた。

 だが、その苦労も当の座学によってあっさり打ち砕かれてしまう。


「――というわけで、この世には自分達以外の種族・・・・・・・・がたくさんいることを我々はしっかりと受け止める必要がある」


 これは故意に・・・自分達を諭しているのだろうか。

 講師が心構えを説く中で、伝えてくれた種族とは単純に“肌の色”や“言葉の違い”を差してのものではなく、今正に鬼灯の好奇心が破裂しそうになっている元凶を差しているのは間違いない。

 すなわち、身長が人の倍近い高さを誇る巨人族の末裔だとか、暗がりでも目が見える鉱物の扱いに長けた物の怪だとか、植物と会話ができる神の化身と見紛う美しき森人だとか、要約すれば神の血を引く不思議な人形ひとがたの種族が存在しているという話しだ。

 そんなことが――。

 それを冗談と鬼灯たちが笑えないのは、実際に受講している者達にそうした種族の者が堂々と紛れているからである。

 右斜め前には、耳が長く先が尖った蒼白い肌の森人と思われる者が兎のようにひくひくと耳を動かしているのが気になるし、目の前に座している者は幼子のように小柄でありながら妙に老け顔だった記憶がある。

 それに何より真後ろから感じる圧迫感は、一人で二人分の席を陣取る大柄な力士風の大男から発せられる気配のせいであることは間違いない。

 当人は懸命に身を縮めて座っているのだが、身体が大きすぎて存在感を消し切れていないのが切なく感じる。

 講師の話では、公国はまだ人間の比率が多いらしいが、近隣のガルハラン帝国やネステリアなどは人種のるつぼと呼べるほど混在しており珍しくもないのだという。

 当然、公都と呼ばれるこの街も、外の大通りを眺めるだけで、一通りの種族を目にすることは可能であり、実のところ、昨日公都に入街してからの道中は鬼灯の好奇心を抑え込むのにトッドと秋水が相応の苦労を強いられていたのは記憶に新しい。

 いや、扇間などは必死に気付かぬふりを――記憶からも抹消しようとしていたのだが。

 なにしろ、その存在を・・・・・あまりに自然と受け止める周囲の様子に流されて、扇間はよほど疲れが溜まっているのだろうと思うしかなかったのだ。あるいは鬼灯と共に幻覚きのこみたいなものを知らず食べてしまったのだろうと。

 せめて羽倉城でも話題になっていた犬人をひと目見ておけばよかったと悔やむ思いもありながら。

 今にして思えば、道理でトッドが「何よりもまず、座学を習得しろっ」と推しまくったわけである。


「自分との違いを怖れるな――」


 中年講師の声に熱が籠もる。


「“未知に恐怖する”感覚は、これはこれで麻痺させてならない大切な感覚だが、その恐怖が強すぎ呑まれても、偏見や差別が生まれて無用ないさかいを引き起こすことになる。

 それは百害あって一利なし!

 我々『探索者』にとっても大いなる損失になるだろう。なぜだか分かるか……?」


 そこで講師である妙に毛深い中年男が言葉を切り、受講者達をゆるりと眺め回す。それへすっと真っ直ぐ手を挙げたのは鬼灯だ。


「へ?」

「ん?」


 気付いて驚いた扇間が間抜けな声を上げるのと中年講師が「なぜこの状況で手を挙げる?」的な不審の声を上げるのがほぼ同時。

 場を弁えぬ鬼灯だけが差されもしないのに勝手に口を開いていた。


「先生。それは『探索者』の本分に関わるものと愚考しました。非常に興味がありますので、是非、お教え下さい!」

「……お、おう。もちろんだ」


 戸惑いながらも中年講師が咳払いをかまして気持ちを整える。


「先に云われてしまったが、その通り。これは『探索者』としての本分に深く関わる話しだ。その表現は人それぞれだろうが、今回はあえてこういう表現をしよう……つまり“探索者とは、この世界を相手にする者だ”と」


 薬草の採取も。

 珍獣の捕獲も。

 古代遺跡の発見や未知なる領域の踏破も。

 『探索者』が受ける依頼の大半は、まさに世界そのものを相手にするようなスケール感があり、必然的に未知なるものとの遭遇が多くなってくる。

 その“未知なるもの”に出遭うたび、恐怖し判断を誤り、自ら窮地を招いては命がいくつあっても足りるものではない――。

 そう、講師が語っているのは“種族”に限った話しではない。

 これから『探索者』として経験を積めば積むほどに、あらゆる“未知”に遭遇し、即座の対応に迫られる新人達へ向けた、大切な心構えを述べているのだ。

 そのことに何人が気づけるかは不明だが、それでも講師は言い続ける。これまでそうであったようにこれからも。

 己が知り得る大事なことを。


「少なくとも、俺の経験から言えることは『探索者』としての強さとは、単純な戦闘力や精神力といったものとは別枠の“いかに周囲を味方に付けるか”にある」


 それは至言と云うべきものであった。

 『抜刀隊』としていかなる活躍を求められているか、それに応じて剣術のみならず罠の設置や森での生存術など身に付けていった経験がある二人には、講師が云わんとすることを明確に理解することができていた。

 『抜刀隊』も『探索者』も仕事の内容は違っても、必ず軸とすべきものが存在する――たった今、教示されたものは、『探索者』という名の武術における奥義あるいは極意そのものだと。


「つまり、これから我々が教わるのは、“あらゆるものを味方に付ける術”――そういうことですね」

「だね」

(ほう……)


 二人が頷き合うのを中年講師は物珍しげな気持ちで耳にしていたのだが、言動に表すことはない。

 コツを口にするのは簡単だ。

 それを耳にして情報として記憶するのも容易だろう。

 だが、学び取って自在に扱うのは別の話だ。

 だから講師は今日この場で理解してもらうつもりなど毛頭無かった。むしろ、五年十年経ったあと、「あの時言われたことを実感した」風に酒の席で語ってくれればよいと思っていた。ベテランになってから効果が出ても何の問題も無いと。

 それでも、高レベルになろうとも常に死と隣り合わせの『探索者』には十分な成果と言えるからだ。


(だが、こいつらは……)


 思わず顔が綻びそうになるのを講師は必死に抑え込む。こういうのはバレないのがいいからだ。それはともかく、後で講師陣の間で話題になるのは間違いないだろう。

 こうして二人が様々な講義を受け終える頃には、知らぬ間に『協会ギルド』で“期待の新人”としての地位を確立することになるのだが、それは少し先の話である。


         *****


「座学を受けたので、今度は“見習い任務”を受けたいのですが」


 木机に肘付けて睨みを利かせてくる受付中年に、臆することなく鬼灯が朗らかに用件を述べる。


「はあ? たった一本受講したくらいで何が分かるってんだ」

「いえ、あれは試しで受けてみただけで」

「余計にダメだろうがっ」


 舐めてるのか、とこめかみに青筋立てる受付中年に「いや、実はですね」と扇間が割り込んで真剣な顔で訴える。


「先に実戦の空気を味わえば、今後何に重きを置いて講義を受けるのか、明瞭になろうと思いまして」


 これも座学を学ぶ効能をより高めるための大事な下拵したごしらえ――変則的なのは重々承知、それでも自分達なりに考えぬいての行動だと。

 依頼者にはきちんと主旨を説明し、場合によっては依頼内容を聞くだけに留めるからと受付中年を説き伏せる。

 あまりにしつこくするものだから、ついに根負けした受付中年は「なら、これ・・あれ・・だけは受講しろ」と条件付きで許可してくれた。


「……まったく、普通はすべての講義と実技を受けてから依頼クエストに取りかかるものだぞ?」


 そう呆れながらも許すのは、厳密にはそんな規定がないかららしい。

 実際、【見習い】が受けられる依頼クエストは、『協会ギルド』でも低額依頼限定の『自由掲示板』に貼り出されたものに限られる。

 これは新人達に様々な経験を積ませること、そして『探索者』の認知度を高めることなどを目的として『協会ギルド』が依頼の間口を広げるべく新設された掲示板であり、低額というだけあって、大半が貧困層や教会からの依頼で占められている。

 必然的に仕事の内容は社会奉仕活動の域を出ないものになってくるが、思いのほか体力を使うことがあったにしても任務自体の危険度が高くなることはない。

 これまでに全く問題がなかったわけではないものの、おおむね『協会ギルド』の想定通り、良き【見習い】の実務試験用として活用されていた。

 当然、依頼する側もそうした背景を十分に理解し、請け負う『探索者』の格付けが低くなることを承知の上で、それでも低額で依頼できることに有用性を見出して依頼票を貼り出す者は後を絶たない。


「まあ、低額といっても我々の逗留する宿代くらいにはなりますしね」

「それって、一日で解決しろってことじゃ……」


 苦笑いする扇間を「トッドさんからいただいた路銀がまだありますから」と鬼灯は平然と他人の金を当てにする。扇間の笑みが益々苦みを増したのは言うまでもない。

 二人は早速、広間の隅にわびしく立て掛けられた掲示板の前で物色をはじめたが、当然のことながら心躍るような案件はない。

 いや、その前に。


「――やっぱり読めませんね」

「――だからって、俺を引っ張り出すのは違うだろ」


 不機嫌さを隠さぬ受付中年だが、文句の割にはわざわざ受付から出てきてくれるあたり、意外に面倒見がいいようだ。

 しかも奥の事務室から替わりになる女性の事務員――前髪をやたら伸ばし顔を隠しているので分かりにくいが間違いあるまい――をきちんと受付に立たせた気遣いにもちょっと驚いてしまったくらいだ。


「それで、お薦めのものはありますか?」

「そうだな……」


 鬼灯に尋ねられ、受付中年が顎に手をやりながら、乱雑に貼り出された依頼票と睨めっこをはじめる。


「お薦めというか……ギルドとしちゃ、奉仕活動ばっかりではお前達の力が見定められんからな」

「なるほど。では、ほどほどに危険な任務がよいですね」

ほどほど・・・・に危険て……」


 扇間が微妙な顔で反応するが、さすがに専門職と褒めるべきか受付中年は目敏く二、三の依頼を見繕ってくれる。


「無難なとこで【護衛任務】はどうだ? “近くの村まで行商人を護衛する”というのがある」

「いや、来たばっかりで都を離れるのは遠慮したいね」


 扇間が秘めたる任務を思えば、それを知らぬ受付中年は怪訝そうにしながらも「それなら」と別の依頼票に指を差す。


「“公都郊外にある果樹園での見張り番”は?」

「それも都の外に出るよね」

「なら“厩舎の見張り番”でどうだ! 壁外の店舗でも公都であることに変わりはない」

「ああ、それなら――」

「ただし、二日に一度は郊外で馬を散歩させる必要があるがな」

「だめじゃん!!」


 からかってるのか、と歯を剥き出しにする扇間とは正反対に「でも面白そうですね」と鬼灯が乗り気になっている。

 面白いか否かは判断基準でないはずだが、少なくとも、仕事の合間に情報を集めるのが二人の真の・・任務・・であることを思えば、やはり都から離れることは得策ではない。

 扇間に軽く肘でつつかれ、さすがに鬼灯も思い出してくれたようだ。途端にため息をつきそうなほどのやる気の無さで、「不本意ですが・・・・・・街中限定でお願いします」と慧眼の無庵には聞かせられぬ台詞を吐く。


「確かに外より中の方が安全だが……まあ、慎重なのも悪くない」


 別な意味で捉えたらしい受付中年が、ひとり勝手に納得したところで「おっと、一枚落ちちまってたな」足下に落ちていた依頼票を拾い上げ、軽く目を通すなりいかつい・・・・顔をほころばせた。


「おお、こいつも【護衛依頼】だな。それにちょうどいい――“依頼者の邸に住み込み”が条件だから、こりゃ街中・・での仕事だぜ」

「では、それに決めましょう」

「馬鹿野郎。せめて依頼の概要くらい知ってから判断しろ」


 呆れたように受付中年が叱るも「世の中、そんな都合のよい話しばかりではありません」と鬼灯は知った風な口を利く。

 ある程度の悪条件くらいは目をつぶる、と。


「それもまた『探索者』なのでは……?」

「云うじゃねえか」


 見習いの生意気な態度を好もしげに受付中年は口元をゆるませる。

 偶然拾い上げた依頼票だが、鬼灯たちの意向を満たす以上、二人に否やがあるはずもない。それはギルド側である受付中年も同じであり“倉の見張り番”という内容に危険さをそれほど感じられないことから容認する姿勢を示していた。


「七日間、商人の邸に住み込みというのは宿代が浮いていいですね」

「……この際、都から離れないのなら、何でもいいよ」


 どこか疲れた顔で扇間が同意するのへ「ちなみに“酒場の用心棒”もあるようだな」と受付中年が別の依頼票にも目を留める。


「場所は東街区にある『赤竜の火酒亭』だ」


 その名に鬼灯が反応を示す。


「それに聞き覚えが……確か、宿の女将が云っていた半分貧民街みたいなところにある美味しいものを出す酒場の名前じゃ……火酒の話しをしてましたよね?」

「だとしても、貧民街に近寄るのは拙くない? 昨日の連中とばったり遭いそうだし」

「ならば返り討ちにすればよいでしょう」

「何言ってんの」


 扇間が呆れた目を向ける。


「目立つのはしようがないけど、率先して目立つのは駄目でしょうが」

「それはご尤も」

「おい、さっきから何を言ってんだ? しかも今、かなり物騒なことをほざいてた・・・・・と思うんだが……」


 二人の話についていけない受付中年が、右耳を指でほじりながら二人に聞き返す。だが、それを鬼灯の方が不思議そうな顔で聞き返してくる。


「連中に舐められたら終わりです。返り討ちにするくらいの気概は・・・必要でしょう?」

「む……」

「まあ、それより受ける依頼は“倉の見張り番”でいいでしょう。もしかしたら、商人の倉庫を狙って盗賊団が押し入ってくれるかもしれませんから」

「言い方! それに、にこやかに云うのやめてくれない? 期待してると誤解されるから」

「……」


 思いっきりジト目で睨み付けてくる受付中年を横目に、扇間が慌てて突っ込むのを「心構えですよ、心構え」とやけにすまし顔で応じる鬼灯がいつになく嘘臭く見える。


「……」


 当然、扇間が閉口したのは言うまでもなかった。

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