第46話 四者会談

『羽倉城』通用門前――



「今さらだが……巻き込んで済まない」

「はん。どうせ降りさせるつもりがないなら、掛ける言葉が間違ってるんじゃないか?」


 珍しく神妙な面持ちで接してくるミケランにトッドがいつも通りに揶揄するような言葉を返す。


「そうだな――」

「ちっ。そんな辛気臭いツラは今だけにしてくれよ。分かってんのか? 俺の留守中は、あんたらが姫さんを元気にしてやらなきゃなんねーんだ。……シリスじゃ頼りにならないからよ」

「ちょっと」


 聞き捨てならぬとシリルが緑のローブをわさわさしながら碧い眼に険を込める。「よけーな付け足ししないでくれる?」そう怒り眉にしながらも刺々しさはそれほどでもなかったが。


「まあ、俺のことなら心配いらん。良くも悪くも協会を通した仕事じゃないから、あんたらとの関係は誰にも分からんし、万一、何か訊かれるようなことがあっても、素直に吐いちまうからな――“あの人達蛮族に捕まりました”ってね」

「おい――」


 さらりと、とんでもないことを口走るトッドに、ミケランが血相を変えて横目で見やれば、近くで家臣と話し込んでいるはずの白髯の無庵と目が合い、一瞬、凍り付く。

 だが、初老は「問題ない」と小さく頷き返してきて、知らず肩に力が入っていたミケランは大仰に息を吐き出し、胸を撫で下ろした。


「――取り決めしていた・・・・・・・・なら、先に云ってくれ。心臓に悪いぞ」

「はは。ちょっとはいい顔になったな」


 慌てるミケランを愉しげに眺めたトッドが人の悪そうな顔をする。そこで彼もちょっとだけ息を吐いたのは、普段と変わらぬ表情の下で、少しは“任務の重さ”というものを彼なりに感じていたからなのかもしれない。

 そう。

 エルネ姫の思いを成就せんがため、まずはルストランの動きを探る必要ありとして、トッドはこれから公都に帰還し、情報収集の活動を始めることになっていた。

 『陰技シャドウ・スキル』の遣い手であるトッドならば、情報収集の活動自体は難しいものではないと考えているが、ただ、下手に活動の意図を知っているせいか、敵のお膝元・・・・・ともいえる公都で活動することに、いらぬ不安や妙な重圧をトッドは感じているようだ。

 まあ、トッドの働き次第で、国の未来に影響を及ぼすといっても過言ではない状況だ。あまりお気楽すぎても困ると云えば困るのだが。


「はーあ……『探索者』もトップクラスになれば、バラ色の人生が待ってると思ってたんだがね」

「それを本気で思っていたわけではあるまい? “高額な仕事”というものには、それ相応の理由があるものだ」

「悪いが“相応の理由”とやらに、普通、“お国の一大事”なんて余計なモン・・・・・は付かねーもんなんだよ」


 トッドが皮肉げに唇を歪めれば、「それは、まあ……」とミケランも困ったように言葉を濁す。


「ただ、プレッシャーを掛けるつもりはないが……」

「なら云うな」


 五指を広げたトッドがぴしゃりとミケランの話しを遮って、「俺の愚痴を本気にするな。仕事である以上、きっちりこなすさ」そう手前勝手なことを口にする。

 そうして、果たすべき任務をあらためて指折り確かめる。


「ひとつ、できれば都内に潜伏できるよう隠れ家アジトを確保しておく。ふたつ、陛下の置かれた状況や殿下の動きについて情報を集める。……ああ、城内に通じる秘密の通路も使えるかどうか確認しておく必要があったな。まあ、ふたつとも“五翼”の俺にとっては、カノジョを見つけるより楽な任務だ」

「……そうだな」

「いやまてっ」


 ワンテンポ遅れたミケランの相づちよりも、どこか棒読み臭かった声の調子に「今、言葉のチョイスを誤った」、「ぜったい、誤解してる」などとトッドが一言一句、力を込めて、笑顔も見せず真面目な顔で自分を見つめるミケランに訴える。


「誤解? 何がだ」

「俺には女がいる」

「そうか」

「――いや、いない・・・んだが、いるのと同じ・・・・・・というか……」

「何を云ってる?」


 必要となれば平然と嘘を吐く男が、珍しくしどろもどろになる様をミケランはどう捉えたのか、あくまで真面目な顔つきを崩すことなくフォローする。


「名うての『探索者』が気に入るご婦人・・・・・・・は、いかな公都といえど、そうはおるまい。それを捜し出す労苦を思えば、なるほど確かに、情報収集など大した仕事ではないだろう」

「――――まぁな」


 こめかみに変な汗を垂らすトッドが「分かってんじゃねえか」と乾ききった笑いを浮かべ、辛うじて体裁を保つ。ただそこで、しきりに咳払いをしながら「お、俺は“愛”を安売りするタイプじゃないんでね……おほんっ」と余計な台詞をくっつけて、折角のフォローを台無しにしてしまったのはいただけなかったが。


「とにかく――あんたは俺にくれる報酬を心配してればいいんだ。成功報酬に加えて、“特別報酬”をくれるって話しをな。スワ族の立ち会いもあるんだから、口約束だからって反故にするなよ?」

「そんなことはせん」

「なら戻るまでにしっかり考えててくれ。せいぜい期待させてもらうよ」


 羞恥を誤魔化すためとはいえ、欲にまみれた不快な言動をするものの、ミケランの気分を害することはないようだ。

 トッドは知らない。

 ルストランの出方によっては、無一文になるかもしれないエルネ達に“後払い”で仕事を請け負うお人好しの『探索者』に抱く感情は“感謝”だけだということを。

 トッドにとっては仲間を失うことになった“忌まわしい仕事”を、それを持ってきた者達とこれ以上関わりになりたくないと思っても当然のことなのに。

 誰もが忌避する公家の厄介事にまだ付き合ってくれるその気持ちに、ミケランはただただ有り難く感じ入る。


「――まったく、『探索者』ってやつは」


 すまない、と再び言いかけた言葉を呑み込み、ミケランは苦笑を洩らす。

 「やれやれ」と呆れた風に首を軽く振る仕草とは裏腹に、その胸中で、漠然と抱いていた『探索者』への偏見を大幅に修正しながら。


(この一件がなければ、市井の者達とこうして触れ合うことも、まして、今のこのような感情を持つことなど一生なかっただろう)


「……皮肉な話しだ」

「?」


 ミケランがトッドに胸中を語ることはない。

 城内ばかり捉えていた狭い視野を広げさせてくれ、得るものが非常に大きいと感じ入ったなどと。


(これからもっと得難い経験を積むことになる。私にとっても……エルネ様にとっても)


 “魔境”を踏破した戦友・・に重要任務を託す不安などミケランは持っておらず、ただ、朗報がもたらされることだけを願うばかりであった。


         *****


「正直、儂は不安で仕方ない、鬼灯ほおづきよ」

「?」


 白髯の無庵が渋面をつくって声を掛ければ、優面やさおもての青年侍は不思議そうに小首を傾げて、そのやわらかな金の髪をさらりと流した。

 薄桃色の唇に、甘味を舌に転がしたような淡い笑みを含ませ、蒼い瞳には穢れなき澄んだ光を湛える純真無垢といった面差し――それを目にする無庵の渋面はますますきつく・・・なってくる。


「その自覚の無さに・・・・・・だ」

「そう案ずるな、叔父上。顔が梅干しのようになっておる」


 振り返る弦矢が笑いを含んで注意するが、初老の不安げな表情が消されることはない。


「いくら此奴が異人の内に馴染みやすい・・・・・・とはいえ――」

「どうしたのじゃ。決めたことを蒸し返すとは、らしくない・・・・・

「いや、儂はただ……お役目の重要さを思えばこそ」

「じゃから、他の面子も揃えたであろう」


 やけに粘る叔父御をぴしゃりと制し、弦矢は面前に並ぶ者達を見回す。


「道案内を兼ね、現地では指揮をとっていただくトッド殿。戦力として『抜刀隊』からは『第六席次』の鬼灯。同じく『第八席次』の扇間せんまの二名。さらには――如何した、秋水?」

「――別に、何でもござりませぬ」


 どう考えてもふて腐れてる・・・・・・としか思えぬ憮然たる面持ちで、秋水はむっつりと答える。その不作法とも横柄ともとれる態度は今に始まったことではないのだが、今回は諏訪以外の者もいるせいか、無庵が眉間に青筋を立てた。


「貴様、殿に何という態度をっ」

「誤解されるな、無庵殿」

「誤解だと――?!」

「左様。貴殿は知らぬようだが、そもそも、これが拙者のでござれば」

「貴――」


 ぬけぬけと言ってのける秋水に無庵の眉間に浮かんだ青筋がぶくりと太くなり、数までが増えて、怒りの炎が激しさを増す。今にも破裂しそうな勢いに、焦りを覚えたのは弦矢の方であった。


「よさぬかっ。あまり叔父上をいじってやるな、秋水。叔父上も、奴の遊びに付き合うなど」


 いつもなら誰かが怒るのを抑えに廻るのが無庵の役目だが、今回に限って、無骨者達が不在であったのが災いしたようだ。癇癪を起こしやすいのは疲れのせいもあるのだろうが。

 それよりも秋水は秋水で何に拗ねて・・・いるかだが。


「……人使いが荒い」


 質す前に、ぼそりと洩らした秋水の愚痴が耳に入り、弦矢は合点がいくのと同時に軽い疲れを感じた。

 昨夜、何かの務めを終えて戻ってきたばかりであることは知っている。“万雷の使い”というから、どうせ碌なものでもあるまいと、わずかな同情は覚えもするが、それ・・これ・・とは別というもの。いや、一緒にしてもらってはたまらんと弦矢は真剣に秋水へ説くと聞かせる。


「よいか。隠密を得手とするは、お前達しかおらんのだ」

「たまには“幽玄”をお使いになればよろしい」

「あの者たちには“約定”がある。おぬしがそれを知らぬと申すのか?」

「ぐむ」


 呻いて、秋水がわざとらしくそっぽ・・・を向けば、それを目にした無庵が、また大口を開けかけたところで弦矢が先に追い打ちを掛けた。


「この地で生き抜くためには、皆が各々の役目を見出し、果たしていかねばならん。故に他の者には、儂からすでに役目を与えておる。残るはお前達だけなのだ」

「ならばせめて、今少し憩いを――」

「疲れておればな」


 弦矢が半目に閉じて秋水やその後ろに控える供のものを見やる。秋水が再びそっぽを向いたのは言うまでもない。


「さすがは諏訪きっての仕事人よな。敵陣に忍び入りながら、傷ひとつなく生還し、その上、今も顔色ひとつ悪うなっておらん」

「そういえば、先ほどからいささか・・・・腹の具合が……」

「おぬしらのような頑健な者こそ、諏訪侍の鑑よな」

「あいたた……」

「「恐れ入りますっ」」


 思わぬ褒め言葉に恐縮しきったのは、供の者二人。隊長の熱演をそれ以上の熱い気概で吹き飛ばし、その場で両膝を着くや低頭する。それを「認めてどうする?!」と舌打ちせんばかりに秋水が睨むも後の祭りだ。そもそも「こやつらっ」と憤る姿は闘気すら溢れて力強く、疲労の「ひ」の字も見せぬ時点で台無しなのだが。


気力十分のようで・・・・・・・・何より。“外”を見聞し広めた視野や知識を皆に伝えるのは重要な役目。ある意味、物見遊山の一面もあると思えば、おぬしが求める憩いにもなる……有り難く思って務めに励め」

「くっ……お心遣いに、感謝致します」


 なぜか悔しげに観念する秋水を「うむ」と勝ち誇ったような顔で弦矢が頷いてみせる。

 無論、嫌がらせで決めた人選ではなく、諜報を得手とする秋水に白羽の矢が立つのは当然であり、また、別の一面で考えても当人以外は誰もが納得する人選であった。

 なぜなら、こんな“魔境”であったとしても、どのみち、この男が城に縛り付けておけぬ性分なのは分かっているからだ。

 重臣達の目を盗み、ぶらぶらと貴重な人材に遊び廻られるくらいなら、役目のひとつも担ってもらうのが一番良い。それも、本気で“見て見ぬ振り”ができぬ秋水だからこそ、仲間と供に敵地に潜入させる任が最も効果的というのが皆の意見が一致するところである。もっとも、始めにその考えを示したのは他ならぬ彼の義父――万雷であったのだが。

 こうして弦矢を筆頭に重臣達に知られ、見極められた時点で秋水の負けが決まっていたというべきだ。その言動に惑わされがちだが、付き合いが長くなれば結構分かり易い気質の男である。皆に知れるのは遅かれ早かれ決まっていたことなのだ。

 実際、元の組織から抜け出せたのも、失態を演じられる前に放逐されたというのが正しい見方であると本人が気づいているかは分からないが。

 話が付いたところで、弦矢は最後にもう一組へ向き直った。


「――では、グドゥ殿も気を付けてな」

「(ああ、任せてもらおう)」


 独特の波模様を描いた仮面を付けた漆黒の小鬼コボルドが悠然と請け合う。小袋をいくつか腰に帯びただけのいつもとほぼ変わらぬ旅装ともいえぬ旅装だが、彼らはそれだけで十分だという。


「(森さえあれば、寝食に困ることはない)」


 と豪語するのだが、人の数倍を森で生きてきた彼らの生存技術は、侍達の誰も及ばぬ高みにあるということだろう。さもあらんとばかり納得するしかない。

 それよりも、彼らに託した“臨時の拠点造り”がうまくいくことを願うばかりである。


「あまり無理をして、眼を引き付けぬように」

「(心配するな。この地で生き抜くのに、目利き・・・の確かさは必須だ。相手を見誤ってドジを踏むことは決してしない)」


 これまで繰り返した注意を再び口にする無庵にグドゥが力強く応じる。

 彼らが負う役目は最低三十人以上滞在できる拠点の確保だ。初めて“魔境”の外に出る彼らを思えば、一抹の不安が拭えぬのも致し方あるまい。その一方で、自分達よりこの世界に、森林に精通している仲間は彼らしかいないという事実もある。結局は、何かの危険を承知で挑んでいかねば道は開けないのは確かなのだ。

 そんな不安を知らぬげに、彼らの気分はまだ見ぬ土地への期待感で高まっている。冒険心というのが適切な表現であったろう。


「(あなた方と知り合わねば、こうした機会も持てず、また考えもしなかったろう。礼を言いたいくらいだ)」

「そう云ってもらえると助かる」


 こうして弦矢達は彼らの旅の無事を祈念し、出立を見送るのであった。


         *****


時を少し遡る――

『羽倉城』執務之間――



 諏訪とエルネ公女との間に“盟約”が結ばれ、早々に今後の方策を打ち出したいと気持ちを逸らせるエルネを皆で説き伏せ、もう少し養生に専念させることにしたところで。

 エンセイにミケラン、諏訪側では弦矢に白髯の無庵の四名が、別室であらためて今後の活動方針を立てるべく打ち合わせることとなった。

 打合せ人数の絞り込みにあたっては、各々が他に果たすべき役目があることを考慮すれば、重要な骨針の練り込みを当主と『慧眼』に一任するのが当然のことと誰もが考えたからであり、異論を唱える者などいるはずもなかった。

 殊に諏訪において一大勢力を誇る篠ノ女の当主に至っては、「じじいを二人並べてどうする。新天地で必要とされるは無謀なくらいの若さぞ」とそれらしいことをうぞぶいて、堂々と辞去してのけたのでこの場にいない。

 残念なのはその後、配下を引き連れ、そそくさ・・・・と城門から出てゆく万雷一行が門番に語った理由である。


「儂は大食らいだからな。当座の糧食確保にひと肌脱がねばならん立場におる」


 しごく大まじめな顔でのたまったとの話しを耳にして、白髯の無庵が大きく嘆息したのは言うまでもない。とはいえ。


「いや、これでいい。かえって話しがまとめ易いというもの」


 気にせぬ弦矢の一言で、頭数を厳選しての重要な打ち合わせが、こうして始められることになった。


「では、今回の目的が“姫と叔父御との対面”にあるとして、まずは我ら諏訪の者が知っておかねばならぬことが幾つかある――」


 そう切り出したのは無論、白髯の無庵である。

 まずはヨルグ・スタン公国を知らねば、ルストランとエルネの戦力比を把握できず、策の練りようもないのだと。

 そして策を高じて、相応の武力か政治力を保有しなければ、対峙しても意味は無いと遠慮なく口にする。だからこそ、公国の内情を教えて欲しいのだと。だが。


「今さら何を躊躇う必要がある――」


 いっかな口を開こうとしないミケランの逡巡を正確に察したエンセイがずばり指摘する。

 警備長まで務めるミケランが、いざ国の重要機密を部外者に洩らすことに拒否感が沸き上がり、自然と口が重くなるのは当然と承知している。それでも今がどのような時かを考えれば。


「彼らに無理を云っているのは我らの方だ。相手が命懸けで応じようというに、此方がそのような体たらくで本当に事を成せるとでも?」

「……」

「こう考えてはいかがかな、ミケラン殿」


 少し直裁的過ぎたかと無庵も言葉をあらためる。


「機密事項を除いた大枠の話しならば、国同士で互いに情報を掴んでいるのが通常かと。要するに今欲する情報はその程度でよいということ。儂らも、事細かに話されたとして、覚えきれるものではありませんからな」

「うむ。誰もが知っている情報ならば、知られてマズイということはない。ミケラン卿。これ以上の出し惜しみは百害あって一利無しでは?」


 最後にエンセイの一言が背中を押す。


「……」

「ミケラン卿?」

「いや――仰るとおりだ、エンセイ殿」


 無庵とエンセイの両名に諭されて、ようやく踏ん切りが付けられたのだろう。ミケランが重く閉ざしていた口をゆるりと開く。

 冷静に状況を見つめれば、自分達はもはや城を追われたのと同義の身の上だ。手持ちのカードがない中で、辺境の地に住む者達を相手に、己は何のゲームに興じようというのか。それも、味方となってくれるはずの同士に情報を隠し、あまりに勝算が低い戦いをさらに自身で窮地に貶めては笑い話にもなりはしない。

 そのように時間を掛けて整理すれば、ミケランとて話の分からぬ男ではない。


「まず、戦力的なところから話しましょう」


 いざ切り出してみれば、ミケランは滑らかに基本的な組織構成からその内容に至るまでを順序立てて語り始める。


「我が国の軍隊は3つの軍団で構成され、第1軍団は大公家直属の騎士団であり、公城および公都を任地とする少数精鋭の軍隊です――」


 その構成員は当主の座とは無縁の三男坊など貴族の出身者が多いのに対し、第二軍団は領内の有力貴族らが率いる私兵で構成されており、その圧倒的な兵力を踏まえても公国軍の要となっている。

 ただし、これには落とし穴があって、貴族の都合によって集められる兵力にはムラがあり、近年においては――10年前の戦争を例にすれば――約4000人規模の兵力が侵略してきた帝国に相対したとミケランは記憶を掘り起こす。


「最後の第三軍団については、兵力は他の2軍団の中間といったところですが、実戦経験の豊富さを考えれば、彼らこそ我が国で最強の軍団と言えましょう」

「実戦が豊富……お国が戦争の真っ最中とは思えぬが、何かそうなるだけの理由が……?」


 それほど驚いた様子もなく、白髯の無庵が淡々と疑念を口にすれば、「それには我が国の置かれた状況を知っていただく必要がありますね」とミケランは公国周辺の地勢状況を大雑把に語り始める。


「我が国は大陸有数の山岳地帯に座す小国だけに、

戦地条件としては守るに堅い良さがある反面、周辺を5つの国家に囲まれた非常に厄介な状況下に置かれています」

「ほう……つまり、小競り合いが激しいと?」

「そういうことです」


 白髯の無庵の察しの良さに、話が早いとミケランが頷く。


 北は同盟国でありながら、寒冷地故の温暖な地に激しい飢えを覚える『モディール王国』。

 東は10年前にも侵略戦争を仕掛けてきて、いつまた、再侵攻を始めるか予断を許さぬ彼の覇王ドルヴォイが打ち立てた『ガルハラン帝国』。

 その対面たる西は、長く分散していた幾つかの都市国家を併合し、瞬く間に建国を成し遂げた野心旺盛な新興国家の『ネステリア』。

 そして残る南には、下手な武力を歯牙にも掛けぬ“暴力的な富力”を有する『ヨーバル通商連合」と飽くなき内戦に自滅しないのが不思議なくらいに凶悪無比な『コリ・ドラ族領』というクセの強い自治領が地獄の双頭犬よろしく並んでいる。

 正に“大陸西方の火薬庫”と呼ぶに相応しい危険な地域であった。


「戦略的には、隣国にとってのヨルグ・スタンとは他国に攻め入る橋頭堡として格好の土地――大陸西方で最も血気盛んな連中が、餌を目前にして、黙って指を咥えているはずがないのです。故に小競り合いなど日常茶飯事……正直、第三軍団の奮闘がなければ、弱味を見せた途端、一息に呑み込まれていたことでしょう」

「なるほど。嫌でも実戦を積まざるを得ない、というわけか」

「ええ。あまりに戦闘頻度が多いため、国境付近の貴族だけでは抑えきれず、国として第三軍団の常設騎士団を立ち上げることになったのです。ちなみに自主財源を確保するため、基金設立して募りましたが、想定以上の金額が集まったことで、国境付近の貴族達にとって、どれほどの苦役であったかが分かろうというもの」


 それでも戦費負担は重くのしかかり、今や敵の有力者を捕虜として賠償金を得る手法により、急場を凌いでいる状況だという。


「皮肉にも、戦闘頻度の多さで第三軍団の力も鍛え上げられ、他国がおいそれと手を出せるものではなくなってきましたが。しかし実際のところは、目前にしている我が国ではなく、その向こう側に別の4国を見透かして、互いに牽制し合っていることが今のバランスを生み出しているのでしょう」

「ならば、小康状態も長くは続かぬな……」

「おそらく」


 そこでミケランは一息吐く。


「あなた方の兵力がいかほどか分かりませんが、第三軍団だけでも、真っ向から当たるべき兵力ではないと断言できます」

「元より。我らは平地で踊りはせぬ。森を舞台とする・・・・・・・のでな」

「?」


 訝しむミケランにはいちいち説明をすることなく、無庵は知るべきことを質問する。


「今の話しによれば、第二軍団と第三軍団は都に常備しているわけではない、ということでよろしいか?」

「はい。第三軍団の大半は、四方の国境警備が任地となっておりますし、彼らの拠点は国境のどこからも近い都市ジルドリアにありますから」

「ふむ。ならば有事の際に駆けつけるのに、どれだけの日数が必要となるかだが」


 それで無庵の考えていることが理解できたミケランは、「早ければ一日」と即答する。


「ジルドリアに駐在している騎士100名ほどが騎馬で駆けつけるのが最速でしょう。他のいかなる助勢も兵装支度でさらに時間がかかるはず」

「つまり、気づかれずに公都まで辿り着ければ、まともな敵戦力は第一軍団のみとなるわけか」


 応じたのは弦矢。

 無論、そんな単純な話しではないだろうが、輪郭さえ覚束なかった目標の姿が、朧気に掴めたような手応えを感じ、弦矢の声に力が漲る。その逸る気持ちを抑えるように無庵がまだ不明瞭な点に探りを入れていく。


「城の守りはどのように?」

「公城シュレーベンは、高い公都外壁に囲まれた市街地の最西に位置しています。三方を町並みに囲まれ、リューブル湖を西に背負うため、攻め入るのは容易ではありません。ただし、長く攻城戦を経験したことがないためか、城館といった趣は鉄壁とは申せませんが」

「城内の兵数は?」

「常時30人の三交代制。真面目に練兵はしてますが、実戦経験が乏しいことは否めません。ただ――」


 そこでミケランはちらとエンセイを見やる。しかし、気づいているのかいないのか、初老の剣士が反応を示すことはなく、ミケランはすぐに己が何を懸念しているか弦矢達に伝える。


「第一軍団には唯一、警戒すべき相手がいます。それは公国でも最強の呼び声が高い、究極の個人戦力――『三剣士』の一人、バルデア卿が」


 強者が集う『探索者』を含め、かつ戦士、術士などあらゆる職業を含めた中で、それでも公国において最強の名をほしいままにしているのが“三剣士”と呼ばれる三人の武人である。

 その中の一人、バルデアは“輝きの中に立つ”と嫉妬と羨望を交えて称される特異な剣士だ。その理由とは――


「その業前もさることながら、全身を準国宝級の『魔術工芸品マジック・クラフト』で飾り立てているのが異色と呼ばれる所以です」


 右腕に禍々しい凶気を孕み、装着者の腕力を飛躍的に向上させる『大鬼を宿す腕輪ポゼッション・オブ・オグルパワー』。

 左腕に装着者の器用さデクスタリティを達人レベルにまで引き上げる効果を持つ、心躍る輝きを放つ腕輪『小人細工師の御業シュプリーム・オブ・ノーム・クラフトマン』。

 首には精霊が忌み嫌う『邪妖精の悪意あるマリシャス・ネックレス・オブ・首飾りグレムリン』を提げ、精霊術の効果を大幅に低減させ、血色の悪い相貌に似合わぬ節太な指には、強力な魔術が込められた怪しげに濡れ光る青紫の指輪――それとは別の宝石が嵌め込まれた指輪がさらに二つ――光っている。

 その他、隠れて見えぬ足首や腰にも高額といえ現代技術で再現された『魔導具』など足下にも及ばない稀少な『魔術工芸品マジック・クラフト』の数々が身に付けられ、騎士バルデアに超人的な強さを与え、必然的に絶対的な勝利を約束していた。

 『探索者』のトップクラスになれば、それなりの上級装具を所有してはいるものの、彼の場合は地力の強さも並外れているという。


「――時代が遅ければ、いや彼自身が早く生まれていれば、彼の『双輪』を撃退したのはバルデア卿ではなかったかとも言われるほどです」

「ずいぶんと……しかし強者といえどもしょせんは一人。数で押せばいかようにもできましょう」

「数で押せればな」


 無庵の判断に異を唱えたのは弦矢の方だ。


「仮に城内が戦地となれば、くだんの荒武者一人で通路を塞ぐ鉄扉――いや大きな岩塊と成り得よう」

「むう。その時は、こちらも相応の手練れを当てるまで」

「助勢を請うた身で申し訳ないが……」


 ミケランが云わねばなるまいとの強い視線で二人の会話に口を挟んでくる。


「バルデア卿の強さは文字通り化け物並です。いくら“魔境”に生き抜くあなた方でもおいそれと勝ちは得られないと思います」

「確かに。じゃが、そうでないかもしれぬ」


 弦矢は不敵に笑い、「少なくとも、そこまで強いと聞けば、臆するどころか、己を試したくなるような奴らばかりなのは間違いない」と相づちを求めるように無庵を見やれば。


「左様。それに、我ら諏訪にも“化け物”ならば何名かおる」


 一人や二人でなく。

 その意味するところを察するものの、今度はミケランの方が疑念を消せずにいる。自分の話が十分に伝わっていないのでは、あるいは本当にそれほどの強者がいるのか、と。


 大いなる不安の中に、淡い期待を織り交ぜて――。


「どのみち、そこは信じるしかありません」

「いやいや、早くも大筋が見えてきましたな」


 白髯の無庵が髭を手でしごきながら満足げに呟く。


「姫様達が使った脱出路を逆に辿れば、城内への潜入が果たせるかと。途中、手強い荒武者を此方の手練れに排除させれば、目標の達成は可能なように思えてきませんかな? されば、そう……姫様の父君がどうされているか知りたいところ」


 その意味するところをこの場にいる全員がきちんと理解しており、だからこそ、さりげなさを装って紡がれた言葉に、それでも場の空気が緊張感を帯びることは避けられなかった。


「幽閉するなら、地下牢か西端に位置する離れの塔でしょう」


 切っ掛けを作ったのは意外にもミケラン。さすがに城内警備の長だけあって、この場で予測可能な情報を迷わず開示する。

 ずばり誰かの口からその生死に関する情報を獲得するのはあまりに困難な任務だが、幽閉場所の存在を探ることなら、確かに難度は一段下がるだろう。その有効性を弦矢も認めたようだ。


「ならば、『烏』を忍び込ませて直接確認させたいところだが――」

「残念ながらこの地に・・・・おりませぬ。代わりに秋水殿子飼いの『陰師』を使うのがよろしいかと。いえ、いっそ当人も行かせるべきでしょう」

「……嫌がりそうだな」


 途端に渋る秋水の顔を脳裏に浮かべたか、弦矢が眉をひそませるも無庵は「嫌も応もありませぬ」と説き伏せる。


「今が一大事と知れば、秋水殿も嫌とは言えませぬ」

「いや、確実に言い切るぞ、あやつ・・・なら」


 そこは間違いないと断じる弦矢であったが、無庵の云うとおり拒否権を与えるつもりもなければ、それが許される状況でもない。


「探りを入れる実働班として、都に送り込むのが一番か」

「ならば、公都を活動拠点にしているトッドにも頼んでみるのがよいですな。とはいえ、彼は高レベルの『探索者』。いささか値が張りますが」


 エンセイがそう提案すれば、「まあ、確かに適任であるのは間違いありません」ミケランも悩みを見せつつも同意を示す。ただ歯切れが悪い理由はトッドの心情をおもんぱかってのことであったようだ。 


「彼も今回の件では仲間を失ったばかり。公都に戻ってなお、我らの仕事を引き受けてくれるかはだいぶ怪しい限りですが……私の方から、何とかトッドに頼んでみます」

「微力ながら私も一緒に頼んでみよう」


 エンセイも協力を惜しまぬとミケランに申し出る。その様子を見つめながら、無庵は実働班の支援策も考えていたようだ。


「場合によっては、援軍の増援や隠れ家からの撤退、果ては敵の軍団を引き付けておく役目など様々な状況に向き合うことを想定して、都の近くに臨時の拠点を設けておくのもよいかもしれません」

「ふむ。ここから公都までは?」


 弦矢が無庵の提案に興味を示し、“そもそも論”である距離を尋ねれば、「歩いて7日」とミケランがここまで辿り着いた実際の工程を教えてくれる。


「7日の距離を思えば、いざという時のために拠点構築は悪くない考えだ。されど、森には化け物が彷徨うろついているのでは?」

「“魔境”のそれと比べるべくもないですが。ただ、それも課題のひとつになるでしょう。相応の防御を築き、誰の領域テリトリーであるかを知らしめるまで、危険と向き合える戦力は必須と考えていただきたい」

「まあ、そこは万雷殿ならば何とでもされよう」


 さらりと無庵が当てる人材を確定させ、異論なき弦矢が地点確保に適任と思える者の名を挙げる。


「では、あの犬人グドゥ殿に適地選定の役を協力願ってみよう」

小鬼コボルドに?」


 思わず声高になるのはミケランであり、僅かに眉を怒らせたのはエンセイだ。彼らからすれば、『探索者』ほど馴染みでなくても、『怪物』を仲間と見立てて協力要請をする侍達の感覚に信じられぬと目を剥くのは当然だ。

 だが、彼らの疑心を弦矢は平然と受け流す。


「当然であろう? 我らより精通する“森の民”に頼むのが一番の近道じゃ。“森のことは森の民に聞け”ということよ」

「誰も云っておりませんぞ、そのような事」


 「なるほど」と感心するミケランに無庵が「それは弦矢様の創作ですぞ」と生真面目に訂正を図っているが肝心なのはそこではない。当然、承知している無庵もすかさずそのことを指摘する。


「拠点構築にはそれなりの準備が必要となりますが今の我らには……」


 “黄泉渡り”によって金や米を得る手段が断たれてしまい、城での生活を続けられるかも分からない今の苦境を無庵は暗に訴える。

 エルネ姫が寝込んでいる間、この世界における暮らしについての情報はそれなりに得ており、この森だからこそ、金銭を手にする手段があるとまでは弦矢達の知るところとなっていた。

 つまり、命懸けで『深淵を這いずるモノディープ・クロウラー』を狩り、解体によって得られる素材を現金化する手法である。


「拠点構築に必要な資材のほとんどは森で調達できると思われますが、それでも食料など町で購入すべきものがどうしても出てきましょう」

「それでしたら、やはり、この森で得た素材を金銭に交換するのが一番でしょうね」


 森で暮らす侍達が金銭を有していないことは彼らも当然と承知している。そして、この危険な森に棲む『怪物」がどれほど高価な素材であるのかも知っていれば、出てくる回答は誰でも同じであろう。


「先ほどの実働班を『探索者』の班として登録してはいかがかと。さすれば、身分証としてこの国に最低限の地位を確保できるだけでなく、『探索者』としてならば、素材の持ち込みや情報の伝達を怪しまれずに行うことができますし、さらにはある程度の情報を扱うことに不審さはありません」

「なんぞ、一挙三得、四得がごとき上手さだが、可能なのか?」


 思わず前のめりになる弦矢にミケランは「むしろやらずに何とする」と云わんばかりに大きく請け合う。


「考えてみれば、公都は“誘拐事件”の騒動で出入りの審査が厳しくなっていてもおかしくありません。近くの町で先に身分証を獲得しておくのは、むしろ当然の対策でしょう」


 切っ掛けは別の観点からであったが、なくてはならぬ問題対策を偶然にも見出せたのは暁光だとミケランは言い切る。


「ところで、姫のお味方になっていただけるような貴族とやらは如何なものか……?」

「はっきり云って、期待できません」


 気遣う感じで尋ねる無庵に、心配無用とかえって清々しいくらいにミケランはきっぱりと言い切った。


「確かにエルネ様は実子でありますが、第一公子というわけでもありません。しかるにルストラン殿下は聡明であるが上に判断力も確か、政治や軍事にも明るくその人柄を悪く言う者もおりません」


 歴代大公に女性がいなかったわけでもないが、群集心理あるいは生物的な本能かもしれないが、力強い男性を求めるところはあるということだ。

 特に利発であっても齢十二の娘と都市長として立派に務め上げる現役高官とでは比べること自体がおこがましい。

 それになにより、誰もが求める統率者像を遺憾なく体現できるのがルストラン殿下だとミケランは云う。“大陸西方の火薬庫”とまで呼ばれる難しい情勢下で、まだ実績もないエルネ姫に実権を持たせるよりは、このままルストラン殿下に統率させた方がよいと誰もが考えているということも率直に伝えてくれた。


「仮に味方になる者がいれば、情勢よりも“継承の正当性”という規律を重んじる頭の堅い貴族か、これを契機に陰の実権を握りたいと欲望を滾らせる野心家しかいない――ということか」


 無庵が「どこも同じだな」という風にゆるりと頭を振る。


「せめて、陛下がいかなる状況にあるかを突き止め、それが理不尽であるならば、殿下が意図的にそうしたという証拠を得ることで、この不利な状況を打破する可能性も出てくるかもしれませんが……」

「現状をうまくまとめ上げている功労者を、ただ糾弾しても誰も取り合わぬというのは確かに納得できる見立てだな」


 ミケランの悔しさをその表情に感じ取り、弦矢も無庵もその線・・・はないかと納得する。


「だが結局のところ、“姫の父君の状態”や“相手方の思惑”すら見えないと、我らの動きを悠長にしてよいのか悪いのかも分からぬ状態だ。まずは早急にこれらに関する情報を探らねば、何もできぬということか」

「一刻も早く」


 無庵も大きく頷き同意する。それは他二人も同じである。


「それでは話しをまとめさせていただきます」


 居住まいを正した無庵が皆に確認をとる。


 ひとつ、都に実働班を送り込むこと。

 ひとつ、都の近くに拠点を築くこと。

 ひとつ、軍資金の獲得に魔獣狩りを進めること。


 それら細部について煮詰めたところで、無庵は長かった会合の終了を宣言した。


「――以上で、此度の会合を終わらせていただきます。各々おのおの、与えられた役目をぬかりなく遂行していただきますよう、申し添えます」


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