第21話魔境に挑む少女

 森に入ってからたったの数日で、エルネ達は仲間を半数以上失っただけでなく、生命線でもある食料が底を尽き、最後に水を口にしたのも昨日のことであった。

 度重なる魔獣との戦闘で、大事な荷を失ったのが原因だが、そうせねばならぬ状況に追い詰められたことが何よりも問題であった。


 『ヴァル・バ・ドゥレの森』――“魔境”と忌み嫌われ、熟練の『探索者』でさえ奥に踏み入ること能わぬ“大陸で最も危険な土地”のひとつ。

 通常の森では考えられぬ魔獣との高い遭遇率――それも軍隊同等の戦力と云われる上級の魔獣やそれ以上に“対峙必死”の常外なる化け物までが巣くうとなれば、むしろこうして生存していること自体が奇蹟なのかもしれない。

 ならば、踏み込むだけで命が危ぶまれる森で数日を過ごしただけでなく、憑かれたように奥へ奥へと進む彼女らの無謀な行為の代償が今の現状であるのは当然であり必然であった。

 故に反省するならまだしも、後悔するなどお門違いも甚だしいと言えよう。


「やはり昨夜、戻るべきだったんだ……」


 痛めているのか、左肩を抑えながら呻く皮鎧を着た男に、同意の声は上がらなかったが、それでも内心誰もが同じ気持ちであったに違いない。いや。


「何を言ってるの? 魔獣が出ないなら、一気に奥へ踏み込む絶好の好機――実際、これまでになく進むことができたわ」


 当然のように反論するのは、メンバーの誰よりも背が低い女――エルネだ。被っていたローブを頭の後ろへ下げ、籠もった熱を払うように金色の髪をふるりと振り回す。

 まだ十代初めと見えるのに、ちらりと覗いたうなじの妙な色香に皮鎧の男が喉を鳴らし、すぐに視線を剥がして邪心を頭からふるい落としている。


「これまでより遭遇頻度エンカウントが減っているのは事実でしょうが、代わりに昨夜のような出来事が起こるなら、正直歓迎はできません」


 皮鎧の素行を鋭い視線で見つめる鎧騎士が重々しい口を開くと、エルネは苦い口調で同意した。


「確かに運がなかったわ……深緑の巨人フォレスト・ジャイアントに遭遇するどころか、悪意の大蜘蛛マリシャス・スパイダーとの乱闘に巻き込まれるなんてね」

「運がない? この森に挑んだ以上、すべては覚悟の範疇だろ。ここは何が起きても不思議じゃない魔境なんだ」


 これまでの鬱憤もあるのだろう。皮鎧が声を荒げるのを見事に無視して、鎧騎士が前を行くエルネに話しかける。


「エルネ様。食料だけでなく他の道具も荷ごと失ったことを考えれば、残念ながら体勢の立て直しを図るのも必要かと」

「ミケラン、貴方まで」

「無論、この奥に貴女が“希望”を抱くというのなら、私は最後までお供します。ですが、私にとっては貴女こそが“希望”であり、失うわけにはいかぬのです」


 鎧騎士の真剣な声音を背に受けてエルネは小さくため息をつき、「なら全霊で守りなさい」と退く意志がないことを示す。


「分かっているのでしょう? 供の者も少なくなった今、もう一度挑む余力など、私たちには残されていないのだと。今こそ、進む勇気が必要なの」


 振り向いた表情は明るいまま、だが声に哀しみを滲ませる視線は度重なる戦いで傷つきへこんで血と土で汚れた鎧へ向けられている。

 全身に治癒術では追いつけぬ数の傷が残り、気持ちだけで剣を振るっている鎧騎士の献身はエルネだけでなく誰もが認めている。ここに至るまでに散っていった彼の同胞達と同じように。

 そしてそれは、この場にいる者達も皆同じであった。忠誠以外の金や義侠心――それぞれ理由は違っていても。

 それでも命を賭していることに変わりなく、それらを承知した上で、なお、エルネの気持ちが揺らぐことはなかった。


「進むのよ――進んで、手に入れなければならないの」


 少女が碧い瞳に決意を燃やし、再び前を向くのと同時に、皮鎧の緊張を孕んだ警告が発せられた。


「待て――聞こえたか?」

「なに――ああ、確かに」


 続いて鎧騎士が頷き、他の同行者達も一様に賛意を示す。


 いつからだ?


 なぜ気づかなかったのかと思えるほど、カーンカーンと小気味よいとさえいえる打音が森の奥から響いてくる。


「何だ?」

「……どこかで……城でも耳にした覚えがあるような」


 鎧騎士の呟きに皮鎧が疑わしげな視線を向けるが、それ以上何かを思い出すこともなさそうだ。


「どうする?」

「行くに決まってるわ」


 エルネの声に力がこもり、前にいた先導者を追い越して勇ましく腕を振りながら奥へ向かって歩き出す。


「エルネ様!」

「って止めずにあんたもかよ……」


 すぐに追走する鎧騎士に嘆息を派手にこぼし、皮鎧も嫌そうに顔を歪めて追い始めるのだった。


         *****


 メキメキという何かが壊れる音と葉ずれの音が大きく響いたところで、「伐採だ」と気づいた誰かの声が上がる。


こんなところ・・・・・・キコリが?」

「それより“人”がいることに驚くべきだと思うがね」


 後ろから皮鎧のツッコミが入るものの、確信を込めて言い切るのはエルネだけであった。


彼ら・・に決まってるわ」

「“失われし秘術を継承する蛮族”……その噂は知ってるが、『探索者』である俺ですら信じちゃいない迷信だ」


 疑る皮鎧に「なら、お手柄ね」とエルネは皮肉で応じる。


「これで“噂の真相”をひとつ解明できたわ」

「それも情報を持って帰れるなら、慰めになるんだけどな」


 軽口をたたき合う二人に「水を差して申し訳ないが」これまで皆を先導していた剣士風の壮年が、エルネを追いかけながら口を挟む。


「木を倒すだけなら魔獣にもできよう」


 つまりは“人種”とさえ限らないと指摘され、エルネが「なら念じるだけよ」と苦し紛れな気持ちの切り替えを試みる。


小鬼コボルドの可能性もあるよな?」


 後ろからさらに茶々を入れてくる皮鎧に「いや、人の声だ」明確に鎧騎士が断言した。

 確かに、今や大きな掛け声や話し声も聞こえてくる距離となり、“様子を窺う”のか“思い切って飛び込んでみる”のか早急な判断を迫られるところまできていた。だが、エルネの気持ちは既に決まっていたらしい。


「こういう時は当たって砕ける・・・・・・・のよ」

「「ん?」」


 皆で異口同音に疑念を表明するものの、周囲の状況が明らかに変わってきたのに気づいて、さすがに会話の続行を申し合わせたかのごとく自重する。

 これまで、昼間でも自然の天蓋となって頭上に生い茂っていた枝葉の密度が薄くなり、同時に植生にも変化が表れて、心なしか前方が明るくなってきたのだ。

 見通しがよくなったことで、さほど距離を置かぬ位置に明らかな人影が視認できるようになり、当然のごとく、相手の方もエルネ達の接近に気づいたようだ。

 驚きや警告であろう叫び声が方々で上がり初め、こちらに背を向け走り出す者もいる。


「今さら“戻ろう”と云っても遅いよな?」

「当然」


 懇願がこもる皮鎧の問いかけをエルネが軽く一蹴する。さすがに事ここに至っては他の面子も覚悟を決めたらしい。

 両の足に力を込めて、エルネの脇を守るように鎧騎士と壮年剣士が左右に並び出る。退避を提言していたはずの皮鎧も、いつの間にか自慢の複合弓コンポジット・ボウを構え、いつでも援護できる体勢を整えていた。さすがに熟練の『探索者』だけあって、そのへんの呼吸は承知している。


「わくわくするわねっ」


 いよいよ樹林の途切れが目前に迫ってきて、胸躍らせるエルネに皮鎧があきれ顔を、鎧騎士は口元に苦笑を浮かべる。一人表情を変えぬ壮年剣士のどこか“一歩引いたスタンス”は今に始まったことではない。

 三人並んで樹林を抜け、遮る物のない陽射しの強さに思わず目を細める。

 そして、わずか三歩と歩かぬうちに三人はほぼ同時に足を止めていた。


「――これは、凄い」


 森を抜けて誰ともなく感嘆の声を上げたのは、切り拓かれた広大な空間に、見たこともない威容を誇る建築物がこつぜんと現れたからだ。

 周囲に水堀を巡らし、凝った屋根まで付けた塀に囲われた造りは明らかに防衛施設と思われ、エルネには一目でそれが“城砦”の類いであろうと理解できた。


「やはり例の蛮族でしたか。しかし、それにしてもこれは……」


 知見を持つが故に唸る鎧騎士を「これのどこが“蛮族”だね?」壮年剣士が疑念を示す。


「見たまえ。あの堀縁あたりの丁寧な処理、塀の構造と仕上がり具合、屋根の意匠などに至っては芸術的でさえある。

 私は築城技術や芸術について何を知っているわけでもないが、素人目にも、我々の技術との差が感じられないデキ・・だと思うが如何かな? ……まあ、人足の風体はどこも同じようだが」


 最後を周りへ流し目を送りながら告げたのは、呑気に建築を愛でているうちに、上半身裸の男達に周りを取り囲まれ始めていたからだ。

 汗で光る肉体は逞しく、手にする木くずが付いた斧を見るまでもなく、彼らが伐採の労役をしていたのは明らかで、決して蛮族が故の格好ではないはずだ。それでも緊張感を放ち、鋭い視線を向けてくる彼らの姿勢は、さすがに友好的とは言えないだろうが。

 瞬く間に、樹林に背を向けさせる形で包囲の半円を完成させる手際の良さは、彼らが組織的行動に馴れていることを窺わせる。

 やはり“蛮族”と称するのは危険な誤解であり、同時に知性の高さを窺わせるほどに、エルネ達にとってはコミュニケーションを図れる可能性が高まったことを示唆していた。

 当然、エルネは前向きポジティブに歓迎する。


「どなたか、話せる人はおりますか?」


 まずは言葉が通じるのか、エルネが代表して周囲へ高らかに問いかけるも反応はない。言葉が通じぬというよりは、エルネの放つ少女と思えぬ妙な色香に魅入られてしまったためと云う方が正しいようだ。

 少女と思えぬ豊かな曲線を、全員の喰い気味な視線がまるで豪雨のように集中しており、中には顔を赤らめ、あるいはヘンに息を荒げている数名がいるので見立てに間違いはないだろう。


「お下がりください」


 低い声で、エルネを守るように前へ進み出たのは鎧騎士。

 邪心を露わにする男達に、怒気を孕んだ凄みのある視線をゆるりと巡らし威嚇する。これまでに敵対する者を幾人も射竦いすくめてきた騎士の威嚇を。

 だが叩きつけられた殺気に、男達がとった反応は、予想を超えるものだった。怯むどころか鍬や斧、あるいは手近の枝を拾って抗戦の意志を示したのだ。あまつさえ、今まで見せなかった殺気を立ち上らせて。

 張り詰める殺意で、その場の気温が一気に下がるのを「お待ちなさいっ」少女の涼やかな声が打ち払う。

 これまで幾度も身を挺してくれた鎧騎士の頼もしき背中にエルネは願う。


「彼らを刺激しないで。ようやく見つけた蛮族――いえ異人達よ。見たでしょう、あのお城。これほどの技術を持っているならば、噂通りの“力”を持っているはず。私たちは何としても、彼らを味方に付けなければならないのよ」

「ですがエルネ様にあのような目・・・・・・を向けるなど」


 憤慨を噛みしめ、僅かの沈黙を破って、何を思ったか鎧騎士がおもむろに手近の樹木へ歩み寄る。

 少女の一声で殺意を弛めたものの、張り詰めた緊張感を維持する男達の注意を集める中、鎧騎士がすらりと抜剣して、ふた呼吸。

 剣を脇に構えた姿勢から気合い一閃――。


 鎧騎士を中心に、剣身より長めの直径で黄金に輝く軌跡が走りぬけ、誰もが宙に描かれる“三日月”をはっきりと目にした。


 剣技『孤月刃』――。

 古来より、闘争の神が産み出した術理は『剣技』のようなスキルという形で伝承されてきた。己の魔力を臍下丹田に注ぐことで一時的に神意と繋がり、後は型どおりに動くだけで対応する術理が発現される。

 神の術理を正確無比にトレースした軌道は、尋常ならざる威力や効果をこの世に顕現させる――吟遊詩人が語り庶民が喜ぶ“必殺技”の誕生だ。

 そして今回、鎧騎士が放った『剣技』の成果は、ひと抱えはありそうな大木の幹を真横に抉り飛ばす事象となって、異人達の度肝を抜いていた。


 一撃の下、ずうんと音を立てて倒れる樹木に初め絶句した後、すぐに周囲を大きくどよめかせた。今まで幾本もの樹木を汗水垂らして切り倒してきた彼らだからこそ、鎧騎士が見せつけた実力を感じぬはずがない。


 蛮族ごときの“失われし秘術”? それがどうした――


 愛剣を鞘に収める鎧騎士の表情には強烈な自負が浮かぶ。彼とてエルネの供となれるだけの腕に覚えがあり、さらに魔境を生き抜いてきた事実が、揺るがぬ自信を築き上げていた。それだけに、次のような出来事が起こるのは想定の埒外。


「やるじゃないか――あんた」


 ふいに掛けられた声に、今度は鎧騎士が目を細める。それは耳にした聞き覚えのない言葉・・・・・・・・・とは裏腹に、何を言っているのか理解できる怪事・・・・・・・に戸惑ったためだ。どうやら仲間達も同じであったらしい。


そういうのを・・・・・・見せられたら、黙っておれないね」


 内心混乱している鎧騎士達をよそに、切り株の目立つ荒れ地の端で寝転んでいたそいつ・・・が起き上がる。

 そこでようやく気づいたのは、初めて見る民族衣装越しに見事な曲線を描くその肢体とひきつれた・・・・・傷痕も生々しい片目を潰した美女であることだった。

 だが、周囲の男達がエルネに向ける熱い視線とは違い、美女に向ける視線には明らかな畏怖が込められている。それが証拠にわざと視線を合わせぬようにしている者もいた。


「――貴女は?」

紅葉もみじ


 さらに近づいてきて感じるのは、薄い笑みを浮かべる豊満な美女に情動を覚える何もないということだ。

 乱れた襟元から覗く豊かな胸の隆起に見事な腰のくびれ――雪のような白い肌は吸い付きたくなる魅惑を感じても良いはずなのに、男の股間を何ら刺激しないのはなぜなのか。

 新手の登場人物に誰もが沈黙を守る中、紅葉は鎧騎士から少し離れたところで立ち止まり、意味ありげな流し目を送ってくる。


「――見てな」


 そこで初めて鎧騎士は気がついた――彼女が背負った不釣り合いなほど長い刀身を。

 一見、無造作に肩幅立ちした姿に隙はなく、紅葉が紛れもない剣士であることに疑いはない。むしろ相応の実力者と鎧騎士は既に見抜いていた。


「これが抜刀隊『第五席次』の実力ってやつさ」


 云うなり腰を落とした時には、紅葉の手はいつの間にか、背の剣柄を握りしめていた。それへ鎧騎士が目を見張ったのも束の間、「ふんっ」と荒い鼻息を耳にしたときには、どうやって抜くのかと思われた長刀が大地にめり込んでいた。

 鞘から抜かれた艶やかな刀身を暖かい陽射しに晒して。

 ふわりと顔面を叩いた風が、凄まじい斬撃の余韻と気づいて鎧騎士の頬が微かに痙攣する。


「……馬鹿な」


 鎧騎士の呟きは、女の振るった斬撃が見えなかったこともさることながら、太刀筋に黄金の輝きを見ることもなく、純粋な斬撃のみで・・・・・・・・大木を斜めに切り捨てたのだと理解したからであった。


「互角ですね」


 驚愕に沈黙する鎧騎士の代わりに、両者の実力を評したのはエルネだった。


「そうか?」


 当然の疑念を示す紅葉にエルネは「そうです」と即答する。


「“同じ太さの樹木”を“互いに斬り捨てた”のですから。結果が同じであれば、互角とするのが正しき審査でしょう」

「なるほどね」


 意外にもあっさりと引き下がる紅葉は、意味深に鎧騎士を見てから何も言わずに背を向ける。逆に戸惑ったのはエルネの方だ。


「あの、私たちのことは……」

俺は・・単なる護衛だ。あんたらに害意がないのは見れば分かる――好きにしな」

「え?」


 あっさりと放り捨てられて固まるエルネ達には興味が失せたらしい。周囲の同胞達からも「それでは困る」的なことを云われ、懇願されながらも委細構わず元の寝床へさっさと歩き去る。

 あまりのつれない・・・・態度に途中からは言葉に詰まっていた男達も、ようやく諦めが付いて誰かを呼ぶことに決めたらしい。

 一人が城へと駆け出すのを見送る彼らに、エルネ達も戸惑いを浮かべながら、同様に待機することに決めた。いや、それしか選択肢がないのだ。


「……まあ、場が収まったから良かったのかしら」

「なし崩し的ではあるがね」


 皮鎧が引き攣った笑顔を作り、ぎこちない笑顔がパーティ中に伝播したのは致し方ないことであった。

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