第14話 物の怪VS.抜刀隊

 副長を後に残し、中央の蜘蛛へ迫った抜刀隊の隊員達に一切の不安はなかった。

 『一刀流』に『陰流』など――それぞれが天下に名だたる流派を修めた剣士であり、“据え物斬り”では刃こぼれさせることなく胴鎧を断つ技倆の持ち主だ、「物の怪何するものぞ」と戦意著しく血は滾っている。


「ぐぎゃぁぁあああ!!」 


 目前に迫った黒き巨影の向こう側で、蜘蛛の歩脚に胴を突き刺された侍の絶叫が響き渡った。

 悲壮な決意で真っ向正面から化け物蜘蛛と相対し囮の役目を果たし続ける夜廻り衆の姿に、「今行かん」と両眼を戦意で爛と光らせた隊員達が刀を振り上げ襲いかかる。


「きぃえええええぃ!!」


 ありったけの闘志をその一刀に込めるがごとく。


 蜘蛛の歩脚をひとりは左から――

 ――今ひとりは右から。


 渾身の斬撃が放たれて蜘蛛の歩脚をわら人形のようにぶった切る。


 一脚。


 二脚。


 次々と隊員達が蜘蛛の歩脚に襲いかかり、大樹にまさかりを振るう杣人そまひとのごとく、ばったばったとなぎ倒していく。

 勿論、気づいた蜘蛛もやられるばかりではない。

 しかし――


 “足槍”とも言うべき蜘蛛の攻撃を見事に躱し。


 やはり一太刀で蜘蛛の足を断ち切り。


 ついには横倒しになった本体へ一気に群がり、容赦のない斬撃を叩き込んだ。


「それ、今だ!」

「突っ込めぇ」


 ここが勝負所と見て取ったか、すかさず夜廻り衆も突撃して次々に手槍を突き込んでいく。数で勝る彼らが突撃を掛ければ、単純な戦力ならば抜刀隊をも越える。


「まだ動くぞ?!」

「なんて奴だ……」

「怯むなっ。押し黙るまで突きまくれっ」

「突け、突けぃ!」


「「「ぅおおおおお!」」」


 形容しがたい蜘蛛の体液を飛び散らせながら、皆で必死に得物を振るう。

 殊更、夜廻り衆の形相が凄まじい。

 先ほどまで、蜘蛛の“足槍”に突き殺され、あるいは鋏角きょうかくに貫かれ、蜘蛛の毒液で“消化されながら食われる”という怖気を振るう仲間の死に様を見せつけられていたのだ、例え気が触れてもおかしくはない。

 己の汗か蜘蛛の体液か分からぬほど全身を濡れそぼらせながら、侍達は無我夢中で身体を動かす。


 今すぐ殺さねば。

 この機会を逃さず確実に殺さねば、今度は己があの無残な死に様を迎えることに――。


 今や使命感よりも恐怖が先に立ち、勇猛であるはずの侍達を荒ぶる感情のままに突き動かす。

 ぐじ、ぐじゅと蜘蛛の胸部や腹部に槍が何度も突き刺さる音だけが辺りに響く。


「――――」


 鬼気迫る夜廻り衆の仕打ちに、さすがに手を止め無言で見守る抜刀隊の面々。その狂気じみた執拗さに思わず見入ってしまったがために、ふいに空から降ってきた“何か”に気づくのが遅れてしまう。だが――。


「――上だ」


 突然の警告にも関わらず、瞬時に反応した数名の隊員が腰を沈めて迎撃の態勢をとる。

 “気づけぬものに気づく”――そんな尋常ならざる芸当ができる者など隊において一人しかいない。

 抜刀隊第三席次――谷河原月齊やがわら げっさいの言葉だからこそ、隊員達は無条件で警告を信じ、咄嗟に身構えることができたのだ。


 “それ”は漁師が放つ投網を想起させた。

 

 ゆるやかに宙を舞い降りてくる白い投網を、宙にて斬り散らさんと隊員達はそれぞれが修めた剣術より“最適な斬撃”をわずかな時間で選択する。


 通常ならば、宙に泳ぐ何かを斬るのは不可能に近い。力を込めれば込めるほど“剣圧”に押されて刃を触れさせることさえできないからだ。

 文字通り空気を切り裂く速さの上に、刃筋を微も立てずに真っ直ぐ対象物へ疾らせる技倆が備わって初めて可能と為さしめる高度な業であった。

 しかしながら諏訪の抜刀隊においては、“木の葉斬り”は普段の鍛錬法として奨励されており、上達の度合いが分かるように段階分けもされている。

 即ち――。


 “一葉いちよう”は一閃で木の葉を二つにする様を云い、


 “二葉”で木の葉を四つにする様を云う。


 無論、“一葉”を為すだけで、流派の皆伝を得られる技倆があるのは間違いない。

 しかして、白い投網を迎え撃つのは“二葉”に達した凄腕の名手ばかりであった。


「――何?!」


 驚愕は、“二葉”を可能とする斬撃でさえ、白い投網を切り裂けずに刃を絡みとられた事実を目にした故だ。続けて、


「――おお?!」


 今度こそ、喉奥から放たれた絶叫のような驚き、あるいは歓声は、“三葉”に到達した剣士が見事投網を断ち切り、だが、切れ目を作っただけで頭から投網を被って動きを封じられてしまった光景を目にした故だ。

 あるいは副長が共に行動しておれば、明らかな失策と断じたかも知れない。

 己の剣力に対する圧倒的自負が判断を誤らせたか、唯一の正答が“回避”であると気づいた者はひとりもいなかった。


「うぁ?!」

「こ、この……」

「おい、身体が」


 身体に張り付いた“何か”に皆が気づいたときにはもはや手遅れ。

 蜘蛛に群がっていた者達を中心に、その場にいるほぼ全員が“それ”に絡め取られていた。


「こ、これはまさか……」


 手で払おうとすれば手に、槍や刀を動かせばそれら得物に“それ”が張り付き、どんどん身動きできなくなってくる。

 この粘つく網のようなものは――

 

「糸……蜘蛛の糸……?」


 答えが分かっても状況を変えるに至らず、攻撃に参加したほとんどの者はすでに囚われの身となっている。


「落ち着け、今すぐに――」

「よせっ」


 一転して窮地に陥り、仲間の惨状に慌てて無事だった数名が助けようと手を伸ばし、これもまた手に張り付き身動きとれなくなってしまう。

 まさに万事休す。


「なんて事だ――」

「おい、櫓の・・が来るぞ」


 折角、一体斃したものを。

 悔しさを滲ませる声を強い焦りを含んだ声が吹き飛ばす。


「おのれ、こんな時に――」

「いや、そもあやつの仕業では」


 助けに失敗した侍が、両手を蜘蛛糸に囚われた中腰の姿勢から、首を上向けて物見櫓より降りてくる蜘蛛を忌々しげに見守る。

 糸を吐いたのは間違いなくこの蜘蛛だ。“足槍”という思わぬ攻撃に意識が向き、むしろ一番警戒せねばならなかったはずの“蜘蛛の糸”を失念しているとは痛恨の極み。

 だが今は悔恨よりもこれから・・・・のことに意識を向けねばならぬのは言うまでもない。なぜなら糸を使い、獲物を捕獲した蜘蛛が何をしに降りてきたのかは自明の理だからだ。


「これは――いかんな」


 目前の避けられぬ未来を察して頭から血の気が一気に引き、冷や汗が顎先から滴り落ちる。

 逃げるに逃げれない。

 他の者達と違い、正面からしっかと蜘蛛が近づいてくるのを見れるだけに、感じる恐怖は生半なものではない。


「えい、くそっ……誰か」


 そろそろと動く蜘蛛の動きが焦らすように感じられて、焦りあるいは憤り、心中が荒れ狂って訳も分からなくなる。

 いっそ叫び出したいほどに。


「くそっ……くそっ……」

「おい、どうした? どうなってるんだ?!」

「きてるのか、なあ……きてるのか?」


 仲間の異常な焦燥を目にして、あるいは耳にして声をかけてくる者がいるが、侍は意識が蜘蛛に囚われて応じもしない。

 蜘蛛が地面に降り立った。


「…………きた」

「え?」

「ぅぅおおおおおっ」


 硬直する者。

 遮二無二暴れ出す者。

 だが何の打開策にもなりはしない。


「すまん」


 もはやこれまでか。今や足掻くことを諦め、何もできない自身の無力さに侍が思わず仲間へ陳謝する。と――


「「「すりゃあああ!!!」」」


 背後から一際大きな歓声が上がり、駆けてくる集団の足音がそれに続いた。


「待っておれっ」

「今行くぞ」


 無理矢理後ろへ首を回せば、赤々と松明を燃え上がらせ、梯子を抱えた集団が幾つもの班に分かれて吶喊してくるのが目に入った。

 先頭を走るは夜廻り衆頭の斉藤恒仁――頼もしき援軍の登場に侍の顔が喜色満面となる。


「おお、ここぞ。早う、早う来てくれっ!」


 前の蜘蛛と後ろの味方とを交互に見やりながら、侍は自由な両足をばたばたさせて、ひとり身もだえする。その脇を足を止めることなく味方の援軍が勢いよく走り抜けていった。

「早――?!」

 内心落胆するも、むしろ「致し方なし」とかぶりを振って気持ちを切り替える。そも救助にもたつく・・・・暇がないのは分かりきっていることではなかったか。

 むしろ先に一撃を与えて、戦いを有利に進めるべき。助けは隙ありし時でよい。


「そりゃああっ」

「喰らえ、化け物め――!」


 蜘蛛の歩脚や胸胴に次々と梯子がぶちかまされていき、器用に足を上げて躱されたものもあれば、見事に当たったものもある。


「火だ、火で牽制しろ」

「大きくても、虫は虫だ」

「逃がすな、回り込め」

 

 蜘蛛の動きを察知して、斉藤が的確に指示を飛ばす。

 通常のものを二、三本束にして火力を上げた特別な松明を掲げる侍が、右へ左へ展開し、巧みに蜘蛛の動きを封じ込める。

 ぎちぎちと蜘蛛の口腔が軋み音を鳴らすのは“苛立ち”の表れか。

 “足槍”を振るうも的を外し、明らかな動揺あるいは混乱が見て取れる。


「よし、いけるぞっ」

「押せっ。押して突き上げろっ」


 梯子隊の戦意は益々高揚し、疲労など吹き飛ばしたかのごとく果敢に駆け回り、蜘蛛は振り回されてさらに攻撃の精度が悪くなっていく。


「休むなっ。ここが踏ん張りどころぞ!」

「もうひと押しっ」


 息も絶え絶えになりながら、それでも目まぐるしく突撃と撤退を繰り返し、連続したぶちかましに蜘蛛が対処しきれなくなったところで、ついに勝負は決した。

 梯子の突撃で歩脚を何本か折られ、横倒しになったところへ夜廻り衆の手槍が投げつけられ、回避することもできずに瞬く間に槍衾へと変わり果てる。


「そいやっ」


 掛け声と共に蜘蛛へと躍りかかった斉藤の“木槌”が叩きつけられた。続けて相撲取りのような大男たちが駆け込んできて、通常よりひと回り大きい鉞を振り回す。


 ぎちぎちぎち


 不気味な歯ぎしりが夜気に響いて、そのままゆるやかに蜘蛛の足が折り畳まれ縮こまっていく。


「――ったか?」


 汗みずくになりながら、誰にともなく呟く斉藤は不安げに男達を見回した。

 裸の上半身を粘液塗れにしながら、大男達が「さすがに事切れておりやしょう」と足下のぐちゃぐちゃになったもはやただの“物体”と化した蜘蛛を見やる。


「他にいないか?」

「恐らく……」


 応じたのは、蜘蛛の糸で一網打尽にされた仲間を救わんと孤軍奮闘している侍だった。


「我らが……見たのは、四体のみで」


 うんせ、うんせと蜘蛛糸に刃物を当てこすり、これでは切れぬと、今度は火で炙りはじめている。


「斉藤様。あちらで一人、戦っておりますが……」

「いらん」


 傍に居た侍の一人が、救援すべしと城壁近くを目顔で差すのに、斉藤はにべもなく却下する。


「それより、他にもいると厄介だ。至急、隊を編成し、城の周りを見て回るのじゃ。物見にも人を上げよ」

「――はっ」


 即座に隊編成に走った侍を見送ることなく、斉藤はちらと城壁に視線をやる。


「助成無用――そうであろう、『言無し』よ?」


 化け物蜘蛛が相手というに、とんでもない台詞を呟く斉藤の口ぶりに他意は感じられず、目には何かを確信した者の色合いが満ちている。

 それが“信頼”の二字からきていると知る者はこの場にいない。


「――よいのか?」


 少しして、傍らに立った侍衆に気づいて斉藤が救援を示唆すると、「たった今、我らの援護つとめは果たしました故」と短い答えが返ってくる。

 それは副長が隊員達を援護していたのではなく、むしろ副長が戦いに集中できるように自分たちが援護していたと告げているのか。


「もっと自由にすればよいのです」

「確かに。本来、隊長に互する遣い手なれば」

「まあ――真面目すぎるのですよ、あの方は」


 誰一人、己が副長の心配をする者はいない。それどころか、副長の胸中を察していたかのような発言が隊員達から漏れてくる。


「見ろ。実に伸び伸びと剣を振るう」

「おぅ……凄まじいばかりの剣の冴えよ」


 城壁の方で繰り広げられている戦いを見やりながら、羨望の眼差しすら向ける隊員達に、斉藤もふんと鼻を鳴らした。


「ならば見せてもらおうか……お主らほどの者達が信ずるあの男の力とやらを」

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