第25話:心の準備ってものがあるでしょっ!


 現実とはあまりにも無慈悲なものである。


「……分かってるわよね、負け犬さん?」

「ぐっ……油断した、油断した、油断した」


 勝負の結果、修斗は2点差で負けた。

 僅差での敗北ほど悔しいものはない。

 国語の評価が地味に響いて、最後の最後に追いつけなかった。


「危なかったけどね、これも勝負だから。僅差でも勝ちは勝ち」

「うぅ、負けた……」


 文句を言いたくても言えない。

 負けは負けだ、修斗は優雨に負けた。


「……約束は分かってるわよね」

「仕方ない、敗者は無条件に約束を果たすのみ」

「くすっ。頑張って夏休みの前半は働きなさい。私のために」


 魔性の女が微笑みを浮かべる。


――くっ、負けた悔しさと優雨に上から目線で見下される屈辱が辛い。


 敗北感と屈辱感を味わいながら、勝負はついたのだった。


「でも、高校に入ってからちゃんと成績もあがっていたじゃない。私と接戦とは意外だったわ。テストの成績、そんなによかったっけ?」

「そこそこ頑張っただけだ。はぁ、昔は俺の方が成績がよかったんだけどな」

「そんな何年も昔の過去にこだわっているようじゃダメねぇ。現実をみなさい」


 昔は修斗の方が圧倒的に成績はよく、優雨には連勝していた。

 負け続けたことに悔しさを感じた優雨も本気を出す。

 成績は見違えるほどに上昇、あっさりと修斗は成績で抜かれる事になる。


「私が本気を出せばこんなものよ、修斗」

「負けた俺には何も言えない。お前が勝者だ。素直に称えよう」

「水着は私の方で購入しておくわ。請求書はそちらに回すからねぇ?」

「……お、おのれ~っ! 安いやつでもいいんですよ?」

「そんなの嫌に決まってるじゃん。思いっきり高いのにするわ」


 まさに負け犬の遠吠え、真剣勝負に負けた修斗が悪いのだ。

 にっこりと笑顔を見せる彼女に何も言えない。


「それと、夏休み中に海に行く予定も立てておきなさい」

「……分かりました」

「どうせなら、一泊旅行もありかも? うふふ」

「あ、あはは……はぁ、はい。分かりましたよ。考えておきます」


 もう笑うしかない。


――ダメだ、負けた俺が悪い……約束を反故にはできない。


 なぜならば、昔の約束を優雨は律儀に守っているからだ。

 出会った当初、優雨は修斗を“シュート”と呼んでいた。

 それを“修斗”と呼ぶようにさせたのが、成績表対決だったのだ。

 今は時々冗談で破るが、基本的には修斗と優雨は呼んでいる。

 

――ここで約束を破り、今さらシュートと呼ばれ続けるのは避けたい。


 自分たちにとって意味のある対決なのだ。

 ちょっと凹んだ気分になるが、勝負は勝負と気持ちを切り替える。


「夜くらいは遊びに行くわ。恋人同士、仲良くしましょうね?」

「……疲れてると思うので放っておいて欲しいのですが」

「私から主導権を奪えなかった男の言うことなど聞くとでも?」

「ですよねぇ!」


 そういう意味でも、勝負に負けたのは痛い。

 そんなやり取りをしつつも、優雨はご満悦の様子で、


「……アンタが私に逆らうなんて無理なんだから諦めなさい」


 甘えるように修斗の手を握る。

 付き合い始めてから、やたらと彼女は彼に触れたがる。

 それが照れくさくてしょうがない。

 

「ねぇねぇ、優雨ちゃんと修斗君って付き合い始めたの?」


 クラスメイトのひとりが“恋人”というワードが気になり声をかけてきた。

 そもそも、いつもと違う雰囲気なので気づかれないわけもない。


「なぬ!? こいつら、ついに付き合い始めただと?」

「ふたりがイチャラブな関係に? 夏休み直前で!?」

「男子うるさい。でも、気になる。どうなの、伊瀬さん?」


 女子達に取り囲まれて優雨を問い詰める。

 この状況に「えっと」と彼女は困惑気味になりながら、


「昨日、修斗に告白されたのよ。だから付き合い始めました」

「きゃーっ。ホントに? やるじゃん、修斗君」


――しつこいくらいに告白はしとらんよ? むしろ、急かされたのよ。


 真実を告げる気はないが、よくも捻じ曲げてくれるとは思う。

 それも優雨らしい。


「いつのまに? ねぇ、いつ、告られたの?」

「やっぱり、喧嘩した後に仲直りした勢いで?」

「あ、あんまり追求しないで。なるべくしてなっただけだし」

「詳しく教えてよ。夏の最後に大ニュースじゃない」

「え、えっと……あれは昨日の放課後のことなんだけど」


 人の噂が大好きな女子パワーに押され気味の優雨である。

 仕方なく彼女たちにネタを提供する羽目に。


「おいおい、ホントかよ? お前ら、くっついたのか?」

「ノーコメントで」

「正直に話せよ。ていうか、見てれば分かるじゃん?」


 友人たちの生温かい視線は修斗達の握り合っている手に向けられる。

 見られても互いに離そうとしない、つまりそういうことだった。


「ようやく進展かよ。羨ましい。遅すぎるともいえるが」

「うっせ。あんまりからかうなよ。いろいろとあったんだ」

「でも、意外かも? 優雨ちゃん、おめでとー。初彼氏だね」

「うん。まぁ、何て言うか、こういう関係になっちゃったから」


 優雨も自分から交際宣言するとは思わなかったんだろう。

 クラスメイト達にからかわれて、修斗の横で顔を赤らめている。

 男子たちはなぜかニヤニヤしながらあることを告げる。

 

「そういや、修斗。お前、俺達に夏休み前に約束してたよな」

「……約束?」

「おいおい、忘れたのか?」

「伊瀬さんと付き合う事なんてあったら皆の前でキスしてやるって宣言してたろ」


 彼らに言われて修斗は思い出していた。


『もしも、夏休み明けに優雨とどうにかなってたら、その時はクラスの皆の前でキスでもしてみせるよ。それくらいありえないってことなんだ』


 過去の修斗は何も考えずに軽率な発言を言っちゃってたのである。


「あっ、いや、あれは……冗談の類だ、分かるだろ?」

「冗談だとしても、約束は約束だぞ?」

「ほら、どうした? 男の約束は破っちゃいかんよ。男を見せてくれ」


 友人たちにそそのかされて、修斗は動揺するしかできない。

 なぜなら、修斗達はまだ初キスをしていないのだ。


――キスというキスは一度だけ。アレも唇ではなかったし。


 つまり、お互いにファーストキスはまだない。

 ベタベタとお互いの身体を触れたり、抱きしめあっても、その一線は超えてない。

 ノリでするべきことではない。

 ……のだが、男子生徒たちから煽られて引くひけなくなっていた。


――考え方によっては優雨に一矢報いれるのか?

 

 散々な目にあい、イニシアチブをとれずに来た。

 ここでちょっとは主導権を握りたいとも思える。


「……なぁ、優雨」

「何よ?」


 修斗の隣で優雨が不思議そうな顔をして振り向いた。

 その瞬間に修斗は彼女の唇に自分の唇を重ねていた。


「んぅっ!?」


 ふいをついた行為に彼女は驚きの声をあげる。


「しゅう、と……ぁっ!?」


 濡れて艶っぽい唇。

 思っていた以上に甘く、ただひたすらに甘い行為を続ける。

 初めてのキスをしてしまった。


「……やっちゃった」


 その突然の行為に事情を知らない女子たちが騒ぐ。


「きゃー。い、いきなり? いきなりチュー?」

「うわぁ、やってくれたよ。このカップルは……生チューだ」

「優雨さん、顔が真っ赤だよ。人前でキスはさすがにねぇ」


 当の本人はすっかりとのぼせあがったように頬を赤く染めて。


「な、何してるのよ!? 修斗のバカ!」

「ぐ、ぐでぇ。た、叩くな」

「ひ、人前でキスなんてバカじゃない。ファーストキスなのに」

「皆との約束でして。すみません」

「心の準備ってものがあるでしょっ!」


 修斗だって心臓の鼓動が高鳴りすぎて倒れそうだ。

 まさか、本当にするとは、と友人たちは驚いてみせる。


「ホントにやりおるとは……リア充め」

「彼女のいる夏、素敵で羨ましいぞ、こら」

「あーあ、何か修斗でも彼女がいるのが解せぬ。俺も誰か相手いないかな?」

「ここにいる女子で誰か声でもかけてみるとか」

「意外と何かが始まったりするかもよ」


 修斗達のキス騒動で盛り上がる教室。

 不満げに優雨は修斗に文句を言う。


「人様のファーストキスを勝手に奪うなんて」

「俺だってファーストキスだからおあいこだな」

「違ったらすり潰してるわよ。まったく。で、感想は?」


 優雨に感想を問われた修斗は先ほどの行為を思い出しながら、


「ものすごく甘ったるい」


 唇を触れさせることで、こんな気持ちを抱くとは……。


「私も思う。なんていうか、こういうのって経験したことなかったし」

「これもきっかけって奴だろ。いつかする予定ではあったわけで」

「……ちなみに、皆とどんな約束だったのか、あとで聞かせてもらうわ」

「あとが物凄く怖いんですけど……照れくさがってるだけと思いたい」

「ふんっ」


 周囲にからかわれつつも、優雨の身体を抱き寄せた。

 今年の夏はどんな夏にしてやろうか、すごく楽しみだった――。


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