第4シリーズ:恋する猫はご機嫌ななめ

プロローグ:互いに寂しい青春時代だな



「いってきます」


 いつものように修斗は学校に行くためにマンションの部屋を出る。

 月城修斗(つきしろ しゅうと)は高校一年生である。

 夏休みも間近で学校に通うのも今週で終わりだ。

 そして、期待と希望に満ちた夏休みの始まり。

 マンションから外に出ると、眩しい朝日に照らされる。


「もう夏だよな。楽しい夏休みもすぐだぜ」


 お日様の光を浴びながら自転車に乗ろうとした。

 その時である。


「おはよー!」

「ぐわぁ!?」


 元気のいい声と共に修斗の背中に衝撃が走る。

 いきなり修斗を蹴飛ばすような人間を修斗はひとりしかしらない。


「優雨!」


 抗議の声と共に振り返ると制服姿の女が突っ立っていた。


「あら、朝から修斗をシュートしただけじゃない?」

「名前ネタでからかうなと何度言えば分かる。シュートじゃない、修斗だ」


 人を足蹴りして謝罪の一つもしない。

 少女の名前は伊瀬優雨(いせ ゆう)。

 

――何が優しい雨だ、優しさの欠片もない名前に似合わない気の強い女のくせに。


 見た目は美少女と呼べる綺麗な恰好はしている。

 茶髪に染めた長い髪に、猫のような瞳。

 見た目に騙されて、学校ではそこそこ人気の女だと言うから世の中不思議だ。

 

――綺麗なだけで、中身が乱暴なので、もしも今後、付き合う奴は大変だろう。


 他人事のようにそう心の中で呟く。

 

「はぁ。毎度のことながらやりやがって。地味に痛いからやめてくれ」

「なに? 抱きついてほしかった?」

「蹴られるよりはマシだな」

「ふーん。抱きついてあげてもいいわよ? 一回抱きつく度に1000円ちょうだい」

「金をとるのかよ。しかも微妙な値段設定」

「当然じゃない。私のようにスタイルもいい女子に抱きつかれるのって幸せなことだもの。お金を払ってでも抱きつかれたい子はたくさんいるはずよ」


 優雨のスタイルの良さは確かに認めざるを得ない。

 去年から急激に胸周りが成長して、今ではその膨らみについ目が行ってしまう。


――ダイレクトアタックされたら困るな。女子の成長期はあなどりがたし。


 悲しいかな、自分も男のなのだと再認識させられることもしばしば。

 優雨相手に女子を感じる自分が情けなくなる。


「お前、ここに引っ越してきて何年目だっけ」

「私が中学の時だからもう4年目に突入するわよ」

「4年か。長いようで短いような」

「私たちの付き合いも4年目じゃん。何を今さら。ほら、行くわよ」


 優雨が修斗の住むマンションに引っ越してきたのが4年前の春だった。

 

――優雨が中学に入学するのを機に引っ越してきたんだっけ。


 同じ階で同級生の修斗と仲良くなって。

 気が付けば4年の月日が流れている。


――こういうのも腐れ縁っていうのかね?


 当初こそ、魅惑の女子にときめきを感じたが、今や兄妹同然。

 自然と近くにいるのが当たり前のような存在だ。


「ほら、遅刻しちゃうでしょ。私を後ろに乗せる」

「さも当然のように言うし」

「毎朝のことじゃない。さっさと走りなさい。遅れるわよ」


 自転車通学の距離にありがながら優雨はほぼ毎日、修斗の自転車の後ろに乗る。

 おまわりさんに気をつけながらの二人乗り。

 単純に自転車をこぐのが面倒だと言う理由らしい。

 優雨は慣れたように自転車の後ろに乗る。

 仕方ないとばかりに修斗は自転車をこぎ始めた。


「もうすぐ夏休みよね。今年の夏は何かするの?」

「短期のアルバイト。そのお金で……」

「私のために新しい水着を買ってくれる、と」

「そんなわけない!」


 後ろで修斗の背中をたたきながら「いいじゃん、それぐらい」と文句を言う。

 

――優雨の我がままには付き合いきれん。


 隙あらば修斗のお財布を狙っているのだ。


「そのお金で俺はいい男になるのさ」

「ん、無理じゃん?」

「速攻で否定しやがった!? 振り落としてやろうか」

「やれるものならやってごらん。その時にはアンタも巻き添えですよ」


 人通りの多い駅前を迂回する道にハンドルをきりながら自転車をこぐ。

 少し遠回りになるものの、人が少ない分、この道の方が時間的には学校には近い。

 

「言葉が足りなかった。そのお金で髪型を変え、カッコいい服を買い……」

「それでも、む・り!」

「だから、あっさり否定するなよ」

「無理なのは無理。カッコ良くなるなんて夢物語よ。平凡男子の癖に夢見るな」


 返す言葉もないほどに、好き放題で言われたい放題である。


「そもそも、修斗がそんな無駄なことしても意味ないって」

「そんな事をしなくてもカッコいいからか?」

「……」

「無視するなよ、お願いだからせめて反応をしてくれ」


 修斗は背後につかまる少女に屈辱感を味あわされていた。


「そんな無駄な事に使うなら、夏休みに私と一緒に遊びに行く事に使いなさい」

「それこそ無意味だろ?」

「無意味ではないでしょう。楽しい夏を一緒に過ごしてあげるのに」

「お前とかよ。……はぁ、今年の夏こそ可愛い恋人が欲しい」

「それこそ、無理。修斗に恋愛ができるわけないでしょ」

「うぅ、否定できない自分が寂しくも悲しい」


 現在のところ、希望できるような女子との縁は優雨以外にない。

 

「結局、お前と夏休みを過ごすいつもの夏になりそうだな」

「付き合ってあげる私に感謝してよね」


 修斗は信号で止まると、ふと思った事を優雨に告げる。


「優雨、お前こそ彼氏とかできないのか? 告白もたまにされてるんだろ?」

「少女漫画に出てくるような素敵なイケメンに告白されたら考えるけど、平凡以下の男子にいくら告白されても無駄だもの。あー、イケメンに告られたいわ」

「ひでぇ、言い方だな」

「うっさい。別に、恋愛なんてどーでもいいじゃない」


 そんな風に投げやりに呟いた優雨。

 修斗と違い、相手に不自由しないように見える優雨は恋人を作らない。


『好きな奴でもいるのか?』


 前にその質問をした時にえらい不機嫌になったのでその話題は禁句だ。

 恋愛絡みと縁のない人生を修斗達は送っている。

 

「互いに寂しい青春時代だな」

「……修斗と一緒にしないで。信号、青だよ。さっさと学校に向かいなさい」

「お前は楽だからいいけどな、2人乗りって大変なんだぞ」


 幸いにもうちの学校までの間には坂という坂がないのがせめてもの救いだ。

 再び自転車をこぐ修斗の視界に神社が見えた。

 そこの先を曲がればあとは200メートルくらいで学校に到着する。

 神社の周囲にある森からはセミの鳴き声が響く。


「うるさいセミも鳴き出したわね」

「夏の暑さだけは勘弁してもらいたい」

「部屋にクーラーがあるからいいじゃない。私の部屋は扇風機オンリーよ」

「羽なしの最新型じゃん。あれはあれでよさそうなのだが」


 夏の暑さと湿気には毎年のように苦労させられる。


「……修斗、夏休みの予定はあけておきなさいよ。海と花火大会は行きたいわね」

「言っておくが前半はバイトがあるからな」

「私のために働いてくれるなんてありがとう♪」

「笑顔で言い切るな、お前のためだって言ってない」


 小さく嘆息しつつ、彼は思うのだ。


――どうせ、大半はこいつとの遊びに使われるんだろうけどな。

 

 この4年間で二人の関係の主導権をすっかりと相手に握られている。


「今年は水着を買い替えなくちゃ。どうしてか分かる?」

「……俺の口から言わそうとするな」

「うふふ。どうしてかしらねぇ?」


 挑発的に言われなくても、時々背中に当たる感触で理解している。


――女の成長はなめちゃいかんぜ。1年でもすげぇ成長っぷりだ。

 

 子供から大人になる、体の成長っぷりには驚かされる。


「はいはい。そろそろ学校だぞ。降りろ」

「まったく、修斗の分際で偉そうに」

「ここまで乗せてやってるんだ。何で上から目線なんだよ、お前は」


 この優雨という女の子に致命的に欠けているのは可愛げだろう。

 もしも“可愛げ”と“素直さ”と“純真さ”を持ちわせていたら、修斗は間違いなく惚れていたかもしれないが、そんな幻想はありえないので惚れることはない。

 それが修斗が優雨に抱いてる印象だった。


「面倒なテストも終わって、テストが帰ってくるだけの授業ならもう夏休みにしてくれればいいのにね。まったく、時間の無駄だわ」

「それを言うな。大半の生徒は思ってるだろうが。テスト返却も一部生徒には地獄なんだよ。数学のテストは自信があるが、国語系はマジで返ってきて欲しくない」

「……赤点とったら補習だっけ? 残念ね」

「決めつけるな。そこまでは悪くないっての。優雨も似たようなものだろうが」


 人にそこまで言えるほど優雨も頭が特別にいいわけではない。

 修斗と同様に成績は中の上くらいだ。


「……」

「どうしたの、いきなり黙り込んで」

「なんだかんだで4年間、いろいろとありましたなぁ、と」


 気が付けば4年の付き合いだ。


「日数にすれば1400日以上。それだけずっと一緒にいれば、いろいろとあるじゃない。親しくなって当然だし、何か問題でも?」

「……親しくねぇ?」

「何よ。アンタにおっぱいを揉まれた経験くらいはありますよ?」

「はぁ!?」


 思わぬ爆弾発言に修斗は反論する。


「そんな体験したことねぇし」

「あったじゃん。中学1年くらいの冬に、階段でこけかけたアンタが私の胸を揉みしだいてくれました。やだやだ、変態め」

「あー、あの鎖骨か何かにぶつかったやつ。固くて痛かった」

「……」


 問答無用で、背後から思いっきりつねられた。


「ぎゃーっ」

「失礼な。ちゃんと膨らみくらいあったわ。思いっきり鷲掴みして、そのセリフ? ふふふ、どうしてくれようかしら」

「い、いや、どうだろうか。あの頃はぺったんこでし……たぁ!?」

「ふんっ。乙女の胸を揉んでおいて、よく言う」

「暴力に訴えるのはなしにしろ。ハンドル操作を間違えて、どこかに突っ込む」


 二人乗り自転車のデメリット、事故の場合はご一緒に。

 膨れっ面の優雨は「最低だね」と攻撃を続ける。


「……何かムカつく」

「俺も美味しい体験をした覚えがないので、何とも言えねぇ」

「そう。なら、これならどうかしら」


 優雨は修斗にしがみついて、密着してくる。

 もにゅっとした、否応なしに背中に膨らみを感じざるを得ない。


――な、なぁ!? 優雨さん、何をしてくれてます!?


 動揺する修斗に「変態め」と彼女は笑う。

 わざとらしく抱きついて、彼を興奮させようとする。

 罠に引っかかる自分が情けなくなる。


「ちゃんと成長してるでしょ」

「し、してますね」

「4年も経ってるんだもの。当然だわ」


 お互いの成長を間近で感じ続けてきた。

 いろんな変化に気づいている。

 優雨からすれば、修斗はずいぶんと身長が伸びて、自分と差が開いた。

 こうして、いつものように背中を眺めているからよく分かる。


「……変わらないと思っても、人は変わっていくのね」


 複雑な心境になりながら優雨はそう呟くのだった。

 そうこうしてるうちに、なんとか、無事に自転車置き場にたどりつく。


――ある意味、ドキドキ感で死にそうだった。


 朝からぐったりと精神的に疲れ切った修斗である。

 自転車を止めて、修斗達は教室につくと、それぞれの席に座る。

 隣の席に座る友人が修斗に言った。


「おはよう。いつもながら、伊瀬さんと一緒で楽しそうだよな?」


 友人に言われて修斗は「そんなことねーよ」と愚痴る。


「なにが不満だよ。あれだけ美人な彼女がいてさ」

「彼女じゃない」

「同棲してるんだろ」

「違うわ! 同じマンションの同じ階に住んでるってだけだっての」


 この手の勘違いをされることは多々あり、修斗は友人に言ってやる。


「少なくとも俺はアイツに恋愛感情を抱いてない」

「素直じゃないやつ」

「だからさぁ、そういうんじゃないの」

「他人からみれば、きっかけひとつでどうこうなりそうに見えるが? 夏休みも近いんだし、何か変わったりするかもよ?」

「ないね。ありえない。優雨相手だぞ?」


 ちらりと視線を優雨の方へとむける。

 離れた席で友人たちに囲まれて楽しそうにおしゃべりする姿。

 

「美人なのは認めるけど、あの猫系女子まるだしの性格に振り回されてどれだけ苦労したことか。この4年間、俺はどんな思いをしてきたと思う」

「世の中、女子の縁もなくて寂しい人生を送るのも珍しくないってのに贅沢言いすぎ」

「……とにかく、俺とアイツの間には何もないよ。もしも、恋人にでもなれたら驚きだ。俺にその気はないし、向こうにもない」


 男と女の子だからきっかけひとつで変わることはあるかもしれない。

 だが、そのきっかけが来ず終わる可能性の方がきっと高い。 


「もしも、夏休み明けに優雨とどうにかなってたら、その時はクラスの皆の前でキスでもしてみせるよ。それくらいありえないってことなんだ」

「言ったな。約束だぜ、修斗」

「へいへい。それよりも現実問題、アイツ以外の女子で誰かいい子がいないかねぇ。俺の人生、もう少しばかり女子運がよければいいのに」


 何となしに見ていた優雨が気づき、視線が交錯すると彼女は微笑みを返す。


「あら、私の方ばかり見つめてくれちゃって。熱い視線を感じるわ」

「感じるな。何も向けてねぇよ」

「あら、そう? 私に惚れないで?」

「だから、熱視線なんて向けてるか! 勘違いするな」


 上から目線でからかわれてしまう。

 クラスメイト達がいつものふたりのやりとりに笑う。

 いつものふたり。

 今年の夏も二人の関係は何も変わらないんだと思っていた――。

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る