第4話:想いを踏みにじる

 

 それは放課後になってのことだった。

 学校にいる間、常に千秋が傍にいると言うわけではない。

 一緒にいる事が多いのは朝だけだ。

 放課後は千秋にとって、自分の時間。

 幼馴染と一緒にいる時間ではなく恋人と共に過ごす時間だ。


「千秋君、彼女の所へ行っちゃったの?」

「そうらしい。足早に出て行ったよ」

「それじゃ、私と帰りに寄り道しない? カラオケとかどう?」


 彩華から遊びに誘われるが優那は丁重に断る。


「ごめん。今日はお姉ちゃん達と食事の約束があるんだ」

「優那ちゃんって、お姉ちゃんとは仲がいいんだよね」

「……姉は憧れで、大好きな人だから」


 姉夫婦とは今も良い関係を続けている。

 しかし、逆に両親とは親子関係と言う意味ではよろしくない。

 正確に言えば、双海家の家族関係は崩壊している。

 ある日を境に、家族はバラバラになってしまった。

 一度入った大きな亀裂はどうしようもなく、改善の兆しすら見せていない。


「そうだ。彩華に最近、気になる相手ができたって話を聞いたぞ」

「へ? あ、別に。そんな相手じゃないですよ?」


 明らかに誤魔化そうとする。

 クラスメイトからの話で彩華に恋人候補が現れたらしい。

 見た目も可愛らしく女の子としては彼女にしたい子も多いだろう。

 男子受けする容姿から彼氏がいないことがおかしい。


「人にあれこれと言う前に自分の恋愛を大切にしなさい」

「分かってる。彼氏作りたいから頑張ります」

「ちなみに彼氏ができたらちゃんと紹介してくれ。私が見極めてやる」

「あははっ。優奈ちゃんチェックは厳しそう。うん、その時にはね」


 何も考えず素直に恋ができる彼女をどこか羨む。

 

――恋愛できることを羨ましいと思う気持ちが、まだ心のどこかにあるのか。


 優那がこういう話をする時は気持ちがざわめく感じがする。

 過去の自分が失った何か。

 それを取りもどそうと、もがくように。


「――双海優那さんはまだ教室にいますか?」


 教室に入ってきたのは後輩の女子だった。


「確かあの子は千秋の恋人か」

「……うん、朝の子だよね? 優那ちゃんをご指名だよ?」

「対応が面倒なので、いないと言ってください」

「ダメでしょ!?」


 周囲の視線が否応なく自分に向けられて逃げられなかった。

 仕方なく彼女は自ら名乗り出る。


「私が双海優那だ。キミは?」

「千秋先輩と交際している桜岡愛紗美|(さくらおか あさみ)です。先輩、少し話したい事があるんですけどいいですか? 大事な話がしたいんです」


――またか。この手のパターンはもう飽きたぞ、千秋。


 優那は彼女が何を話したいのかを理解して頷いた。

 

――千秋と一緒に帰ったと思ってたのにな。アイツはどこで何をしてる?


 内心、ため息をつきたくなるのを我慢して、


「こちらにも用事がある。手短にお願いするよ。場所を移動しよう」

「……はい。屋上でも?」

「かまわないよ。暑い日に呼び出されたら断るけど」


 二人そろって教室を出ようとする。

 その背後でひとり彩華が慌てふためき困惑していた。


「あ、あわわ。修羅場じゃん? 千秋君、どこに行っちゃったのよ~!?」


――心配するな、慣れてるから。


 冷静な反応する優那だった。

 こういう状況になるのはこれが初めてはではないのだ。





 梅雨明けの空の下はまだ涼しい風が吹いている。

 これが夏に入ると優那が苦手な蒸し暑さも一緒に連れてくるから困る。

 優那の前に立つ後輩はむすっとした表情を崩さずにいる。


「それで話と言うのは?」

「……双海先輩は千秋先輩の幼馴染ですよね?」

「あぁ。腐れ縁の関係を続けているよ。それが何か?」


――彼女の次の台詞を予想してみせようか?


 それは何度も自分にぶつけられた言葉。


――千秋にこれ以上、近づかないでくれ。


「双海先輩。これ以上、千秋先輩に近づかないでくれませんか?」


 予想通りの答えがきた。

 優那は「やっぱりな」と短く答えると、

 

「幼馴染だからって、ベタベタと仲良くするなって?」

「え?」

「言われ慣れてるよ。アイツの前の彼女にも、前の前の彼女にもね」


 こうして呼び出されたのは何度目だったか。

 千秋が恋人と破局寸前にはお馴染みの光景ともいえる。

 亜沙美は不満そうな顔で優那に言葉をぶつけてくる。

 

「話が分かってるのなら早いです。今日の朝もそうです。私、一緒に学校に行こうって誘ったのに断られて。千秋先輩はいつだって幼馴染の女の子を優先するんです」

「私が頼んでるわけじゃない」

「だとしても、交際しているのを知っていれば多少は身を引いてもいいんじゃ?」

「それは私の問題ではないな。キミとアイツの関係に、他人である私がどう関係あると? それはふたりの問題だろ?」


 優那の言葉にはトゲがある。

 どうしてだろうか、無意識にそんな言葉が飛び出す。

 

「……くっ。そこまで言うなら、千秋先輩の事が好きなんですか?」

「どうして、そう思う? 私達は幼馴染。恋愛関係ではない」

「他の人から聞いたことがあるんですよ。双海先輩は千秋先輩に告白されたことがあるって話じゃないですか。本当なんですか」

「何度も告白されている。だが、私は彼の恋人になるつもりはない」

「それなら、曖昧な態度で先輩の気を止めようとしないで欲しい。はっきりと言わせてもらうなら、先輩はずるいです」


――ずるい、か。

 

 彼女は自分に向けられた敵意に肩をすくめる。


――何で初対面の後輩にそんな台詞を言われてるんだろうね。


 毎回思うのだが、優那に対して不満をぶつけて問題が解決するわけではないのに。

 彼女たちは、その想いを本人にはぶつけられない。


「そんな曖昧な態度で先輩の気を引き続けてる。本当に好意がないのなら、今すぐにでも心を離してください。私は彼が好きなんです」


 彼女が真剣な事はよく分かる。

 迷いもなくそう言い切れる彼女が正直、羨ましいとさえ思えた。

 

「千秋が本当の意味でキミに振り向かないのは彼の気持ちだろう?」

「違います。双海先輩の気持ちですよ。貴方の想いが私の恋を邪魔している」


 その一言に優那は鋭い刃物が刺さるように胸に痛みを覚えた。


「私が邪魔をしている、だと?」

「私に魅力がないのなら努力します。ですが、心に他の女の子がいれば別です」

「……別の女の子?」

「先輩の事ですよ。今でもずっと貴方だけを思い続けているんじゃないですか?」


 亜沙美は優那をライバル視しているようだ。

 その強い意志を持つ瞳には明らかな“敵意”を感じ取る事ができる。


――やめてくれよ。面倒ごとは飽き飽きしてるんだ。


「先輩、もう1度聞きます。千秋先輩の事が好きなんですか?」

「好きではない。私は彼に恋しない、正確に言えばもう誰にも恋しないと決めたんだ」


 過去のあの日に優那は恋心をどこかに失った。

 あれから本当に誰も好きになれずにいるんだ。

 愛することが怖い。

 人を愛する事は幸せに直結していない。

 大切な日常を壊してしまうこともあるんだって、思い知ったから。


「双海先輩の言葉を信じてもいいんですか?」

「どうとでも取ってくれ」

「それならば、協力してくださいよ。本当に好きではないなら、私に協力してもらえますよね。先輩の口で千秋先輩に言ってください」


 彼女は間を置いてその言葉を囁いた。


「――私の事をもう好きにならないで、と」


 亜沙美はそうはっきりと口にして、優那に協力を仰いできたのだった。


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