第31話:さっきの泥棒猫は誰なの?


「ヒロ先輩、今の女の人は誰?」

 

 弘樹、ただいま大ピンチ。

 まるで妻に浮気が発覚した夫のような展開に巻き込まれている。

 彼女にしてみれば、弘樹が見知らぬ女性と抱きついてたと言う光景。

 恋人に誤解を与えてもしょうがない状況。


――油断した。平気で人のことをからかって問題ばかり起こしてくれるから。


 と、心の中で愚痴りまくった所で不機嫌な綺羅がこちらを睨むことはやめない。


――やられた。松島さんの罠にハメられた。


 わざと気づいてたのに、あんな真似をして見せて。

 すべてはこれが狙いだったのだ。

 

「あの、言い訳をさせてくれ」

「……浮気の言い訳なんて聞きたくない」

「浮気じゃないって。ちゃんと、説明するからっ」

「……浮気の説明なんて聞きたくもない」

 

 聞く耳持たずとはこのことか。

 ツンっと不貞腐れてしまう彼女に弘樹はおどおどとしながら、

 

「と、とにかく、ここは目立つから少し場所を変えようか」

 

 校門前と言う事でちらほらと他の生徒の視線が気になる。

 すぐにでもどこかに立ち去りたい。

 

「……私の家に来て」

「え? 今から綺羅の家に?」

「そう。今日、誰もいないの。だから、来て」

「……それ、もう少し雰囲気が良い時に聞きたかった台詞です」

「この言葉の意味……分かるよね?」

「わ、分かりません」

 

 この修羅場の状況じゃ意味がさっぱり分かりたくない。

 普通の状況なら大人の階段でも駆け足で登っちゃう的な展開を期待できるのに。


――彼女からの甘いお誘いじゃなくて、処刑宣告にしか聞こえねぇ。

 

「先輩……返事は?」

「……は、はい」

 

 弘樹は頷くと綺羅に強引に彼女の家まで連行される事となった。

 

――関係に再び亀裂が入るのでは……?


 せっかく仲なおりしたばかりなのに、何とも運のないことである。

 

 

 

 

 彼女の言う通り、綺羅の家には誰もいなかった。

 広いマンションのリビング。

 ソファーに座る弘樹に対して綺羅は「そこに座らないで」とどくように告げる。

 

「え? どこに座れと?」

「……今の先輩の立場なら床に座るべきじゃない? もちろん、正座で」

「で、ですよねぇ」

 

――め、めっちゃ、怒ってる!?


 弘樹は返す言葉もなく、冷たいフローリングの床に座る。

 しかも、正座までさせられた。

 綺羅は弘樹を見下ろすように睨みつける。

 

「……さっきの泥棒猫は誰なの?」

「泥棒猫って……彼女と俺はそう言う関係ではないから」

「本当に? ここで嘘をついても先輩の立場を悪化させるだけ」

 

 完全に浮気を疑われているようだ。

 

「まずは状況の説明からさせてくれ。あの人は松島さん。俺の一つ上の先輩で、姉ちゃんの友達だ。俺とも前から知り合いなんだ」

「ふーん?」

「浮気相手でもなければ恋人でもなく、綺羅が何ら敵意も抱く必要のない人です」

「ホントに? ここでウソなら別れるよ」

「ホントだってば。で、今日は久々に会って、話をしてただけで。最後はきっと、綺羅の姿を見つけて、遊び心で抱きついてきたって感じかな」

「……なるほど。そう言う事だったんだ?」

 

 彼女はゆっくりとそう呟いて、納得してくれた様子を見せてほっとする。

 

「さすが綺羅だ、話せばわかってもらえ……」

「――なんて簡単に納得できるわけないでしょッ!」

 

 話して分かってもらえるなんて甘い考えでした。

 全然、納得してくれていなかった。

 彼女がこれほど感情をむき出しにするのは珍しい。

 

「……で、ですよねぇ」

「知り合いの先輩から抱きつかれて、デレっとするの?」

「……デレッとはしてないような」

「してたもんっ。鼻の下伸ばしてるって表現がぴったりなくらいに。もう最低、信じられない。HERO先輩は最低だ。嘘つき。変態。ダメ男」

 

 罵詈雑言の嵐。

 つい先日の喧嘩した時よりも険悪な雰囲気。

 

――こ、これは破局危機間近? や、やべぇよ。

 

 この危機は何とかせねばならない。


「だ、だから、本当の事なんだって。嘘はついてないし。松島さんと俺の関係は恋人でも何でもない。今、俺が好きな子は綺羅なんだ。それだけは信じて欲しい」

「……」

 

 黙り込んでしまう彼女に弘樹は「誤解を招いて悪かった」と謝罪する。

 今日に限って言えば弘樹の言葉には嘘はない。

 

「……ほ、ホントに何でもないから」

「先輩。私の目を見て言って」

「綺羅……」

 

 弘樹は真っすぐに綺羅の瞳を見つめる。

 間近で見ると、綺羅の顔は本当に整っていて、美少女だと思う。

 人間の顔はパーツひとつが残念だと、良くない評価をされてしまうのだ。

 だからこそ、整っている美しさと言うのは奇跡のバランスだと言っていい。

 

「……見惚れるくらい可愛い顔をしてる」

「甘い事を言って誤魔化そうとする、最低」

「今日の綺羅は厳しくて心が折れちゃいそうです、はい」

 

 何を言っても不機嫌なのは直してくれない。

 弘樹の顔をまじまじと見つめた後、彼女は「ふぅ」と小さくため息をつく。

 

「どうやら嘘はついてないみたい。目が泳いでない」

「だろ? ほら、見ろ」

「……調子に乗らない。まだ許したわけじゃないし、容疑が晴れたわけでもない」

「まだ何かの疑惑があるんですか、俺に……」

 

――そろそろ、正座も限界です。両足が痺れて動けない、誰か助けて下さい。

 

 綺羅は疑惑追及の手を緩めることなく、

 

「――その松島って女の人と先輩がどういう関係が気になる」

 

 びしっと弘樹に指先を突き付けてそう彼女は言った。

 

「先輩と後輩。姉の友達。アレキサンダーの元飼い主。そんな関係だよ」

「それ以上の関係は?」

「ないっす。全然、ないです」


 彼女は消え入りそうな小さな声で、弘樹に痛烈な言葉を浴びせる。

 

「それじゃ、どうして、先輩の部屋にあの人との抱きついた写真があったの?」

「……え?」

「私、知ってる。前に先輩の部屋で見たもん。……あの人とどういう関係なの?」

 

――綺羅が松島さんの事を知っていた?


 思わぬ事態に弘樹は自分の部屋にある一枚の写真を思い出す。

 弘樹が彼女に片思いをしてた頃のもの。

 保奈美が好きで、文字どおりに純情を弄ばれてた頃の写真。

 情けないことだが、彼女と撮った一枚の写真を、弘樹には似合わないフォトフレームなどにいれて大事に部屋に飾っていたのだ。

 そして、綺羅も偶然にそれを見つけてしまっていた。

 

「私が先輩の部屋で見つけたのはエッチな本だけじゃない」

「あれを見つけられたのは不覚だった」

「先輩は写真を大事にしてた。だから、気になるじゃない。あの相手と先輩の関係が一体どういうものなのか」

 

 あかさまに綺羅は嫉妬している。

 彼女は気が向くままの気分屋だ。

 そういう感情はあまりないと勝手に思いこんでいた。

 だが、一人の女の子としての感情もある。


「ヒロ先輩、さっさと喋りなさい。じゃないと、今日は帰さない」

「その言葉も、もっと甘い状況の時に囁いて欲しかった」

 

 殺意に似た怖い雰囲気で喋られると、違う意味に聞こえてすごく怖い。

 

「その前に、ひとついいだろうか?」

「何?」

「……ホントに足がやばいので、正座姿勢を解除してください。もう限界っす」

 

 足が痺れて別世界に意識が行ってしまいそうだ。

 限界を超えたら痺れて動けなくなる。

 

「許可する」

 

 綺羅の温情、弘樹は正座から解放されてソファーに座る事ができた。

 もはや、弘樹と綺羅の立場関係は弘樹<綺羅の関係になっていないだろうか。

 

――俺って本当に女性に弱い……えぐっ。


 ソファーに座りなおすと彼女は弘樹に向かって、

 

「……美人だよね、松島先輩って言う人は。先輩は年上好きだから、ああいうタイプが好みだったりするの?」

「まぁ、否定はしないけど」

「これまで不純な異性交遊でもしてたのかしら?」

「えー、それは誤解です。してきたら、キスひとつに戸惑うこともなかったような。今日はやけに饒舌だな、綺羅さん」

「人生で一番怒ってるから。それ以外に私が不機嫌な理由が必要?」

 

 その一言で弘樹は沈黙せざるをえなくなる。

 緊迫した空気の中で彼は口の中が渇くのを感じた。


「人生で一番か、うん……素直に謝るしかない。ごめんなさい。許して下さい」

「何に対しての謝罪?」

「あ、あの、それは」

「謝れば許してもらえるとか思ってる? 甘いよ、先輩。女の子の嫉妬をなめたら命の危機もあるからね?」

「ひっ!? わ、分かった。全てを話そう。その上で許してくれたら嬉しいな?」

「許すかどうかわからないけども、嘘偽りなく話して」

 

 彼女はぎゅっと自分の手を強く握りしめている。

 

――綺羅、そこまで不安なのかな。

 

「……もしも、私が不愉快だと思ったら全力で先輩を殴る」

「ぼ、暴力反対っ!?」

 

 全然違って、今日の綺羅は不機嫌すぎる。

 これ以上、怒らせるると本気でやばそうだと察する。


――下手に誤魔化してもしょうがないか。

 

 自分の言葉で真実を語らなければいけない。

 何が二人の間にあって、どういう関係が真実なのか。


「分かった。話すよ。嘘偽りのない真実を話せばいいんだろう」


 弘樹は覚悟を決めて綺羅に真実を話すことにした。

 

「――あのさ、松島さんは俺が前に好きだった女の人なんだ」


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