第27話:無垢でいられるのは今だけよ

 

 綺羅と仲直りをして3日が経ち、GWも終盤になっていた。

 その日も朝からデートをしていた。

 父親の花屋に綺羅を連れていき、それなりに楽しんだあとの事である。

 

「あのお店、何度か行った事があったよ」

「そうらしいな。向こうも綺羅の事を覚えてたし」

「先輩のお母さん。美人さんだったね。……先輩はお父さん似?」

「言わないでくれ。どうせ、野獣の子ですよ」

 

 お店によった時にまた花をプレゼントしたのだが綺羅は本当に花が好きらしい。

 親に彼女を紹介すると言う微妙なシチュを味わったあとは家に招いた。

 

「……あれ、姉ちゃんはいないのか? まぁ、いいや。入ってくれ」

 

 靴がないのを見ると、どうやら出かけてしまったらしい。

 玄関先で綺羅はものすごく警戒心丸出しの表情を見せた。

 

「……先輩の家にふたりっきり。私の身の危険を感じる」

「感じなくていいっ。何もしないっての。ほら、どうぞ」

 

――そんなあらかさまな顔をされると俺もも傷つくってば。

 

 ヘタレ根性丸出しの弘樹に何かできるわけもない。

 とりあえず、窓を開けると綺羅の黒い髪が揺れる。

 そんな彼女の視界に入ったのは、

 

「え、猫がいる……?」

 

 リビングのソファーを子猫が占拠していた。

 留守番をしているアレキサンダーが気持ち良さそうにゴロゴロとしている。

 

「そういや、綺羅には言ってなかったな」

 

 弘樹は寝転んでいるアレキサンダーを抱き上げる。

 

「にゃー」

 

 鳴き声をあげて甘えたがる子猫。

 小さな舌で弘樹の手を舐める。

 

「つい最近、飼い始めた猫だ」

「へぇ、そうなんだ。可愛い猫ちゃん。名前は?」

「名前はアレキサンダー。ただし、俺が名付けたのではない」

 

 さすがにそこまで中二病な名前をつける勇気はない。

 結局、他の名前を付けることもなくその名前で呼び続けている。

 

「姉ちゃんの知り合いから譲り受けた子猫なんだ」

「……そう」

 

 綺羅は猫の顔をマジマジと見つめる。

 

「猫は好きか?」

「私は好きだけども、いつも逃げられてばかり。どうしても私に動物は懐いてくれない。存在からして嫌われてる感じがする」

 

 綺羅は寂しそうに「触らせてもくれない」と口にする。

 動物が好きなのに懐いてくれないのは結構辛いものである。

 

「だが、心配はするな。このアレキサンダーは初対面の人間相手でも懐く。とんでもなく警戒心の低い、人懐っこい猫だから」

「期待させておいて、もしも、全力ダッシュで逃げられてしまったらどうする?」

「そ、それは」

「その時の私の心の痛みを想像してくれてるの?」

「過去に全力ダッシュで逃げられてしまったのか」

「期待って失望する時にものすごく痛みを大きくするものなのよ。この子なら大丈夫、とか軽々しく期待させないでくれる?」

 

 よほど今まで動物から拒絶させられているらしい。

 うつむく綺羅の瞳には悲しさと寂しさと切なさが見え隠れしている。

 

「す、すまん。軽率な事を言った。さすがにそんな展開は予想してなかった」

 

 どんな悲しい過去があるのか想像しかできない。

 気まずくなる弘樹は綺羅の方へとアレキサンダーを連れていく。

 

「やるだけ、やってみな? こいつなら多分、大丈夫だと信じて」

「ホントかな」

「何事もチャレンジだ。ほら、アレキサンダー」

 

 アレキサンダーはのんきに足を伸ばしている。

 綺羅は「チャレンジしてみる」と無垢な子猫に手を差し出す。


「猫ちゃん。お、おいで?」

「にゃーにゃー」

 

 果たして、アレキサンダーは綺羅に懐くのかどうか。

 

「……っ……」

 

 緊張した面持ちでゆっくりと彼女は猫の頭を撫でようとする。

 子猫は顔を上げて迫りくる綺羅の手を見上げる。

 

「……あっ」

 

 カプっ――。

 

「――か、噛みおった!?」

 

 噛みついた。

 子猫は口を開けてカプっと綺羅の小さな手に噛みついた。

 

――俺の目の前でアレキサンダーが暴挙にでおった!? 空気読んでくれぇ!?


 まさかの展開に弘樹もショックを受ける。

 あれだけ人懐っこい猫すら敵意を抱いてしまうと言うのか。

 

「あ、あわわ。はわぁ!?」

 

 言葉にならない声で戸惑う弘樹とは対照的に綺羅はご機嫌な様子だ。

 子猫に対して目を細めながら穏やかな表情をする。

 

「……ふふっ、可愛いじゃない。アレキなんとか」

「え? 痛くないのか?」

「大丈夫、噛まれても痛くない。これは甘噛みだから。単純に私相手にじゃれついているだけ。遊んで欲しいのね」

 

 綺羅はアレキサンダーのあごの下を撫でるとゴロゴロと鳴く。

 猫に懐かれていないと語ったわりには猫の事を良く知ってる。

 

「ただ甘えてるだけ。噛んでるというより、遊んでもらいたいだけなの」

「それならいいんだが、普通に驚いた」

 

 一瞬、綺羅に対して攻撃したのかと思ってしまった。

 アレキサンダーは甘えた声で鳴きながら綺羅にされるがままにされている。

 

「この子、お腹を触っても嫌がったりしない。よほど人に懐いてるのが分かる」

「……飼い始めた時からそうだったぞ」

「なるほど。今まで人間にひどい目にあわされた事がないから警戒心がないのね」

 

 ふいに、彼女は不敵な笑みを浮かべる。

 

「まるで、社会の厳しさを知らない箱入り娘みたい」

 

 その顔は「今から警戒心を植え付けてやる」的な顔なのでやめて欲しい。

 

「いじめようとするな」

「してないよ?」

「顔が怖かった。このアレキサンダーにはずっと純真無垢でいてもらいたいのだ」

 

 ぼそっと「無垢でいられるのは今だけよ」と囁く。

  

「可愛いなぁ。アレキはメス猫?」

「名前は男っぽいが性別はそうらしい」

「……先輩はいつも女の子を甘く鳴かせてるのね」

「いやらしい意味に聞こえるからやめい」

「さすがHERO先輩。慣れなれしく女の子にベタベタ触れまくるなんて」

「俺が触りたいのは綺羅だけだ」

 

 綺羅もアレキサンダーの事が気に入ったようだ。


「ふふっ。おいで、アレキ。お前はいいにゃんこね」

 

 ソファーに座りながら太ももの上に子猫を置いて撫でる。

 アレキサンダーも居心地がいいのか、ジッとしていた。

 

「何か飲むか? ジュースでいいよな」

「先輩に凛花さん並の紅茶を淹れてと要求するのは無意味」

「そりゃ、そうだ」

 

 凛花のように上手に紅茶はいれられない。

 口は悪いが彼女は本当に料理関係に関してはパーフェクトなのだ。

 弘樹はキッチンで冷蔵庫からジュースを取り出してカップに入れる。

 

「綺羅……?」

 

 ジュースをいれて戻ってくると、膝上でアレキサンダーは丸まって寝ていた。

 

「寝たのか? 気が付いたらいつでも寝てるな」

「子猫は寝るのも仕事のうち……すごく可愛い」

 

 綺羅としてはお気に入りの様子。

 

「起こさないようにしなきゃ。このまま寝顔を見ていたい」

 

 しばらく子猫の寝顔を見て思う存分に満喫する。

 弘樹はその横で、子猫を可愛がる綺羅の姿を眺め続けていた。

 

――こんな純粋な顔を見せるんだな。

 

 花だったり、子猫だったり、人間相手以外には可愛らしい笑顔も見せてくれる。

 

――いつか俺に対して、この笑顔を向けてもらいたいものだぜ。

 

 本当の綺羅はきっと表情豊かな普通の女の子なんだろう。

 恋人としての当面の目標は「綺羅に笑ってもらう」にしようと決めたのだった。

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