第26話:綺羅はやっぱり可愛いな


 夜道を歩きながら、弘樹はマンション前の小さな公園で綺羅を待っていた。

 電話をすると、綺羅はすぐに下に来ると言ってくれた。

 

「最悪は無視される、とか心配してはいたんだが。そこまで怒ってはないのか?」

 

 どうやら、今も怒ってる様子もないので、そこは安心する。

 

「……だから、許してくれるとかはまた別の問題なわけで。謝るしかないよな」

 

 今回の事は弘樹が悪いのだから仕方ない。

 多少の不安を抱きながらも、彼女を待ち続けていた。

 ベンチに座って夜の空をぼんやりと眺めていると、

 

「……ひ、ヒロ先輩」

「綺羅、来てくれたんだな」

 

 昨日、傷つけてしまった最愛の恋人。

 お風呂から出たばかりだったのか、まだ髪がほんのりと濡れている。

 

「こんな時間に呼び出して悪かったな」

「そんなことない」

 

 お互いに何と言えばいいのか、きっかけをつかめずにいる。

 

「とりあえず、座ってくれ」

「……うん」

 

 綺羅は弘樹の隣に座ろうとするけども、

 

「……ぁっ……」

 

 昨日の事もあってか、弘樹から少し距離を取る。

 

――そういう反応が地味に心が痛いです、はい。


 この微妙な距離感が今の二人の距離そのものだ。

 弘樹は改めて関係を修復できるか不安になった。

 

「その……昨日の事なんだけどさ」

「……うん」

「俺が悪かった。綺羅に無理やりキスしそうになっただろ。あんなに嫌がるとは思ってなくてさ。綺羅のペースに合わせるとか言ってたくせに、結局は強引にしそうになったのはごめんな。本当に悪かった」

 

 言い訳するでもなく、素直に謝罪する。

 弘樹が頭を下げて謝ると、綺羅は首を横に振る。

 

「違うの。先輩は謝らなくてもいい」

「綺羅?」

「びっくりしただけなの。キスされそうになって、心の準備ができてなかった。想像もしてたし、友達と話をしてそう言う事もあるんだって思ってたのに」


 未知の恐怖におびえてしまった。


「実際にキスされそうになると怖くなったの」

 

 そう呟きながら綺羅はシュンッとうなだれる。

 心の準備もできておらず、未知の経験に驚く。

 過剰な反応をしてしまったことを彼女自身も悔いていた。

 

「これだけは言っておきたいの。ヒロ先輩とキスが嫌だと言う意味じゃないから」

「そうなのか?」

「もちろん。先輩の事は好きだし、キスっていうのにも興味はあった。でも……」

 

 彼女はそこで言葉を区切って、消え入りそうな小さな声で、

 

「私はキスしたことないから、怖かった」

「ホントに悪かったよ。俺がもうちょっとリードしてやれれば良かったんだが」

「そんな余裕があるほどの経験あるの?」

「……あはは。そうですね、あればこんな事にはならなかっただろうな」

 

 苦笑いをするしかない。

 リードなんてのは経験がないとできないのだ。

 恋人という初めての経験をしているのは綺羅だけではない。

 

「ヒロ先輩の事が嫌いとかじゃない。それだけは本当のこと」

「安心したよ。もう顔を見るのも嫌とか言われたらって。俺にとってデートはいつもトラウマ並に嫌な事ばかりあるからさ」

「……?」

 

 不思議そうな顔をする彼女に弘樹は「何でもない」と答える。

 女絡みの過去の失敗なんて、今の恋人に話す事ではない。

 

「逃げてごめん。怒ってる?」

「なんで俺が怒るんだよ。俺は怒られる方で、怒る方じゃないだろ」

「キスひとつビビッて、面倒くさい女だなぁ、とか」

「思わないって。俺は綺羅の中でどんなひどい奴なんだか」

 

 そんな事を平然と言うような男にはなりたくない。

 少なくとも、昨日は綺羅の事ばかり考えて悩んでいた。

 

「……私、昨日からずっと不安だった。先輩に嫌われたらどうしようって」

「それは俺の台詞なんだけども」

「逆の立場なら普通に面倒なタイプだなって思わない?」

「昨日の事で綺羅は悪い所なんてないだろう」

 

 どちらかと言えば、弘樹の方に若干の非があった。

 

「キスを拒絶しちゃったじゃない」

「だから、それは俺の行動のせいで、びっくりしたからじゃないか」

「つまり、先輩が全面的に悪い? 謝罪しても許さないくらい?」

「それは……非は認めるので許してくださいと謝るしかない。ごめんなさい」

「……冗談です。こちらこそ、ごめんね」

 

 気恥ずかしさに負けて綺羅も悪ノリしてしまう。

 

「逆に聞くけど、綺羅は怒ってないのか?」

「怒ってない。先輩に対して、私が怒る事なんてない。恋人ならキスくらい普通にするものでしょう。それくらいは分かってる。けど、拒絶したのは私の責任」

「ホントに嫌がってたとかじゃない?」

「そこは自信もっていいよ。臆病な私がビビっただけだもん」

 

 話しあってみれば意外なもので。

 弘樹はキスをしようとした事を、綺羅は拒絶したことを。

 お互いに自分のした行動が今回の原因だと思い込んでいた。

 そうやって悩んで、苦しんで。

 でも、話し合ってみればこんなにも簡単に解決してしまうのだ。

 

「互いに許し合うことってどう?」

「いいんじゃない。それで、私はいい。先輩にだけは嫌われたくない」

 

 彼女はそっと離れて距離を作っていたのを縮めてくる。

 ようやく間近に綺羅を感じる事ができる。

 この微妙な距離感が今までの弘樹達だったのだ。

 

「ごめんな」

「ごめんね」

 

 お互いに謝りあうと、自然に笑みがこぼれた。

 弘樹達はまだまだ恋人になって経験が浅い。

 少しずつでいい。

 互いに分かりあって、経験を積み重ねていけたらいいいのだ。

 

「……あ、あの、先輩」

「なんだ?」

「ママから教えてもらった。今度、ああいう場面が来たらこうしなさいって」

 

 綺羅はそっと自分の瞳をつむって、弘樹に向けて小さな唇を突き出す。

 

――こ、これはキスしちゃってOKな展開ですか?

 

 思いもしないチャンス到来にテンパる。


――いや、しかし、待て。ここで欲望に負けたら前回の二の舞ではないか。

 

 などとグダグダと思案していると瞳をつむった恋人から、

 

「……放置はひどい。空気読んでください」

「す、すまん。ついテンパった」

 

 これは純粋なるアプローチ。

 弘樹は周囲を見渡し誰もいない事を確認してから、

 

「……綺羅、キスをしてもいいか?」


 一呼吸してから、今度はちゃんと同意を求めてみると、彼女は小さく頷く。


「は、はい」

 

 今度こそ、お互いの同意の上での行為。

 やがて、緊張しながらも、そっと唇を触れ合わせた。

 

「――んっ」

 

 弘樹達の初めてのキス。

 唇触れるわずかな時間がものすごく長く感じた――。

 甘く溶けそうなほどに濃密な時間。

 そっと唇を離すと、ゆっくりと綺羅が目を見開く。

 

「……今度は怖くなかった。やっぱり、目を瞑らないとダメだね」

 

 微笑するその反応が可愛いすぎて抱きしめる。

 

「綺羅はやっぱり可愛いな」

「なにそれ。私の可愛さ、再確認?」

「……再確認しました」

 

 ファーストキスは思っていた以上に心にくるものだった。

 

「そうだ、忘れた。今日、親父の店で手伝いをしてたんだ。それで、綺羅のために作ってもらった。仲直りの意味を込めて、綺羅へプレゼントしたい」

 

 弘樹は用意していた花束を渡すと彼女は「綺麗~」と花を眺める。

 花が好きな彼女は嬉しそうに笑いながら、

 

「ありがとう。ヒロ先輩のこと、好きだよ」

 

 もう一度、今度は綺羅の方から唇を触れ合わせた。

 その時の綺羅の笑顔は今までで一番可愛く見えた。


「……俺、綺羅が好きだ」


 恋人関係が少しだけ前進した夜。

 この日の綺羅の笑顔を弘樹はきっと忘れないと思う――。

 

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