第279話・本当の気持ちは隠せない

 深夜にまひるちゃんと電話で話をした日のお昼前、俺は『まひろへ気持ちを伝えよう作戦』の要となる手紙を持ってまひろの自宅前へやって来ていた。

 閑静な住宅街にある大きな家、そんな家へと続く道を閉ざす、大きな外門の門柱に取り付けられた郵便受け。その郵便受けを見たあと、俺は神に祈る様な気持ちで持っていた手紙を入れ、歩んで来た道を戻り始めた。

 俺の考えていた作戦とは、手紙を読んだまひろに指定の場所まで来てもらい、そこでまひろからの告白の返事をしようというものだ。我ながら面倒しい事をしているとは思うけど、恋愛のアプローチは相手やその時の状況によって対応が変化する。故にアプローチは千差万別になるのが当然だ。

 まあそうは言っても、この手紙を読んでもらうという事が、相当に遠まわしな事なのは俺も理解している。だけど今のまひろは俺との接触を避けているから、直接会って話す事はまずできない。そうなればもう、俺の意志をまひろに伝えるにはこれしか手段が無いわけだ。

 しかしそれなら、携帯でメッセージを送るのと一緒だとか思われそうだけど、直筆の手紙と携帯のメッセージでは、その重みがまったく違う。もちろんまひろが俺の書いた手紙を見てくれなかったら話にならないけど、まひろは基本的に相手の事をしっかりと考える事ができる人だから、親友である俺が直筆の手紙を書いたとなれば、それを見ないとは思えない。だからきっと、あの手紙を見て俺の前へ来てくれるはずだ。

 だけどもし、俺の書いた手紙の存在にまひろが気づかれなければ本末転倒だから、そこは保険としてまひるちゃんに協力をお願いしている。あとはまひろが俺の手紙を見て、指定の場所まで来てくれる事を願うだけだ。


× × × ×


 まひろの家の郵便受けに手紙を入れてから二日が経ち、いよいよ運命の日の朝を迎えた。

 郵便受けに手紙を入れたあの日からずっと、俺は緊張と不安を抱いていた。まひろがあの手紙を見てくれたかとか、見てくれてたらどう思っただろうかとか、ちゃんと俺の返事を聞きに来てくれるだろうかとか、そんな事を延々と考え続けていたからだ。

 まひろから告白をされた時には、返事をする時にこんなに思い悩み、不安になるなんて想像もしていなかった。問題は大して難しい事ではないはずなのに、どうしてこうも難しくなってしまったんだろうか。

 タイミング悪く色々な出来事が重なった事が原因なのは分かるけど、それにしたってタイミングが悪過ぎる。なぜこうも狙い済ましたかの様にして色々と悪い事が重なるのか、人生とは本当に何が起こるか分からない。そしてそんな時は、本当に全てを投げ出して諦めたくなる時もある。しかしそれでも、この問題は俺とまひろで解決をしなければいけない、俺もこんな状態をいつまでも続けるなんて真っ平ごめんだから。

 様々な思いが心の中で渦巻く中、俺は花嵐恋からんこえ学園の制服に着替えて家をあとにした。


「今日も暑いな……」


 時刻はまだ朝の九時半前だというのに、既に太陽はじりじりとこちらを焼きつける様に熱い光を放っている。

 最近は熱帯夜続きで気温がほとんど下がらず湿度も高く、そのせいで朝から凄まじい不快感があった。それが証拠にまだ家を出て間もないというのに、額には早くも汗がにじみ始めている。

 俺はポケットに入れていたハンカチを取り出し、それを額にトントンと押し当てる様にして汗を拭った。そして滲み出る汗をひたすら拭いながら通学路の途中にあるコンビニへ寄り道をし、そこでちょっとした飲み物と食べ物を買ってから再び花嵐恋学園へと向かい始めた。

 こうして二十分ほどの時間をかけて花嵐恋学園へ辿り着いた俺は、職員室で制作研究部の部室の鍵を借りてから部室へ向かった。

 俺がまひろに宛てた手紙に書いた指定の場所は、花嵐恋学園の屋上。そこで『お昼から学園の閉まる時間まで待っているから』と書いた。ではなぜこんな朝早くから学園に来て、屋上ではなく制作研究部の部室に来たのかと言えば、俺が心の準備をしたかったからというのと、この制作研究部の部室からなら、まひろがやって来た事が分かるから、それを見て屋上でスタンバイをすればいいと思ったからだ。

 そして俺が今回の件で呼び出す場所に学園を指定した最大の理由は、人がほぼ居ないからだ。我らが制作研究部はまだできたばかりの部活動だから、文化部専用棟に部室が無い、だから現在は、本校舎の四階にある一室を使用させてもらっている。だから呼び出す場所としては、打ってつけな場所だと言えるだろう。

 俺はとりあえず買った商品の入った袋を長机の上に置き、エアコンのスイッチを入れて簡素なパイプ椅子へ腰を下ろした。


「さてと、あとはまひろが来てくれるのを待つだけだな……」


 まひろが来てくれる事を前提にそう言ったものの、肝心のまひろが来てくれるか不安でしょうがない気持ちは隠し切れない。

 まひるちゃんにまひろが手紙を見れくれる様にお願いをしておいたから、まひろが手紙を見ていない可能性はかなり低いと思う。だけど手紙を見たからと言って、まひろが来てくれるかどうかは、本人の気持ち次第。そこはもう俺が想像できる範疇はんちゅうを超えているから、あとは情けなくも神頼みをするしかない。なんとも情けない事ではあるけど、人生にはどうしようもない事や、待つしかできない事は多々ある。

 そんな事実を言い訳がましく考えながら、コンビニで買った二本のお茶のペットボトルの一つを取り出して一口飲んだあと、俺は室内の壁に取り付けられた丸型のアナログ時計へと視線を移した。

 そして時間が経ち、まひろが来てくれるかもしれない一番早い時間のお昼まで残り二時間となり、俺の中の緊張の度合いはやや高まってきていた。

 まひろがきっちりとお昼にやって来るかどうかは分からないけど、可能性がまったく無いとは言えない。そんな思いから俺は時間が経っていく度に落ち着きを失い、お昼を迎える頃には室内の窓際をウロウロしながらずっと外を見ていた。

 しかし落ち着き無く室内をウロウロする不安いっぱいの俺の心境をよそに、お昼を過ぎて十三時を迎えて十四時を迎えても、まひろがやって来る事はなかった。


「はあっ……」


 待っても待っても現れないまひろを待ちつつ、窓際に持って来たパイプ椅子に座って大きな溜息を吐く。学園が閉まる十八時までは残り四時間もないが、今の俺にはまひろが来てくれると信じて待つしかない。

 しかしそれから一時間、二時間、三時間と経ち、学園が閉まる三十分前になっても、まひろがやって来る事はなかった。


 ――俺の手紙、見てくれてないのかな……それとも見たけど来ないつもりなのかな……。


 部室に居る事ができる時間も残り僅かとなった俺は、やや諦めの気持ちと共に椅子の片付けを始めた。

 そして部室に居られる時間が残り二十分になった頃にもう一度窓の外を見た瞬間、真後ろにある出入口のドアが勢い良くガラッと開いた。


「龍之介君!!」


 勢い良く開いたドアから入って来たのは、息を乱しながら大きく両肩を上下させているまひろだった。


「まひろ!? どうしてここに?」

「はあはあ……十分くらい前に学園に着いて屋上へ行ったら龍之介君が居なかったから、ずっと校舎内を捜してたの。下駄箱には龍之介君の靴がまだあったから」


 どうやら俺が片付けで目を離していた間にまひろは来てくれていたらしい。突然のまひろの登場にはかなり驚いたけど、こうして俺の前へ来てくれた事は本当に嬉しく思う。


「そうだったんだ。ごめんな、ここでまひろが来るのを待ってたもんだからさ。ほら、とりあえずこの椅子に座って息を整えるといいよ」

「うん、ありがとう」

「これ、まだ未開封だから飲んでいいよ。さすがにぬるくはなってるけどさ」

「ありがとう」


 一つのパイプ椅子をまひろへ差し出すと、まひろは疲れた様子で椅子へ座った。そして俺は未開封のお茶のペットボトルの蓋を開け、それをまひろに手渡した。

 まひろはいつもの優しい笑顔を見せながらペットボトルを受け取り、少しずつお茶を飲む。俺はそんなまひろの様子を見ながらもう一つのパイプ椅子を用意し、それをまひろから少しだけ距離を開けた正面へ置いて座った。


「大丈夫か?」

「うん、もう大丈夫。ごめんね、迷惑かけて」

「迷惑なんて事はないさ。て言うか、まひろから迷惑をかけられた覚えなんて、知り合ってから一つもないよ」

「そうなの? 私はかなり龍之介君に迷惑をかけてたと思ってたけど……」

「まひろはそう思ってたのかもしれないけど、俺は全然そんな事はなかったよ」

「でも、私に勇気がなかったせいで来るのがギリギリになっちゃったし……」

「確かに来ないのかなって不安はあったけど、こうして来てくれた今は嬉しい気持ちの方が大きくて、待ってた時間の事なんてどうでもよくなったよ」

「……ありがとう、龍之介君」


 俺が素直な気持ちを口にすると、まひろは申し訳無さそうにしながらも笑顔を見せてそう言った。そしてそんなまひろの笑顔を見て安心した俺は、今日の目的を果たす為に本題を口にする事にした。


「……まひろ、こうして来てくれたって事は、俺の返事を聞きに来てくれたんだよな?」

「う、うん……」


 俺の言葉に対して不安げな表情を浮かべながらも、まひろは返事をしながら頭を大きく縦に振った。そしてそれを見た俺は、大きな不安を抱きながらもこうして来てくれたまひろに心から感謝をし、まひろの告白への返答を口にしようとした。


「まひろがしてくれた告白の返事だけど、俺はまひろが――」

「ちょっと待って!」

「えっ?」

「龍之介君からの返事を聞く前に、言っておきたい事があるの」

「言っておきたい事?」

「うん」


 まひろは短く返事をすると椅子から立ち上がって俺へ近付き、真剣な表情で口を開いた。


「私から告白をして龍之介君に返事を求めたのに、今まで返事を聞かずに逃げ回ってて本当にごめんなさいっ!!」


 まひろはそう口にしたあと、上半身を大きく前へ傾けて頭を下げた。


「いやいや! 今回の件は俺が考え過ぎて返事を長引かせたせいだよ。だからまひろは何も悪くないって」

「ううん、そんな事はないよ。だって私はちゃんと返事を待つって龍之介君に言ったんだから、龍之介君が考える時間を持つのは当然だったんだもん。それを怖くなったからって逃げ出したのは、他の誰でもない私のせいだから……だからごめんなさい! そして今更だけど、龍之介君の気持ちを私に聞かせて下さいっ!」


 力強くそう言ったまひろだが、言葉の強さとは裏腹に、その表情は今にも泣きだしてしまいそうな気配すら感じる。しかしそれは仕方のない事だと思う、人の気持ちを知るのは怖い事だから。それは恋愛だろうとそうじゃなかろうと、同じだと思う。

 とりあえず色々とあって返事が延びてしまったけど、俺の想いを言葉にして伝える事で、まひろを安心させるとしよう。


「まひろ、俺に告白をしてくれてありがとう。最初は戸惑いもあったけど、嬉しい気持ちは最初からあったんだ。でも男として付き合って来たまひろの事とかを考えると、すぐに答えを出せなかった。でもさ、最終的に思ったんだ、まひろとなら何があってもずっと仲良くしていられるって。だからさ、こんな俺で良かったら恋人になって下さい」

「……本当? 龍之介君」

「おいおい、俺がこんな時に冗談や嘘を言う奴かどうかなんて、まひろには分かるはずだろ? 伊達に長い付き合いじゃなかったんだからさ」

「うん、うん……分かるよ……だって、ずっと龍之介君だけを見続けて来たんだから……」


 そう言うとまひろの瞳からぽろぽろと涙が零れ始めた。

 いつも可愛らしくて優しくて、それでいて弱々しさを感じるまひろだけど、俺の前でこんな風に泣いた事は一度もなかった。どこか弱々しく感じても、まひろはずっと色々な事に耐えていた。それこそ泣き言も言わず、涙を見せる事もなく。そう考えると、まひろは俺の知っている人達の中でも、実は一番強い人なのかもしれない。そんなまひろがこうして俺の前で涙を零している、それがなぜかとても愛おしく感じてしまう。

 俺は自然とまひろへ歩み寄り、その頭を撫でていた。


「まひろ、今までも色々とあったし、これからも色々な事があると思うけど、よろしくな」

「うん……私こそ、よろしくお願いします……」


 そう言うとまひろは感極まったのか、俺に思いっきり飛びついて両手を背中へと回し、俺の胸の中でしばらく涙を流し続けた。きっと自分の中にあった不安とか、色々なものが一気に解消され、その反動で感情が制御できなくなったんだろう。

 こうして俺の『まひろへ気持ちを伝えよう作戦』は終了し、まひろとの告白騒動は無事に幕を閉じた。

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