第207話・幼き日の思い出

 まひろの携帯電話選びに付き合った日から数日が経ち、俺は高校時代最後のゴールデンウイーク初日を迎えていた。


「杏子、準備はできたか?」

「OKだよ♪」

「よしっ。そんじゃ行くか!」


 陽が昇り始めたばかりの時間帯。それぞれに二日分の荷物を詰め込んだ鞄とキャリーケースを持ち、杏子と一緒に自宅をあとにする。

 今から三日前の夜。田舎のじいちゃんから電話で『久しぶりに顔を見せに来てくれ』と言われ、ちょうどいい機会だから二日間じいちゃんの家に泊まりに行く事になり、こうして出掛けているわけだ。

 まだ陽が昇り始めて間もない時間ではあるけど、爽やかに感じていた春の空気も段々と暑さと湿気を帯びたものに変わってきている。そんな中を杏子と一緒にゆっくりと歩きながら、目的の最寄り駅へと向かう。


「そういえばさ、美月お姉ちゃんは昨日の夜に出掛けたんだよね? どこに行ったか聞いてる?」

「ああー。そういえば、『二日ほど留守にします』としか聞いてなかったな」

「はあっ……お兄ちゃんらしいね」

「そんな顔すんなよ。留守にする事が分かってるんだからいいじゃないか。それに桐生さんもワークショップに泊りがけで参加するって言ってたしさ」

「まあ、そうだけどさ。それにしても、おじいちゃん達に会いに行くのは久しぶりだね」

「そうだな。最後に会いに行ったのはいつだっけ?」

「お兄ちゃんが花嵐恋からんこえ学園に入学する前の春休みだったと思うよ」

「てことは、もう三年近く会ってないのか。結構会ってなかったんだな……」


 俺としてはそんなに経った様には思っていなかったけど、杏子の言葉でそんなに長い時間が経ったんだなという事を思い知った。

 じいちゃんもばあちゃんも、小さな頃から本当に俺と杏子を可愛がってくれてたし、色々な遊びや知恵を教えてくれた。時には怒られる事もあったけど、本当に優しい人達だ。


「……杏子。じいちゃん達へのお土産は何にしよっか?」

「うーん……とりあえず駅に向かうまでの間でじっくり考えてみない?」

「そうだな。じっくり考えて二人が喜びそうなお土産を買って行こう」

「うん!」


 少しずつ高くなっていく陽の光が街を明るく照らし始める中、二人でお土産の内容をあれやこれやと考えながら駅へと向かって行った。


× × × ×


 お昼を迎える少し前にじいちゃん達の家に着いた俺達は、久しぶりに会ったじいちゃんばあちゃんとの談笑を楽しみながら昼食を終え、そのあとで杏子と一緒に散歩へ出掛けた。


「やっぱり田舎はのんびりしてていいな」

「そうだね」


 ぽかぽかとした陽気が心地良く、そよそよと吹く風が肌を撫でる様に過ぎて行くのが気持ち良い。

 ここは田舎とは言っても、周りに何もない絵に描いた様な田舎とは違う。それでも地元に比べれば遥かに静かな所だ。たまには都会の喧騒を離れ、こんな静かな散歩を楽しむのも悪くない。

 静かな道を杏子と一緒に歩きながら、小さな頃の記憶を頼りに懐かしい場所を点々と巡って行く。


「――あっ、お兄ちゃん! この沢まだ残ってたよ!」

「おー、まだあったんだな。でもこの沢、昔より小さくなってるな」

「えー? そっかなあ? こんなものだったと思うけど?」

「そうか? 昔はもっと大きかったと思うけどな」

「うーん……多分お兄ちゃんが大きくなったから、沢が小さく感じるだけじゃないの?」

「なるほど。確かにそうかもな」


 小さな頃。いつもじいちゃん達の所へ遊びに来た時には、必ずと言っていいほど来ていた小さな沢。杏子と一緒にサワガニやアマガエルなどを捕まえていた事を思い出す。

 あの時はひたすら遊ぶ事が楽しかった。妹の杏子と兄妹としての繋がりを深める事できたという意味でも、この沢は思い出深い場所だ。


「そういえばお兄ちゃん。昔こっちに住む人と友達になったって話をしてた事があったけど、その人とはもう会ってないの?」

「えっ? 俺、そんな事言ってたっけ?」

「うん。私が小学校二年生の時に話してくれたもん。『去年の夏休みに田舎で友達になった子が居るんだ』って」

「そんな昔の事をよく覚えてるな」

「もちろんだよ。だってお兄ちゃんが話してくれてた事だから」

「杏子の記憶力には脱帽だな」


 もうかなり昔の事だから忘れていたのかもしれないけど、そう言われて断片的にだが色々な事を思い出してきた。確かその話を聞かせたのは、義妹になった杏子と初めて夏休みを迎えた時の事だったと思う。

 あの時はようやく杏子と打ち解け始めた頃だったから、調子に乗って色々な話をしていた気がする。今思えば余計な事をペラペラと喋っていた気がするけど、今更それを後悔しても遅いので、そこは深く考えない様にしよう。

 それにしても、かなり昔の事のはずなのに、思い出そうと思えば案外色々な事を思い出せるもんだなと、そんな風に思いながら他の出来事も思い出そうとした。


 ――あれっ? そういえば、杏子の言っていた『こっちの友達』って、どんな子だったっけ?


「なあ、杏子。その時に話したこっちの友達って、どんな子か覚えてるか?」

「えっ? 確か同い年の女の子だって言ってたよ」

「同い年の女の子か……」


 杏子からの返答を聞いた俺は、その時の事を思い出そうと深く意識を集中させ始めた。記憶の奥底に取り残されたその思い出を引き出す為に。

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