第188話・告白の時

 自分の事について話をする機会は、これまでに何度もあったと思う。でも、それをできなかったのは――ううん、それをしなかったのは、単純に私が臆病だったからとしか言い様がない。


「失礼します」


 二年生の修了式を一週間後に控えた放課後。

 私は人目を忍ぶ様にして花嵐恋からんこえ学園の保健室にやって来た。宮下先生に聞いてほしい話があったからだ。


「ん? ああ、涼風か。どうした? また具合でも悪くなったか?」

「……今日は宮下先生にお話があって来ました」


 引き戸を開いて保健室の中に宮下先生以外の誰かが居ない事を確認した私は、室内へ入ってから宮下先生の前でそう言った。


「……そうか。では、隣の談話室へ入りたまえ。話はそこで聞こう」


 宮下先生はそう言うとサッと席を立ち、隣の談話室へと入って行った。

 いつもならそのまま話を始める宮下先生だけど、わざわざ隣の談話室へ来る様に言ったという事は、私の雰囲気で何かいつもと違うという事を察してくれたんだと思う。


「失礼します」


 大人としての気遣いを見せる宮下先生に感謝をしつつ、私は談話室への扉を開けて中へと入った。


「まあ、座りたまえ」

「はい」


 ソファーに座って待機していた宮下先生の言葉に頷いた私は、言われるがままに指し示されたソファーへと腰を下ろした。


「それで? 私に話したい事とは何かね?」

「……私と涼風まひるについて、龍之介君達に話をしようと思っています」

「それは鳴沢達だけに向けてという事かね?」

「いえ。でも、最初にこの話をするのは龍之介君になります。そして私は、偽りない姿で残りの一年を過ごしたいと思っています」

「そうか。それが君の下した決断だと言うなら、私はそれでいいと思う」

「はい。でも、凄く不安なんです。もしも本当の事を話して、みんなに嫌われてしまったらって思うと、今でもこのままの関係でいいんじゃないかって思ってしまったりもするんです……」


 バレンタインの日。私は龍之介君に手渡した紙袋に、一枚のメッセージカードを忍ばせていた。

 そのメッセージカードには、『修了式の日の十五時に、海世界の大パノラマ水槽の前で待っています。誰にも言わずに一人で来て下さい』と、そうメッセージをしたためていた。私とまひるの事について話をする為だ。

 けれどそれを龍之介君に手渡して以降、私はずっと迷い続けていた。本当に真実を話していいのか、今までの関係を続ける方がいいんじゃないのか、龍之介君達を傷付けてしまうんじゃないか、そんな事を沢山考えていた。

 私のついている嘘は、絶対にいつかはばれてしまう嘘。いつかは絶対に告白しなければいけない嘘。仮にこの嘘を告白せずに済む方法があるとしたら、それは龍之介君や茜ちゃん達との関係を絶つくらいしか方法が無いと思う。

 でも私は、龍之介君や茜ちゃん達と在りのままの姿でずっと仲良していたい。だから私には、みんなに嫌われる可能性があっても本当の事を話すしか道は無い。そうしないと切り開けない未来だから。

 そう思って決断した事だけど、やっぱり怖いものは怖い。だからこうして私の内情を知る宮下先生に、心の中にある不安を吐露しに来たというわけだ。


「涼風のその気持ちは分からないでもない。しかし君は、自分を偽り続ける事が嫌だったんだろう? だからずっと真実を話したいと思っていた。その機会をうかがっていた。そして君は、こうして真実を話す決断を下した。いったい何が切っ掛けになって君がその決断を下すに至ったかは分からないが、少なからず君の中に居るもう一人の自分に触発されたのは間違い無いのだろう?」

「はい……」


 私は宮下先生の言葉に小さく頭を縦に頷かせた。

 自分の中に居るもう一人の自分、涼風まひる。私の可愛い妹。

 その可愛い妹に、私は何度も助けられてきた。自分では絶対に勇気が出なくてやれない様な事を、まひるは代わってやってくれた。だから私は、男性の涼風まひろとしての生活を送り続ける事ができた。もしもまひるが居なかったら、私は大きなストレスに押し潰されていたと思う。

 それにまひるが居なかったら、こうして真実を話そうと決断する事は無かったかもしれない。


「だったら今は、自分の決断を盲目なまでに信じたまえ。それでも恐れおののく気持ちは消えないだろうが、きっとこれまでの自分とは違う、新しい自分と出会う事ができるはずだからな」

「新しい自分……ですか?」

「まあ、涼風の場合は新しい自分と言うより、本来の自分――と言った方が正しいのかもしれないがな」

「そうですね……そうですよね。ちゃんと本当の自分を見せないといけませんよね……」


 私は自分に言い聞かせる様にしてそう言うと、静かにソファーから立ち上がった。


「ありがとうございます。宮下先生。僕――いいえ、私、頑張ってみます」

「ああ。君が思う様に、君が感じるままにその気持ちをぶつけてきたまえ。そしてその気持ちが相手に伝わろうと伝わらなかろうと、君は胸を張りまたえ。自分の弱い心を乗り越えたのだと」

「はい。ありがとうございました」


 私はその場でペコリと宮下先生に頭を下げた。


「別にお礼を言われるほどの事ではないさ。悩み苦しむ生徒に、決断する為の道を示す。それも私の仕事だからな」


 キリッとした笑みを浮かべると、宮下先生は席を立って保健室の方へと戻り始めた。そして私はそんな宮下先生を見つめながら、その背中に向かって深く頭を下げた。


× × × ×


 宮下先生に相談を持ち掛けた日から一週間後。

 無事に二年生の修了式を終えた私は、茜ちゃんに誘われたファミレスを用事があるからと言って早めに抜けさせてもらい、自宅へ戻ってから細かい身支度と白のワンピースへの着替えを済ませ、龍之介君と待ち合わせをしている海世界へと向かった。


「ちょっと早く着いちゃったかな」


 時刻は十四時を少し過ぎたところ。メッセージカードに書いた時間は十五時だったけど、私は落ち着かなくてかなり早めに海世界へ来てしまった。

 とりあえず外でぼーっとして居ても仕方がないので、私はチケットを購入してから待ち合わせの場所にしている大パノラマ水槽の前へと移動を始めた。


「ここは前に来た時と変わらないなあ……」


 大パノラマ水槽の中で悠然ゆうぜんと泳ぐお魚さん達を見ながら、私は三学期初日の放課後の事を思い出していた。

 龍之介君と二人で行った水族館。楽しい時間に楽しい思い出。そして、本当の自分を見せる為の決意をした瞬間でもあるあの日。思えばあれからの日々は凄く長く感じていたけど、こうして当日を迎えると、案外短かったなあとも思ってしまう。

 昨日までの偽っていた自分との決別。その意識を強く持つ為に、私はまだこの時期に着るには少し早い白のワンピースを着て来た。

 このワンピースを着て外へ出るのは初めてのはずなのに、不思議とそんな気にならないのは、まひるが私の代わりにこれを着て外出した思い出が私の中にあるからかもしれない。

 私の心をできるだけ平穏に保つ為に、龍之介君との楽しい思い出を残す為にと、まひるは本当に色々と尽力してくれた。妹に助けられてばっかりのダメな姉で申し訳ない限りだけど、まひるの存在は私の中で大きな支えになっていた。でも、妹に頼ってばかりのダメな姉は今日で卒業する。


『お姉ちゃん。大丈夫?』


 そうは思っていても、心の中にある不安を消す事はできない。

 そして次々と不安が溢れ出てくるのを感じていたその時、心の中でまひるの心配そうにする声が響いた。


『正直不安でいっぱいだけど、これは私がやらなくちゃいけない事だから』


 ほんの数日前からだけど、まひるとはこうしてほんの少しの間だけど会話をできる様になっていた。この会話自体、私の単なる妄想だと言えなくもないけど、私はそんな風に思いたくはなかった。


『うん……でも、無理はしないでね? いざとなったら私がなんとかするから』


 まひるの力強い言葉が、私の不安を少し和らげてくれる。本当にまひるはどこまでも優しくて可愛い妹だと思う。


『ありがとう、まひる。でも、これだけは自分でちゃんとやりたいの。今までまひるには沢山迷惑をかけちゃったから』

『私は迷惑だなんて思った事は一度も無いよ? だって私、お姉ちゃんの事が大好きだから』

『ふふっ。ありがとう。私もまひるの事が大好きよ』

『えへへっ』


 そんなまひるの言葉に、私は思わず表情を緩めて微笑んだ。まひると色々なやり取りをする様になってから、なんとなく龍之介君が杏子ちゃん相手に甘くなっちゃう理由や、表情を緩ませてしまう理由が分かってきた気がする。

 そしてそんなやり取りをして気分が落ち着いた頃、人もまばらな館内の入口から、一つの足音が響いてきたのに気付いた。


『あっ、お兄ちゃんが来たみたい』


 その足音がなんとなく龍之介君じゃないかなと思っていると、まひるが確信めいた口調でそんな事を言った。まさか足音だけで龍之介君かどうかを判断できたとは思えないけど、まひるならそんな事ができても不思議じゃないかも――と、なぜかそんな風に思ってしまう。


『お姉ちゃん。頑張ってね』

『うん、ありがとう。お姉ちゃん、頑張ってくるね』


 心配をかけない様に明るくそう言うと、まひるの意識が私の中で薄れていくのが分かった。そして私はゆっくりと近付いて来るその足音を聞きながら、再び大パノラマ水槽へと視線を向けた。

 青空を優雅に飛んでいるみたいに泳ぐお魚さん達を見ながら、私はすぐ後ろへと迫っていたその足音の人物へ向けてゆっくりと身体を振り返らせる。

 すると振り返った先には、まひるが言っていた通りに龍之介君の姿があった。どうして後ろから近付いて来ていたのが龍之介君だと分かったのか、それは今度、じっくりとまひるに聞いてみようと思う。


「ありがとう。ちゃんと来てくれて」


 驚きの表情を見せていた龍之介君に対し、私はいつもの様に――ううん、偽りの無い本来の涼風まひろとしてそう言った。

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