第172話・偽りの自分

 メガマウスの標本が置いてある場所に居た俺達は、歩いて数百メートルくらいの位置にあるラッココーナーへと向かい、そこで飼育員さんから餌を貰うラッコを見物したあとでもう一つのパノラマ大水槽がある場所へと向かった。


「ラッコさん、可愛かったよね」

「そうだな。一生懸命貰った貝を割って食べようとしてたよな」

「うんうん! 特に貝を割ってる途中で、こっちをチラッと見るのが可愛いんだよね♪」


 ラッコを見てからのまひろのテンションはとても高く、いつもは物静かで大人しいまひろが、こうして饒舌じょうぜつに喋っている様子を見れるのは珍しい。

 まひろは昔から可愛い生き物が大好きなんだけど、水族館や動物園に来た時の嬉しがり方は、普段とは違い過ぎて驚いてしまう。まあ、普段でも猫を見つけただけで近寄って行っては、『可愛い~』と言っていつまでもその猫を撫で回しているくらいだから、動物全般が好きなんだろう。

 それにしても、未だにラッコの事を『ラッコさん』と呼んでいるところがまた可愛らしい。まあ、まひろの場合はラッコに限らず、他の動物も全て『さん』や『ちゃん』付で呼ぶんだけど。

 楽しそうにラッコの話をするまひろの言葉に耳を傾けて相槌あいづちを打ちつつ、俺達はカラフルな熱帯魚達が颯爽さっそうと泳ぐトンネル型水槽を通り抜け始めた。


「ここも相変らず綺麗だよな」

「うん。綺麗な色の熱帯魚さんがいっぱいで凄いよね」

「このカラフルな色も、警戒色だとか仲間を見つけやすくする為だとか色々言われてるけど、実際のところはどうなんだろうな?」

「そうだね。お魚さんとお話ができれば分かるんだろうけどね」

「まあ、熱帯魚達にも苦労はあるだろうし、あんなカラフルな色をしてたら敵にも見つかりやすいだろうしな。でも、中にはカメレオンみたいに擬態する熱帯魚とかも居るのかな?」

「…………」


 俺がそんな事を口にした瞬間、水槽に反射して見えていたまひろの表情が明らかに曇ったのが分かった。

 さっきまで見せていた明るい表情はどこかへ吹き飛んでしまったかの様に消え、まひろはもの悲しげな表情を見せながらトンネル型水槽の中を泳ぐ熱帯魚達を見つめていた。


「……まひろ、どうかしたか?」

「えっ? ううん、なんでもないよ。ちょっと熱帯魚さん達に見惚みとれてただけだよ」

「そっか」


 まひろは俺の言葉に対してにこっと笑顔を見せると、まるで何事もなかったかの様にしてそう答えた。そしてそんなまひろの様子を見た俺は、やはり今日のまひろはちょっと変だなと思った。

 基本的にまひろは嘘をつくのが下手で、わりと感情が表情に出やすい。だから注意して観察していれば、比較的そういった部分は分かりやすい方だと思う。

 だけど長年親友をやっていると、そういった事にも慣れが生じてしまい、どこか鈍感になってしまうところがあるから、結果としてそれに気付かない時もある。

 そんな事を考えながら熱帯魚達が泳ぐ様を見ていると、館内にイルカショーの開催を告げるアナウンスが鳴り響いた。


「おっ、イルカショーか。まひろ、行ってみようぜ」

「うん」


 館内アナウンスを聞いてそう誘うと、まひろはさっきまで見せていた笑顔を再び見せてくれた。

 そして俺達はイルカショーを見たあとでアザラシへの餌やりなども体験し、イルカが泳ぐ様子が見れるレストラン内で遅めの昼食を軽く済ませたあと、実際に海辺の生物に触れる事ができる体験フロアへとやって来た。


「見て見て。ウニさんが沢山居るよ」


 冬休み直後の平日という事もあってか、水族館の中には人がまばらにしか居ない。休日なら大勢のちびっ子達で賑わっている体験フロアだが、今居るのは俺とまひろの二人だけだ。


「このウニって食べられるのかな?」

「もう、水族館に来てそんな事を言わないでよね」

「あっ、わりいわりい」


 黒々としたウニの長い針に優しく触れながら、小さく口を尖らせてそんな事を言うまひろだが、そんなまひろもやはり可愛かった。

 そしてそんなまひろを見ていると、『何でそんなに可愛いの?』なんて事を聞きたくなってしまう。

 しかしこう言っちゃなんだけど、水族館に来たら誰でも一度くらいは、『あの魚食べられるのかな?』なんて事を考えるのが普通じゃないかと思うんだが、こんな事を考えてるのは俺くらいのものなんだろうか。


「おっ。このコーナーって今はヤドカリも居るんだな」


 まひろの可愛らしくもむくれた表情をいつまでも見ていたいところだけど、それをすると俺の心臓がもちそうにないので、素早く別の話題へと切り替えた。


「あっ、中に引っ込んじゃった。まるで僕みたい」


 まひろはヤドカリの貝殻に触れようと手を伸ばしたが、ヤドカリは伸びて来た手の動きを察してスッと貝殻の中へと身を引っ込めてしまった。

 そしてその様子を見たまひろは、先ほどトンネル型水槽の途中で見せたもの悲しげな表情を浮かべたかと思うと、突然妙な事を口にした。


「何だそりゃ? まひろはヤドカリみたいな貝殻でも持ち歩いてるってのか?」


 本当なら『いったいどうしたんだ?』みたいな聞き方をするところだろうけど、まひろは真面目に聞くと逆にその事を話さない場合が多い。だから俺は、少しだけおちゃらけた感じでそう言った。


「あはは。貝殻なんて持ち歩いてないけど、でも、ある意味で僕はいつでも殻に閉じこもっている様なものだから」


 俺の言葉に対し、まひろは自嘲じちょうする様な表情を浮かべてそんな事を言う。

 まひろは時々よく分からん事を口にするけど、今日のはその中でも特に意味が分からなかった。


「何だよそれ? どういう意味だ?」

「……ねえ。龍之介は嘘をつかれるのは嫌だよね?」


 少しの沈黙が流れたあと、まひろはこちらの質問に対して答える事なく、逆に俺へ質問を投げ掛けてきた。


「そりゃあ、嘘をつかれるのが嬉しい奴なんて居ないと思うけど?」

「そうだよね……」


 俺の返答に対しまひろは、分かりきった事を聞いちゃった――みたいな表情を浮かべた。


「でもまあ、嘘をつくのはよくない事だろうけど、許せる嘘なのか許せない嘘なのか――ってのにもよるんじゃないのか?」

「そうなの?」

「ああ。他の奴がどうかは知らんが、少なくとも俺はそうかな」

「そっか……うん、質問に答えてくれてありがとう。龍之介。僕、今日はこれで帰るね。龍之介はせっかくだからゆっくりして行って」

「えっ!?」


 突然そう言ったかと思うと、まひろは水族館の出口へと向かって歩き始めた。


「お、おい!? どうしたんだよ急に!」


 そう言って出口へ向かって行くまひろに声を掛けると、ピタッと足を止めてからこちらへ振り返った。


「ごめんね、龍之介。ちょっと一人で考えたい事があるんだ。だから今日は一人で帰らせて。お願い」


 まひろの表情は至って真剣そのものだった。そして俺は今まで見た事が無いまひろの真剣な表情を前に、その場を動けなかった。


「ありがとう、龍之介。今日は楽しかったよ。また明日ね」


 まひろはそう言うと、いつものにこやかな笑顔を見せながら俺に軽く右手を振り、そのあとで水族館を出て行った。

 やはり秋野さんから聞いていたように、まひろには何か悩みがあるのは間違い無い。だけど、結局それを知る事はできなかった。

 そしてまひろが去ったあと、俺はモヤモヤとした気分のまま、体験コーナーに居るヤドカリをしばらくじっと見つめていた。

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