第154話・知りたい気持ち

 お化け屋敷の雰囲気に合ったおどろおどろしい音楽が流れる暗い教室内。

 そんな暗闇の中で本番の為にとあつらえられた切れかけの裸電球の明かりが、チカチカと点いたり消えたりしながらこの空間の恐怖を演出している。

 俺とまひるちゃんはそんな中をゆっくりと歩いているんだけど、俺は思っていたよりも怖さを感じていなかった。

 見た目と耳から感じる雰囲気は、学生が作るお化け屋敷としては申し分ない出来だと思うけど、組んだ背景パネルの後ろ側からヒソヒソと聞こえるクラスメイト達の声が、決定的にこのお化け屋敷の雰囲気を壊している。

 脅かす側はお客さんが通った先に居る次の脅かし役にその事を伝える役割があるんだけど、その声があからさまに筒抜けになっていて、これでは雰囲気が台無しどころの話ではない。


「大丈夫?」

「ん? 全然平気だよ?」


 俺の後ろからついて来るまひるちゃんを心配してそう聞いてみたけど、当のまひるちゃんはここへ入る前の宣言通りに至って平気な様子だった。

 まあ、こんな脅かす場所が筒抜けのお化け屋敷じゃ驚けって方が無理があるだろうから、あとでしっかりとこの問題点を指摘して対処をしないといけない。

 そう思いながらまひるちゃんと一緒に進んでいると、またもやパネルの後ろからクラスメイト達の移動する足音が聞こえ、そこから俺達の通過を伝える声が聞こえてきた。


「ぐわあーっ!」


 そして間もなく、俺の思った通りのタイミングで狼男に扮したクラスメイトが脅かしを入れてきた。

 タイミングや場所が分かると、お化け屋敷ってこんなにも陳腐ちんぷになるんだなと、別の意味で驚いている自分がいる。


「怖いよー」


 狼男に扮したクラスメイトが俺達を驚かせてから裏へ引っ込むと、まひるちゃんはわざとらしくそう言いながら俺の背中に抱き付いた。


「ちょ、ちょっと!?」

「お化け屋敷に来たカップルって、みんなこんな事をするんですよね?」


 俺の背中にピッタリと密着しながら、まひるちゃんは耳元でそんな事を小さく聞いてきた。

 背中からはまひるちゃんの温かな体温が伝わり、同時に甘い花の様な香りが鼻へと伝わってくる。


「さ、さあ? みんながそうするわけじゃないとないと思うけど?」

「そうなんですね。――さあ、行こう龍之介」


 まひるちゃんは俺の背中から離れると、途端にまひろの様な声音でそう言った。


「お、おう」


 見せる様相が度々切り替わるまひるちゃんに戸惑いを感じながらも、俺は再び薄暗いお化け屋敷の中を進んで行く。


「――うおっ!?」

「きゃっ!」


 おおよそ八分くらいでゴールの喫茶店へと辿り着く様に作られた通路を歩き、そろそろ目的のゴールへと辿り着こうとした時、俺は自分の顔に冷たくヌルッとした物が当たった事に驚いて思わずけ反ってしまい、そのまま体勢を崩してまひるちゃんに覆い被さる様な感じで床に倒れてしまった。


「いたた……」

「だ、大丈夫!? あっ――」


 室内の薄明かりの中で目を開くと、吐息を感じるほど近い位置にまひるちゃんの顔があり、俺は思わず固まってしまった。


「あっ……」


 それは俺のあとで目を開いたまひるちゃんも同じだったみたいで、俺と同じ様にして見事に固まっていた。

 この状態をもし客観的に見たとすれば、俺がまひるちゃんを床に押し倒している様にしか見えないだろう。だから早く立ち上がらないといけないんだけど、俺はなぜかまひるちゃんを見つめたまま視線を外せなくなっていた。


「おにい、ちゃん……」


 お互いに見詰め合っている時間はほんの数秒程度だったと思うけど、黙って見詰め合っていた俺達の沈黙を破ったのはまひるちゃんだった。

 まひるちゃんは静かにそう呟くと、開けていた目を静かに閉じ、ゆっくりとその顔を近付けて来た。そしてその行動を見た俺は、自分の身体が更に硬直したのが分かった。

 だってまひるちゃんが今しようとしている行動は、どう見たってキスをしようとしている様にしか見えなかったからだ。そしてそんな事を考えてしまったせいで、俺の心臓はバクバクと激しく鼓動し、余計にその状況から身体を動かす事ができなくなっていた。

 そしてまひるちゃんの可愛らしい顔が目前まで迫ってもまったく動く事ができなかった俺は、その雰囲気に流される様にして固く目を瞑った。


「おいっ! 凄い音がしたけど大丈夫か!?」

「うおっ!?」

「きゃっ!」


 背後から渡の大きな声が聞こえ、俺は一瞬にしてその場で立ち上がった。


「あ、ああ、俺は大丈夫だよ。ちょっと驚いて転んだだけだからさ」

「いや、俺が心配してるのは涼風さんの方だよ。最初はなっから龍之介の心配はしてねえって」


 ――コイツ。気持ちは分からんでもないが、そこは嘘でもいいから俺の心配もしてたと言えよ。


「ごめんな、まひろ。大丈夫だったか?」

「う、うん。大丈夫だよ」


 俺が手を差し出すと、まひるちゃんはその手をそっと握ってからゆっくりと起き上がった。


「本当に大丈夫だった? 涼風さん」

「うん。本当に大丈夫だよ。ありがとね、渡君」


 薄暗い部屋でも映える、まひるちゃんのエンジェルスマイル。渡に向けるには惜しいくらいだ。


「いやいや~。それにしても龍之介、お前も情けねえなあ」

「悪かったな。妙なもんが顔面に直撃したから、ちょっと驚いちまったんだよ」


 渡の言葉にぶっきら棒にそう答えると、渡はしてやったりと言わんばかりのニヤッとした笑みを浮かべた。


「そっかそっか! 俺の作ったすらいむちゃん四号にそんなにビックリしたか!」

「はあっ!? すらいむちゃん四号だあ!?」

「そうそう! 俺が三日かけて作った至高の一品だ! 結構苦労したんだぜー。なんつっても――」


 俺は別に聞きたくもないんだが、渡はそこからすらいむちゃん四号の製作過程をペラペラと話し始めた。俺は最初の三十秒くらいは我慢して話を聞いていたんだけど、そこから先を聞くのはもう面倒だったので、まひるちゃんと一緒に渡の横を通り抜けて無事にゴールを果たした。

 そしてこのあとに行われた反省会で現状のお化け屋敷の問題点を指摘し、その解決を図る方法をみんなで話し合った。

 ちなみに渡が苦労して作ったと言っていたすらいむちゃん四号だが、色々な意味で危ないと提言した俺の言葉により、その使用が禁止される事になった。


× × × ×


 陽も沈んだ十九時頃。

 俺はまひるちゃんと一緒に学園を出て帰路を歩いていた。


「今日は楽しかった? まひるちゃん」

「はい。こうやってお祭りの準備に携わるのは初めてでしたけど、とっても楽しかったです」


 周りにはもう学園の生徒が居ないという事もあり、俺達はいつもと同じ様にして喋っていた。

 そしてまひろになりきる必要がなくなったからか、まひるちゃんもリラックスした様子で俺との会話を楽しんでいるみたいだった。


「――あ、あの……お兄ちゃん。今日はごめんなさいでした」


 楽しく話しながら帰路を進み、もうそろそろ最寄り駅が見えてこようかという頃。まひるちゃんは唐突に足を止め、深々と頭を下げて謝った。


「急にどうしたの?」


 いきなりの事に驚いてそう聞くと、まひるちゃんは困った様な感じの表情を浮かべてからその小さく可愛らしい口を開いた。


「えっとあの……お化け屋敷の中での事です……」


 その言葉を聞いた俺は、あの時の事を思い出して一瞬で顔が熱くなってしまった。

 吐息を感じるほどの近い距離、ドキドキと激しく鼓動する心臓、まひるちゃんの可愛らしい顔が徐々に自分へと近付いて来ていた時の緊張感。その全てが瞬時に思い起こされ、俺は再びあの時の様に身体が固まりそうになっていた。


「いやあの……俺の方こそごめんね。渡のくだらない玩具おもちゃに驚いたせいで、まひるちゃんを巻き込んじゃってさ。本当に渡には困ったもんだよ。この間もさ――」

「あのっ!! 嫌じゃなかったですか!?」


 心の中の緊張をおちゃらけて誤魔化そうと思ったその時、突然まひるちゃんが顔を真っ赤にしてそう言い放った。


「えっ!? い、嫌じゃなかったかって、何が?」


 我ながら意地の悪い聞き方をしたと思った。でも俺は、まひるちゃんから直接その内容を聞きたいと思ってしまった。

 それは多分、あれが俺の単なる思い込みで勘違いだったと思いたかったから。


「だからその……私にあんな事をされて嫌だったんじゃないかなって思って……もしもそれでお兄ちゃんに嫌われたりしたら嫌なので…………」


 両手をギュッと握り合わせたまま、まひるちゃんは今にも泣きそうな声でそんな事を言った。

 しかし俺は、そんなまひるちゃんを前にして何も言えなかった。まひるちゃんの問い掛けにどう答えていいのか分からなかったからだ。

 だってあの時に渡が現れなければ、俺は雰囲気に飲まれてそのままキスをしていたかもしれなかったから。だからこそ分からなかった。

 まったく考えた事がないと言えば嘘になるけど、まひるちゃんをそういった対象として見た事はほぼなかったから。

 だけどまひるちゃんの事はもちろん好きだ。可愛らしくて前向きで、いつも笑顔を絶やさなくて、一緒に居ると元気をもらえるから。

 でも俺は杏子と同じ様な妹的存在として見ていたわけで、一人の女性として見ていたわけではなかった。だからこそ俺は、まひるちゃんの質問にどう答えていいのか分からなかった。


「えっと……あの……」

「ご、ごめんなさい! 変な事を聞いてしまって。私、帰りますね」

「あっ……」


 俺が戸惑っている事が分かったからか、まひるちゃんはそう言うと慌てて駅の方へと走り始めた。

 そして俺は遠ざかって行くまひるちゃんの背中を見ながら、呆然とその場に立ち尽くしてしまった。

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