第145話・決意の瞬間

 高校二年生になって二度目の夏休みを迎えてから六日が経った。

 私は夏休みに入ってからすぐに現在住んでいる土地を離れ、小学校四年生の最初の頃まで住んでいた土地へとやって来ていた。


「ここも結構いい雰囲気だったなあ」


 見学に訪れていた高校の休憩所。

 私はそこにある簡素な背もたれの無い丸椅子に座り、四角の木目模様をしたテーブルの上に渡されていた資料を広げ、様々な項目に赤ペンで丸をつけていた。

 今回私はお母さんの仕事の都合で、再びこの街へと戻り住む事になっていた。なので私は、新しく転入する高校を選ぶ為に色々な高校を見学して回っている。


「うーん……」


 渡されていた資料に目を通しながら赤丸をつけていく中、私はとある項目を見て手の動きを止めた。その項目とは、全生徒の男女の人数だ。


「男子400人に女子は150人か……」


 普通は男女比率なんてあまり気にする様な項目じゃないと思うけど、私にとってはとても重要な項目になる。


「……とりあえずここは保留かな」


 私は資料をパタッと閉じてから席を立ち、職員室に立ち寄ってから見学のお礼を言ってこの学校をあとにした。


「えーっと、次の見学場所は――」


 持ち歩いている小さな鞄から手帳を取り出し、予定表のページを開き見る。

 転入の候補として選んでいる高校はいくつかあるけど、こちらの都合のいい時に見学をさせてくれる高校は結構少ない。だからなるべくスケジュールをしっかりと組んで、効率よく許可をくれた高校を見学して回るしかない。

 私としては二学期の始業式には出られる様にしたいから、夏休み最初の一週間で候補の高校の見学を終え、中頃には通いたい高校の転入試験を受けたいと思っていた。だけど実際はスケジュール通りにいっていないので困っている。


「あと二日以内には決めておきたいなあ……」


 ふうっと溜息を吐いたあと、私は次の候補である高校へ向かって移動を始めた。


× × × ×


「ああー。疲れたなあ~」


 今日予定していた高校の見学を終えた私は、こっちに滞在する間に宿泊しているホテルへと戻り、シャワーを浴びてからベッドへと身体を投げ出した。

 そして大きなベッドの上で少しゴロゴロしたあと、私は身体を起こして小さなテーブルの上に置いていた鞄から手帳を取り出して再び寝そべり、予定表のページを開き見た。


「あとは星香せいか女子学園と、花嵐恋からんこえ学園か。星香女子は明日見学に行くけど、花嵐恋学園はまだ見学許可を貰えてないんだよね……」


 手にした手帳の予定表を見ながら、私は小さな溜息を吐く。

 優柔不断な私もいけないとは思うけど、自分が通う高校はなるべく慎重に選びたい。あの時の様な思いを再びしない為にも。

 私は枕元に置いていた携帯を取ってメッセージ画面を開き、お母さんにいつ頃帰って来るのかを聞こうとメッセージを送った。

 そしてメッセージを送ってから数分後。

 お母さんからの返信で帰りが遅くなると分かった私は、その日の夕食をどうしようかと考え始めた。自宅なら迷わず何か作るけど、さすがにホテルで自炊をする事はできない。

 しばらくどうしようかと考えたあと、私は携帯をネットに繋いでからグルメサイトを開き、近所にあるお店を検索してから良さそうな感じの和食のお店へと向かった。


× × × ×


 地元を離れてから八日目の朝を迎えた。

 今日は十五時頃に駅でお母さんと合流し、地元へと帰る日だった。


「まだ時間もあるし、ちょっとだけ行ってみようかな」


 手にした携帯の時計表示は午前十時前を示している。

 本当なら今日最後の見学場所である花嵐恋学園へ行っている時間だ。だけど学園から見学許可の連絡が来ていないので、私はこの最後の日をどう過ごそうかと悩んでいた。

 そしてしばらく悩んだ末に、とりあえず学園の外観や雰囲気だけでも見に行こうと考え、持って来ていた荷物をまとめてからホテルをチェックアウトし、お母さんとの待ち合わせ場所にしている花嵐恋学園に一番近い駅へと向かい、そこのコインロッカーに荷物を預けてから外へと出た。


「暑いなあ……」


 ギラギラと照りつけてくる陽射しを遮る為に右手を上げる。すると上げた手の隙間から、青い空と厚く大きな入道雲が見えた。

 夏の暑さにうんざりしながら上げていた右手を下げて前へ歩き始めたけど、私はものの五分も経たない内にその足を止めた。


「あっ……」


 お腹をさすりながら横を通り過ぎた人を見て、私は思わずはっとしてしまった。


「あの、もしかして、鳴沢龍之介君じゃないですか?」


 横を通り過ぎた人の方へと振り向いた私は、思わずそう声を掛けた。


「あの……すみませんが、どちら様ですか?」


 私の言葉を聞いて振り返ったその人は、少し困惑した感じの表情でそう聞き返してきた。わざわざそんな風に聞き返してきたという事は、この人が鳴沢龍之介君なのは間違い無いんだと思う。

 とりあえず人違いじゃなかったみたいだから安心したけど、私は自分の事を忘れられていたのがちょっと辛かった。


「そっか。分からないよね。こうして話すのは小学校三年生の時以来だもん……」


 忘れられていたのは辛いけど、あれから長い年月が経っているし、何より私がしてしまった事を考えれば、たっくんが私の事を忘れていてもそれは仕方のないと事だと思える。


「ごめんなさい。ちゃんと覚えてなくて。失礼ついでと言ったらなんですけど、お名前を伺ってもいいですか?」


 少し間が空いたあと、たっくんは申し訳なさそうな表情をしながらそう聞いてきた。


 ――この相手を気遣う感じの聞き方、なんだか懐かしいな……。


「あ、あの……私、朝日瑠奈あさひるなです……」

「えっ? 朝陽瑠奈って……も、もしかして、るーちゃん!?」

「うん……」


 久しぶりに聞いた『るーちゃん』というあだ名。

 それを聞いた私は懐かしさで思わず嬉しくなってしまったけど、すぐにあの時の事を思い出して申し訳なくなり、そのまま顔を俯かせた。

 でも、数年ぶりに再会したたっくんとこのままお別れしてしまうのが嫌だった私は、思い切ってたっくんを誘ってみる事にした。


「……あ、あのっ! 良かったらどこかで少しお話できないかな?」

「えっ? あ、ああ、うん。いいよ。それじゃあ、近くに行きつけのファミレスがあるから、そこでもいいかな?」

「う、うん! ありがとう」


 こうして私はたっくんに連れられてファミレスへと向かい、そこでたっくんと数年ぶりにお話をできる事になった。


「――あ、あの……元気にしてた? たっくん」


 少し閑散としたファミレス内。

 その一角にあるボックス席へと座った私は、向かい側に座っているたっくんにそう話し掛けた。


「うん。それなりに元気にやってたよ。るーちゃんは? 転校したのを聞いた時にはビックリしたけど」

「私もそれなりに元気だったよ。でも、家の事情で急に引越しが決まって、お別れも言えなかったの。ごめんなさい」

「そうだったんだ」


 私の言葉を聞いたたっくんは、少し寂しそうな感じの表情を浮かべた。

 そしてそれを見た私は、心がチクリと痛むのを感じた。なぜなら私の言った言葉は、半分嘘だったから。

 引っ越しが急に決まったのは本当だけど、たっくんにお別れを言おうと思えば言う事はできた。

 でも、私はそれをしなかった。したくてもできなかった。たっくんに合わせる顔がなかったから。


「うん。それにほら、あの時はその……色々あったから話もし辛かったし……」

「そっか……でもまあ、るーちゃんも元気だったみたいだし、良かったよ」


 顔を俯かせた私の耳に、たっくんの柔和にゅうわで明るい声が聞こえてくる。

 そしてそんな声に私が顔を上げると、あの出来事が起こる前は何度も見ていた優しい笑顔がそこにあった。


「まだ私の事を、るーちゃん――って呼んでくれるんだね」

「えっ? あ、ああ。ごめんね、つい昔の癖でさ。久々に会ったのに、馴れ馴れしかったよね」

「ううん! そうじゃないの!」


 私はとっても嬉しかった。長い年月が経ったというのに、あんな酷い目に遭わせてしまったというのに、こうやってまだあだ名で呼んでくれる事が。

 だから私は、つい必死になってその言葉を否定した。


「あっ、ごめんね。私の事は昔みたいに呼んで。ううん、そう呼んでほしいの。お願い……」

「……うん、分かったよ。それじゃあ昔みたいに、るーちゃんて呼ばせてもらうね」


 たっくんは私のお願いを嫌な顔もせずに聞き入れてくれた。


「ありがとう、たっくん。あっ、私は鳴沢君って呼んだ方がいいかな?」

「ううん。俺の事も昔みたいにあだ名で呼んでよ」

「それじゃあ、昔みたいにたっくんで」


 私がそう言うと、たっくんはにこっと笑顔で頷いてくれた。

 そんなたっくんの笑顔を見て安堵した私は、紅茶が入ったティーカップを手に持って口元へと運び、ゆっくりとそれを飲んだ。それから徐々に緊張が解けてきたからか、私はたっくんとしばらくの間話し込んだ。

 そして何気ない会話を交わしていく中で、私はたっくんに今通っている高校がどこなのかを聞いた。それは単純に興味から聞いた質問だったけど、たっくんの通っている高校名を聞いた私は、心が大きく弾むのを感じた。


× × × ×


 ファミレスでたっくんが花嵐恋からんこえ学園に通っているという話を聞いた私は、我がままを言ってたっくんに学園まで連れて来てもらった。


「さあ。着いたよ」

「わあー。たっくんはここに通ってるんだね!」

「うん。こっちが本校舎で、その向かいにあるのが運動部や文化部が使う部活専用棟。他にもレクリエーションに使う事を目的としたレクリエーション専用棟なんかもあるんだよ」

「へえー。けっこう敷地の広い学園なんだね」

「俺も最近知ったんだけど、敷地面積は全国の小中高大を含めて五本の指に入るくらいに広いんだってさ」

「凄いんだね……ねえ、たっくん。校舎の中には入れないかな?」

「うーん……入れない事は無いと思うけど、学生服も着てないしなあ……」

「そっか。無理を言ってごめんね……」


 花嵐恋学園の生徒であるたっくんが居れば、もしかして二人で学園見学をできるかも――なんて思ってしまったけど、現実はそんなに甘くはなかった。


「いや、別に謝る事はないよ。でもまあ、せっかく来たんだし、ちょっと覗いて行くくらいはいいかな」

「いいの?」

「うん。でも、先生に見つかったら、一緒に怒られてもらう事になるけどね」

「分かった。もしも先生に見つかったら、私もたっくんと一緒に怒られるよ♪」


 たっくんの言葉を聞いた私は、すぐに頭を頷かせた。少しでも長くたっくんと一緒に居られるなら、怒られるのも怖くない。


「そこまでの覚悟があるなら行こっか」

「うん! よろしくお願いします」


 躊躇ちゅうちょ無く返答をした私にたっくんは驚いた様な表情を見せていたけど、すぐににこやかな笑顔を浮かべて校舎の方へと歩き始めた。そしてたっくんは出勤している先生に見つからない様にと、細心の注意を払いながら私を色々な所へと案内してくれる。

 それでも途中で何度か先生と遭遇しそうになったけど、急いで物陰に隠れたりしながらやり過ごした。私はこれがいけない事だと分かってはいたけど、たっくんと一緒にそんな事をしているのが楽しかった。

 そしてしばらく色々な場所を案内してくれたたっくんは、せっかくだからと自分が在籍しているクラスへ私を案内してくれた。


「ここでたっくんが勉強してるんだね。席はどこかな?」


 私は興味津々にたっくんの席がどこだろうかと教室内を見回した。するとたっくんは自分の席を指差しながら、校庭側の一番後ろの席だと教えてくれた。

 そしてせっかくここまで来たのだからと、私は教室内に入れないかとたっくんに尋ねてみた。するとたっくんは苦笑いを浮かべ、『夏休みだからさすがに鍵がかかってると思うけどね』と言いながら、教室前方の引き戸へと手をかけて開けようとした。だけど案の定、たっくんの言った通りに鍵がかかっていたみたいで、その引き戸は動かなかった。


「それじゃあこっちも開かないのかな?」


 私は諦め悪く教室後方の引き戸へと向かい、その引き戸を引いてみた。


「あ、あれっ!?」


 前方の鍵は閉まっていたんだから、当然こっちだって鍵がかかっているだろうと思っていたんだけど、そんな私の思いに反し、ドアは何の抵抗も感じさせずに開いてしまった。


「あれっ!? どうしてそっちだけ鍵がかかってないんだ?」

「ど、どうしよっか?」

「開いたものは仕方ないし、入っちゃおうか」

「い、いいの?」

「大丈夫――って胸を張っては言えないけど、まあ、見つかった時の秘策はあるから。ほら、入っておいでよ」

「う、うん……それじゃあ、お邪魔します」


 先に教室内へと入ったたっくんがそう言ったのを聞き、私は恐る恐る教室内へと足を踏み入れた。するとたっくんは教室内をすたすたと歩き、さっき教えてくれた自分の席へと腰を下ろした。


「こうしてみんなが居ない室内を見ると、結構この教室って広いんだな……」

「ふふっ」

「どうかした? るーちゃん」

「あっ、ごめんね。なんだか小学生の時の事を思い出しちゃって」

「小学生の時?」

「うん。あの時もたっくんは、窓際の一番後ろの席だったなーって」


 そう。あの時もたっくんは、この位置の席でこうやって少し背中を丸くして座っていた。


「そんな事よく覚えてたね」

「うん。ずっと見てたから……」


 そう言ったあと、私は口にしてしまった言葉が恥ずかしくなり、思わずだっくんから視線をらして背中を向けてしまった。


「ところでるーちゃん。どうして花嵐恋学園が見たかったの?」


 たっくんはまるで、私の口にした言葉など聞こえていなかったかの様にしてそんな事を聞いてきた。


「えっ? ああ、えっとね、私、八日前からお母さんとこの街に来てたの。それでね、こっちに来てからずっと色々な高校を見て回ってたの」

「へえー。どうしてそんな事を?」


 たっくんに理由を聞かれた時、私はその理由を話すかどうかを迷った。

 この街に戻って来るという事は、少なからずたっくんと会う機会があるかもしれないという事。それは私にとってとても嬉しい事ではあるけど、その反面、とても心苦しい事でもある。

 だけど、せっかくこうして再会したんだから、少しでも接点を持っておきたいと、図々ずうずうしくもそう思ってしまった。


「…………あ、あのね、たっくん! 私ね――」

「君達。ここで何をしてるのかね?」


 せめてこっちに戻って来る事だけでも伝えようと決心して口を開いたその時、私の後ろにある出入口から女性の声が聞こえてきた。

 その声に驚いた私が後ろを振り向くと、そこには茶色の長髪を綺麗にポニーテールにしている白衣姿の女性の姿があった。


「み、宮下先生!? 何でこんな所に?」

「それは私が真っ先に尋ねた事なんだがね?」

「いやまあ、その、なんと言いますか……」


 たっくんは出入口に居る先生の所へ向かうと、ここへ来た事情を説明し始めた。


「ふむ。君もよくよくこういった事に縁のある人間みたいだな」


 たっくんが宮下先生と言ったその女性は、そう言いながら私の方をチラッと見た。そしてその目はまるで、私という人間を観察しているかの様に見えた。


「まあ、事情は分かったが、このままここに居るのは好ましいとは言えないな」

「ごめんなさい。たっくんは悪くないんです。私が無理にお願いしたからいけないんです……」


 先生のそんな言葉を聞いた私は、たっくんに迷惑がかからない様にと頭を下げた。


「彼女はこう言っているが、そうなのかね?」

「確かにそうお願いはされましたけど、連れて来たのは俺の意志です。彼女の責任じゃありません」


 たっくんは謝る私をかばう様にしてそう言ってくれる。

 本当にたっくんは昔から変わらず優しい。だからこそ、そんな彼に甘えてしまいそうになる。これが私のいけないところだ。


「まあいい。私は今から職員会議に出ないといけないから、これで失礼するよ。君達は他の先生に見つからない内にここを出たまえ」


 そう言うとその先生は少し微笑みながら私達に背を向け、教室の外へ向かって歩き始めた。


「ありがとうございます」


 そしてたっくんがお礼を言うと、その先生はこちらを振り向く事なく、軽く上げた右手をプラプラと左右に振りながら教室を出て行った。


「……行こっか。るーちゃん」

「うん」


 私はそう言うたっくんの言葉に頷き、そのまま教室を出て静かに校門へと向かった。


「――今日はありがとう。たっくん。おかげで楽しかった」

「ううん。大した案内ができなくてごめんね」

「そんな事ないよ。とっても嬉しかった。たっくんも昔と変わってなくて安心したし」


 本当にたっくんは昔と変わっていなかった。優しいところも気遣いを忘れないところも、あの頃と何も変わらない。


「あっ、いけない!」


 そんな昔と変わっていないたっくんを見て安心した時、私はふと目に映った腕時計の時刻がお母さんとの待ち合わせ時間を過ぎている事に気付いた。


「どうかしたの?」

「お母さんとの待ち合わせ時間を過ぎてるの」

「えっ? そうなの!? それじゃあ急いで戻らないと!」

「う、うん」


 ビックリした表情を見せるたっくんと一緒に、私はお母さんと待ち合わせをしている駅へと走り始めた。


「――はあはあっ」

「大丈夫? るーちゃん」

「う、うん。大丈夫だよ。ありがとう」

「ふうっ……ほら。これで汗を拭きなよ」


 急いで駅前へ戻って来ると、たっくんはポケットから取り出したハンカチを差し出してくれた。


「ありがとう。でも、たっくんはいいの?」

「大丈夫大丈夫。俺の汗なんて自分の服で拭いとけばいいから。それよりもるーちゃん、早く行かないと」

「あ、そうだった。でも、このハンカチ……」

「それはいいから早く行って。お母さんが待ってるんでしょ?」

「う、うん。ありがとう、たっくん。これ、必ず返しに来るから!」


 私はそう言ってから駅の方へと進み始め、後ろを振り返りながら手を振って待ち合わせの場所へと向かった。

 それからお母さんと無事に合流した私は、コインロッカーに預けていた荷物を取ってから地元への帰路についた。


× × × ×


 夏休みもあと五日で終わろうとしていたお昼頃。

 私は最後の引越し荷物をまとめていた。

 たっくんと偶然再会して地元へ帰ったあと、私はすぐに花嵐恋からんこえ学園への転入申請書類を送り、夏休み中頃には転入試験を受けて無事に合格する事ができた。

 花嵐恋学園への転入を決めたのは、たっくんから聞いた学園生活の生の情報が役立ったのと、話に聞いていた通りにカップル率が高かったからだ。

 でも、花嵐恋学園への転入を決めた一番の理由は、たっくんが居たから。動機としてはかなり不純だと思うけど、あの時から私も少しは成長したと思うし、今回たっくんに会った時にもそれなりに話はできた。

 小学校三年生の時にたっくんを傷付けてしまった事を考えると、私が花嵐恋学園に転入して来るのは酷い事なのかもしれない。

 だけど、たっくんの近くに少しでも居られたら、私は勇気を出してあの時の本当の気持ちを話せる時がくるかもしれない。そしたらまた、あの頃に感じていた幸せな気持ちを、失ってしまった関係を少しは取り戻せるかもしれない――と、淡いながらもそんな期待を抱いていた。

 もちろんその話をしたからといって私が許されるわけではないと思うし、信じてはもらえないかもしれない。だけど、私はたっくんに許してほしかった。

 あの引越しをしてからも、私はずっとたっくんの事を忘れた事はなかった。ううん。忘れようとしても忘れられなかった。今までずっと、心の中で後悔を抱きながら過ごして来たんだから。


「……ハンカチ。ちゃんと返さないとね」


 透明な袋の中に入れていたハンカチを見ながらそう呟いた。

 私はこれからたっくんが居るあの街へと向かう。そして新学期が始まるのと同時に、私はたっくんと同じ花嵐恋学園の生徒になる。

 できればたっくんと同じクラスになればいいな――なんて思ったりもするけど、さすがにそんな事はないと思う。

 そういえば、学園の転入試験の時に受けた面接で、あの白衣を着た茶髪のポニーテールの先生と再会した。確か名前は宮下先生だ。面接の時に色々な質問をされたし、ちょっと癖のある喋り方をする面白い人だったから覚えている。

 とても印象的な人だったから、あの先生と会うのもちょっと楽しみだ。


「さてと。そろそろ行こうかな」


 私は取り出していたハンカチの入った袋を鞄へ入れ、玄関で靴を履いて外へと出た。


「たっくんとまた仲良くできたらいいな……」


 自分の選択した道に不安が無いわけじゃない。むしろ、不安が溢れ出てきそうなくらいだった。でも、それ以上に嬉しさがあったのも事実。

 私はそんな不安と嬉しさが入り混じる複雑な心境を抱えたまま玄関の扉を閉じ、気合を入れ直してから駅へと向かった。

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