第115話・嬉しさと煩悩の狭間

 春夏秋冬。季節にはそれぞれに良さというものがある。

 しかし何を良さと感じるかは、人によってかなりの違いがあるだろう。


「まひるちゃん。本当にいいの?」

「は、はい。自分で頼んだ事ですから。よろしくお願いします……」


 女の子座りで顔を赤らめたまま、軽く重ねた両手の人差し指をくるくると回すまひるちゃん。

 二人で立てたカラフルなパラソルの下。レジャーシートを敷いたその上で、俺とまひるちゃんは海に来たカップルがよくやっている事を行おうとしていた。


「そ、それじゃあ、脱いでもらってもいいかな?」

「は、はい。優しくお願いしますね?」

「りょ、了解……」


 まひるちゃんは小さくもぞもぞと動きながら、恥ずかしそうに着ていたスカイブルーのワンピース水着を脱ぎ始める。俺はそんなまひるちゃんを見ながら、男として生まれてきて本当に良かったと心底思っていた。

 俺が単純なのか、それとも男という種が単純なのか、そんな事をつい深々と考えてしまいそうになるけど、今はそんな哲学にも通じる様な事を考えるよりも、少しでも可愛らしいまひるちゃんの姿を目と心に焼き付けようと頑張る事の方が重要だ。


「そ、そんなに見ないで下さい。恥ずかしいです……」


 スカイブルーのワンピース水着の下に見える美しく白い肌。

 普段では絶対に見る事ができない部分の露出を見ていると、まひるちゃんは両手で胸元を隠す様にしながら、自分の身体を抱き包む様に両手を交差させて二の腕を握った。

 そんなまひるちゃんの顔はますます赤くなり、その顔を見られまいとした感じでそっぽを向く。そんな姿を見ていると、男なら誰でもその恥ずかしげにしている表情が見たくなってしまうのではないだろうか。


「あっ、ごめんね、まひるちゃん。可愛かったもんだからつい」

「ほ、本当ですか? だったら許しちゃいます……でも、もうじっと見ちゃ駄目ですよ? 恥ずかしいですから……」


 こちらへチラッと顔を向け、恥ずかしそうに呟くまひるちゃん。

 俺はそんなまひるちゃんを見て、天使って実在するんだな――と思った。


「分かったよ。それじゃあ、そのままうつ伏せになってもらっていいかな?」

「はい」


 まひるちゃんが目の前でうつ伏せになると、俺はまひるちゃんが持参したウォータープルーフタイプの日焼け止め乳液クリームを少量手の平に出し、軽く擦り合わせた。そしてある程度手の平に広がったところで、背中の中心部分から外側に向かってゆっくりとそれを塗り広げていく。


「んんっ……」

「大丈夫?」

「は、はい。ちょっとくすぐったいですけど、大丈夫です」


 まひるちゃんは時々身をじらせながら、日焼け止めを塗る際に走るくすぐったい感覚に耐えている様子だった。

 俺の手が背中へ触れる度に漏れ聞こえるなまめかしいその声は、健全な男子であるところの俺には相当に辛いものがある。しかしまひるちゃんは俺をまひろの様な兄として尊敬してくれているんだから、ここは如何いかなる方法を用いてもその煩悩を散らさなければいけない。


 ――煩悩退散、煩悩退散、煩悩退散…………。


 念仏の様に頭の中でそう唱えながら、修行僧にでもなった勢いで煩悩という煩悩を外へ追い出して行く。このまま行けば、悟りを開けそうな感じすらしてくる程に。

 こんな調子で煩悩との激しい戦いを繰り広げながら日焼け止めをある程度塗り終えると、また乳液クリームを手の平に出してから同じ様にして塗り広げていくという行動を、俺は機械の様に淡々と繰り返した。

 しかしいくら頑張って煩悩を追い払いつつ日焼け止めを塗ろうとも、まひるちゃんのきめ細かい背中の触り心地やその温もりは、いつまでも俺の手に残った。


「ありがとうございます。お兄ちゃん」

「あ、ああ。これくらいなんでもないさ!」


 日焼け止めをしっかりと塗り終わった俺は、気恥ずかしさを誤魔化す様に明るくそう言った。

 そして海の家で同じくレンタルしていた浮き輪を膨らませ始めながら、まひるちゃんとの会話を引き続き楽しんでいた。


「でも、普段は見える部分しか塗らないから、ちょっと恥ずかしかったです」


 まひるちゃんは俺の隣に座り直し、他の露出部分に日焼け止めを塗りながらそう話してくる。


「まひるちゃんは普段も日焼け止めをちゃんと付けてるの?」

「はい。私、肌が弱いみたいで、焼けちゃうと肌が凄く赤くなって痛くなっちゃうんです。だから夏だけじゃなくて、どの季節でも日焼け止めを付けてるんですよ」

「へえー。それは結構大変だね」


 女の子は色々な事に対して気苦労が耐えないというのはよく分かっているつもりだけど、それでも実際にこういった話を聞くと、もはや感心するとしか言いようがなくなる。


「そうなんですよ。毎日の事だから大変ですし、肌に合うのを見つけるのも一苦労なんです。特に今日の為に買ったこの日焼け止めを探すのには苦労しました」

「えっ? それって普通の日焼け止めとは何か違うの?」

「うーん……普通と違うかと言われるとあんまり違いはないんですけど、これが有るか無いかの違いですね」


 まひるちゃんは手に持っていた日焼け止め容器の一部分を指差す。そしてその指差された先には、耐水テスト済み、六十分と書かれていた。


「これが他のと違うの?」

「そうなんです。ウォータープルーフタイプって色々とあるんですけど、耐水テストをしている商品て案外少ないんですよ?」


 まひるちゃんは持っていた容器を下へ置くと、再び露出部分の肌に日焼け止めを塗り始めた。


「へえー。ウォータープルーフってどれも同じだと思ってたよ」


 そう言うとまひるちゃんは手を動かしながら、結構細かに日焼け止めの説明をし始めた。その説明は流石に日頃から使っているだけあってかなり詳しく、俺の今まで知らなかった日焼け止めの知識を得る事ができた。

 今度機会があれば、今得た知識を使って杏子や茜に自慢げに話してやるとしよう。


「お待たせしました。さあ、海に行きましょう」


 まひるちゃんは日焼け止めを塗り終わると、俺が膨らませて置いていた浮き輪を持って立ち上がり、座っている俺に左手を差し伸べてきた。


「よしっ、行こっか!」

「あっ、言い忘れてましたけど、一時間が経つ度に日焼け止めを塗り直して下さいね。お兄ちゃん♪」

「えっ!?」


 差し出された手を握って立ち上がると、まひるちゃんは可愛らしい笑顔を見せてから海の方へと走って行った。


 ――あの煩悩タイムが一時間毎に訪れるのか?


 俺はあのきめ細やかな感触をまた体験できる喜びを感じつつも、激しい煩悩を退散させる為に使う膨大な精神エネルギーを考えてゾッとしてしまった。


「何してるんですかー? 早く来て下さーい!」


 浮き輪を片手に波打ち際で大きく手を振って俺を呼ぶまひるちゃん。


「まっ、なんとか頑張りますか。今行くよー!」


 そう言って手を振るまひるちゃんの元へと俺は走って行く。

 それからお昼になるまでの約二時間ちょっとの間、俺は煩悩タイムと海での遊びを繰り返しながらまひるちゃんと楽しく遊んだ。

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