第110話・親友と過ごす夏休み

 友達である陽子さんの通う、桜花おうか高校総合演劇科。

 そこが夏休みの半分を利用して地方を巡る演劇公演の手伝いをしていた俺は、無事三日間の予定を終えて昨日の夜に自宅へと帰って来た。予定ではお昼頃に自宅へ帰り着く予定だったんだけど、俺が帰り着いたのは二十時を過ぎてから。

 なぜそんなに帰るのが遅くなったのかと言うと、帰る前にあの宿にあったレトロシューティングゲームをやっていたからだ。

 あのあと、陽子さん達を見送ってからすぐに帰ろうと思っていたんだけど、どうしてもあのゲームをクリアーしたかった俺は、あのまま宿でゲームに熱中していた。しかし前に行き詰まったステージで止まってしまい、かなりの時間を費やしてしまった。

 そして時間を忘れてゲームに熱中している時に杏子から電話が入り、帰って来ない事についてかなりブツブツと文句を言われたのだが、事情を説明するととりあえず納得し、しかも俺にゲーム攻略のアドバイスまでしてくれた。

 それにしても、問題のステージを動画で撮影したのを送り、それを見ただけで的確なアドバイスができるとは、我が妹ながら見事なゲーマーっぷりで恐れ入る。まあ、そのおかげであの難しいゲームをクリアーできたんだから良かった。

 でも、こんな事なら最初から杏子にアドバイスをもらえば良かったな――と、今更ながらにそう思う。

 そんなこんなで地元へと戻った俺は、とりあえず今日から思いっきり夏休みを楽しもうと思っていたわけだが、その考えは朝早くに自宅へとやって来た人物によって脆くも崩れ去る事になった。


「どうしたの? 龍之介。解らないところでもあった?」


 今日も強い陽射しが地表を照らしていた午前十時過ぎ。

 俺の部屋にある小さなテーブルの上にノートを広げてペンを走らせていたまひろが、小首を傾げながらそう聞いてきた。


「ああ。ちょっとここが解らなくてさ」


 まひろの左斜め前に座っていた俺は、解けない数式が書かれた教科書をまひろの方へと差し出した。

 するとまひろは指し示した問題を見ながら、軽やかに自分のノートに計算の走り書きをしていく。そしてその答えを導き出すと、俺に向けてその解き方の説明を始めた。


「えっと、これはね――」


 説明を始めたまひろの隣へと移動し、まひろの言葉に耳を、走らせるペンの動きに目を向ける。まひろの教え方はとても上手で、まるで俺がどこでどうやってその問題が解けなかったのか、その全てを理解しているかの様な説明だった。

 それにしても今更だが、まひろって本当に女の子みたいだ。肌は白いし線も細いし、仕草も可愛い。そして何より、他の男子とは違って凄く良い匂いがする。少し甘い感じのフルーティーな匂いが。


「龍之介? ちゃんと聞いてる?」

「あっ、わりいわりい」

「もうっ。ちゃんと聞いててよね」


 まひろはそう言うと、ぷくっと頬を膨らませる。


 ――何この可愛い子! もっと困らせてみたいっ!


 などと危ない考えが脳裏を横切る中、俺は頭を左右に振ってその危ない考えを振り払う。

 夏休み四日目。

 俺はまひろと一緒に夏休みの宿題に向き合っていた。この状況はなんだか去年の事を思い出してしまうが、教えてもらう相手がまひろと言うのが最大にして決定的な違いだ。

 去年は茜によって部屋に軟禁され、しかも竹刀でビシビシと叩かれながらの作業だったからとても厳しかった。それに比べたら、まひろの包み込む様な優しい教え方は天国。まさに月とスッポンくらいの差がある。

 本当は去年と同じく俺の親に頼まれた茜が来るはずだったらしいんだが、急に茜が家族旅行へ行く事になったとかで予定が変わり、茜が急遽まひろに代打を頼んだらしい。

 それにしても、急な申し出だったと言うのにこんな面倒な事を引き受けてくれるなんて、まひろは本当に優しい奴だ。しかも茜と違って少々サボっても竹刀が打ち下ろされる心配も無いし、今回は至って快適なホームワークライフだと言えるだろう。

 だがしかし、こうして勉強漬けの一日を送るというのも味気無い。そこで俺は、一つの提案をまひろに申し出てみた。


「なあ、まひろ。気晴らしにちょっと遊びに行かないか?」

「えっ? 駄目だよ。だってまだ、今日の予定範囲まで終わってないもん。茜ちゃんにも『甘やかしちゃダメだよ?』って言われてるし」


 ――ちっ! 茜の奴め、余計な事を吹き込みやがって。


 しかしここで茜の思惑どおりに事が進むのは面白くない。

 そこで俺は、なんとかまひろを説得できないかと抵抗を試みる事にした。


「そう言うなよ、まひろ。せっかくの待ちに待った夏休みなんだぜ? 少しくらいは遊んだっていいじゃないか」

「うーん……でも、まだ予定の範囲が終わってないし……」


 まひろはとてもしっかりしている奴だが、結構押しに弱いところがある。それに長年親友をやっているから、どう攻めるとまひろが弱いのかはよく知っている。


「予定はあくまでも予定じゃないか。人生予定通りに行く事の方が珍しいんだからさ」

「それはちゃんと予定通りにしようとしてないからでしょ?」


 ――うっ! 今日のまひろはちょっと手強いな……。


 正論中の正論を突かれて勢いを失いそうになるが、ここでめげるくらいなら最初から抵抗などしていない。


「それはそうだけど、こうして夏休みを満喫できるのは学生の内だけなんだぜ? 宿題なんて遊び終わってからやってもいいじゃないか。要は今日中に予定の場所まで終わらせればいいわけだし」


 そう、結果が同じなら過程など大した問題ではない。まあ、これはあくまでも宿題においての話だが。

 それにせっかくの休みを勉強だけに費やすのは、俺にとって息苦しくてたまらない。やはり少しでも息抜きはしたいんだ。


「……それじゃあ、遊び終わったあとでちゃんと予定の場所まで勉強するって約束できる?」

「もちろん! ちゃんとするさ!」

「……分かった。それじゃあいいよ」


 俺の返事に対してにこっと微笑むと、まひろは開いていたノートとテキストをそっと閉じた。


「それで、何をして遊ぶの?」

「そうだな……久しぶりにゲーセンにでも行ってみないか?」

「うん、いいよ。それじゃあ行こっか」


 まひろは準備を済ませて立ち上がると、そのまま部屋を出て行く。

 そういえば、こうしてまひろと二人でゲーセンに行くのもかなり久しぶりだ。中学一年生、二年生の時は一週間に一度の頻度で行ってた時期もあったけど、さすがに三年生になると受験の事もあるから、一緒に行く事はなくなった。

 そんな懐かしい事を思い出しつつ、まひろと一緒に駅近くにあるゲームセンターへと向かった。


× × × ×


「わあ~。懐かしいなあ。ここは相変らず盛況みたいだね」

「だな」


 目的地であるゲーセンに着いて中へ入ると、まひろは久々のその雰囲気に少々圧倒されている様だった。

 まひろと最後に行ったのは、中学三年になる直前の三月頃だったと思う。てことは、二年ちょっとの間は一緒に来てなかった事になる。

 俺もゲーセンに来るのは前に愛紗と行った時以来だから、かれこれ四ヶ月ぶりくらいだろうか。


「龍之介、どれで遊ぶ?」

「そうだな……久しぶりにアレをやってみないか?」


 そう言って俺は一つのゲームを指差す。

 するとまひろは笑顔で一言『うん!』と言ってそのゲーム機へと向かい始める。


 ――うん……やっぱりまひろって可愛いよなあ。なんとかまひろを女の子にする方法は無いだろうか? 今度ネットでそんな方法が無いか検索してみよう。


 そんな事をわりと本気で考えつつ、俺はまひろのあとを追う。


「――いやー、すげえなまひろ。最後にゲーセンへ言ってからかなり経ってるのに、全然腕が衰えてないな。ギャラリーも絶賛してたし」

「もう。恥ずかしいから止めてよ」


 そう言いながら綺麗で白い顔を真っ赤にし、手にした紅茶缶にちびちびと口をつけるまひろ。

 俺達は今までずっとリズムゲーで遊んでいたんだけど、まひろはリズム系ゲームが凄く上手い。その上手さたるや、最高難易度の内容を涼しげな笑顔でノーミスクリアーできるぐらいの腕前で、それを見た通りすがりの人を平気でギャラリーとして惹き込めるくらいに凄い。


「それにしても、まひろはホントに音楽ゲーとかリズムゲーは上手いよな。こればっかりは俺も太刀打ちできん」

「あははっ。それは多分、小さな頃からピアノを習ってたりしたからだと思うよ?」


 そう、まひろは小さな頃からピアノを習っていたらしく、その腕前はかなりのものだ。俺も小学生や中学生の時に何度かまひろがピアノを弾くのを聴いた事があるけど、素晴らしく優雅で美しい演奏だったのを今でも覚えている。

 それでいて他の楽器もある程度そつなくこなすんだから、そこがまた凄い。


「流石はまひろってところだな」

「ありがとう」


 そう言ってにこにこと微笑むまひろは、本当に可愛らしい。この微笑だけでご飯三杯、いや、五杯はいける。

 こんな事を言うとアッチの気があるのかと思われそうだが、実際にまひろを前にしたら絶対に俺と同じ事を思うはずだ。

 それから休憩がてら店の隅っこにある椅子に座ってのんびりしていると、まひろがある一点をじっと見つめ始めた。


「どうかしたのか?」

「えっ? あ、うん。あそこのクレーンゲームにあるうさうさが可愛いなと思って」


 まひろはそう言ってクレーンゲームコーナーの一角を指差す。

 そこには可愛らしいうさぎのキャラクター、うさうさが大きなにんじんを抱えたぬいぐるみがあり、一人の中学生くらいの女の子が必死でそれを取ろうとしていた。

 しかしその子は何度挑戦してもぬいぐるみが取れず、ついには諦めてその場から去って行った。


「あれが欲しいのか?」

「うん。でも、高校生にもなってぬいぐるみが欲しいだなんて、変だよね?」


 そう言って苦笑いを浮かべるまひろ。

 まあ、普通に考えれば少女趣味、子供趣味だと思うかもしれないけど、まひろに限ってはまったくもって違和感が無い。


「別に変じゃないさ。どーれ、いっちょ俺の腕を見せてやるかっ!」


 そう言って空になったコーヒー缶をゴミ箱に入れ、目的のうさうさが入っているクレーンゲームコーナーへと向かう。

 そしてボックス内にあるぬいぐるみの状況を一通り観察したあと、この状態では取るのが困難だと判断した俺は、店員さんに言って元の位置までぬいぐるみを戻してもらった。

 こういった大物を狙う場合、一回で取ろうなどと考えてはいけない。少なくとも八回から十回は挑戦するくらいの気概でいたほうがいい。


「よしっ」


 観察を終えた俺は慎重に狙いを定め、うさうさゲットの為にクレーンを動かし始めた。


「――良かったな、まひろ」

「うん。ありがとう」


 高さ六十センチくらいはあるうさうさのぬいぐるみを、まひろは両手でギュッと抱き締めながら嬉しそうにしている。こんな大物がたったの五回で見事に取れたのは、本当にラッキーだったと言えるだろう。

 そしてやっている最中に別のうさうさも取れそうな位置に動いたので追加投資をしてプレイしたところ、なんとたったの三回でもう一つうさうさをゲットできた。

 今日は凄く運が良かったんだなと思った俺は、二個目を杏子にでもやるかと思っていたんだけど、俺の前にプレイしていた女子中学生が羨ましそうにこちらを見ていたのが見え、俺はそのうさうさをその子にあげる事にした。

 我ながら甘いとは思うけど、妹が居るせいか、俺はああいった視線にめっぽう弱い。まあ、ぬいぐるみをあげた女の子は凄く喜んでたからそれでいいけど。

 そしてこのあとも俺とまひろは、久しぶりのゲーセンを思いっきり楽しんだ。

 こうして楽しい時間を過ごして十八時を少し過ぎた頃。ゲーセンで思いっきり遊んだ俺達は、すぐ近くの駅へと向かっていた。


「あーあ。結局龍之介に乗せられてこんな時間まで遊んじゃった」

「そう言うなよ、まひろ。お前も結構楽しんでたじゃないか」

「あははっ。そうだね。凄く楽しかったよ」


 うさうさを抱き抱えたまひろが、にこにこと笑顔を浮かべる。その表情は本当に嬉しそうだ。

 そんな明るい笑顔を見せるまひろと歩いていると、本当にあっと言う間に駅前へと着いてしまった。


「それじゃあ、気を付けて帰るんだぞ?」

「うん。あっ、龍之介。ちゃんと宿題はやっておかないと駄目だよ?」

「わ、分かってるって」


 ――でもまあ、今日はこのまま放置しても大丈夫だろう。明日まひろが来る前にやっておけばいいし。


「もしも明日来た時にちゃんとしてなかったら、龍之介の事を嫌いになっちゃうからね?」


 少し意地悪な感じでそう言うまひろだが、それがまた可愛らしい。まひろみたいに何をやっても可愛い男など、この世には他に存在しないだろう。


「あっ! 何でニヤニヤしてるの?」


 どうやら思わずニヤついていたらしく、それを見たまひろが口をアヒルの様にして抗議してくる。それがまたまた可愛らしくて更にニヤケそうになるが、俺はそれを必死に我慢した。


「わ、わりいわりい」

「もうっ! ちゃんと勉強しておかないと、本当に嫌いになっちゃうからね?」

「分かってるって。ほら、電車来ちゃうぞ?」

「あっ、本当だ。それじゃあ、また明日来るから」

「おう。また明日な」


 片手を振って駅へと入って行くまひろを見送ったあと、俺はのんびりと歩きながら自宅へと向かい始めた。


「さてと、帰って勉強しないとなあ……」


 勉強となると凄く気が重くなるけど、まひろに嫌われるのだけは何としても避けたいので、ここは意地でも頑張らないといけない。

 そしてこの日、俺は予定の場所まで宿題を終わらせるのにかなり時間を使ってしまい、ベッドに入れたのは深夜遅くになってからだった。

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