第104話・イタズラも程々に

 色々な事を考えながら眠った翌日。

 俺は夏休みらしからぬくらいに朝早くから起きて朝食を摂り、昨日機材などを持ち込んだ劇場へ向かおうとしていた。


「よし。忘れ物はなさそうだな」


 演劇の裏方はした事が無いので大した手伝いはできないかもだけど、そんな俺でも雑用くらいはできる。だから他の人達が自分の仕事に集中できる様に、雑用を頑張るまでだ。

 俺は必要な荷物を纏め上げ、宿から歩いて十分くらいの位置にある劇場へと向かい始める。


「――龍之介君、大丈夫? 少し荷物持とうか?」


 荷物を抱えて部屋を出たあと、宿の出入口を出た所でなぜか他のスタッフと先に劇場へ向かったはずの雪村さんと遭遇した。


「ありがとう、雪村さん。それじゃあ、この鞄だけお願いしていいかな? これのせいで結構バランスが悪くて」

「うん。分かった」


 俺は持ってもらう鞄をプラプラと揺らしながら雪村さんの前へと出した。

 そしてそれを雪村さんが受け取ると、ゆっくりと会場へ向かって二人で歩き始める。


「ありがとね、雪村さん。助かるよ」

「ううん。気にしないで」


 実のところ、バランスが悪いから持ってほしい――というのは俺の嘘だ。いくら荷物が多いとは言え、この程度でふらつくほど貧弱な身体はしていない。

 だけど練習があるのにこうして俺の事を待っててくれてたんだから、そんな相手に対して『一人でも大丈夫だよ』みたいな発言はできない。ここは軽い物でいいから、素直に持ってもらう方がお互いに良いわけだ。


「明日はいよいよ本番だし、今日の練習も頑張ってね」

「うん。龍之介君にも見てもらうんだから、精一杯頑張るね」


 雪村さんはいつもの様に爽やかな笑顔で元気よくそう答える。そんないつもどおりの雪村さんを見ているだけで、俺はほっとしてしまう。

 なんて言うか雪村さんには、色々な物事を任せても大丈夫――って安心感がある。これがもし茜だったら不安でしょうがないところだけど、この圧倒的安心感は雪村さんならではだと思える。


「えっとあの……ねえ、龍之介君。憂先輩の事、どう思う?」

「えっ? どう思うって、明るくて話しやすいし、いい人だと思うけど?」


 突然そんな事を聞かれたので、なんともありきたりな返答になった気はするけど、発言内容は本音だ。

 そんな憂さんという人物を一言で言い表すとしたら、つや可愛い――という言葉がピッタリだと思える。

 なにせ憂さんは発言や仕草がいちいち色っぽいし、年上ながら年下の様な可愛さも感じさせるから凄いと思う。年上としての色っぽさに年下の様な可愛さがプラスされてるとか、ある意味最強な気もする。


「そっか……龍之介君は憂先輩みたいな女性は好き?」


 突然の直球な質問に驚いてしまう。

 それにしても、こういった質問は非常に答えにくい。俺はなんとかこの質問に答えずに回避できないかと考えを巡らせた。

 しかし雪村さんはこちらの返答を今か今かと待ち望んでいる様な表情をしていて、それを見ると下手な誤魔化や回避は不可能だろうなと思えてしまう。


「うーん……まあ、好きか嫌いかで言えば好きな方かな」


 下手な誤魔化しはよろしくないと思いつつも、俺はそんな曖昧な表現を使った。


「やっぱりそっか……」

「どうしてそんな事を?」

「えっ!? うん……憂先輩って昔から男子に人気があったから、男子は憂先輩みたいな女性が好きなのかなって思って」

「あー、なるほど。まあ、だいたいの男は憂さんみたいなタイプに惹かれやすいかもね」

「そっか……そうだよね……」


 雪村さんが言う様に、確かに憂さんは男にモテそうな感じだ。明るいし人懐っこいし、何より可愛いから。

 しかし男にとっては危険な女性だとも思える。どういった意味で危険かと言うと、男を勘違いさせそうなタイプ――と言った意味でだ。

 俺が思うにこの手の女性は案外多く、世の中に居る多くの男性が、一度はこの勘違いという名のトラップに引っかかった事があるのではないかと思う。

 それこそこのトラップにかかって告白をし、撃沈した者や、告白まではいかなくても、いつまでもその女性に好意を寄せていたりとか、そんな経験を持つ男は多いと思える。

 俺も過去、そのトラップにかかって告白をし、撃沈した経験がある。ちなみにその時に告白した女の子の、『勘違いさせてごめんね』という言葉は、今でもトラウマトップテンとして俺の心に残っているくらいだ。

 そしてこの手の女性の厄介なところは、相手に対して無自覚にトラップを仕掛けているところにある。

 ここで俺が自分の経験や聞いた話を元に、世の中の男性全てに向けてこの言葉を送ろう。

 甘きに近寄れば傷を負う、近寄りたければ死を覚悟しろ――と。


「でもまあ、そういうのって個人の好みにもよるし、一概にそうとは言えないけどね」

「そっか……あっ、それじゃあ私、練習に行って来るね」

「うん。荷物ありがとね」

「ううん。気にしないで」


 雪村さんはそう言ってにっこり微笑むと、鞄の持ち手部分を丁寧に俺の手元へと持ってきてから握らせてくれた。そして荷物を渡し終えると、雪村さんは元気に劇場の中へと入って行った。

 それから俺は持って来ていた荷物を楽屋へと置き、そこからみんなに頼まれる雑用をせっせとこなしつつ、時間が空いた時は昨日と同じ様に遠くの客席で邪魔にならない様に練習風景を眺めていた。

 そしてその光景を見ていてふと思った事だが、演劇の世界の練習風景など、普通はこうやって見られるもんじゃない。という事は、俺って結構貴重な体験をしてるんじゃないだろうかと思う。

 そう考えてみると、ただこうやって眺めていただけの練習風景が違って見えてくるから不思議だ。

 役者が演技をしている舞台上では、憂さんと雪村さんが演劇のワンシーンを演じている。

 演劇の内容はと言うと、いわゆる現代恋愛劇の様なもの。主人公である男性と、それを巡って対立する親友同士の女性二人。その恋愛模様をリアルに描いた作品だ。

 一見すると殴り合いになりそうな修羅場的なものを想像してしまうが、そこはやはり親友という設定があるからか、テレビドラマなどで見る様な過激な修羅場などは無い。だが、水面下で進んで行く個々の恋愛戦略、腹の探りあい、親友であるがゆえの遠慮と葛藤などは、見ていると手に汗握る展開で面白いと思える。


 ――おっ、そろそろか。


 舞台上の流れを見て、俺は急いで席を立ってからロビーへと向かい始める。

 昨日もそうだったけど、演劇のラストシーンだけは本番で見ると決めていたので、俺はその部分だけは見ない様にしていた。

 そしてとりあえず劇場の外へと出た俺は、自動販売機で飲み物でも買って時間を潰そうと思った。


「……あれ?」


 いつも財布を入れてるズボンの後ろポケットに財布が入っていない事に気付き、俺は焦ってあちこちのポケットをまさぐった。

 しかしどこを探しても財布は見つからず、どこかに落としたのだろうかとその場で考え込み始めた。そして財布の行方を思い返していた俺は一つの可能性に行き当たり、それを確かめる為に温泉宿へ向かおうとした。


「あの、すみません」

「あ、はい。何でしょうか?」


 劇場がある建物を出た瞬間、すれ違った女性に声を掛けられた。俺は進めていた足を止め、そのすれ違った女性の方を振り向く。

 するとそこにはとても品の良さそうな女性が立っていて、持っていた小さな鞄から一枚のパンフレットを取り出して俺に見せてきた。


「お尋ねしたいのですが、桜花おうか高校総合演劇科が舞台をやる会場はここでしょうか?」

「はい。そうですよ。本番は明日ですけど」


 どうやら舞台をやる学生の関係者らしい。わざわざこうやって見に来てくれたんだろう。


「そうでしたか。ありがとうございます」

「舞台に出る役者の関係者の方ですか? 良かったら知らせて来ましょうか?」

「あ、いえ、娘には内緒で来ているので。ご親切にありがとうございます」


 その女性はなぜか表情を曇らせながらそう言うと、そのまま引き返して建物を出て行った。


 ――娘には内緒で来てる――か。当日に驚かせようって事なのかな?


 そんな事を考えながら宿へと急いで戻り、部屋に置いてある鞄の中から財布を見つけ出した俺は、そこからまた急いで劇場へと戻った。

 そして劇場へ戻った俺は、ラストシーンがまだ練習中かどうかを確かめる為に劇場の扉を少しだけ開けてチラリと中を覗く。

 中では役者達が舞台上に集められていて、総合演出の先生から演技指導を受けている様子だった。俺はそれを見て安心し、ホールの中へと入る。

 こうしてしばらくは舞台上でダメ出しを受ける役者達の真剣な表情を見つつ、その緊張感を共に味わっていた。


× × × ×


「龍之介くーん! 一緒にお昼ご飯を食べに行こーう!」


 しばらく経って演出家の先生の話も終わった頃にちょうどお昼時になり、休憩時間となった。

 そして劇場のロビーでご飯をどうしようかと考えていた俺のところへ、憂さんが雪村さんと一緒にやって来た。


「あっ、憂さんに雪村さん。お疲れ様」

「お疲れ様。龍之介君」


 舞台練習で疲れているにもかかわらず、そんな事を微塵も感じさせない雪村さんの爽やかな笑顔。いつもながら素晴らしいもんだ。


「さあさあっ! 休憩時間がもったいないから急いで行くよ!」

「ちょっ!?」

「ゆ、憂先輩! 手を引っ張らないで下さい!」


 俺と雪村さんの手を握り、そのまま引っ張って行く憂さん。いつもながらアクティブな人だ。

 そして雪村さんと一緒に憂さんに手を引っ張られながら、俺達は劇場から程近い場所にある食堂へと連れて来られた。

 何でこんな場所を知っているのだろうと思ってそれを憂さんに尋ねてみると、中学生の時にこの桜花高校の地方演劇を見る機会があり、その時にこの食堂で食べた事があるからだと言っていた。


「――うん! 美味いですね!」

「本当、美味しい!」

「でしょう?」


 目の前にある料理の美味しさに思わず声を上げると、憂さんがまるで自分の事の様に鼻高々にそう言った。


 ――憂さんて本当に面白い人だな。


「あっ、龍之介君。口にソースが付いてるよ?」


 そう言ってテーブルの上にあったティッシュを一枚取り、俺の口元を拭ってくれる憂さん。


「あ、ありがとうございます……」

「うんうん。沢山食べる男の子は、いつ見ても気持ちがいいね♪」


 そう言って頷きながら、満足そうな笑顔で食事を再開する憂さん。


 ――いかん……俺とした事が、ちょっとドキッとしてしまった。やれやれ……本当に心臓に悪い人だ。


 中学時代もこうだったなら、雪村さんの言ってた様にさぞかしモテただろう。まあ、男にとってはある意味で怖い存在だろうけど。

 そう思いながら雪村さんの方へチラリと視線を向けると、食事をする手が止まったままで俺の方をじっと見ていた。


「雪村さん、どうかした?」

「えっ!? あ、いや、な、何でもないよ!?」


 雪村さんはそう言うと、慌てて下に視線を落としてから料理を食べ始めた。


「んんー? 陽子ちゃ~ん。紅い顔をしてどうしちゃったのかな~?」


 憂さんがニヤニヤしながら雪村さんの顔を覗き見る。

 この人はまた、何かよからぬ事をしようとしているんだろう。知り合ってまだ間も無いとは言え、なんとなく憂さんの事は分かってきた気がした。


「な、何でもありませんよ!?」


 雪村さんは動揺した様にそう答える。

 もしかしたら、雪村さんのこういった一面を見れるのは憂さんの前だけかもしれない。


「本当にぃー?」

「も、もちろんです!」

「そっかー♪」


 憂さんはそう言うと俺の方を見てニヤッとし、自分の皿の上にあったおかずを一つ箸で掴み、こちらへ差し出してきた。


「龍之介君、これあげる。はい、あ~ん」

「ゆ、憂先輩!? ななな何をやってるんですか!?」

「何って、見たままの事だけど?」

「ど、どうしてそんな事を!?」

「私がそうしたいからだよ?」


 憂さんはニヤニヤしながら雪村さんを見据えている。この人は本当に、イタズラ好きの子供の様だ。


「ほら、龍之介君。早く口を開けて」


 差し出しているおかずを上下に動かしながら急かしてくる憂さん。

 何を考えているのかは分からないけど、ろくでもない事を考えているのだけは分かる。


「いや、憂さん、さすがにこれは……」

「どうして? お姉さんの厚意が受けられないの?」


 意地悪に、それでいて可愛らしくそんな事を言う。

 正直言って堪らんです。


「さあ! 観念して食べちゃおうよ♪」

「わ、分かりましたよ」


 こんな状態をいつまでも続けていると、とんだ晒し者になりかねないと踏んだ俺は、素直に差し出されたおかずを食べる事にした。


「うん。素直でよろしい!」


 口元へ運ばれたおかずにパクリと食いつき、そのままモグモグと咀嚼そしゃくする。


「どお? 美味しい?」

「あ、はい。美味しいです」


 もてあそばれてる感が強すぎて、正直、味なんてよく分からなかった。

 そしてそんな俺を、雪村さんが複雑な表情で見ている。


「そうだ! 陽子も龍之介君にあーんてしてみる?」

「えっ!? わ、私は別に……」

「そっかぁ。じゃあ、陽子がやらないなら、もう一度私がやっちゃおうかな~♪」


 そう言って別のおかずを箸で取ろうとする憂さん。


 ――おいおい! またやるってのか!? 勘弁して下さいよ……。


「もうっ! 私、先に帰ってますから!」


 そう言うと雪村さんはスッと席を立ってから財布を取り出し、中から取り出したお金を憂さんに押しつける様にして渡すと、そのまま店の外へと出て行った。


「ありゃりゃ。ちょっとやり過ぎちゃったかな~」


 憂さんはそう言うと、ペロッと小さく舌を出した。その仕草がまた可愛らしい。

 しかしそんな様子を見ていると、やはり憂さんはちょっと危険な女性ひとだと思えてしまう。


「それにしても、何で雪村さんは怒っちゃったんですかね?」

「えっ!?」


 俺の他愛ない質問に、憂さんは物凄くビックリした表情を浮かべていた。


「はあっ……これは難敵だねぇ」


 憂さんはやれやれと言った感じの苦笑いを浮かべながら、俺を見てそう言った。それにしても、難敵とはいったい何の事だろうか。

 そんな疑問を抱えつつ、俺と憂さんは食事を済ませてから劇場へと戻った。

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