第67話・二人で過ごすお昼のひと時

 渡のアホが余計な事をしてくれたせいで、愛紗に妙な誤解を与えてしまった日の翌日。

 俺はその誤解を解く為、こうして朝早くから校門前で愛紗が登校して来るのを待っていた。見上げた空は相変わらずご機嫌斜めのご様子で、深夜から降り始めた雨は激しくはないが、それなりの雨量をもたらしている。

 こんな気分が滅入りそうな天気だと言うのに、傘を差して校門前で愛紗を待つ俺の横を、恋人達が楽しそうにしながら通り過ぎて行く。俺としてはそんな奴等を見ていると、つい傘をぐるりと回して水飛沫みずしぶきでもかけてやりたくなってしまう。

 相合傘をしているリア充共を横目で睨み見ながら、俺はなかなか愛紗がやって来ない事に少しだけ苛立ちを感じ始めていた。

 前に愛紗と話した時に言っていたんだが、愛紗は結構早い時間に登校するらしく、七時三十分くらいには登校していると言っていた。しかし、時間はそろそろ七時五十分を迎えようとしている。

 今日は愛紗の登校時間も考えて七時十分には校門前に到着していたというのに、お目当ての本人が現れる気配は未だにない。俺は雨の降る中、朝のホームルームが開始されるギリギリまで愛紗を待っていたが、ついに愛紗と出会う事ができなかった。

 そして変わり映えしない朝のホームルームが終わると、今日もかったるい授業が始まる。窓の外では相変らず小雨が降り続いていて、ジメジメとした感触が肌に纏わりつく。

 先生は黒板にコツコツと音を立てながらチョークで文字を書きつらねていて、俺はそれをノートに書き写しながら、昼休みにでも愛紗の居る教室を訪ねてみようと考えていた。

 普通に考えれば朝に会えなかったんだから、学園を休んでいると思うのが自然な考えだろう。だけど、俺が来るよりも早く登校していたという可能性はある。

 だからその可能性がある以上、早く愛紗の中に渦巻いているであろう誤解を解いておきたかった。そうじゃないと、俺の気が休まらない。

 そんな事を思いながら午前中の授業を受け、ようやく昼休みが訪れた時、俺は弁当を食べる時間すら惜しんで四階にある一年生の教室へと向かった。


 ――あれ? そう言えば、愛紗の居る教室ってどこだっけか?


 一年生の教室がある四階に辿り着いた時、俺は愛紗の居る教室を知らなかった事を思い出した。こんな単純な事を失念していたなんて、俺は自分が思っていたよりも焦っていたのかもしれない。

 とりあえずここまで来たんだからと、廊下を奥へと通り抜けながら各教室の中をチラチラと見て行く。


 ――げっ!?


 チラチラと見ていた教室の一つで妹の杏子を見つけてしまい、俺はここに居る事がばれない様にと、顔を教室とは逆側に向けながらその横を通り抜けて行く。


「きゃっ!?」


 杏子に見つかって面倒な事にならない様にと警戒するあまり、顔を横に向け過ぎたらしく、俺は目の前に居た人物に気付かずぶつかってしまった。


「ご、ごめんっ!!」

「「あっ……」」


 ぶつかった相手を見て声を上げると、その相手もほぼ同時に声を上げた。


「せ、先輩!? 何でこんな所に!?」


 目の前には非常に驚いた表情をした愛紗が居た。

 こうしてここで出会ったという事は、どうやら愛紗は俺よりも早く登校していただけらしい。


「あ、ああ。ちょっと愛紗に話があってさ」

「私に?」

「ああ。良かったらこれから少し時間を取れないか?」

「で、でも、まだ昼食も済ませてないし……」

「それじゃあ愛紗さえ良かったら、学食で一緒に飯を食わないか?」

「えっ!?」


 愛紗は俺の提案に驚いた表情を浮かべた。

 いくら誤解を解く為とは言え、少々強引だっただろうか。


「あー、その、愛紗が嫌ならあとからでもいいんだけどさ」


 そう言うと愛紗は、キッと鋭い目でこちらを見てきた。

 相変らずの鋭い視線に腰が引けてしまうが、何でこんな視線を向けられるのか意味は分からない。


「い、いいですよ……先輩がどうしてもって言うなら、付き合ってあげます。で? どうなんですか? どうしてもなんですか?」

「あっ、はい。是非お願いします」

「しょ、しょうがないですね。それじゃあ、お弁当を持って来るから待ってて下さい。ここに居て下さいよ? どこにも行っちゃダメですからね?」


 そう言うと愛紗は、杏子が居る教室へと急いで入って行った。


 ――愛紗って杏子と同じクラスだったんだな。


 そして教室へと入ってから数十秒も経たない内に、愛紗は可愛らしいうさうさのイラストが描かれた黄色の巾着袋を持って戻って来た。


「さあ、行きましょう」

「あ、ああ」


 意気揚々と言った感じで先頭を歩いて行く愛紗のあとに続く。


 ――俺は鞄に弁当を入れたままなんだが……まあいっか、今日は学食でパンでも買って食べよう。


 こうして学食へと向かった俺達は、辿り着いた学食の混雑ぶりに驚いていた。

 席という席は生徒達で埋め尽くされていて、もはや空いている席を探すのは一見しただけでも無理だと分かる。


「こりゃすげえな……どうする愛紗?」

「うーん……あっ! あそこなら誰も居ないかも」

「どこかいい場所があるのか?」

「はい」

「そっか。それじゃあ、ちょっとだけ待っててくれないか?」

「はい。分かりました」


 断りを入れてから急いで学食の中にある第二購買部へと向かい、そこで適当にパンを見繕みつくろってから買い物を済ませ、急いで愛紗と合流する。

 それから愛紗に案内されて向かった先は、意外な事に体育館だった。

 外は降っていた雨もいつの間にかピタリと止んでいて、雲間からは太陽の眩しい光がキラキラと射し込んでいる。


「先輩、こっちです」


 手招きをしながら体育館の右側面へと向かって行く愛紗。

 そんな愛紗について行くと、ちょうど側面部分中央の位置に一つの白いベンチがあるのが見えた。そのベンチは体育館の屋根が大きいからか、雨の影響をほとんど受けてはいない感じだった。


「へえ、こんな所にベンチがあったんだな」

「はい。ちょっと前の体育の時間にたまたま見つけたんです」


 そう言うと愛紗はポケットから取り出したウエットティッシュで軽くベンチの上を拭いてからそこに座り、俺にもベンチに座るように促してきた。


「ありがとな、愛紗」

「ふわぁ!?」

「ど、どうかしたか?」

「あ、いえ、何でもないです……」


 俺が隣に座ると、愛紗は突然珍妙な声を上げた。

 何事かと思ってその様子を見るが、愛紗は少し顔を紅くしたままでいそいそと巾着袋を開け、中の弁当を取り出している。

 どうしたんだろうと思いつつも、俺は買ったトンカツロールパンの袋を開け、牛乳パックにストローを挿し込んでから中の牛乳をチュウチュウと吸い上げていく。


「――そ、それで先輩。話って何ですか?」


 しばらく二人で食べ物を口に運んでいると、俺が話したい事が気になっていたのか、愛紗がそう口火を切った。


「ああ、それか。実はさ、昨日の放課後の事なんだけど――」

「せ、先輩っ! 私は気にしてませんからっ!」


 内容を言い終わる間も無く、愛紗は箸をギュッと握って勢い良くそう言った。

 もしかしたら、俺が話したい内容について薄々気付いていたのかもしれない。だが、愛紗の慌てぶりを見ると、激しく勘違いをしたままなんだろうなと思える。


「い、いや、ちょっと落ち着いて聞いてくれないか?」

「わ、分かってますから。先輩にあんな趣味があるなんて誰にも言いませんから……」


 ――愛紗さーん。お願いだから俺の話を聞いて下さーい。


 俺の話を遮り、まともに聞こうとしない愛紗をなんとかなだすかし、それから約十分くらいの時間をかけ、俺はなんとか愛紗に真実を伝える事に成功した。


「そ、そういう事だったんですか……」


 説明を聞き終えた愛紗は、表情を引きつらせながら気まずそうにしていた。


「はあっ……いったい俺が何を言うと思ってたんだ?」

「そっ、それは…………」


 言い辛そうに口ごもる愛紗に向かい、『怒らないから言ってごらん』と、俺は笑顔でそう言った。

 すると愛紗は重たげに口を開き、『俺は男が好きなんだっ! て告白されると思いました』と言った。


 ――んなわけあるかっ!!


 そう思いっきり口にしてやりたかったが、事前に怒らないと言った手前、俺は心の中だけでそう叫んだ。


「ハハハッ。そーんな馬鹿な事があるわけ無いだろ? 俺は至ってノーマルさんだよ」


 多分、この時の俺は相当に表情が引きつっていたと思う。


「ご、ごめんなさい……」


 とんでもない勘違いをしていたのが相当に恥ずかしかったのか、愛紗は顔を真っ赤にして俯いてしまった。


「まあ、不可抗力とは言え、あんな状況を見れば勘違いするのも仕方ないさ。だから気にすんな」

「はい……」


 元気無くしょげる愛紗の姿は、それはそれで可愛らしいと思うけど、これでは俺もいつもの調子が出てこない。


「おっ、その玉子焼き美味そうだな。いっただき!!」

「あっ」


 愛紗の弁当の中にある、色鮮やかな黄色の玉子焼きを指でつまんで口に運ぶ。

 ほのかな砂糖の甘みと出汁の旨味が程良く利いた玉子焼きは、時間が経った今でもフワッとした感触を損なう事なく、口の中にその風味が広がっていく。


「この玉子焼き美味いなっ! これ、愛紗が作ったのか?」

「えっ? あ、はい。お弁当は毎朝自分で作ってるので」

「すっげー美味いよっ!」

「ほ、本当ですか?」

「ああ! こんな弁当だったら毎日食べたいくらいだよ」

「なっ!?」


 そう言うと愛紗は、まるで真っ赤に熟した林檎の様に頬を染めた。


「どうかしたか?」


 心配になってそう声を掛けると、愛紗は身体をふるふると震わせながら鋭い視線を俺に向けてきた。


「ど、どうもしないですっ! そ、それよりも先輩。勝手に私の玉子焼きを食べて、か、覚悟は出来てるんですか!」


 ――覚悟って……あの玉子焼き、そんなに重要な物だったのか? まさかあの玉子焼きを食べないと、死んでしまう病にかかってるとか……んなわけないか。


「その……覚悟って何だ?」

「か、彼氏でもないのに私の手作り弁当を食べたんですよ? そ、それなりの代償は払ってもらいますから……」


 愛紗は相変らず頬を紅く染めたまま、上目遣いでそう言う。


 ――なるほど。つまり勝手に食べた玉子焼きの埋め合わせをしろって事か。


「分かったよ。今度何か埋め合わせするから、機嫌を直してくれ」

「本当ですか? 約束ですからね?」

「ああ」


 愛紗は表情を和らげると、その小さな右手の小指を俺の目の前に出してきた。


「な、何してるんです? ほら、指切り」

「あ、ああ」


 出された小指に自分の小指を絡め、指切りげんまんをする。

 そして絡み合った小指が離れると愛紗は満足したのか、にこにこと笑顔を浮かべながらご機嫌で昼食を再開した。

 それにしても、今時約束で指切りを求めるなんて、愛紗も結構変わってる。まあ、そういうところも俺としては可愛らしいと思う。

 いつもの調子を取り戻した愛紗を見ながら、やっぱり愛紗はこうじゃないとな――と思いつつ、ご機嫌な愛紗と一緒に楽しく昼食タイムを過ごした。

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