第60話・嘘をつくという事

 まひろをおんぶして保健室へと急いでいた俺は、背中から伝わって来る身体の熱さに驚いていた。そして耳元で聞こえるまひろの呼吸音は、未だ荒く激しい。


「失礼しますっ!」


 両手が塞がっていた俺は、悪いとは思いつつも足を使って保健室の引き戸をスライドさせて開いた。

 しかし室内には誰の姿も無く、養護の宮下先生がいつも使っている机の上には、職員室へ行っています――と書かれた小さな立て札があった。


「宮下先生は居ないのか」


 俺は室内にある三つのベッドの真ん中を選び、そこへまひろを連れて移動をした。ベッドの横へと移動した俺は、掛け布団をめくる為に一度隣のベッドにまひろを横たわらせ、真ん中の掛け布団を捲り上げる。

 そして隣のベッドに横たわらせたまひろをそっと抱え上げ、そのまま静かに真ん中のベッドへと寝かせた。

 とりあえず寝かせたまひろに掛け布団を掛ける前に、俺は保健室内に常備されているタオルを使って顔に浮かんだ汗を拭っていく。まひろの白い肌は熱があるせいか目に見えて赤くなっていて、その様子を見ただけでも、相当に辛そうなのが分かる。

 手に持ったタオルで素早く汗を拭いたあとで、まひろの身体が冷えない様に掛け布団を掛け、室内の小型冷蔵庫に常備されている保冷剤を取り出し、それを別のタオルで巻いていく。そして次に先生が使っている机の上にある耳で計れる体温計を手に持ち、まひろの居るベッドへと戻った。

 俺はまひろの横へと来てからその頭を少しだけ抱えて浮かせ、タオルで巻いた保冷剤を首元に当たる様にして滑り込ませてからそっと頭を枕へと下ろし、持って来ていた体温計を耳に当てた。


「38度ちょっとか……」


 体温計には実測式と予測式ってのがあるんだけど、俺が使った予測式は、本来の体温とは多少の誤差が生じる。しかしそれを踏まえたとしても、やはりまひろの体温は高い。


「おや? どうした?」


 まひろの体温を測り終えてそれを元の場所に戻そうと移動を始めると、職員室から戻って来た白衣姿の宮下先生が、茶髪のポニーテールを揺らめかせながら俺の方へと歩いて来た。

 宮下先生はその口調が男性的で、とても特徴的な喋り方をする。わりとスパッと物事を言う性格だが、生徒からの信頼は厚く、とても慕われている人だ。

 こちらへとやって来た宮下先生に経緯を説明すると、宮下先生はそのままベッドに寝ているまひろの方へと向かってからその様子を観察し始めた。


「……やれやれ。あれほど無理をするなと言っておいたと言うのに」

「えっ? どういう事ですか?」

「この子は今日、一度ここに来たのだよ」


 まひろが教室から出て行ったのは、俺が知る限りトイレに行くと言って出て行ったあの時以外に無い。


「コイツ、また無理してたのか……」


 昔っからまひろにはこういったところがあった。

 ちゃんと言えばいいのに無理をして人に合わせたり、本当はキツイのに平気な振りをしたりと。


「とりあえず、しばらくはこのまま寝かせておこう。お疲れ様、鳴沢龍之介君」

「えっ? 何で名前を知ってるんですか?」

「ん? ああ、それはこの子から聞いてる話とそっくりな人物だったからな。別に私が君を、鳴沢龍之介君だと知っていたわけじゃない。でもまあ、正確に言えば、一度だけ君とは話をした事があったな。修学旅行の時だが」


 ――なるほど。一年生の修学旅行でまひろが体調を崩した時に、宮下先生の居る部屋まで連れて行った事があったけど、その時に顔を覚えられてたってわけか。


「まひろから話を聞いてたって言いましたけど、具体的にどんな話を聞いてたんですか?」


 俺がそう尋ねると、宮下先生は何かを考える様にして俺とまひろを交互に見た。

 そしておもむろに室内を移動し始めたかと思うと、別の場所に置かれていたパイプ椅子を一つ手に持ち、普段自分が愛用している席の前へとそれを置いた。


「座りたまえ」

「あ、はい」


 いったい何が始まるのだろうかと思いつつも、俺は宮下先生の指示通りに椅子へと座った。


「まずは確認しておきたいのだが、君は鳴沢龍之介君で間違い無いな?」

「はい」

「ではこれから話す事は、君の胸の中だけに仕舞っておけると約束できるかね?」


 いったい何なのだろうかと思いつつも、それがまひろに関する事なのは間違い無いので、俺はとりあえず大きく頷いて『はい』と返事をした。

 すると宮下先生は、小さく頭を上下に動かしたあとで話を始めた。


「あの子は最近、ちょくちょく体調を崩しているのだよ」

「えっ? そうなんですか?」

「ああ。確かあの子が最初にここへ来たのは、去年の六月頃だったか。その時はちょっとした体調不良だったんだが、それから月を重ねる度に、ここへ来る回数が増えているのだよ」


 はっきり言って、俺はこの事実を知らなかった。確かに時々具合が悪そうにしている事はあったけど、そこまで酷いものだとは思っていなかった。


「まひろの奴、何で俺に言ってくれなかったんだよ……」


 寝ているまひろが居る方を見てそう言うと、宮下先生はふうっと息を吐いてから話を続けた。


「親しいからこそ言えない事もあるものだよ。誰でも他人に迷惑や心配はかけたくないと思うものだ。それが親しい相手なら尚更だろう。君だって、親しい人や家族に迷惑や心配をかけない様にと、嘘をついた事くらいはあるだろう?」

「まあ、それは確かにありますけど……」


 宮下先生の言葉は反論のしようもない程に納得できた。人は少なからず嘘をつく生き物だし、それは例えまひろであっても例外ではないと言う事だ。

 そう考えると、俺がまひろに対して抱いたいきどおりも、多少なり収まってくる。多分、俺がまひろの立場なら同じ様な事をしていたと思うから。


「まあ、それでもあえて言わせてもらうなら、私は嘘がばれた時に自分で対処できないなら、最初から嘘などつくべきではないと思っている」


 その言葉を発した宮下先生は、なぜか俺の方を見ていなかった。


「でも、正直に言っても対処が出来ないから嘘をつくんじゃないんですか?」


 俺を見ていない宮下先生に対してそんな言葉を投げかけると、今度は視線をこちらへと向け直してから口を開いた。


「そのとおりだ。人が嘘をつくのは、正直に言っても対処ができないと思うからつくわけだ。だが往々にして、嘘をつく人間は相手の心を考えていない事が多い」

「どういう事ですか?」

「簡単な事だ。君はあの子が今回の件を黙っていた事を知った時に、多少なり憤りを感じたのではないかね?」

「そりゃまあ、多少は……」

「では、今回の嘘が君に対して露見したわけだが、君はあの子を責めようと思うかね?」

「まあ、次はちゃんと言うんだぞ――くらいは言うかもしれませんけど、別に責めようとは思いません」

「それはなぜかね? あの子は君に嘘をついていたんだぞ?」


 どんどんと質問攻めにされていく。正直言って、宮下先生の意図が読めない。


「なぜって……もしも俺がアイツの立場だったら、多分同じ様にしていたと思うからです」

「そう。つまりそういう事だ」


 ――そういう事って、どういう事だ?


 その言葉に思わず首を傾げてしまう。

 そしてそんな俺を見た宮下先生は、やれやれと言った感じの苦笑いを浮かべて再び口を開いた。


「要するにだ。人は多かれ少なかれ、大なり小なり、悪意の有る無しに関わらず嘘をつく。そして人が嘘をつく時は、自分の為に嘘をつくんだ。相手の為につく嘘など、あったとしても最初の一回だけだ。私はそう思っている」


 宮下先生の話はなにやら哲学染みていて難しいけど、なんとなく分からないでもない。

 要するに、最初は相手を心配させない為についた嘘でも、二回目からは自身がついた嘘が露見して怒られたり嫌われたりしない為の嘘。だから宮下先生は、人は自分の為に嘘をつく――と言ったのだと思う。


「まあ、そうなのかもしれませんね……」

「うむ。ただ、あの子は君を非常に信頼し、大切に想っているという事だけは言っておこう」


 宮下先生はそれだけ言うと、『さあ、授業へ戻りたまえ』と言って俺に保健室から出る様に促してきた。

 俺はそんな宮下先生に背を向けてから保健室をあとにし、体育館へと歩いて戻った。

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