特別番外エピソード・ヒロイン編

第39話・あの日あの時の思い

 私は今日も目覚まし時計がけたたましく鳴る音で目覚め、いつもの様にベッドに寝そべったままで目覚まし時計の音を止めてからベッドを下り、窓際まで行って黄色のカーテンを引いてから窓を開け放った。

 開け放った窓から入り込む風は薄っすらと桜の匂いを感じさせ、それと同時に暖かで心地良い空気が室内へと入り込む。春の香りと暖かな空気、優しい陽射しをふんだんに浴び、私の身体は徐々に覚醒していく。

 そして心地良い気分になった私はそのままベッドへと戻り、枕元に置いてある携帯を手に取ってメッセージ画面を開いた。そこには、とある人と交わしたメッセージのやり取りが残っている。

 私はそれを見ながら、遠い昔の事を思い出していた。

 彼とは物心ついた時には既に仲良く遊んでいたし、小さい頃は泣き虫だった私を、よく慰めてくれていたのを覚えている。

 そんな彼はゲームが大好きで、小さな頃はよく私の家でも一緒に遊んでいた。でも、遊んでいる内に彼が上手くなり過ぎて、どんなゲームも私じゃ相手ができなくなってしまう。

 それでも彼は私と一緒に遊んでくれたし、そんな彼と遊ぶのは、私にとって楽しくて幸せな日常だった。

 これはそんな優しい幼馴染である彼、鳴沢龍之介なるさわりゅうのすけと私が小学校三年生の時に起きた、とある出来事のお話になる。


× × × ×


 幼い頃はずっと変わらないと思っていたお互いの関係も、小学校に入学して三年も経つ頃には大きく変化していた。

 小さな頃は毎日の様に一緒に遊んでいたのに、最近では龍ちゃんが私の家に遊びに来る事はなくなり、どことなく、龍ちゃんが私から距離を置いているのが分かった。


「龍ちゃん。最近元気が無いけど、どうかしたの?」

「茜には関係無いだろ」

「そうかもしれないけど、龍ちゃん、元気が無いから……」

「何でもないって言ってるだろっ!」

「あっ……」


 二年生から三年生へと進級してすぐの、自宅への帰り道。話しかけた龍ちゃんは、そう言ってから走り去って行く。最近は龍ちゃんが私に微笑みかけてくれる事は無くなった。

 私は寂しさと悲しさに心を覆われながら、走り去って行く龍ちゃんの後姿を見つめる。


 ――何がいけないの? 私が何か悪い事をしたのかな? 昔と何が変わっちゃったんだろう……。


 龍ちゃんが私を避ける理由がまったく分からず、私はずっと悩んでいた。

 成長していけば物の見方も変わるし、感じ方も変わるとは思う。だけど、当時の幼い私には、それを理解するのはちょっと難しかった。


「はあっ……私も帰らなきゃ……」


 龍ちゃんが走り去ったのを見たあと、私はとぼとぼと帰路を歩いて再び自宅へと帰り始めた。下校時間のギリギリで学校から出たので、通学路には他にランドセルを背負った小学生の姿は無い。それが私の中にある寂しさを、更に大きく膨らませていく。

 そんな寂しい気持ちで歩きながら、私はもう一度、龍ちゃんと昔の様に仲良くできないかと考えていた。でも、考えても考えても、その為の良い方法が思いつかない。

 昔は考えなくても自然にできていた事なのに、今はたったそれだけの事がとても難しく感じる。まるで、仲良くしていた頃の全てが夢だったかの様に。


「ただいま」


 自宅へと帰った私は、自室にランドセルを置いてからリビングへと下りる。

 帰るまでずっと龍ちゃんの事を考えていたからか、私はリビングにあるテレビ台の中に仕舞われたゲーム機を取り出してみた。もうずいぶん使っていなかったはずなのに、ゲーム機は龍ちゃんと遊んでいた頃と同じ様に綺麗だった。


「あら。珍しいわね、ゲームするの?」

「うん。久しぶりにしてみたくなっちゃったから」

「そういえば最近は、ずっとゲームしてるのを見てなかったわね。前はよく龍ちゃんが来て、一緒に遊んでたのに」


 お母さんは私と龍ちゃんが遊んでいた時の事を思い出しているのか、私を見ながらにっこりと優しく微笑んでいる。

 でも、そんなお母さんの優しい表情を見ていると、私は凄く寂しい気持ちになってしまう。


「……龍ちゃんね、私とはもう遊びたくないみたいなの」

「あら。龍ちゃんにそう言われたの?」

「ううん。でもね、龍ちゃん、最近元気が無くて、私がどうしたの? って心配すると、『茜には関係ないだろ』って言うの。私、嫌われちゃったのかな……」


 お母さんにそんな事を話している内に、私の瞳からは涙が溢れてきていた。


「……大丈夫よ。人はね、時々自分の事も、他人の事もよく見えなくなっちゃう時があるの。だから龍ちゃんも、今はそうなのかもしれない」


 泣いている私を、お母さんが優しく抱き包む。その温かく柔らかな感覚が、私の心を少しずつ落ち着けてくれる。


「……また龍ちゃんと仲良く遊べるかな?」

「もちろんよ」

「どうやったらまた仲良くなれるかな?」

「うーん……そうだねえ…………あっ! いい事を思いついた!」


 お母さんはくすくすと楽しそうに微笑みながら、私にその方法を聞かせてくれた。


「えっ!? そんなの無理だよ!」

「大丈夫大丈夫! だから作戦成功の為に、しっかりと練習しなきゃね」

「う、うん。分かった! 私やってみるっ!」


 それからしばらくの間、私は目標を達成する為に毎日秘密特訓に明け暮れた。

 そして秘密特訓を始めてから三ヶ月くらいが経った、夏休み目前の七月のある日。私の中で絶対に忘れる事のできない事件が起こった。


「よし。今日こそはちゃんと言おう」


 その日の朝、私はかなり意気込んで家を出た。今日は私にとって、とても大事な日になるだろうから。

 こんな感じで最初こそ気合十分だったけど、学校へ近付くにつれ、その気合は徐々に失われていった。拒絶されるかもしれない――という恐怖が、どうしても拭いきれなかったからだ。

 だけどこのまま何もしないと、龍ちゃんとは確実に離れてしまう。それだけは絶対に嫌だった。

 今にも泣き出したくなる気持ちを頑張って抑えながら学校に着いた私は、ランドセルを自分の机に置いてから龍ちゃんの居る教室へと向かった。


「えっ!?」


 私は辿り着いた教室の中を見て、一瞬、自分の目がおかしくなったのかと疑ってしまった。その思わぬ光景を前に、思わず手で目をゴシゴシとしてしまう。

 しかし目の前に広がる光景は、最初に見たものと何も変わらなかった。

 私はその状況を前にして、完全に困惑していた。教室の中では龍ちゃんが複数の男子達に半円形状に囲まれ、からかわれていたからだ。


「やーい! 龍之介のフラレ虫ー!」

「「「「アハハハハハハッ!」」」」


 一人の男子が龍ちゃんに向けてそう言うと、あちらこちらから複数の笑い声が上がった。

 そんな状況に対し、龍ちゃんは何も言わずに拳を握り締めて顔を俯かせていた。


「あっ、茜ちゃん」

「まひろ君、龍ちゃんどうしたの?」

「それがね――」


 私の方へとやって来た友達のまひろ君に事情を聞くと、先日、龍ちゃんがクラスメイトの女の子に告白をして振られた事が知れ渡り、その事でからかわれているのだと言った。


「どうしてその事をみんなが知ってるの?」

「それがね、告白された子が言いふらしたみたいなんだ……」


 まひろ君は指こそささなかったけど、向けた目線でそれが誰なのかが分かってしまった。その女の子の名前は朝陽瑠奈あさひるなと言って、三年生の中でも特に可愛いと言われている女の子だった。

 確かに噂で聞いている通りに可愛い子だとは思う。

 でも、その子にはちょっと悪い噂もあった。告白してきた男子を周りに言いふらし、その男子が恥ずかしがるのを見て楽しんでいるという噂が。

 それが本当の事なのかどうかは分からないけど、実際にこうやって龍ちゃんが酷い目に遭っているのは事実。


「龍之介。お前、自分の事が分かってて告白したのか?」


 半円の中心に居る龍ちゃんを、男子達が更に追い詰める。

 次々と浴びせかけられるからかいの言葉に対し、龍ちゃんが身体を小刻みに震えているのが見え、それを見た私は、熱で朦朧もうろうとしている様な感じでフラフラと教室内に入って行った。


「龍之介君、かっこ悪い。あれで私の事が好きだなんて」


 そして龍ちゃんの居る所へと足を進める途中、この出来事の原因となったであろう朝陽さんの横を通り過ぎようとした時に、私は信じられない言葉を耳にしてしまった。

 その言葉を聞いてしまった私は、自分の中にある怒りの感情が一瞬で弾けるのを感じ、気付いた時には朝陽さんの左頬を思いっきり引っ叩いていた。


「な、何するのっ!?」


 頬を引っ叩かれた朝陽さんが、私に向かって怒りの声を上げる。

 本当なら相手のそんな態度に少しは動じるだろうけど、この時の私は、朝陽さんの怒りの声に少しも動じなかった。次々と湧いてくる怒りと悔しさの感情が、私を突き動かしていたから。


「謝って」

「えっ?」

「謝って……龍ちゃんに謝ってよっ!」


 悔しかった。とにかく悔しかった。龍ちゃんを馬鹿にされた事が許せなかった。

 頬を叩かれた朝陽さんは最初こそ驚きと怒りの表情を見せていたけど、私の言葉を聞いたあとは、途端にその表情を曇らせて俯いた。


「茜……」


 この事態に静まり返った教室内に、私の名前を呟く龍ちゃんの声が聞こえた。

 私はその声に釣られる様にして、龍ちゃんの居る方へと顔を向ける。そして呆気に取られた様な表情を見せている龍ちゃんの顔を見た瞬間、私はまた、悔しさが込み上げてきて泣き崩れてしまった。

 こうしてこの騒ぎのあと、騒ぎを聞いた生活指導の先生が教室へ駆けつけ、私は午前の授業を受ける前に職員室で事情を聞かれる事になった。

 龍ちゃんや朝陽さん、龍ちゃんをからかっていた男子達は個別に職員室へと呼ばれ、それぞれに事情を聞かれたりお説教を受けたりしたみたいだけど、私も当然、朝陽さんを引っ叩いてしまった事で怒られた。

 結局この日は朝の出来事の噂で学年内は持ちきりになり、私は放課後まで居心地の悪い一日を過ごす事になった。

 そしてこの日の放課後。

 私は久しぶりに龍ちゃんと一緒に帰っていた。帰る時に偶然にも下駄箱で龍ちゃんと遭遇し、勇気を振り絞って『一緒に帰ろう』と誘ったからだ。

 そして龍ちゃんは私の誘いに対し、一言『いいけど』と言って前を歩き始め、私はそんな龍ちゃんの後ろから、様子をうかがいながら恐る恐る歩いていた。


「あの……龍ちゃん、朝はごめんね……」

「何で茜が謝るんだよ?」

「だって、あんな騒ぎになっちゃったし……」

「別に気にしてないよ」


 そんな会話を交わしたあとはまた沈黙が続き、しばらくして私の自宅近くへと辿り着いてしまった。


「じゃあな」

「あっ……」


 龍ちゃんはスタスタと歩き、自宅へと向かって行く。もっと話したい事が沢山あったのに。

 遠ざかって行く龍ちゃんの後姿を見ながらそんな事を思っていた時、私は家を出た時の事を思い出した。

 そしてその時の気持ちを思い出した私は、ありったけの勇気を振り絞って右足を前へと踏み出し、遠ざかる背中に向かって大きく声を上げた。


「龍ちゃん!」

「な、何だよ?」

「私と対戦して!」

「はっ?」

「私とゲームで対戦してっ! そして私が勝ったら、一つだけお願いを聞いて!」

「……やだよ。お前、ゲーム下手くそだから相手にならないし」

「ふうーん。そうやって逃げるんだ? 龍ちゃんは私に勝つ自信が無いんだね?」

「はあっ!? 分かった。茜がそこまで言うなら受けてやるよ。だけど、俺が勝ったら俺のお願いを一つ聞いてもらうからなっ!」

「いいよ! 絶対に負けないからっ!」


 私は戻って来た龍ちゃんを連れて自宅へと入る。

 そして二人でリビングにランドセルを置き、急いで対戦するゲームを用意した。


「茜、本気で俺に勝てると思ってるのか?」

「勝負はやってみないと分からないもん!」

「言っておくけど、手加減はしないからな?」

「手加減なんていらないもん。私は絶対に負けないんだからっ!」


 最後に龍ちゃんとこうしてゲーム画面に向き合ったのは、いったいどれくらい前だっただろう。

 お互いに意地をかけての勝負みたいになってしまったけど、私は久しぶりにドキドキとした楽しさを感じ始めながら、龍ちゃんとのゲーム真剣勝負を行なった。


「――マ、マジか……」

「勝った……龍ちゃんに勝った!」


 昔は手も足も出なかったゲームで、私は見事に龍ちゃんに勝つ事ができた。

 そして隣を見ると、私にゲームで負けたのが信じられないのか、龍ちゃんはとても悔しそうにしている。


「くそっ、まだだ! まだ勝負は終わってないぞ!」

「あっ、ずるーい!」

「いいじゃないか。もう一勝負やろうぜ!」

「もう、仕方ないなあ。私が相手をしてあげよう!」

「そうこなくっちゃ!」


 悔しそうだけど楽しそうな表情の龍ちゃん。こんな笑顔の龍ちゃんを間近で見たのは、本当に久しぶりな気がする。

 こうして時間が経つのも忘れ、私は龍ちゃんと久しぶりに楽しくゲームで遊んだ。


「――くそーっ! 俺の負けだ! いつの間にこんな上手くなってたんだ?」


 フローリングへと寝そべった龍ちゃんが、悔しそうにしながらも微笑んでくれる。


「えへへ。龍ちゃんに勝つ為にずっと頑張ってたんだから」

「そっか……それじゃあ約束だ。お願いって何だ?」

「あ、そっか。そうだった。えっと…………」


 頑張って龍ちゃんに勝ったというのに、私は躊躇ちゅうちょしてしまう。

 こんな事をお願いするなんて、普通に考えればおかしいと思う。けれど今の私には、こうするしかない。


「あ、あのね、龍ちゃん……私とまた仲良くしてくれないかな?」


 私は勇気を振り絞ってそう言ったあと、恐る恐る龍ちゃんの顔を見た。


「ぷっ! あははっ! 何だよそのお願い。俺はまたとんでもない事をお願いされるんだと思ってたよ。あははははっ!」

「わっ、笑わないでよねっ!」


 私のお願いを聞いた龍ちゃんは、寝そべらせていた上半身を起こして大笑いを始める。

 そんな龍ちゃんを見た私は、あまりの恥ずかしさに龍ちゃんの身体をポカポカと叩いた。しかし龍ちゃんは、それでも笑うのを止めない。


「もうっ! 龍ちゃんのバカ――――ッ!」

「ぐあっ!」


 私のパンチを受けた龍ちゃんが、思いっきりフローリングで仰向けにのびる。

 思えばこの時が、初めて龍ちゃんにストレートパンチを放った日かもしれない。


「だ、大丈夫!? 龍ちゃん!?」

「いってえー、何すんだよ」

「ごめんなさい……」

「でもまあ、こんな感じの方が茜らしいな」

「えっ? どういう事?」

「ほら、昔の茜は泣き虫だったけどさ、こんな風に元気な感じだっただろ? かなり無茶苦茶な事もしてたしさ」


 正直、そんなに無茶な事をしていた覚えは私には無い。

 だけど、私が泣いてる時は、いつも龍ちゃんが側で慰めてくれていた事だけは強く覚えている。


「そ、そうだったかな?」

「そうだったんだよ。でも、小学校に入ってからは茜が変わった様な気がしてさ。昔とは違うって言うか何て言うか……それで茜とどう接していいのか分からなくなってさ……」


 その言葉は本当に意外だった。

 龍ちゃんも私と同じ様な事を考え、同じ様に悩んでいた事が。


「……私も同じだったんだよ? 龍ちゃんが変わった様な気がして、ずっと悩んでた。もしかしたら嫌われたんじゃないかって……」

「そんな事はねえよ!」

「本当に?」

「本当だよ。だいたい、何で俺が茜を嫌いにならなきゃいけないんだ?」


 龍ちゃんは私から恥ずかしそうに視線をらしながらも、はっきりとそう言った。

 その反応と言葉を見聞きした私は、心底安心したせいか、瞳から涙が溢れ出てきた。


「えぐっ……良かった。良かったよぉ……」

「お、おいっ!? いきなり泣くなよ! たくっ、しょうがねえなあ」


 久しぶりに優しく頭を撫でて慰めてくれる龍ちゃん。この感覚は本当に懐かしい。

 そしてしばらく頭を撫でられていると、龍ちゃんが唐突に口を開いた。


「そ、そうだ茜! 久しぶりに何か漫画を貸してくれよ」

「漫画?」

「ああ。最近なかなか面白いのが無くてさ」

「それだったら、最近買った漫画があるけど、それでもいいかな? 少女漫画だけど」

「少女漫画!? よせよ、面白くないに決まってるんだからさ」

「そ、そんなの見てみなきゃ分からないでしょ!」


 龍ちゃんの発言に少しムッとした私は、素早くリビングを出てから二階にある自室へ行って目的の漫画を取って戻った。


「はいっ! これ貸してあげる!」


 私は部屋から持って来たラブコメ漫画を龍ちゃんに手渡す。

 本を受け取った龍ちゃんは、少し困った様な表情を浮かべている。こんな感じの表情もとても懐かしい。


「分かったよ。とりあえず読んでみるからさ」

「そうそう。読んでみれば絶対に面白いから」

「ははっ。そうだといいけどな」


 思えばこの本を貸した事が、龍ちゃんがラブコメ作品を好きになる切っ掛けだったのかもしれない。

 とりあえず、お互いに少し遠回りをしたみたいだったけど、これが切っ掛けで私と龍ちゃんは元の幼馴染に戻れた。昔の様に気兼ね無く話せる様になった。

 それから私は、龍ちゃんの前ではなるべく虚勢きょせいを張らない様にしようと決めた。それは龍ちゃんが望んだ事で、私も望んだ事だったから。


× × × ×


「あっ、いけない! 早く準備しないと」


 ちょっと思い出の世界にふけり過ぎたみたいで、私は携帯の表示している時間を見てから慌てて花嵐恋からんこえ学園の制服に着替え、急いで朝食を摂ってから家を出た。


「――おっはよーう! 龍ちゃーん!」


 通学の途中、私は前方に居る龍ちゃん目掛けて走り、挨拶代わりに持っていた鞄でお尻に一撃を加える。


「いてっ!? 朝っぱらから何すんだよ」

「何って、朝の挨拶だけど?」

「どこの世界にこんな痛みを伴う朝の挨拶があるってんだ?」

「まあまあ。こんなのはいつもの事じゃない」

「やれやれ……昔はもっと大人しくて、おしとやかな時期もあったのにな」


 はあっと溜息を吐きながら、龍ちゃんがじと~っと私を見る。


「なにー? その挑戦的な目はー? 今でも十分におしとやかでしょ?」


 私は小首をかしげながら、右手をグッと握り込んで見せる。


「は、はいっ! おっしゃるとおりです!」

「うん! よろしい!」


 あれからも色々な事があったけど、龍ちゃんはあの時の約束どおりに、今でも仲良くしてくれている。もちろん喧嘩をする時もあるけど、それでも龍ちゃんは変わらず優しい。

 私の中にある龍ちゃんへの気持ち。それは中学生になるまでは幼馴染としてのものだと思っていたけど、龍ちゃんの優しさに触れる内に、私はそれが恋心なんだと気付いた。


「何してんだ茜? 置いて行くぜ?」

「あっ、待ってよ龍ちゃん!」


 私は先を行く龍ちゃんを追いかける。

 高校生活はまだ幕を開けたばかり。今はまだ無理だけど、いつかきっと、龍ちゃんにこの想いを伝えようと思う。

 今までの感謝と一緒に、大好きだよ――って。

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