第22話・アイスクリームと熱い気持ち

 修学旅行二日目。

 昨晩はまひろと長話をし過ぎたせいか、俺はまだ布団の中でまどろみの中に居た。


「龍之介、起きて」


 枕元でささやかれる声に被っていた掛け布団をそっと下げ、薄目を開けて声がした方を見る。


 ――あれ? ここは天国か? 目の前に天使が居る……。


「早く起きないと集合に遅れちゃうよ?」


 困ったと言った感じの表情を見せ、俺を起こそうと身体を揺さぶるベビーフェイスの天使。そんな天使の表情を見ていると、ちょっとした悪戯心いたずらごころが芽生えてしまう。

 俺は下げた掛け布団を両手でグッと掴み、再びガバッと頭の上まで被せた。


「あっ! もうっ、寝直さないでよ」


 天使の更に困った様な声音こわねから表情を想像し、思わず顔をニヤつかせてしまう。すると降臨した天使は、再び俺の身体を揺すって起こそうとしてきた。

 もう少しこの甘く涼やかな声を聞きながら、優しい揺さぶりに包まれていたい。しかしこれ以上、この愛らしい天使に意地悪をするのはあまりにも鬼畜。

 俺は頭まで被っていた掛け布団をそっと下げ、ゆっくりと上半身を起こした。


「あっ、やっと起きた。もうっ、ちゃんと時間どおりに起きなきゃダメだよ?」

「おはよう。俺の天使」

「えっ!? 天使? どこどこ?」


 俺を起こす為に降臨した可愛い天使は天然さんなのか、右へ左へ視線を向けながら部屋の中を見回している。


「どこって、ここに居るじゃないか~」


 俺は両手を大きく横へと広げ、天然ボケをかます可愛らしい天使をガバッと抱き締めた。


「ちょ、ちょっと龍之介!? 何してるの!?」


 抱き締めた天使からは温かく柔らかな感触が伝わり、華奢な身体からは甘く爽やかなフルーツミント系の匂いが香り立っている。

 その甘美な香りと気持ちの良い温かみに、俺は再び夢の世界へといざなわれそうになった。


「も、もうっ! 目を覚ましてっ!」

「ほぎゃっ!?」


 ドンッ――と押し飛ばされて背中が床へと着いたその瞬間、頭の中の霧は一気に消し飛んで行った。

 そして頭の中の霧が晴れた俺の目の前には、なぜか涙目になったまひろの姿があり、それを見た俺は、今の状況が理解できずに焦っていた。


「俺はいったい何を……まひろ、何かあったのか?」

「龍之介の……ばかっ……」


 どうやら寝惚けている時に、まひろが涙目になる様な何かをやらかしてしまったらしい。

 俺はまひろに何をやらかしたのかを聞いてみたけど、まひろは顔を赤くするだけで、かたくなに何があったのかを話してはくれなかった。しかし、俺に対して怒っているのは確かだと思ったので、朝食後に好きなデザートを奢るという事でなんとか許してもらえた。

 こうして朝食を終えてから約束どおりにまひろへデザートを奢ったあと、俺達はホテルを出る準備を済ませてからバスに乗り、長崎平和記念公園へと向かった。


「――ひゃー、大きいもんだな……」


 辿り着いた平和公園内にある石像を少し遠くから眺めつつ、俺は率直な感想を述べる。

 ここにある石像は、後世の平和を願う人々によって作られた。今の世の中も、決して平和に満ちた世界とは言えないけど、それでも、願い続ける事に意味があるのだろう。


「おっ、あっちにアイス屋さんがあるぜ!」


 渡は勉強よりも食い気が優先の様で、元気にアイス屋さんがある方へと走って行く。本当に欲望に素直な奴だ。アイツはきっと、大した悩みなど無く生きているんだろう。

 ちゃっちゃとアイス屋へ向かった渡に続き、みんなと一緒にアイス屋へ向かう。そしてそこで全員がお好みのアイスを買ったあと、近場の木陰に移動をしてからアイスを食べ始めた。

 九月も終わりに入っているとは言え、まだまだ外は夏の様相を完全に失ってはいないから、口にするアイスもまだまだ美味しく感じる。


「うん。美味いな」


 口に含んだチョコミントアイスの爽やかなミント味が広がり、とても爽快な気分になる。


「やっほー!」


 満足な気分でチョコミントアイスをペロペロと舐めながら入道雲が入り混じる青空を見上げると、不意に遠くから聞き慣れた声が聞こえ、その方向へと視線を向けた。


「龍ちゃーん! 楽しんでるー?」

「おう。当たり前じゃないか」


 楽しげな様子でこちらへやって来たのは、活動的な俺の幼馴染の茜だった。

 俺はやって来た茜の明るい笑顔を見ながら、チョコミントアイスをペロリと舐める。


「あっ、それチョコミント? ちょっともーらいっ!」

「あっ! こらっ!」


 茜は俺の手から素早くアイスを奪い取ると、そのまま自分の口へとアイスを運んだ。


「んー、冷たくて美味しい~」

「お前なあ……」

「いいじゃない、ちょっとくらい。幼馴染なんだから」


 毎回毎回、何かする度に出るお決まりのこのセリフ。コイツは幼馴染であるという事が、どれ程の免罪符めんざいふになると思っているんだろうか。


「でもさ、それだと水沢さんと龍之介、完全に間接キスだよなー」

「えっ!?」

「バーカ。こういうのはな、間接キスとは言わないんだよ」


 そう。間接キスってのはもっとこう、心ときめくシチュエーションで行われるものなんだ。


「そうなんですか? だったら、私のも一口食べて下さい。はい、どうぞ」


 そう言ってにこやかに俺へアイスを差し出す美月さん。本当にこの人は何を考えているのか分からない。


「いやいや、俺はいいよ」

「そう言わずに食べて下さい」


 美月さんはにこやかな表情を変える事なく、尚も俺の口元へとアイスを近付けて来る。

 そんな美月さんを見た俺は、大人しく一口食べた方が早いだろうと判断し、やれやれと思いながらも口を開けた。


「ダ、ダメ――――ッ!」

「きゃっ!」


 俺が覚悟を決めて美月さんの差し出したアイスを食べようとしたその時、茜が突然大きな声を上げながら、美月さんの差し出していたアイスをパクッと口にした。


「あら。茜さんと間接キスになっちゃいましたね」


 自分の差し出していたアイスを食べられたというのに、美月さんはどことなく楽しそうだった。


「おいおい。いくらアイスが好きだからって、美月さんの分まで食べなくてもいいだろ?」

「しょ、しょんなんじゃにゃいもんっ!」


 慌てて冷たいものを口にしてキーンときたのか、茜は右手でこめかみを押さえながら言い訳をする。


「それじゃあどういう事だよ?」

「そ、それは…………」

「やっぱり美月さんが持ってたアイスを食べたかっただけだろ?」

「ち、違うもん! 龍ちゃんの馬鹿っ!」


 俺の言葉を聞いた茜は、一瞬で顔を真っ赤に染めてから一言そう叫んで走り去って行った。


「あ、茜!? もうっ、鳴沢君の馬鹿っ!」


 真柴は俺にそう言い残すと、慌てて走り去った茜を追いかけて行く。

 茜に馬鹿呼ばわりされる意味も分からんが、何で真柴にも馬鹿と言われなきゃならんのだろうか。


「なあ、渡。俺、何かマズイ事をしたか?」

「……一番マズイのは、お前の感性かもな」

「はあっ? 何だそりゃ?」


 俺の質問に答えたあと、渡は呆れた表情を浮かべて俺を見ていた。

 渡の言った言葉の意味もさっぱり分からんなと思いつつ、俺達は真柴が戻って来るまでの間、静かに木陰で待つ事になった。

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