第十二話 『大魔導師まかろん』



 朝チュンである。


 寝ぼけ眼を擦りつつ、痺れに痺れた右腕をぶらぶらと解す。

 痺れの原因――傍らで眠るユネに目をやると、それはそれは幸せそうな寝息を立てていた。

 腕枕はある意味ロマンでもあるのだが、実際にやってみるとこの辛いことこの上無い。筋力STRのパラメータをもう少し上げれば苦にならなくなるのだろうか――今のこの世界では敵わない願いではあるが。


「むにゃ……ますたー……」

「よだれ垂れてる……」


 正統派の美少女キャラが台無しである。

 はだけたパジャマのボタンを直してやり、顔に落ちた花梨色の髪を梳くように正すと、ユネは『ふにゃぁ……』と幸せそうに頬を緩めた。


「この状態で起こすのは酷だよねぇ……?」

「ですー……むにゅむにゃ……」


 今まであれだけ頑張ってきたのだ、もう少し寝かせてあげたい――と言う大義名分を手に入れた僕は再び布団に潜り込む。二度寝である。

 初夏と言っても、まだ早朝は肌寒い。布団の中で抱き枕にするようにユネにぴったりとくっつくと、すぐに身体が暖かくなった。

 目の前には相変わらず幸せそうに眠るユネの顔がある。


 ごめんよアルフ。ちょっと遅れるっぽい。






「うわぁ……ここって本当に僕達のギルドホーム?」

「はい、この四年の間にクォーツから逃げてきた多くの流民の方を受け入れて来ましたので……人口は先月時点で八千人を越えているそうです」

「EGF時代の八十倍とか……」


 朝食を取った後、『風見鶏の館』に向かうべく居住区と商業区の間を走る大通りに下りて来た。

 現実世界と同じ初夏の日差しは、既に少し強い。僕の服装は昨日と同じ、黒の三つ揃えと白地の外套と言ういつもの野暮ったい格好。耐暑耐寒性能が付与されているのにも関わらず、何だか暑い気がするのは多分気持ちの問題だ。

 ユネはクリーム色のチュニックに浅葱色のサマーカーディガンを羽織っている。穴の開いた戦装束はさすがに身に着けていない――後で何か見繕ってあげないと。腰には銀色の愛剣が革のベルトで吊り下げられていた。赤いマフラーに付けたギルドシンボルを模した金細工が、朝日を反射している。


 大通りにはかつてゴーストタウンに等しい人口しかいなかったこの街の姿からは考えられないほどの人の山。

 小人――ホビットのおじさんが露天で声を張り上げて果物を売り捌き、籠を抱えた獣人のご婦人の隣を、魔人族とエルフ族の少年少女がボールを抱えて駆けて行く。

 僕達プレイヤーとフェローが属する『人間』と少し――あるいは大分異なる外見を持つ彼らは『亜人』――かつてNPCと呼ばれた人々だ。

 大通りは、プレイヤーのために作られたEGFの世界とは違い、彼らこそがこの世界の主人公であると感じるほどの賑わいを見せていた。


「これはユネ様! 本日もお美しく何よりで! 『イリスの樹』から朝一番で採れた果物です。お口に合うかは分かりませんが!」


 露天商のおじさんが、身の丈ほどもあろう大きな籠をユネに突き出した。籠の中には、リンゴやら桃やら葡萄やらの瑞々しい果物がたくさん詰まっていた。

 イリスの樹とは、あのギルドホーム中心部に聳え立つ第三世界樹『ユグドラシル・イリス』の事だ。EGFにおいて、プレイヤーの手によってに植えられた世界樹なので第三世界樹と呼ばれている。

 EGF時代は希少性の低い果物や野菜などの食材系アイテムしか採取できなかったので、とんだだと文句を言われ続けてきた不遇な樹だったが、今はそれが幸いしているようだ。

 希少性の高い薬草類や木材類が採取できるが、その分再採取時間が長い『ユグドラシル・ユノア』や『ユグドラシル・カペラ』よりも、より今のエヴァーガーデンの実情に即していると言えるかもしれない。


「い、いえ、大切な商品をいただくわけには……」

「いやいや! 俺らが今まで命を繋げてこれたのは、イリスの樹の恵みを分け与えて下さった『風見鶏のとまりぎ』の皆さまのお陰でさあ! 一個二個と言わず、籠ごとお渡ししても家内に文句は言わせませんぜ!」

「あ、あのぅ……」


 テンション高めでまくしたてるホビットのおじさんにユネは押され気味だ。

 そんな彼女の隣から僕は籠に手を伸ばした。


「ここはお言葉に甘えておこうよ。リンゴとオレンジ、ひとつずつもらいますね」

「おんや、こちらの兄ちゃんは?」

「ユネの恋人です」

「こ、恋人って!?」


 ユネが抗議の声を上げる隣で、既に僕はもしゃもしゃとリンゴを齧っていた。瑞々しい果汁が口の中一杯に広がった。

 不服だったらしいので、言い直す。


「失礼しました。ユネとはただのお友達です」

「それも、何だか傷つきますっ!? そういう意味で言ったわけじゃないのに……」

「ははーん? どちらにしても『イイカンケイ』って奴ですな?」

「そういうご理解で差し支えないかと」


 もじもじと指をすり合わせるユネを見て何かを察したのか、おじさんがニヤリと不敵な笑みをこぼす。

 おじさんと視線を合わせ、にっしっしとお互いに下世話な笑い声を上げた。


 人間と亜人という種族の隔たりがあったとしても、男同士通じるものがあるのだ。






「わっ、わっ、本当にヒビキ様なんですか!?」


 『風見鶏の館』の正面玄関を潜ると可愛らしい驚きの声が上がった。

 執事服を纏った小柄な影がエントランスホール両脇の階段の片方をパタパタと駆け下りてくる。


「久しぶりだねヤト。四年間もこの館を任せ切りで済まなかったね」

「いえ、万事滞りありません。会議室も執務室もゲストルームもぴかぴかです」

 執事服に身を包んだ黒髪の少女――もとい少年が、胸に掌を当てて一礼した。


 彼女――彼は『ヤト』と言う名のフェローだ。

 どこからどう見ても可憐な少女にしか見えないが紛れも無く少年である。りっちゃんによれば、大昔に流行った男の娘という属性らしい。執事服よりもメイド服の方が似合うと思うが、男なのだから仕方がない。


「ヤトさんには今まで通り、ギルドホームの設備管理をしてもらっています」

「ごめんよ、プレイヤー不在で迷惑をかけてしまったね」

「そんな……ボクはユネさんやアルフさんみたいに戦う事はできないので……」


 ヤトが照れくさそうに微笑んだ。

 家一軒がすっぽり入りそうなほどの広いエントランスには塵一つ無い。足元のふかふかの絨毯も下ろしたてのように鮮やかだし、エントランスの両脇を流れる水路の石材も良く磨かれている。

 某ギルドメンバーの趣味で大量に飾り付けられている植物達も、種類こそ昔と違うようだったが、綺麗に手入れがされている。整然としてはいるが、雑多という言葉が内包する面白みも残されていた。


 こんな芸当、家屋管理系のスキルをマスターしたヤト以外には出来ないだろう。


「ところでアルフは? 明朝って言われただけだから適当な時間に来ちゃったけど」

「ああ、おります! おりますよー!」


 目線を上げると、上の回廊から身を乗り出して手をぶんぶんと振るイケメンの姿があった。やることがたまに子供っぽい。


「朝――のわりにはちょっと遅いけど、この時間で良かった?」

「ええ、むしろ段取りを考えると、この時間で丁度良いです」


 アルフが懐中時計を見てから頷く。時間は朝と言うには少し遅めの九時半。

 彼がユネとヤトに目配せすると二人も頷いた。


「段取り?」

「はい。まずはヒビキ様にお会いしていただきたい方が……」


 頭にハテナマークを浮かべながら歩き出す。


 『風見鶏の館』は真上から見れば、”コ”の字の形をしている。

 口の開いている方をユグドラシル・イリスに向けており、縦の辺が目抜き通りに面する正面玄関の棟に当たる。上の辺には個人部屋や客室等の小さい部屋が多く、下の辺には会議室やラウンジなど皆が集まる大きな部屋が多い。


 エントランスのゆるく歪曲した階段を上って右側の通路に入る。しばらく直進後、突き当りを左へ――すなわち客室が多い上の辺の棟だ。そして更に直進。

 大きめに取られた窓からは、ユグドラシル・イリスの巨大な雄姿を見る事ができる。近すぎて樹冠部が見えなかった。


 長い廊下にはとにかく部屋が多い。ギルドメンバーは全員自宅プレイヤーホームを持っていたので、EGF』代はほぼ空き部屋だったが現在は使われているのだろうか。

 少し直進してようやく目的の部屋の前――二階廊下の中程にある部屋の前にやってきた。


「ここに会ってほしい人が?」


 軽くノックをするが返事は無い。アルフに目配せすると頷かれたのでそのまま扉を開いた。

 ぎぃっ、と意外と古めかしい音を立てて扉が開く。


 それはまるで、御伽噺に出てくる魔女の家の扉を開いたときのような音だった。






 入った瞬間、部屋の主の姿を見ずともそこが誰の部屋か分かった。


 床と壁、天井の全てが暗めの木材で統一された部屋だ。壁にはドライフラワーの束が吊るされており、備え付けの棚には分厚い本やマジックアイテムなどがぎっしりと詰め込まれている。端の方にある机には幾つかの鉱石や実験器具と一緒に小さなティーカップが置かれていた。

 薄暗い部屋には窓から光の帯が差し込み、その光の帯の中に小さな塵がゆらゆらと揺れているのが見えた。


 扉を隔てて現実から切り取られた少し不思議な空間。

 まるで、御伽噺に出てくる魔法使いの部屋そのものだ。


「……?」


 窓の傍に置かれた安楽椅子に静かに座っていた影がゆっくりと振り向く。

 影はの広い大きなとんがり帽子を被っていた。紫のローブに、複雑な刺繍が施されたケープを羽織ってったシルエット。その形を持った彼女を、僕は良く知っている。


……なのかい?」

「はい、私です」


 名を問われ頷くとその人影――まかろんは無機質な表情を湛えたまま僕の方に歩み寄ってきた。

 小柄に見えた身体はユネよりも更に小さい。

 紫が混ざった銀髪に黄金色の瞳。


「久しぶりに会えて嬉しいです」


 彼女はまるで嬉しく無さそうな感情の色が無い声で言った。

 嫌われているわけではない。希薄な情動に空疎な感情――それが彼女のいつもの姿なのだから。

 感情の宿らない黄金の瞳が僕を間近で見上げて来る。


 この少女は『まかろん』という名前のだ。ユネやアルフ、ヤトのようなフェローではなく、現実世界で実の肉体を持つである。

 彼女は『風見鶏のとまりぎ』創設メンバーの一人で僕の友人でもある魔導師だ。

 火・水・土・風の四元魔術と、その全てをマスターした者のみが習得できる超高位スキルの『始原魔術』から成される火力は『風見鶏のとまりぎ』最高を誇る。

 EGFではかれこれ六年来の付き合いになり、リアルではそれ以上の昔から交流がある――この点については少し説明を省こう。


 こちらに来て二日目。ようやく僕以外のプレイヤーと会うことが出来た。

 その事実を確認すると僕は深く安堵した。やはりどこか心細かったのだろうか。


 まかろんが囁くようにゆっくりと言葉を紡ぐ。


「ヒビキさんも、『0番ゲートウェイ』を通ってこちらに?」

「うん。触った瞬間に気を失って、気付いたら『ロスフォルの大叢海だいそうかい』の端っこに放り出されていたよ」

「そうですか。私や他の皆さんと一緒ですね。私は少し気になることがあり、試しに接続してみたら『0番ゲートウェイ』がリストの中にありました」

「もうEGFはサービス終了したって言うのに……何が気になったんだい?」

「秘密です」


 僕の問いを、まかろんがばっさりと拒絶する。

 SNSに投稿されたユネからのメッセージの件は伏せておいたほうが良いだろう。ユネはそんなものに心当たりは無いと否定していたし、この状況で不明要素を更に積み上げる必要は無い。


「まかろんはいつからここに?」

「七月十二日の午前十一時三十分です。こちらでは今日でちょうど一年となります」


 よく一年前のログイン時刻を正確に覚えているものだと感心した。いや、彼女にしてみればそんなことは容易いのかもしれない。

「丸一年か……やっぱり長いなぁ……」

「フェローの皆さんがとても良くしてくれたので私は大丈夫です」


 まかろんが、僕の後ろに控えていたフェロー三人に視線を向けた。


「僕がログインしたのが十四日の午後八時過ぎだから、大体向こうの世界での五十六時間が、こっちでの一年に当たるのか……」

「はい、私達の試算でもそのようになっています。時間の流れの乖離は、こちらとあちら側でおよそ百五十倍程度のようですね」

「本格的にわけが分からない……」


 エヴァーガーデンでも一年の定義は現実世界と同じだ。一日が二十四時間、一年は三百六十五日と定義されており、一年は十二の月に分割されている。もっとも各月はファンタジーっぽく、季節の樹の名前が付けられているが。

 今日は七月一日――えんじゅの月の一日である。


「まかろんは一年、ユネ達に至っては四年か。待たせちゃって本当にごめん」

「主役は遅れてくるものですから」

「あはは、僕に主人公役それは似合わないよ」


 むしろその役はりっちゃんにこそ相応しい。

 戦いの最前線で豪快に大剣を振るい、常に『風見鶏のとまりぎ』の先頭に立って皆を導いてきた彼女は、これ以上無くヒロイックな女の子だったと思う。


 そんな僕の言葉をスルーして、まかろんはユネ達三人に視線を投げた。


「ヒビキさんが来てくれたのなら、皆さんも安心できますね」


 三人が三人、こくりと深く頷いた。


「揃いも揃って、皆僕を買いかぶり過ぎだと思うけどなぁ……」

「マスターのお力は、皆知っていますから」


 苦笑いも出ない。

 ヨイショしてくれるのは嬉しいんだけれども、実力以上の期待は重荷にもなる。


「ところで、まかろんは何でここに部屋を構えてるんだい? 自宅プレイヤーホーム持ってたはずだよね?」


 ギルドホームの住宅区北西にはちょっとした森がある。早朝には深い霧の立ち込めるその森の中に、まかろんの自宅プレイヤーホームはあったはずだ。木と藁と石で作られた、まさに『魔女のお家』という外観の家――世が世なら、親が子に語り聞かせる物語の中に出てくるような御伽噺のような家が。


「少し事情があり、三ヶ月ほど前から生活拠点をここに構えています」

「事情って?」


 まかろんは答えず、ベッドの傍らに立てかけてあった身の丈ほどの杖を傍らに浮遊させた。複雑な彫刻が脈動するように発光する黒い杖だ。

 その杖は、長杖類神話級――いわゆる『神器』と呼ばれる超レアアイテムの『昏き探求のミスティリオン』と言うまかろんの杖だ。その価値は金額では測れない。

『ミスティリオン』の名を冠する装備は、同じ『神器』に属するユネのヒュペリオンソードよりも希少で強力だ。


「まかろん様、そろそろお時間です」

「はい、行きましょう」


 僕とまかろんの会話の間、頻繁に懐中時計に目を落としていたアルフが声をかける。

 まかろんが大きな魔女帽子を深く被り直すと、もうその視線は見えなくなった。


「ヒビキさん、一緒に来てください」


 例によって感情の熱を帯びていない硬質な声だった。


 まかろんの足跡を追いかけるように、再び廊下に出る。

 まかろんの隣をアルフが歩く。数歩遅れて僕。ユネは僕の隣。ヤトはその執事ルックに相応しく最後尾で僕等を追いかける。

 一階に下りて廊下を更に奥の方へと進む。廊下の行き止まりにあった扉を抜けて、渡り廊下を進んだその先、学校の体育館を二回りほど小さくした石造りの建造物に僕達は辿り着いた。


 建造物の入り口には灰色の輝きを放つ扉が設えられている。大きく重厚ではあるが、美しい彫刻が施された鉄製の扉だ。

 草木に覆われた『風見鶏の館』の暖かな雰囲気とは、大分異なる空気を醸し出していた。


 この扉の先にあるのは――。


「礼拝堂に何の用が?」

「中を見れば分かります」


 そこはEGF時代は殆ど訪れる人間の居なかった礼拝堂だった。何をきっかけにして建てたかは覚えていない。

 アルフが扉の取っ手に手をかけると、記憶よりも重い音を立てて扉が開いた。

 窓を隔てて差し込んだ陽の光が、僕の眼を薄く灼く。


 ――そこは石造りの壁に守られた花畑のようだった。


 礼拝堂の床には、白を中心に色とりどりの花が敷き詰められていた。紫色が混ざっていないのはクォーツを想起させない配慮のためか。礼拝堂の中心まで伸びる絨毯以外、石造りの床が見えないほどの大量の花々が敷き詰められている。

 窓からは日光が光の帯を象って降り注ぎ、花畑を照らしている。


 多くの花々に囲まれた美しい人工の楽園だ。


 しかしそこには、温かさのひとかけらも感じない。

 僕にはそこに咲く花々が、まるで弔花のように見えたからだ。

 視線の先、礼拝堂の中心から等間隔に置かれた四つの寝台。成されたこの楽園は、その寝台に横たわる者達のためのものだ。


 僕は呟いた。


 その、寝台に横たわる――りっちゃんの骸に向かって。




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