第113話 作るということ

 人は何かを作ることが幸せとか生き甲斐とかにつながるという。


 「クリエイティヴ・セラピー」というものがある。創作・創造活動を通じた精神療法である。


 ぶっちゃけ私がモノカキしてるのは何かを書くことで精神の安定を図っているところがあった。

 最近すっかりそういう目的もなくなったような。しかし、それはルーツのひとつであるということを覚えておかないといけない、って今思った。


 実はおっさんになってからレゴを買うようになった。

 レゴは高いので小さいときには買ってもらえなかった。ダイヤブロックでもなかったかもしれない、なんかシンプルなブロックばかりのものは与えられた。なんかブルドーザーのやつ買ってもらってたよな。だとするとたぶんダイヤブロックだったのか。

 そのへんの子供よりもうちょっと物の扱いが雑だったので、すぐにパーツは紛失してまともに形作れなくなったあとの記憶しかない。


 ちなみにプラレールもおっさんになってからプラレールアドバンスを買ったぞ。


 とりあえずレゴの話に戻る。

 割と玩具にカネを使う方なので、レゴのパーツ数は結構なものになっている。

 なぜレゴか。

 買って失敗したと思ったときにリカバリーする手段が残されているからだ。

 組み替えれば面白いものが作れる可能性がある。以前持っているセットと組み合わせれば新たにいいものができるかもしれない。

 そういう消極的な理由でレゴなのである。

 そんな消極的な理由でレゴを選んでしまっているせいか、創造的な脳が働かず、あまりオリジナルビルドはできていない。

 買うレゴのセットは自動車のものが多い。

 これもまた消極的な理由である。

 タイヤついてたらシャーシ部分だけ元の組立説明書インスト通りに組んで、その上の構造はデタラメにつくっても割と自動車に見えるし、転がし遊びはできる。


 Web上を探せば、オリジナルの組み方を細かく説明しているものがあげられていたり、元あるセットを組み替えてまったく別のものを完成させられる組立説明書インストが有料(数百円)で手に入る。

 これらを利用すれば、自力で創造力を発揮できなくても元の説明書以上のプレイバリューが得られるのである。

 ただ、ここで問題なのが、オリジナルのものはもちろんだが、元々セットであったものを組み替えているものであっても、そのパーツを全部揃えないとその「組み替え説明書」どおりに組めないのである。

 パーツの整理は大変難しい。今日、ひとつ組んでみたいものが紹介されていたのを見つけたんだが、必要なパーツを手持ちからチョイスするのが大変面倒くさいのでひとまず挫折している。


 あと、「ブロックプール」なるものも購入した。これは、ふちのついたレジャーシートのようなもので、それを広げた中でレゴのような玩具で遊び、遊び終わったら、そのシートで包んで片付けてしまえるというものである。


 (『縁』にルビつけたのは私が「緑」と「縁」を見分けるのが下手だからだ。ちなみに「荻」と「萩」のほうがもっと見分けられない)


 「ブロックプール」があれば、その中にパーツを広げてチョイスもしやすかろうし、途中でくじけたときにもコンパクトにまとめてうっちゃっておける。


 10年くらい前かに気づいたことだ。「あっさりくじけられる準備をするのは大事」だと。

 そんな性格だから女の子に告白するときに「◯◯◯さんのこと好きだが好きだということに責任は持てない」ということを言うのだ。

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