第156話 映画「泥の河」- 解釈

映画「泥の河」- その私的解釈 
モノトーンで表現される戦後の動乱期、そこに登場する人々は、時系列の流れを追って、ただ、生きているだけだが、その悲しみの断片を知らざるを得ない。
いずれにして、生まれる時代を選ぶ事はできない。それにしても、うつろぎの時の流れは、あっけない。


泥の河の舞台は
:安治川と土佐堀川をつなぐのが船津橋。泥の河の冒頭では、ここで男が荷車に轢かれて亡くなる。やっとの思いで戦争から生きて帰った男のあっけない事故死に、田村高廣演じる信雄の父親が嘆く場面が印象に残る。次の端建蔵橋(はたてくらばし)は信雄の家であるうどん屋があった場所。
泥の河は、原作者である宮本輝の幼少期をモチーフにしたといわれる。


「泥の河」
原作 宮本輝(第13回 太宰治賞-1977) 
監督 小栗康平


出演 田村高廣 藤田弓子 朝原靖貴 桜井稔 柴田真生子


*内容の部分解釈


戦後の焼け跡の面影をまだ残す河辺で、食堂を営む家族があった。
その一人息子である信雄(のぶちゃん-9歳)は、ある雨の早朝、橋の上で鉄くずを盗もうとする少年、喜一(きっちゃん)に出会った。


雨に煙る対岸に、その日に、つながれた、宿船の少年である。
舟の家には銀子(11歳)というの優しい利発な姉と、その船の中の板壁の向こうで声だけがする姿の見えない母がいる。
友達になったことを父、晋平に話すと、夜はあの舟に行ってはいけないという。


窓から見える船の家が信雄を魅惑・不安にする。


食堂によく来る、馬の荷車の男が、急激に増えた車と必然のことのように、交通事故を起こして、轢かれて亡くなるシーンは、突然、発生する。
その男は、やっとの思いで戦争から生きて帰った、その男のあっけない事故死に、信雄の父親が嘆く。
亡くなった、その男の姿は、、子供の信雄には見せられない。

その間も、子供達の交流は、当時の日本のどこでもあったように親密になっていった。


そこへ、終戦直後に別れた晋平のかつての妻の病変の知らせが届く。


照り返しの強い夏の京都御所を通って見舞いに行く。信雄にとって、経緯はわからないが、優しく褒められた事は記憶に留まる・・
・・・

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戦後の動乱期に、そこに登場する人々は、ただ、時系列の流れを追って生きているだけだが、その悲しみの断片を知らざるを得ない。
それにしても、うつろぎの時の流れは、あっけない。

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