第91話 シトロエンの偉業 - 20thのカーデザインと文化活動
シトロエンの偉業 - 20thのカーデザインと文化活動
歯車作りから、始まったシトロエン社の創始者アンドレ・シトロエン(André-Gustave Citroën)は、1878年フランスのパリに生まれ、1913年、歯車工場を始めた。それは、現在のエンブレムにも生かされている。
はじめてのライン生産方式を取り入れたヘンリー・フォードに、シトロエン社は、過大な影響を受け、コンベア方式(ライン生産)の砲弾も製作した。第一次世界大戦後、自動車の製造を始める。この一元化されたライン生産方式は、後に、工業デザインに過大な影響を与えた。
フォード社(アメリカ合衆国)のT型フォードに対して、ユーロ初の量産車(低価格となる)シトロエン・タイプAである。また、クルマを大衆のものとした、タイプC5CVが登場した。
そして、シトロエン社の偉業として、その多彩な技術挑戦と文化活動に、シトロエン探検旅行があげられる。
その1つに、アフリカ・アジアを制したハーフトラックによる探検旅行は、1922年から、各地を廻り、最大の難所であるヒマラヤ山脈は、5000m以上、-40℃と過酷な条件であった。2班に分かれて進行するが、一方(ベイルート側から)は、分解して人力で運ぶが、結果、車を捨てる。また、もう一方(天津側)は、中国の内乱に巻き込まれ軟禁状態となる。
しかし、彼らは、6ヶ月後に対面し、北京に戻った。途中、残念な事に、死亡者もだしたが、この次なる探検は、カナダ北西部にも至る。
これらは、企業の営利目的の広報活動ではない。
「その地の自然生態、文化を観察し、フィルム、標本に記録し、紹介する文化活動が、目的であった。空間を時間によって征服することの実現化である。」
シトロエン社は、車が、社会 - ヒト - 文化に過大な役割を果たす事を人々に訴えた。
多々あるメーカーの中で、これだけ、車のワクから離れて、文化的な偉業の達成の例は、他にはないといわれる。
(註)歴代のモデルは独創的な構造と先進的なデザイン
時代背景から:自動車発生の当時は、階段を歩く足のある自動車、また、キャラピラ形状(シトロエンのヒマラヤ越えのハーフトラック)等、多様な種類が存在した、そして、当時は、ガソリンと同じ位置づけに、電気自動車も存在した。
燃料精製の科学的な移行(化石燃料から、ガソリンの精製)の経緯にも、ガソリン車の発生とその後主流の存在となる要因は大きい。
科学の発見が、技術・芸術を牽引する。
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