第62話 美術教育の解釈(異論)-テキスト「美術を学ぶ人へ」佐藤忠良 著
美術教育の解釈(異論)-テキスト「美術を学ぶ人へ」(佐藤忠良)
以下、引用
美術を学ぶ人へ (美術の教科書) 佐藤忠良
美術を学ぶ前に、私が日ごろ思っていることを、みなさんにお話します。
というのは、みなさんは、
自分のすることの意味------なぜ美術を学ぶのかという意味を、
きっと知りたがっているだろうと思うからです。
私が考えてほしいというのは、科学と芸術のちがいと、その関係についてです。
みなさんは、すでにいろいろなことを知っているでしょうし、
またこれからも学ぶでしょう。
それらの知識は、おおむね科学と呼ばれるものです。
科学というのは、だれもがそうだと認められるものです。
科学は、理科や数学のように自然科学と呼ばれるものだけではありません。
歴史や地理のように社会科学と呼ばれるものもあります。
これらの科学をもとに発達した科学技術が、
私たちの日常生活の環境を変えていきます。
ただ、私たちの生活は、事実を知るだけでは成り立ちません。
好きだとかきらいだとか、美しいとかみにくいとか、
ものに対して感ずる心があります。
これは、だれもが同じに感ずるものではありません。
しかし、こういった感ずる心は、人間が生きていくのにとても大切なものです。
だれもが認める知識と同じに、どうしても必要なものです。
詩や音楽や美術や演劇------芸術は、
こうした心が生みだしたものだと言えましょう。
この芸術というものは、科学技術とちがって、
環境を変えることはできないものです。
しかし、その環境に対する心を変えることはできるのです。
詩や絵に感動した心は、環境にふりまわされるのではなく、
自主的に環境に対面できるようになるのです。
ものを変えることのできないものなど、
役に立たないむだなものだと思っている人もいるでしょう。
ところが、この直接役に立たないものが、心のビタミンのようなもので、
しらずしらずのうちに、私たちの心のなかで蓄積されて、
感ずる心を育てるのです。
人間が生きるためには、知ることが大切です。
同じように、感ずることが大事です。
私は、みなさんの一人一人に、ほんとうの喜び、悲しみ、怒りが
どんなものかがわかる人間になってもらいたいのです。
美術をしんけんに学んでください。
しんけんに学ばないと、感ずる心は育たないのです。
(註)本来の美術教育への解釈(ARTODAY)
「美術を学ぶ人へ (美術の教科書) 」について、
反面、異論の多いのも確かだろう、それは、表象には、解答がないのだから、、それでも、小中学の美術には、成績がある、人(教師)がランクを付ける訳だ、そして、この書籍は、その教育の中で使われた。
>>科学と芸術の違い: それはない。そして、学際という言葉も存在する。
>>科学技術: 技術と芸術は同じものである。また、科学によって、その時代の解き明かされたパラダイムが、技術と芸術で展開されて行く。
すべてのサイクルは、複合的な同時性の中で進行している。
いつの時代もそうであろう。
それは、
「形見とて 何かのこさむ 春は花 山ほととぎす 秋はもみぢ葉」良寛辞世の句
解釈:残そうとしても何かが残るという世界の仕組みではないし、残るべきものとしてあるものは、人の手を離れてすでに残ってある。
>>しんけんに学ばないと、感ずる心は育たないのです。
テキスト「美術を学ぶ人へ」の筆者の言う、それは、まったく、ないだろう。感性とは、そう言うものではないからだ。
このことは、表象と言うプロセスを教育する者が高い立場でモノを言ってはいけない。セオリーがあるなら、自身の表象作品で置いていただきたい。
人から見ての感性のあるなし、どうでも、良いことなのだ。
それから、義務教育機関での芸術系科目の成績も、そうだろう。
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