第50話 壺坂霊験記 :視覚とはなんだろう。

壺坂霊験記

大和の壺坂寺のほとり土佐町に住む座頭の沢市は、琴や三味線の稽古をしながら美しい妻のお里が、まめまめしく洗濯や賃仕事をしてくれるのを頼りに、細々と暮らしている。沢市は夫婦になって三年、お里が朝方になると寝床を抜け出していくのに対し、「自分が盲目ゆえに外に男でも・・・・」と疑いを持つ。夫の疑いを知ったお里は驚き、盲目となった夫のために壺坂寺の観音様に祈願を続けてきた真心を打ち明けた。

 沢市は不自由なひがみから、貞節な妻を疑ったことを詫び、お里の奨めに従い壺坂寺にお参りする。

壺坂寺はその昔、桓武天皇の眼病が時の住職の祈祷によって平癒したという、西国六番の札所である。沢市は本堂に着き、夜もすがら御詠歌をあげ、三日間ここに籠もり断食すると決心する。 しかし、お里が帰った後、沢市は、どうせ望みは叶うまい、死ぬのが妻への返礼と、谷に身をおどらせる。山に戻ったお里は、夫の姿が見えないので狂乱したように駆け回り探したあげく、谷底に夫の死体を見付け、そして、形見の杖を抱きしめて、沢市の後を追い自分も谷底へ飛び込む。

 谷底に並んで伏した夫婦の前に観音様が現れ、お里の貞節と日頃の信仰心によって寿命を延ばすとのお告げがあり、 二人は生き返ったばかりか沢市の目も見えるようになる。喜び勇んだ夫婦は、 万歳を舞ってお礼参りをする。


(註)「ルイス・ブニュエル監督の銀河」の視点の類系:視覚とはなんだろう。

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「壺坂霊験記」を歌う盲目の民謡歌手・藤井ケン子

秋田県内で最年長の女性民謡歌手、大仙市に住む藤井ケン子さん(71歳)は2歳のときに眼病を患い失明しました。

全盲の娘に民謡を叩き込んだのは、腕のいい桶樽職人で尺八の名手でもあった父・弘一さんでした。親子の民謡の稽古は厳しく、ケン子さんは父の尺八で殴られることもあったといいます。

1941年、地元ののど自慢大会で7歳のケン子さんは2位に入賞、翌年には1位となり、その後は県内の大会でトップを独占し続けました。

そして1953年、ついにNHKのど自慢全国大会で2位を受賞。

その後15歳のときに、父親の弟子だった喜治郎さん(当時26歳)と結婚し、函館の民謡酒場や新潟、富山のホテルのステージなど、各地に住み込んで歌い続けふたりの子どもを育て上げました。

ケン子さんの得意な唄のひとつは「浪曲壷坂霊験記入りの津軽小原節」。壷坂霊験記は盲目の夫とそれを支える妻の物語で、妻の祈りで夫の目が開くという結末でしたが、それを歌うケン子さんが光を知ることはありませんでした。

(秋田放送制作 2005.6)


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