第30話 遍在する神
-ルイス・ブニュエルの銀河

*解釈

遍在する神 - LA Milky Way - Luis Buñuel


-ルイス・ブニュエル監督の銀河-

この作品解釈は、多々あるだろう。


印象に残るシーンは、

1)中世と現代の交錯

2)主キリストの実像感

3)巡礼という手段

4)交錯するマリアと娼婦の同一性と変化

5)盲目から、主キリストに与えられた実像の本来性(人の受容器官の視覚)

6)そして、見えているはずが、ラスト

シーンで溝を杖で探り渡る。=視覚で捉えていることが現実(実像)ではない。

これらは、映像の中で、何が起きようと、如何に解釈しようとも、ランダムな現実に近い仕様だ。

(註1)1969年、上映後、当初、キリスト教側からの抗議があったといわれるが、すべてキリスト教系のテキストから、ブニュエルの引用によって成り立っているため、この映像はキリスト教にとってむしろ護教的ともいわれた。

(註2)現在の虚像の時間軸においても、このブニュエルの視点をその表象手段も

1つとして考えたい、そして、その周辺には多様な方法論が生まれるだろう。


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銀河///ストーリィー///

パリのハイウェイを2人のヒッチハイカーで車を止めようとしている。

しばらく歩いていると、突如黒マントの男が、現われ、

続いてキリストの聖痕を持つの少年が現われ、少年が手を上げ車を止めた。

車内で、何げなく神を恨む言葉を呟いたとたん、2人は追い出されてしまう。

そして、村の司祭たちと聖体論争。

・・・・・・・・・・・・・・・・

立寄った女学院の学芸会の校庭では、マリア像の前で、敬虔な信者の様相で食事にありつく。

イエズス会の神父とヤンセン派の伯爵の決闘。

・・・・・・・・・・・・・・・・

フランスから、国境を越えてスペインに入った2人は、16世紀サラマンカ大学の学生2人に出会う。

金貨を報酬にロバを預かる。村の教会前の広場で進行中の元司教の位階剥奪の儀式。

そして、

聖母信仰のロザリオをふざけて撃砕いたその日の夜、青色の衣をまとったマリアが現われ砕かれたはずのロザリオをロドルフに渡した。

聖地サンチャゴ・デ・コンポステラ付近の銀河街道で、車で通りかかった娼婦マリアと、3人が消えていった森の中をパンニングすると、

盲の放浪者が2人現われる。そこへ使徒をひきつれたイエスが通りかかり盲人の目をいやす。

弟子たちを集めて、イエスは次のように宣言する。

「私が来たのは地に平和をもたらすためだと思うな。私がもたらすのは平和ではない、剣だ」(マタイ伝10音)

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