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「生きてくれ、か」


 亜紀は独り言のように零した黒羽の言葉を聞き逃さなかった。黒羽は外に向けていた顔を亜紀に戻し、嘲笑交じりに言った。


「生きている限り、自分の成すべき道がちゃんと見つかる――そう、あの子は言ったんだ。生きることを諦めた私にね」


 亜紀が思い出すのは、黒羽が麻酔から目を覚まし、色のない目を浮かべる彼の肩を揺さぶって怒鳴る蒼斗の形相。

 あの時の医師や看護師の仰天した顔はまさに滑稽で、笑うのを堪えるのに苦労したことを覚えている。


「そんなものは見つかるわけがないとあしらったよ。でも、今まで兄として、家族として何も出来なかった侘びとして、あの子の言葉を信じてみることにした」

「だが信じたその果てがコレか。家族なら今までの埋め合わせの為に一緒にやり直すものだろう?」

「言っただろう、私はもう疲れたと。だから、外のことを気にせずにいられる場所――バスティールで、私の生きる道について考えようと」


 なるほど、黒羽は蒼斗の言葉を実現させる為に、あの光の少ない場所で答えを見出そうというのか。

 それでも、亜紀には解せないことがあった。


「お前がバスティールに行った後、アイツはどうする? 一人にする気か」

「何言っているんだい。あの子の居場所はもう出来ているだろう――お前という、APOCという新しい居場所を」


 黒羽は嬉しそうに言った。


「やはり、あの子を君に任せてよかった」

「は?」


 亜紀は目が点になった。


「右も左も分からなかったあの子は、私の手引きもあるが、君たちと出会ったことで自由を手に入れることが出来た。詳細はどうあれ、私の最終的な目的はほぼ果たせたと言ってもいい」

「……ちょっと待て。お前……まさか、俺がアイツを拾って手元に置くことを分かっていてあんな話を……」

「お前なら、蒼斗の力を知れば新しい玩具を手に入れたと喜ぶと確信していた」


 亜紀は最初から黒羽に利用されていた。

 真実を知った亜紀は腸が煮えくり返り、両肩が震える。

 ここは病室。されど今の亜紀には関係ない。怒鳴り散らそうと肩で息を大きく吸った――その時。


「あれ、亜紀さんここにいたんですか?」


 両手いっぱいの見舞いの花束を抱えた蒼斗が亜紀に声を掛けた。

 その後ろに続く千葉は、愛の姿を見て物珍しそうに顎に手をやってほくそ笑んだ。


「兄さんのお見舞いに来てくれたんですか? ありがとうございます」

「……ちっ」

「え、ちょっと、亜紀さん?」


 亜紀は状況が理解出来ていない蒼斗――にこりと穏やかにほほ笑む黒羽――そして、嫌な笑みを浮かべる千葉を一瞥。

 盛大に舌打ちを零すと、無言のまま黒い上着のポケットに手を入れて大股でその場を去った。

 取り残された蒼斗は、呆然と黒いオーラをまとった背中を呆然と見送り、何かしてしまったのかと狼狽した。


「心配いらないよ、蒼斗君。亜紀は任せておいてくれ」


 軽く蒼斗の背を叩いた千葉は、弾むような足取りで亜紀が消えた方を追いかけた。

 良く分からないまま、蒼斗は黒羽と目が合い、どちらからともなく破顔した。


「毎回すまないな」


 黒羽は花を見て眉を下げた。

 蒼斗はこうして黒羽の見舞いに来るたびに花を持って来ている。申し訳なさそうな顔をする黒羽に対し、蒼斗は首を横に振ってどうってことないと言葉を返す。


 病室に入り込む風の音が静寂さをいっそう際立たせた。



「葛城の墓参り行って来たのか」


 淡い橙色の花弁に白い指先で触れ、顔をそのままに訊ねた。


「まさか、こっちにお墓があったとはね」

「狂蟲塗れのあの地で、先代たちが安らげるわけがない。まぁ、どちらにせよこの時が来るまで安息は得られなかったと思うが」

「でも、もう全て終わった」


 黒羽は安堵の息を漏らし、そうだなと微笑んだ。


「だが葛城の使命が終わり、悪夢を視ることがなくなるとしても、お前の持つ狂魔を斬る能力は消えることはない。私ももちろん、お前は普通の人間ではないからな」


 いくら解放されようとも、その身体に流れる血――死神の能力は生涯失うことはない。それは蒼斗も分かっていた。

 だから、蒼斗はこの力を有効に使えることを考えた。


「これからも僕はこの力で救える限り、堕ちた人々を救いたい」


 きっと、狂魔の浸蝕が強すぎるあまりに、境界線が視えずに救えない時があるだろう。それでも、少しでも人々の心の闇――彼らの罪を狩り取って行く。

 そう蒼斗は決意を固めていた。


「……そうか」


 揺るぎない強い言葉に黒羽が口出しすることは何もなく、数度首を縦に振った。


「バスティールに入っても、一生会えないわけじゃない。落ち着いたら必ず会いに行くよ、亜紀さんたちと一緒に」

「ははっ、亜紀たちも来るのか」

「当たり前だよ。みんな、兄さんの仲間なんだから」


 黒羽は花から目を離し、蒼斗を信じられないような目で見た。

 対して蒼斗は、そんな黒羽の反応に面白くなさそうな顔で見返した。


 気に入らない人間だったら、いくら仕事だからと言えど、見舞いはともかく言葉など交わすわけがない。特に亜紀は好き嫌いが激しく、嫌いな人間ならとことん視界から抹消して、事務的な接し方しかしない。

 他にも卯衣や辰宮、瀬戸や奈島でさえも見舞いに来ている。

 ただ、瀬戸と奈島に関しては、顔は出さずに、看護師に見舞い品の饅頭を預けている。それはしかも、黒羽が好物のもの。


「みんな、兄さんのことを心配しているんだよ」


 自分のしてきたことに巻き込まれたにも拘らず、蒼斗がペンタグラムにやって来る前と接し方が変わらない彼ら。

 心配しているという意思表示は人様々でも、黒羽は彼らの優しさに目頭が熱くなった。咄嗟に顔を伏せ、誤魔化すよう嘲笑を絞り出した。



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