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 ――血潮に染まる身体は重力に逆らわず真後ろに傾き、転がった。


 血飛沫を浴びた蒼斗は、喉の奥に詰め込んでいた息を深く吐き出す。

 床に広がる血溜まりを目にし、斬ってしまったという現実に手を小刻みに震わせ、大鎌を落とした。その衝撃で大鎌は形を失った。


「み、御影王が……王が殺られたぞ……」


 御影が倒れたことで衛兵たちは動揺した。血塗れの蒼斗の鋭い瞳が向けられると、当られる殺気に脂汗を滲ませた。

 やがて武器を捨て、降参の意を示す。


「終わった、のか……」

「そのようだね」


 振り返れば亜紀と瀬戸が床に座り込んだまま空を仰いだ。ふらふらの状態の亜紀の元に駆け寄る。


「お二人とも、身体の方は大丈夫ですか?」

「大丈夫、とは正直胸を張って言えないね。今回は今までにないくらいしんどかった」

「だが心配するな。お前とはくぐった修羅場の数が違うんだ。……ったく、敵の大将討ち取っておいてなんて面してやがる」


 ボロボロの手の甲が力なく蒼斗の頬を軽く弾く。


「亜紀ちゃん、蒼君! 誰か応答して!」

「その声は……卯衣!」


 蒼斗が衛兵たちに人々を避難させるよう誘導している間、ジャックされていた無線が回復し、卯衣の切羽詰まる声が聞こえた。

 亜紀は慌てて無線に手をかけ、無事であることを伝える。


「早くそこから脱出して!」

「けれど、ウサギ。ヘリが――」

「ウサギ言うな! それなら奪い返せばいいでしょう! 衛星写真を見たら、ヘリはまだ上で待機しているから、そいつら蹴落としてずらかって来なさい!」


 音が割れるくらいの怒声に、流石の亜紀も無線から距離を取った。


「何をもたもたしているの!」

「卯衣さん、もっと優しく扱わないと壊れちゃうっス!」


 さらに無線越しからはバンバンと激しく机を叩く音が届き、瀬戸は思わず煙たそうな表情を浮かべた。


「これが女特有のヒステリックって奴かい? 耳障りだね」


 亜紀と瀬戸は互いに顔を見合わせて頷く。


「とにかく、怪獣ウサギの喚きが悪化する前に、僕はヘリの奪還に行くとするよ」

「あぁ、頼む」


 亜紀は護身用に数発装填されている銃を瀬戸に渡し、苦戦する千葉に駆け寄る。


「どうだ、千葉。時間がないぞ」

「もう少しだ!」



 爆弾の解除には、白、赤、黒、青のケーブルを切ること。

 千葉は銃撃戦の際、どれを斬ろうか迷っていたところ、流れ弾に爆弾が当たりそうになったことで咄嗟に庇った。


 だがその拍子で躓き、踏みそうになった爆弾を急いで跨いだ。それが最悪なことに、前足が無事着地出来たことで安心しきり、意識が薄れていた後ろ足の爪先が、引っ張り出されていたケーブルに引っ掛かり、全て引きちぎってしまった。


 しまったと口を開き、表情を強張らせた千葉の焦りと不安は、幸いにも杞憂に終わった。接続不良だったのか、と起爆しなかったことに胸を撫で下ろす。


 しかし、最後の難関――パスワードの音声入力で頭を悩まされていた。


「恐らく、チャンスは一回」


 パネルに表示される制限時間は残り一分を切っている。

 設定した黒羽の性格からして、誕生日や記念日といった類のものではない。彼が考えそうな、意味があって、一度も間違えない言葉。


 蒼斗は立ち尽くしていた足を動かし、千葉の隣にしゃがみ込んだ。口を開くのを見た千葉は、何を言うのだと止めようとした。

 その伸ばされた千葉の手を、亜紀は彼の肩を叩いて制止した。怪訝そうな千葉に対し、亜紀は蒼斗を信じようという意味を込め、黙って頷くだけ。


「葛城……蒼斗」


 蒼斗の声を機械が読み取った。

 無機質な音が鳴り響き、残り二秒を刻んだところで爆弾のタイマーは活動を停止させた。

 黒羽がパスワードにした『葛城蒼斗』――それは、彼がこの爆弾を大倉たちが作るよう仕向け、オリエンスを破壊する為に使う目的を示していた。


 全ては、蒼斗がもう悪夢に苛まれることなく、普通の人間の生活を当たり前のように過ごすことが出来るように――自由の身にさせる為。

 蒼斗の為に、彼は爆弾を生み出させた。故に、パスワードの答えは必然と導かれた。


「バカだよ、兄さん……本当に、あなたは――」


 目を閉じる黒羽の頬に触れ、彼の死を悼む。



「……ん?」



 蒼斗は異変を感じた。用済みとなった城を脱出しようと、放置されたケースに爆弾を入れ、瀬戸が待つヘリポートへと向かおうとした亜紀と千葉は足を止めた。

 眉をひそめた蒼斗は黒羽の首に指先を当てて――叫び声を上げた。


「ちょ、ちょっと亜紀さん!」

「こんな時に何だ、早くしろ!」

「兄さん、まだ脈があります!」

「……何だと?」


 飛び上がった蒼斗は軽くパニックを起こしながら亜紀に伝え、てっきり死んだと思っていた亜紀は、化けものを見るような目で蒼斗と黒羽を交互に見やる。


「さ……さっさと運ぶぞ、バカ!」


 亜紀は数拍置いて停止していた思考を叩き起こし、そう叫び返した。

 それから時計を確認すると千葉に先に行かせ、蒼斗と共に青白い顔をした黒羽を肩に担ぎ、屋上へと急いだ。


 上に到着すると、プロペラを回して待つ瀬戸と、ゴム手袋をはめた千葉が二人を迎えた。

 既にヘリの中は医療道具が準備されており、千葉は黒羽を中に積み込むと応急措置に当たった。


「ヘリの操縦士や他の奴らは?」


 不本意で助手席に乗り込んだ亜紀は、見当たらない姿に気付いて視線を左右に巡らせる。


「狂魔になっていたから始末おいたよ。さぁ、出発するよ。トイレは大丈夫かい?」

「下らねぇこと言ってないで、さっさと離陸させろ!」



 再び時計を見た亜紀は、ゆるゆると行動が機敏でない瀬戸を怒鳴って急かした。

 ヘリの離陸による浮遊感が襲い、だんだんと城が遠くなっていく。街は既に火の海となっており、二次爆発を起こしていた。


 街の人々は、蒼斗が衛兵たちに支持した通りに避難を始めていた。これで街は大破しても、多くの人が被害に遭わずに済む。

 悲惨な光景を目の当たりにし、蒼斗は御影という過ちが消え、オリエンスはリセットされたのだと思わなければ、この胸の痛みを少しでも和らげることは出来なかった。


 亜紀はオリエンスで待つ卯衣に無事だという連絡を入れた。喜びが混じった甲高い声がヘリ中に反響し、思わず全員耳を塞いだ。


「ウサギの次はサルかい? まったく、うるさいったらありゃしないよ」


 うんざりするように深い溜め息をつく瀬戸。だが、その口調には呆れ笑いが含まれているように聞こえた。


「千葉さん、兄さんは大丈夫ですか?」


 オリエンスが小さくなっていく中、蒼斗は沈黙したまま治療を施す千葉を恐る恐る訊ねた。

 千葉は沈んだ表情で蒼斗を見据えた。



「亥角は、もう――」



 それを聞いた蒼斗は、頭の中が真っ白になった。




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