-
「感謝するがいい。この俺が直々に手を下すのは珍しいんだ――俺の所有物が世話になった礼を有難く受け取ってもらおうか」
亜紀を取り巻く黒い影が拡散した。
深き闇に安座する古の王よ、我の声を聞け
そして我の意志に応えよ
我が血肉と魂を糧とし、その禍々しい姿と忠誠を我の前に示せ
やがて浸透するように広がるそれに影響された背後の空間には罅が入り、ガラスの破片のように落ちた。
パラパラと、そこから出来た隙間からは、生き物の深い息遣いが漏れ出す。殺気を帯びたそれは生温かく、広がっていく割れ目からそれは姿を現した。
「な、んだ……これ――?」
火のような巨大な赤い竜だった。
七つの頭と十本の角。その頭は七つの冠をかぶっていた。
身体を射抜くような鋭い視線を放つ好戦的な金色の目。全身は無駄な肉が削り取られ、鎧のような鱗に包まれている。
主人の亜紀の攻撃命令を催促するかのように背中の翼をはためかせ、長い尻尾をゆらゆらと遊ばせている。待ちきれないのか、一頭が亜紀の頬を舐めた。
仕方ない――そんな意を添えた笑みが亜紀の口元に浮かんだ。
そして目を伏せた時、蒼斗は悪寒がした。根拠はない。だが、ただならぬ気配全身の身の毛がよだった。
捜査官の誰かがそう叫んだ――「伏せろ!!」
狂魔と化した人間以外の全員がその場に身を伏せた。蒼斗も卯衣に押さえ込まれ、顔面を床に打ち付けた。強烈な鼻への刺激に、目に涙を溜めながら堪える蒼斗はそのまま顔を上げて亜紀を見上げた。
亜紀は天高く手を挙げ……一気に下ろした。
「――殺れ、バチカル」
許しを得た竜は嬉々と吼え、雄たけびをあげる狂魔たちに向けて炎をひと吹きした――そう、たったひと吹きだ。
七頭の竜の炎は法廷中を吹き荒れ、その威力は四方を埋め尽くしていた狂魔全てを焼き尽くすには十分すぎた。
鼻の痛みは一瞬で感じなくなった。見開く蒼斗のその瞳に映るのは、身体の脂を糧に燃焼を続け、灰になるまで焦がしていく赤い炎。
人ではなく、獣のような悲鳴と苦しみ喘ぐ声が沸き上がる。鼓膜に届くその不快な音も加わり、まるでその光景は地獄絵だった。
――アカイ……アカガ、ヒロガッテイル。
燃えていく様を愉しんでいるのか竜は数回吼えた。
その竜の傍で腕を組んで佇む亜紀は静かに嗤い、好成績を取った小学生が母親に称賛の声を求めるようにすり寄る一頭の顎を撫でた。
焼却は束の間だった。蒼斗は静寂を貫いていた空間の中でゆっくりと立ち上がり、覚束ない足取りで一歩踏み出す。
「一体……どう、なって……」
「狩りが終了しただけだ」
「狩り……?」
「狂魔が出れば、俺たちAPOCが根こそぎ狩り取る。今はその任務を遂行した、それだけだ」
傍聴席には誰一人残っていなかった。――否、厳密にいえば、『灰と化した異形』しか残っていなかった。
ふらふらと部下たちが立っていたところで膝をつけば、ススとほぼ変わらなくなってしまった粉末が、隙間風で攫われた。
――何も、残っていなかった。
「す、凄い……この力、普通じゃない」
「当たり前でしょう? 悪魔の力なんだから」
捜査官以外誰もいなくなってしまった法廷内。呆ける蒼斗の背中を卯衣が叩いた。
「悪魔?」
「クリフォト十の大悪魔のうちの一人で、名はバチカル。亜紀ちゃんが契約している最強悪魔だよ」
クリフォト――それは闇と破壊、破滅の象徴。
上階級から順にバチカル、エーイーリー、シェリダー、アディシェス、アクゼリュス、カイツール、ツァーカブ、ケムダー、アィーァツブス、キムラヌート。
十の器にそれぞれの力を秘めて存在している。
彼らと契約するには彼らが認める器でなければ、その邪悪さに耐えきれずに己が身を滅ぼす。
認められた器は王の器とも言われ、王になりたいがために彼らと契約しようと目論む者は少なくなかった。
負の心はいずれペンタグラムに支障をきたす――それを回避するための手段として、クリフォトの大悪魔の存在はないものとしている。
「にしても亜紀ちゃんやりすぎ。ここまで形が残らなくなるまで焼く必要なかったのに」
灰を踏んで滑られないようにゆっくりと歩きながら中心に向かうと、卯衣は唇を尖らせながら、褒めて褒めてと言わんばかりに擦り寄る七つの頭を順に撫でていく亜紀をじとりと見る。
亜紀は卯衣の苦言が気に入らないのか口をへの字に歪め、それに倣って契約による
亜紀だけならまだしも、最強悪魔が七つの頭揃えて加われば、普通の人間なら失神していることだろう。
「俺のやり方が気に食わないのか?」
「そうじゃないよ。後始末する方が大変だから、少しは考慮してもよかったんじゃないのってこと」
「後始末? ここ全部ぶっ潰すんだから問題ねぇだろ」
「はあ!? ちょっと、この建物全部壊すってことですか!?」
無線から準備が時期に完了するという連絡が入った。それに頷いた亜紀は壇上を降りて全員に撤収の指示を出した。
「三十分後に全て抹消する。それまでに作業を完了させ、直ちにオリエンスを離脱しろ。それから捜査官全員にアフターケアとチバのセラピーを必ず受けさせろ」
「了解しました」
時間制限を設けられたことでより慌ただしくなった現場。
全ての証拠を抹消するためとはいえ、ここまで大がかりな処理手段をとるとは思いもよらなかった。
――そこで、蒼斗はふと爆破処分という点に引っ掛かりを抱いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます