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「だから言っただろう、ここは普通じゃねぇって」
――呆れを含んだ声が蒼斗の耳に届いた。
溜めた涙が零れ目を開いた次の瞬間には、傍らにいた処刑人の気配が消えていた。
視線だけ上に向け、逆光で顔は見えないがそのシルエットを捉え、蒼斗は息を呑んだ。
一人の処刑人が、近くにいた二人目の処刑人の首に向かって真横にその斧を振るっていた。
不意を突かれた処刑人は首から血を噴きだしながらその場に崩れ落ちた。振るった衝撃に耐えきれず、処刑人の柄が大破。
それから、状況が把握しきれていない残る一人の処刑人の死角に瞬く間に入りこみ、首に懐から出したロープを巻きつけると目を見張るほどの身軽さで断頭台を踏み台に天井の柱をくぐり、片膝をついて着地すると力を込める。
――生きたまま重い身体を吊り上げる処刑人は、鼻で嗤った。
処刑人は呻きを上げながらもがき苦しみ、足をばたつかせ、逃れようと抵抗した。少しでも酸素を確保しようと、ロープと首の間に指を一本でも挟もうと血が滲むのも関係なく掻き毟る。
何が起こっているのか分からなかった。
それは、この廷内の誰もが抱いていただろう。どれくらい言葉を失い、硬直していたか分からない――だが、彼は周囲が騒然とする間に絶命した。
びちゃり。
吐瀉物と排泄物が床に跳ねる汚い音が廷内に響き渡る。
男が死んだことを確認すると、処刑人は興味を無くした玩具を棄てるように、ロープを握る手を解放した。高い天井から重力に従って打ち付けられるただの肉の塊に、何処からか嘔吐する声が聞こえた。
「何だ、また泣いているのか?」
パンパンと軽快に手を払い、処刑人は鬱陶しそうに仮面を取った。
断頭台から解放され、ようやく蒼斗は遠ざかっていた意識を引き戻す。周囲の人間も同様に一斉に不安と動揺の声を漏らす。
「ど、どうして……っ?」
片膝をつき、涙で汚れた蒼斗の目元を指の甲で拭う。その手は氷のようにあまりにも冷たくて、条件反射で身体が跳ねる。
口角を上げ、不敵に笑う亜紀は蒼斗の首元を指した。
「言っただろ。飼い狗の管理は、主人の仕事だからな」
それから、目を真っ赤にする蒼斗の顔の前に手を運び、パチリと額を指打した。指だというのに威力がある。悲鳴を上げ、咄嗟に亜紀から距離を取って転がる。
「情けない面をするな」
いきなり何をするんだと言い返そうとして――誰かが悲鳴交じりに叫んだ。
「クロヘビだ!」
闇に同化する、亜紀のロングコート。背に刻まれた蝙蝠の翼を生やし、剣を持った山羊頭のエンブレムと、APOCの文字。
騒然とする廷内に蒼斗は身が震えた。
「侵入者だ!」
怒りを露わにする藤堂が声を荒げた。
「死神もろとも侵入者を処刑しろ!!」
「処刑されるのは俺たちじゃない――お前たちの方だ」
傍らに寄り添う亜紀は、武器を構える隊員らに臆することなく、冷笑を浮かべていた。
「何故貴様が……!」
「どっかのゴミが俺の所有物を勝手に持って行っちまったようだからなぁ、返してもらいに来たぜ――この俺のものに手を出した罪は、死を以て償ってもらおう」
刹那、バタンと勢いよく廷内のドアが閉められ、外からカギをかけられる。
完全に袋の鼠になった。ドアをいくら叩いても開くことはなく、丈夫すぎるあまり内側から破壊することも叶わない。罪人が逃げられないように補強したことが、完全に裏目に出ていた。
さらに亜紀が指を鳴らすのを合図に、潜り込んでいた捜査官らが一帯を制圧していく。
「蒼君、大丈夫!?」
騒然とする事態を笑顔で眺める亜紀に呆然としていると、背後からAPOCの制服を纏った卯衣が蒼斗に駆け寄り、膝を折った。
蜂蜜色の長い髪は高くまとめあげられ、動くたびに尻尾のように毛先が揺れる。
「う、卯衣さん……どうしてここに……」
「どうしてって、蒼君を助けに来たんだよ」
「助け……?」
「亜紀ちゃんったら、蒼君がオリエンスに連れて行かれたって知らせを受けるなりフル装備で出動命令出す前に単身乗り込みそうになるし、困りものよ」
「余計なことを言わなくていい」
「だって、本当のことじゃない! お守りをする身にもなってよ」
「お守り言うな。年中お守りされているのはどっちだ。俺はただ、飼い主の役割を果たしているだけだ」
「そういうことにしておくね」
「無駄口叩いていないでお前も摘発に入れ」
「はぁい」
素直じゃないんだから、と口を尖らせた卯衣は立ち上がる。
柔らかな笑みとは裏腹に、その表情、雰囲気は真剣そのもの。ピリ、と周辺が糸を張るように緊張する。
凝視してみると、彼らの片目にはレンズがかけられている。水面のように揺れ、照明で時折反射して光る。
レンズの中に水が入っているのだろうか? とはいえ、何故一体そんなものを?
「
「す、水魔鏡?」
考えていることが手に取るように理解できたのか、亜紀は胸中の問いかけに答えた。
水というものは真実を映し出す。
その昔、己が罪を犯すものでなければ、水も中にいても苦しくない――逆に、そうでないものは神聖な水の中に入ることすら赦されないという方法で犯罪者か否かを判断していたようだ。
「それを基に、俺たちは罪人または疑わしき者を選定する」
「犯罪者の選定……」
「俺たちはお前と違って、肉眼で狂魔か否かを見破ることはできない。だからそれを応用させて、コイツ越しに狩りをする」
亜紀は得意げにレンズをかけてみせた。
水魔鏡は五賢帝の一人が発明したもの。そもそも水を通じて視ることができるのは、皇帝が契約している悪魔の恩恵とも言われている。
使用できる人間はAPOCの捜査官に限られ、狂蟲に侵されているものや狂魔レベルが規定以上に達しているものには、ただのレンズでしかない。
悪魔の恩恵を受けての狩り――なんと皮肉なことだろうか。聖書でも何処でも悪魔の存在は人間に害を及ぼすものとみなされていたのに、救うための手段になっているなんて。
――それにしても、いつの間に捜査官が潜入していたのか?
APOCはペンタグラムに侵入するオリエンス及び御影の息がかかった者を排除する番人機関。
これだけの人員を出すには、こちらに来る時間がかかる。勿論気づかれないよう暗躍することも必須だ。
仮にもし、既に一網打尽にするこの機会を初めから狙っていたとしたら……
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