第8話「落ちた色は赤と黒の混合」
「隠れる?何からだ?」
突然言い出したサキ言葉に混乱するユウト。それも仕方がないだろう。先ほどまで死体を漁り、武装を手にしていたのだからこれから戦うのだろうと考えていたのだ。
「もちろんさっきの変異種」
便宜上彼らの中で呼ばれ始めた巨大化していたバルグ。それを指している呼び方であり、それと同時にサキの視線は逃げて来た方向へと向いている。
「ケイル先生でも足止めは出来ても倒せないと思う」
一瞬の攻防を見ていたためにそう判断したサキ。攻撃を避けることが出来ても攻撃することが出来ないのだ。すでにケイルは満身創痍であり、動きにも精彩さが欠けていた。あれでは長持ちしない。
もうすでに敗北している可能性が高い事までをサキは伝えないようにした。
「アイツがここまで追ってくるってのか?」
そう言いつつユウトも逃げて来た方向へと視線を向ける。もしかしたらすでにいるのかもしれないと思ったからだ。
「確かに私達が壁に着くまでに追いつかれる可能性は十分にあるわね」
ハルカが言うようにここから第3防壁まではまだ数キロ以上ある。曲がりくねった森の中を走ればそれ相応に時間が掛かり、足の速いバルグに追いつかれる事などすぐに思いつく。
「だから隠れるのか?」
ユウトの視線の先には荷台に死骸が乗せられたトラック。そのすぐそばで全身に緑色の血液を塗っていたサキが居る。
「バルグは仲間に襲い掛からないし、同じ匂いをしていれば見つからない。それも死体の下に隠れていたら確率も上がると思うよ」
確かにサキが言いたいことは理解出来る。現にバルグは人間を生きたまま食べることが多い。それは今までの研究や実際に戦場ですぐに食われている光景を兵士たちが目撃しているからだ。
「確かにすでに死んでいる人間には興味を持たないって言ってたが、本当なのか?」
実際に自身の目で見たことしか信じないユウト。彼にとってその情報はとても信じられるものではなかった。
「確かに授業ではそんな事を言ってたわね」
座学では一つ抜けた成績を誇るハルカが肯定する。この事からもそれが事実であると言えるが、それでもユウトにとっては信じられないものだった。だが座学よりもより現実的な証拠が
「現にこの場の死体は食べられてないよ。齧られたた形跡はあるけど、それにしても綺麗に残っている数が多いよ」
サキが言うように地面に数多く転がる装備課の者達だった死体はその殆どが原形を留めており、とても貪られた後とは言えない。
「確かにそうだが・・・」
「それに早く隠れないとアイツが来ちゃう。私達じゃ勝てない」
現に摸擬戦ではバルグを軽く扱っていたケイルですらあんなだったのだ。まだ経験の浅い3人で勝てる相手ではない事を理解している。
「見つからないようにするしかないよ。走っても追いつかれて食べられるのがオチだよ」
そう言い緑色になったサキは人間の死体の方へと歩いて行く。
「・・・人間の死体も使うのか?」
「少しでも確立を上げたいから」
そう短く返事を返すと先ほどのバルグの死骸と同じようにトラックへと投げ込んでいく。
「こんなことになるなんてな・・・」
そんなサキに渋々従う二人だった。
時間にしてそれほど経過しないうちに準備は終了した。
鼻が曲がるような匂いもすでに慣れ、サキ達の嗅覚は麻痺していると言っても過言ではない。それほどの匂いなのだ。
特にバルグの血液が異様な匂いをしている。
直接肌に付けても爛れたり痒くなったりしない事からも刺激物ではないのだが匂いが臭いのだ。
その理由の一つとしては人間を主食としているからと考えられており、肉食獣や雑食の動物の糞が臭い理由と同列であるとされている。
「・・・・・」
積まれた死体の中に入り込んだ三人は息を殺し、黙っている。
遠慮なく話していてはわざわざこのような事をした意味がなくなるだろう。それに今江現在は客が近づいてきているのだ。
トラックに乗り込む寸前で視界ギリギリの位置に見えた大きな体。間違いなくアノ変異種である。
その変異種は未だに何かと交戦しているのか小刻みに飛びながら動いていた。それと同時に発砲音も聞こえてくることから正規の防衛隊員と遭遇したのだろう。
そんなことも考える暇もなく、3人は慌ててトラックの中へと飛び込んだのだった。
徐々に近づいてくる足音。それはまるで象が走るかのように地面を震わせ、その振動をトラックへと伝える。
そんな振動は一番大きくなった時に不意に止んだ。
その振動の大きさ、そして何よりも聞こえるのはバルグの息遣いである。
それらの情報から既に変異種が近くにいることが分かる。
3人は目を閉じていることから視覚だけの情報だが。それがさらに恐怖を刺激した。
3人の中でも比較的落ち着いていたのはサキであり、彼女は震えるどころか僅かでも身動きをしないように呼吸を極限まで引き延ばしている。
少しずつ吐き出し、少しづつ吸い込む。そこ事により胸の上下がゆっくりになり、動きがバレにくい。
その時不意にトラックが揺れる。どうやら変異種が接触したようだ。
短く図れる呼吸音からも変異種の他にもバルグが多くいるようだ。布が動くような音。それはトラックの幌が開かれている音であり、それが指すことは
―顔を入れてきた―
サキは音のみでもその場の動きが把握できるように集中していた。
体に関しては死体の中にい漏れているとは言え、顔はこきゅうの為に出しているのだ。僅かに顔をなでる空気。それと共に入り込む生臭く温い吐き出された息を感じる。
それほどの距離にバルグの顔があるのだ。
「グルゥゥゥ」
小さく喉を鳴らす変異種。
しばらくの匂いを嗅いでいたようだが、納得したのか離れていく気配。それを感じ取ったサキは少し安堵する。いくらサキであっても緊張はするのだ。
それからしばらくの間小さな足音と大きな足音が完全に聞こえなくなるまでサキは目を閉じ、動かなかった。
完全にそれらの音が無くなったと確信した時、漸く瞳を開ける。
「よかった」
短く、だが安堵するような言葉を出したサキはもごもごと体を死体の山から出した。
「・・・寿命が縮まる思いだったぜ」
そう言いながら出てくるのはサキと同じく体を緑色に汚したユウトである。
「私、漏らしてしまうかと思ったわ」
同じく言葉を吐き出しながら出てくるのはハルカであり、こちらも同じ緑色で全身を固めている。
「とりあえず、見つからなかったけど」
そう呟きながら外に出たサキ。それに続くように残りの二人も外へと出る。するとその足元には
「うわっ、こんなに居たの?」
無数と言える足跡がつけられていた。
「この大きいのが変異種だとして、残りの足跡だけでも相当な数だな。あいつがリーダーみたいなものなのか?」
小さな足跡の中に時折ある大きな足跡は変異種のものだろう。それを確認していたユウトが呟いた。
その事によりようやく自分たちが置かれていた状況を把握した二人は改めて身震いする。もし、サキの案に乗っていなかったら、と考えたのだ。
「・・・・」
しかしその案の発案者であるサキはというと先ほどから足跡を見つめて無言である。そのことに気が付いたハルカ。
「どうしたの?考え込んで・・・」
サキは日ごろから時々こう考え込むことがあった。それは授業中であり、また普通に遊んでいる時もあったがそれらに共通して言えることが一つだけあった。
考え込んだ後にサキの口から出てくるある一種の予想や考え、それが的を外れたことが無かった事である。
瞬間にそんなことを考えながらもサキに尋ねたのだ。
「・・・・足跡が向かった先。たぶん防壁・・・」
呟かれるようにして出された答え。しかしながらその答えは誰もが予想できたものだ。
「そりゃ防壁の中にいるのが奴らのエサなら向かうだろ」
しかしながらサキが思ったのは少し違った事であった。それは
「門、じゃない?」
自身にも問いかけるように呟く言葉。それはユウト達にとっても驚くものだった。
「門じゃないって、ならどこに向かって行ったんだよ。奴らにとっては唯一の入り口だろう?」
門の大きさは縦10メートル、横10メートルにもなる大きなものだ。稼働にはいくつもの油圧装置を用い、二つの鍵によって作動させる。とても頑丈な鋼鉄で表面を覆い、地下からせり出す形で閉まるのだ。
「確かにそうね。それ以外は20メートルを超える壁があるのよ。それを登ろうにもかえし(・・・)が付いてるし」
垂直である壁。たとえそれを登れたとしても鋭利に尖ったかえしが付いているのだ。過去に何度か上ったバルグも居たが、その殆どが途中で落ちるか、登りきってもかえしによって体を抉られる結果に終わったのだ。
「あの足跡、門に向かってないよ」
足跡を観察していたサキが指し示す場所。そこではバルグ達の足跡が二手に分かれている。
一つは車のタイヤや人間の足跡が残された方へ。そしてもう一つの方にはそれ以上の数の足跡が地面に刻まれている。それからわかる方角には
「片方には門があるけど、足跡が多い方には何もない。それに変異種は何もない方に行ってるみたい」
サキが言う通り、最も大きな足跡はなぜか門の方ではない方角へと向かっていたのだ。
「ありえない。いくらバルグに知性があろうと門以外から入ることは不可能だ」
早速そう結論づけるユウト。しかしながらそれにハルカがすぐに反論する。
「でも、あの巨体とジャンプ力が比例して上がってるなら・・・」
もし仮定の上で、巨大化したバルグが元々の兵士級が持っていた脚力をそのまま上昇させているとしたら。その結果がどのようなことをもたらすのかすぐにユウトは想像できたようだ。
その証拠に顔を青くさせている。
「でもそれはないわね。さすがにあの体を支えている筋肉だけでも相当無理しているはず。自重を支えるだけでも相当難しいはずよ」
生物が地球上に存在している以上常について回るのが重力である。
巨大な物がその自重を支えるにはそれ相応の屈強な土台が必要になる。人類が高層建築を行えるのは鉄やコンクリートなどの材料を作る事が出来るからである。
またこれまで地球上に存在していた最大の生物で、30メートルという巨体をもった恐竜にしても足は太く、とてもジャンプできるほどの動きは出来なかった。
「あくまでも可能性の一つに過ぎない、か」
そう結論づけたユウトは少し安心したかのように顔色を回復させている。
「でも、門以外に向かった理由が分からない。早く戻ったほうがいいかも」
そう言うが早いかすぐに準備を始めるサキ。
「確かにいつまでもここにいる訳にはいかないものね」
そう同意しつつ、ハルカも準備を始めた。準備と言っても集めておいた装備を装着しなおしているだけであるが。
「しかたねぇ」
最後にそう呟いたユウトも一人で行動するつもりはないらしく、いそいそと準備を始めるのだった。
距離にして3キロ以上も歩いた3人。途中では奇跡的にバルグと遭遇することもなく、門までたどり着いたのだが
「な、によ・・・これ」
初めに呟いたのはハルカだった。
彼女が向けている視線の先には黒々とした煙を上げた西門。その周りでは今現在も燃えているのか煙と炎が混ざった赤茶色の色が薄暗い当たりを照らしていた。
この日、日本の最大防衛都市“東京”の第3防衛壁が陥落したと世界中に情報が届くのはすぐの事だった。
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