エピローグ:天国は地上にあるの 〜Heaven Is A Place On Earth〜

第68話

地平線の果てから太陽の片鱗<へんりん>が昇り、波打つ水面はサファイアに輝き、霞んで<かすんで>いた島々が深緑に映る。


「ーーセルマ、ヴァルト。少しいいか」


「「はい」」


朝焼けが差す海岸通りにて、ギルドの増援部隊に精神病の集団を引き渡している途中、黒地の騎士服をまとう男に呼び出される。


「いきさつを話せ。『遺産』について、余すことなくだ」


相対するは、彫刻像みたく洗練された肉体に、巨岩めいた圧倒的精神の重厚感。胸部にはギルド『フェイム』のマスターである星の紋章が三つ、服に縫いこまれている。

選ぶ言葉を間違えれば、一気に突き崩される。そんな刺々しいオーラが漂っていた。


「俺達が来た時……」


「私が説明します」


口の軽いヴァルトを制し、一歩前に踏み出して口を開いたセルマ。

レイジのことは徹底して伏せ、今回の一件に関してはタチバナ及び、国王アルカイオスの企てであることを説明した。


「『都会』に益を分け与え、大元を囲うことでギルドの動きも封じていたわけか。魔族<クラーケン>の一件で恨みを買っていたとはいえ……『遺産』の為に憎き魔族を匿っていたとは、なんと愚かな」


「マスター。この王国には悪しき習わしが、深く根ざしております。管理体制の改修を、どうか」


弱き者を護る、真っ直ぐな視線をぶつけて切実に訴えるセルマ。

男は太く尖った眉を寄せ、厳かな顔を保ったまま一度頷いた。


「当然、ギルドの本分は治安維持だ。お前達は引き続き、魔族の捜索にあたれ。魔族を捕まえんと猛<たけ>っている、民の鎮圧も兼ねてな」


「「はっ」」


指示を受けた二人は敬礼し、神殿に向けて歩を進めるギルドマスターを見送った。


§


しゃかしゃかしゃか、と穏やかなセミの鳴き声をBGMを背に、深い眠りについているミネルヴァ。

彼女の顔は充足感に満ちた、幸せな表情に見える。


「しっずかな御飯の盛りのかげっから」


「しっずかな御飯の盛りの山っから」


「……またか」


聞き覚えのある幼き声。

頭につんざく張りのある歌に、無理やり起こされてしまうミネルヴァ。

蚊帳の外にある縁台に反射する陽射しに目を細めていると、どたばたとはしゃぎ回る、二人の少女が視界に入った。


「こらーっ! 静かにしなさい! ミネルヴァさん困ってるでしょッ」


叱りつける声に、慌てて立ち去る娘達。

声のする方に顔を向けると、シャオが呆れた表情で蚊帳の前に突っ立っていた。

目が合った途端、ぱぁっと晴れ渡った笑みを浮かべ蚊帳をめくり入ってくる。


「起きたね。今はお昼時よ。安心してね、彼は元気になったから」


「……今何処に?」


軽い頭痛に目頭を押さえながらレイジの居場所を聞くと、シャオは人差し指を立て、左右に振る。


「その前に、付き合って」


「おい、いきなり何を……」


否応なしにシャオに腕を引っ張られ、戸惑いを隠せぬまま彼女についていく。


§


「入りまーす」


「……」


檜<ひのき>風呂に足先から、ゆったりと湯船に浸かるシャオ。


「はあ……癒されるよ……」


一足先に入っていたミネルヴァは、同時に足を曲げて縮こまる。

三人産んだ身とは思えぬ、シャオの若々しい褐色の肌には羨む気持ちが隠せない。


「(それにしても、悪くない湯加減だ……)」


今までの憑き物が、洗い流されていく気分だった。湯けむり立ち込める極楽の世界に心休まり、つい溜息を零すミネルヴァ。

若干左腕の傷口に染みるが、ワングから貰った薬草のおかげで、昨夜とは比較にならないほど快方に向かっている。


「ふふぅん」


お見通しだと言わんばかりの、察したような表情でミネルヴァを見つめる。


「……何だ?」


いぶかしげな表情で尋ねてみると、風呂の端に片手で顎杖をついて彼女は口を開いた。


「レイジ君が心配なんでしょ?」


「っ藪から棒に何を言い出すんだ! ただいい湯加減だと……!」


不意を突かれ、あたふたと動揺しているミネルヴァの様子に、微笑ましく感じながらも続け様にいじり倒す。


「照れなくてもいいじゃない。あそこまでしておいて」


「いや私は……っ」


昨日のことが脳裏をよぎり、上唇を軽く撫でる。

乾いた唇の奥を潜り、しっとりと濡れていた生命の零れ物を絡めた時の、柔らかくも弾力のある、甘美な舌触りを忘れたりはしない。


「こ、断っておくが……あれは人命救助だ。エネルギーが枯渇しているのなら、精神力を分け与えれば、と……邪<よこしま>な考えなど!」


紅潮させた顔で理屈を並べ説明している最中、聞く耳半分で相槌を打っていたシャオは、憂いた表情で話を持ちかける。


「そう……じゃ、彼を愛していないの」


「そういう問題じゃ……ッ! 色恋話を語り合いたいなら、他をあたれ。し、失礼する」


ざばっと波立たせてこの場を去ろうとするが、シャオに腕を掴まれ引き止められる。


「……何だ」


ふぬけた話をするような眼差しではなかった。シャオのぶれない真っ直ぐな瞳と見つめ合う内、風呂場に緊張感が詰まっていく。


「彼はもう、準備を終えて旅立つわ。遠くへ、ね」


寂しげに告げて沈んだ表情を見せるシャオに、ミネルヴァは焦燥感に駆られた。


「本当か?! どうしてそれを早く! 急がなくてはッ」


置いていかれるわけにはいかない。

彼の元に向かいたいところだが、いまだに握られた手の力が弱まる気配がなく、腹立たしい思いで手を振り払おうとする。


「何のつもりだ、放せ!」


「それは私の質問。何のつもり? 中途半端な気持ちで会いに行くのは止しなさい」


「半端だと。私は奴に命を捧げる覚悟……」


「恩義で一緒に旅をしても、貴方は救われないし、あの子は喜ばない」


「それは……」


普段の彼女とかけ離れた物言いに、続く言葉が出てこず、ミネルヴァは沈黙する。


「あの子の生き方は、とても不安定なの。危険が伴う旅になる。それに、貴女にも魔族の疑いがあるって、ギルドの捜索も本格的になってる」


「……当然の話だ」


「あの子と旅をすることで、余計な危険も招くの。恩に報いるつもりなら、命を大切になさい。ひっそり暮らしていく分には生活に困らないはず。それにミネルヴァさんなら、『世界の掟』に関わらず助けてくれる人なんて沢山いる。あの子じゃなくても、もっと逞しくて勇敢な人と幸せになれるのよ」


「私の……」


好んだ男と出会い、付き合って互いを知り、時が経てば子を宿すやもしれない。家族が増えれば食事の準備に洗濯をして、照付ける太陽の下で、愛する我が子に邪魔され、鬱陶しく感じながらも洗濯物を干す。


淡々と送る穏やかな日々。

それが、今のミネルヴァの考えつく一つの幸せ。

心躍る素晴らしい体験には違いない。


「……幸せ」


それでも、共に過ごすと誓った相手は一人しかいない。

灰色に沈んでしまった道を、彩り鮮やかに染めてくれる彼でなくては。


「私の『幸せ』は……奴と共にあること。他に何も要らないんだ」


はにかんで告げたミネルヴァの真摯<しんし>な言葉に、ふにゃあっとシャオの表情に綻びが出来ると、手を放してミネルヴァを解放する。


「そう……それが聞きたかっただけ。『幸せ』になって、ミネルヴァさん……あの子、世話が焼けると思うけど、宜しくお願いします」


のぼせ上がった真っ赤な顔で、ミネルヴァに微笑み頭を下げた。


「……」


シャオの和やかな表情を見ていると、今まさにワングとの至福の道を歩んでいるのだと悟り、問答の意味を理解し、感謝の言葉を贈る。


「私こそ、世話ばかりかけてしまった。すでに迷いはない」


§


支度を済ませ、ワングの家を飛び出すミネルヴァ。

遠くに見える白光りした浜辺へ目指し、防砂林を一気にひた走り抜けていく。


「(レイジ……ッ)」


そよぐ風を切り、ひたすらに突っ走る。

様々な危機から彼を護る力を手に入れた。最期まで共に過ごす覚悟もした。

あとは彼が、彼だけが傍に居てくれさえすれば、この現世に生きる、『人』としての自分でいられる。


「ーーレイジ!」


想いが声となって出ている頃には、すでに林道を抜けて出てきていた。


透き通る大海、静かに寄せては返す波。白光を反射させる、磨き上げられた白い砂浜が迎えてくれる。

だがそこに、彼の姿はどこにもない。

ワングの私用ボートも一台、船着場から消えており、レイの痕跡が残ってすらいなかった。


「馬鹿な……こんな、こんな馬鹿なことがあるかッ」


息苦しそうに肩で呼吸し、汗をチラチラと額から滲ませ、辺りをくまなく見回しレイを探す。


「私と約束したじゃないか!」


幾度も繰り返し彼の名を呼ぶが、その声はアクアブルーの海にむなしく溶けてゆくだけ。一人残されたミネルヴァは、限りない青空の下でレイジの影を見失い、放心状態になる。


「そんな……どうして……っ」


全身の力が抜け落ちると共に、膝を落とし、輝く星砂を掴んでは力一杯に投げ捨てる。

白浜に映える黒一色に包まれた女はうずくまり、絶望に瞳を潤ませる。


「嘘つき……!」


彼との旅を阻むものなど関係なかった。

魔族である嫌悪感や疎外感も、彼が認めてくれるなら、と。

道を示すと囁いてくれた彼の言葉が今となっては、意味を持たないただのーー。




「よーっす」




ふんわり軽めの返事が返ってきた。


「……え?」


視線を左に傾けると、目に映るはくたびれたワイシャツに、紺色のボトムスを穿いた男。誰にも彼の代わりは務まらない、探し求めていた男。

意外にもすぐ傍に男がおり、それもすぐ真横で、空色のキャップを被った少女と砂遊びをしていた。


「き、貴様……」


失意の底に落ちていたところで現れたレイに、ミネルヴァも困惑するしかなかった。


「悪りい悪りい。今のお宅、すんげえ話しかけづらかったからさ」


「……」


手を伸ばせば届く距離にいたとはつゆ知らず、声を張り上げて恥を晒していたミネルヴァは勢いつけて立ち上がり、涙を拭うと、平然とした態度を装って砂を払う。


「ひょっとしてシャン……お前、なんかいたずらしたんじゃないだろうなぁ」


「知らないもん……」


無神経に笑いながら指摘してくるレイに、ムスッと膨れっ面をぶつけるシャン。


「ーーああ、そうかよ……っと」


おもむろに腰を上げたレイは、腕を伸ばし体をほぐしている。


「(私は何て愚かな……)」


安堵の気持ちは一瞬で終わり、ミネルヴァは彼を信じ切れなかった自分に心の中で責め立てる。


「(……待てよ)」


まだ一つ残る違和感から、素朴な疑問が浮上してくる。


「その……レイジ。ボートが見当たらないのだが、ワングが使用しているのか? 私はてっきり……」


「お前を見捨てて、どっか行ったって?」


「ちが……ッ! いや……すまない。そう勘違いしていた」


「まったく」


赤面させつつ、恥を忍んでレイに詫びを入れると、呆れた様子で彼は黙って首を横に振り、肩をすくませる。


「魔法絡みは苦手だからさ。東側の浜辺にある船着場に、ボートを停めたんだ。そこから出航して、諸島巡りしつつ北の大地へ行く寸法! こっから出るとモントゥールから丸見えだからな」


「モントゥール?」


聞き慣れない単語に首を傾げると、レイジはかつての王国に指を指す。


「号外見てなかったのか。喪に服さないギルドちゃんが付けた、新しい本島の名前だよ」


「そうか、ギルドの手に……」


複雑そうな表情で、向かいに映る本島を眺めていると、レイが彼女の肩に手を置いて、心配ないと豪語する。


「離島の人達は他所者に親しくしてくれる人も多い。怖がらなくても平気だって」


「……」


卓越した能力があるわけでも無いのに、根拠のないこの男の自信満々な振る舞いに、くすっと笑みがこぼれる。


「いや、そうじゃない。今の私には、ギルド程度恐るるに足らない。むしろ私がお前を護るつもりなんだ。ただ……」


言葉を濁した彼女の、物悲しそうな表情で察したレイは肩から手を離し、腰に携えたポーチのファスナーを開け、中を漁る。


「自分の故郷だしな。深くは聞かないさ。ほれ」


レイはペンダントを取り出すと、これみよがしに見せつけてくる。


「私の、ペンダント……落としていたのか」


ミネルヴァの広げた手の平に、そっと形見を乗せ指を差してくる。


「大切な物なんだろ? そりゃないぜ」


相見えたレイにペンダントを渡されることで、受け取る際、ペンダントに強く祈った甲斐があった、と深く御利益<ごりやく>に感謝する。


「この砂浜から探し出すのは骨が折れたよ、なあシャン?」


「……うん」


「そうだったのか、ありがとう」


不機嫌そうな顔で頷くシャンに、彼女の目の前で屈み、頭を撫でてから礼を伝えた。


「レイジ、お前も……その……」


謝意を示すのもこっぱずかしいのか、言葉を詰まらせているミネルヴァにレイも恥ずかし気に笑い、鼻の頭を擦る。


「いいって。約束だからな」


「あ……」


彼も忘れずにいてくれていた。

靄<もや>掛かった想いにだけはピリオドを打ちたかったミネルヴァは、一生の後悔を抱えぬ内に一歩踏み出す。


「約束は私も忘れてはいない……片時も。こ、この際だから伝えておきたいことがある」


「何を?」


「お前のことで……」


「俺?」


鼓動が高鳴り息苦しくなって、唇の震えが止まらなくなる。

一言発するだけなのに、ひどく遠回しな言い方で、本筋への一線を踏み越えられない。


「お前を好……くッ!?」


「わっぷッ?!」


唐突にレイジとミネルヴァの間に、不自然な突風が吹き抜ける。

魔力の生み出す乾いた風に、二人は出どころへ顔を向けると、元凶である少女が、林道の入り口手前で手を広げ構えていた。


「わたし、絶対トレジャーハンターになるから! ぜぇったいにィ!」


怒鳴り散らし終わると、シャンは一目散に逃げていった。

その白いワンピースをまとった小さな背中は、少し悲しげに映っている。


「……」


「あー……なんだって?」


気まずい空気が漂う中、遮断された会話を戻そうとするレイジ。


「いや、今はいい……」


苦笑いしながらもミネルヴァは少し肩を落とす。

二人で旅をする以上、いつでも告白する機会はある、そう無理やりに自分を納得させる。


「そっか」


「ああ……」


レイは居心地悪そうにポリポリと頭を掻くと、砂浜に転げている木の枝を眺め、暫し凍りついた時の中を過ごす。



「ーー行こう。ここにいても仕方ないだろ」



先に旅立ちを切り出したのはレイの方からだった。

いつまでも浜辺に居座っているわけにもいかず、ミネルヴァは一度頷いて、


「そうだな」


と力無く答えると、二人は東の浜辺へ向かって、とぼとぼと歩を進めていった。


§


道中で言葉も交わさず、ただ漂い流れ足を運ばせると、辿りついた先は粗雑に組み立てられた、木材の船着場。

脆<もろ>そうな造りで、上を歩く度に軋む音が不安を煽り、隙間から揺らぐ海面が視界に入ると、つい眉をひそめてしまう。


「もう少し、何とかならなかったのか?」


「まぁまぁ……しばらく帰ってこないんだし、いいじゃんか」


口を尖らせる彼女を適当になだめた後、ボートへ乗り込む。

ミネルヴァも後に続こうとするが、突然レイが手を突き出し、乗船を阻んだ。


「どうした」


「……言い忘れてた。名前貰ったんだよ、俺」


「名を?」


「そ。『レイ・チェン』。誇り高き、偉大な冒険家になる男の名だ」


「チェン……」


馴染まない名だった。

違和感を一番に感じているのは本人だろう。あれだけ豪語しておいて、照れくさそうに笑っている。

ただ、彼の表情には名を汚さんとする、『誇り』で満ちており、凛々しい顔立ちになっていた。


「……どうして、今私に?」


「もう一つ。旅立つ前に言っておきたかったからな」


「何をだ?」


颯爽とした笑顔を保ったまま、視線をミネルヴァに合わせ、レイはおもむろに手を差し伸ばした。




「俺もお前が好きだ」




打ち寄せる波の音に混じり、彼の声が心の奥に流れ染み渡る。

ミネルヴァに返す言葉はなく、ただ込み上げてくる想いに瞳を濡らす。


「ひ……卑怯だぞ」


「ずっと俺の傍にいて、この『誇り』を支えてほしい」


「レイッ!」


言葉待たずして手を掴むと、ミネルヴァはボートに乗り移り、彼の懐に飛び込み、思い切り抱き締める。


「私が……私が先にっ!」


胸板に顔を埋め、嗚咽をもらすミネルヴァ。

そっと彼女の頭を撫でて、レイは得意げな口調で喋る。


「へへへ、良いとこ取りなのは、職業柄な」


「馬鹿……」


「バカを見る運命なんだよ。冒険家の血筋は」


減らず口を叩く彼に、呆れを通り越して心底感心するミネルヴァ。


「父の事を……」


「俺の瞳は何でもお見通しなんだ」


「……もう」


瞳を閉じる彼女の顎に指をかけて、顔を上げさせる。

求め欲していた『応え』を示す為、ミネルヴァの唇を、穏やかな波の流れのように、ゆっくりと近づけさらっていくーー。





醜く生命に縋り<すがり>付いた二人は、母なる海を渡る。


紺碧<こんぺき>に広がる空の下では、生み出された生命は等しく無価値であり、無慈悲にも闇に呑み込まれていく。

それでもなお、生きとし生けるものに愛が失われない限り、惨たらしい世界には約束された光がもたらされる。


レイとミネルヴァ。

二人の世界は今、眩い黄金の輝きに満ち溢れている。

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