第18話

 足の踏み場もないノゾミの部屋で、唯一何も置かれていない作業台に、ソラは仰向けに寝かされていた。可動域の広い出眼で天井から壁をぎょろぎょろ見渡し、透き間なく吊り下がる工具をひと通り確認してから、ノゾミはソラに張りついた泥まみれの布を切り裂く。


 狭い作業場のオートドアは開いたままだった。飛び込もうとしたアユムは、入り口に散乱するガラクタのせいでバランスを崩し、両手を挙げてガチャガチャと転んだ。何もなかったように顔を上げると、作業台の上に裸のソラがいた。


 ノゾミはソラの腕をぷらぷらとゆらして、持ち上げては下ろすを何度か繰り返すと、膝の下を抱えて足を上げ、関節が機能しているのを確かめるように股をぐりぐりと回した。手前から腰を持ち上げ、横向きにしたソラの背中と腰の中間には、螺子の差し込み口のように穴の開いた金属が埋め込まれている。

 

 ニナは相変わらず面白くなさそうな表情で、作業場の入り口横に積まれたブロックに脚を組んで座っていた。上体を起こしてぺたりと床に尻をつけたアユムは、ニナを見上げて言う。


「直る?」


「どうかしら。でも、ノゾミが修理してくれるから……きっと大丈夫よ」


 作った笑顔でニナは言った。


「また、遊べるようになる?」


 ニナが応えずにいると、


「ううん、いいの。ソラがソラであれば、あたしはそれでいいの」


 とアユムは言った。


「いいの?」


「だってニナ。今までだって、ソラはソラでいられたのよ。どんな姿であっても、ソラはソラなのよ」


 怪訝そうにくちびるを尖らせたニナがアユムの顔を覗き込むと、穴のような瞳の底にきらりとしたものが見えた。


「アユムも往生際が悪いのね」


 海岸に咲くあの花と一緒だ。おそらく、作業台に寝かされた一体の人形が、生涯至純な少女を生んだのだろう。


 図らずもニナとノゾミの視線がぶつかった。凍った頬をゆるめたニナは、はにかんだ笑顔を見せた。


「また海に行くつもり?」


「ソラとならどこでもいいの。遠くへ……遠くへ行きたい」


「だから、海なの?」


「海の向こうには何があるの?」


「ごめんなさい、分からないわ。あんたの方が、よく知っているんじゃないの?」


「そうかしら?」


「ええ、きっと……」


 ニナは細い指で、小さなアユムの頭を撫でた。


 困ったな、同じ色の眼球がないんだ。どうしようか? ──


 長い両手をあらゆる角度に伸ばして部屋中をまさぐるノゾミが、残念そうに呟いた。


「だったら、うんときれいなのを入れてよ」


 光を宿した瞳でアユムは言う。

 



 そうして、海の色をした右眼と月の色をした左眼のソラは、抱えた膝に頬を載せたアユムの前に立った。


 ア……ユ……ム……


 生まれて初めて発した言葉のように聞こえたソラの声に、アユムは立ち上がり首を傾げた。新しいシャツからちょこんと出た手を取ると、ソラはたどたどしく握り返してくる。そっと後退ると、とことこと歩み寄る。そのままソラを引き寄せ徐々に足の速度を上げると、突然アユムは、弾けるように走り出した。


 

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