牙と花

 ヴィーヴォの子守歌が、優しくヴェーロの耳に入り込んでくる。灯のようにあたたかなその声に、ヴェーロはうっとりと眼を細めていた。

 ヴィーヴォが流れる銀髪を優しく耳ににかけてくれる。なんだかくすぐったくて、ヴェーロはヴィーヴォのひざに乗せた頭を動かしていた。

 体を反転させて、ヴィーヴォの体に抱きつく。

「こら、ヴェーロ……」

 顔をあげると、苦笑するヴィーヴォと眼が合う。思わずヴェーロは微笑んでいた。

「うたって、ヴィーヴォ……」

「子守歌より、物語を聞かせて欲しいんじゃなかったの?」

「きゅーん」

 意地悪げに笑うヴィーヴォにヴェーロは口をとがらせてみせる。ヴィーヴォは困ったように眼を細めて、言葉を続けた。

「あと……服は着てくれると嬉しい……」

 顔を赤くしながら、ヴィーヴォははだかのヴェーロから視線をらす。彼の言葉が何だか気に食わなくて、ヴェーロは体を起こしていた。 

「服、きつい……」

「ごめん、採寸さいすんしなおしてちゃんと作り直すから、お願い着て……。ついでに下着もちゃんと着て欲しい……」

 がばりと両手で顔をおおいヴィーヴォはうめく。彼が指のあいだから、ちらりとヴェーロの胸を見つめているのは気のせいだろうか。

「なんで、服……着ないといけないの……?」

 ぽつりとヴェーロは不満を口にする。そっとヴィーヴォは顔から手を取り去って、ヴェーロを見つめた。

「なんで、竜は竜の姿でいちゃいけないの?」

「ごめん……。でも虚ろ竜はとってもめずしいから、みんな警戒けいかいしちゃうんだ。だから、ヴェーロにはなるべく人の姿でいてもらいたい。その方が、友達もできるだろうし……」

「人間、嫌い……」

 曖昧あいまいな笑みを浮かべるヴィーヴォに、ヴェーロは言葉を突き返す。ヴィーヴォは困ったようにうつむいて、小さくヴェーロに言った。

「あの子たちのことも、嫌い?」

 ヴィーヴォの言葉に、ヴェーロは軽く眼を見開いてみせた。

 ありがとうと言ってくれた笑顔の子供たちを思い出し、ヴェーロは呟いていた。

「嫌いじゃ……ない……」

「じゃあ、僕のことは……? 僕も人間だよ……」

 顔をあげヴィーヴォがこちらを見つめてくる。悲しげな彼の黒い眼の中で、たよりなさげに星屑ほしくずの光がさまよっている。

「ヴィーヴォは違う!」

 叫んでヴェーロはヴィーヴォに抱きついていた。そのはずみでヴィーヴォの体は仰向あおむけに倒れ込む。

 ふわりと、彼からむせるような花の香りが漂ってきて、ヴェーロは顔をあげていた。花吐きは花のような芳香ほうこうを発する。その香りに、ヴェーロはときおりってしまいそうになる。

 この漁村に来てから、ヴィーヴォの香りが強くなったのは気のせいだろうか。最近はその香りに酔いしれることも多くなった気がする

「よかった。嫌われてなくて……。君が僕のすべてだもん」

 小さく言って、ヴィーヴォがヴェーロの髪をなでてくれる。そっと彼はヴェーロを抱きせ、耳元で囁いてみせた。

「君がいなきゃ、僕はずっと独りだった。だから、嫌わないでヴェーロ……」

 すがるような彼の眼差しから、眼が離せなくなる。長い睫毛まつげに隠された彼の眼は黒曜石こくようせきのように煌めいていた。

 綺麗きれいだと、ヴェーロは思った。

 この人に子は、きっと美しいに違いない。この人の吐く、灯花のように。

 吸い込まれるようにヴェーロはヴィーヴォの眼をのぞき込む。彼の眼球をそっと舌でめてみる。

「ひっ!」

 ヴィーヴォがおびえたように体を反らした。

「ヴェーロ……?」

「竜は卵が欲しい……。そしたら、ヴィーヴォは独りじゃない……」

「ちょ、何言って……」

 震える彼の唇に指をゆびえる。そっと唇から指を放し、ヴェーロは彼の唇に口づけをしていた。

 子宮が震えていることを感じ取り、ヴェーロは微笑んでいた。その微笑みを映すヴィーヴォの顔が怯えに彩られる。

 卵を抱いていたヴィーヴォの姿を思いだす。

 ヴィーヴォは言っていた。卵がかえったら新しい家族が増えると。ヴェーロはもう独りじゃないと。

 この人の子供を産もう。そしたら、たとえヴェーロがいなくなっても、この人は独りじゃなくなる。

 ヴィーヴォの唇を舌でなぞる。彼の体がびくりと痙攣けいれんして、ヴィーロは笑みを深めていた。何度も何度も彼の唇をついばんで、彼の服に手をかける。

駄目だめだよ……ヴェ……」

 自分の手を制そうとしたヴィーヴォの唇に、ヴェーロは舌を差し入れていた。逃げ惑う彼の舌を自身のそれでからめとり、もてあそぶ。舌を引き抜くと、唾液だえきが糸を引いてを描いた。

「ヴェ……ロ……」

 ヴィーヴォのか細い声がする。彼は潤んだ眼をこちらに向けていた。その眼を見て、ヴェーロの中で何かがはじける。

 ヴィーヴォの首筋にそっと舌をわせる。

「やっ、やめっ……」

 ヴィーヴォの口に指を差し入れて、彼の言葉をさえる。指を激しく出し入れしてみると、ヴィーヴォが苦しそうに体を痙攣けいれんさせた。

 服をはだけさせ彼の鎖骨さこつを指でなぞる。彼の胸元に黒い焼印があるのを認め、ヴェーロは動きをとめていた。

 夕顔ゆうがお焼印やきいんは罪を犯した者に与えられるものだ。自分と彼を引き離そうとした連中が、彼を痛めつけた証。

 彼を奪おうとした人間たちの姿が脳裏に蘇る。

 彼に名前を呼ばれた瞬間、ヴィーロは何も考えられなくなって――

「見ないで……」

 ヴィーヴォの震える声が耳朶じだに響く。涙を流しながら、彼は自分を見つめていた。深く暗い彼の眼が、縋るように自分に向けられている。

 まるで、あのときのようだ。

 自分と引き離されそうになり、必死になって逃げ惑う彼の姿を思い出す。恐怖と悲しみに怯える彼の眼を見て、ヴィーロは思った。

 彼を誰にも渡したくない。

 でも、どうすれば――

「竜は、ヴィーヴォを食べたい……」

「ヴェーロ……」

 みちびき出された答えが、小さな言葉になる。眼を見開く彼の頬を優しくなで、ヴェーロはヴィーヴォの首筋へと舌をはわわせていた。

 甘い彼の体臭が鼻を突く。

 とても美味しそうな香りだ。食べたら、その香りはヴェーロの口の中で弾けて、彼の存在を強く感じさせてくれるに違いない。

 彼を、感じたい。

 大きく尖った犬歯けんしき出しにして、ヴェーロはヴィーヴォの首筋に食らいついていた。

「うわぁああ!!」

 ヴィーヴォの悲鳴が耳朶じだに轟く。

 どろりと舌に広がる血の感触に、ヴェーロは我に返る。強烈な花の香りが鼻孔びこうつらぬいて、ヴェーロはヴィーヴォの首筋から口を離していた。

「ヴェーロ……」

 彼が怯えた眼差しを自分に向けてくる。

 自分は、ヴィーヴォを食べようとしていた。彼を、愛しさのあまり殺そうとした。

「あ……あぁ……」

 恐ろしさに体が震えてしまう。

 自分がしようとしていたことが信じられなくて、ヴェーロは両手で頭を抱えていた。

「いやあぁあああああ!!!」

 叫び声をあげながら、ヴェーロは頭を激しくる。

「ヴェーロっ!」

 ヴィーヴォが叫び、自分を抱きしめてくれる。そっと彼は自分の頭を抱き寄せささやいた。

「大丈夫、僕は大丈夫だから……」

「あ……」

「大丈夫だから……。恐がらないで……」 

 優しく頭をなでられる。彼の優しい手の感触にヴェーロは我に返っていた。気持ちが落ち着いていくのを感じ、そっと眼を閉じる。

「ごめんね……。もう、大丈夫だから。僕は、ここにいるから……」

 背中をあやすように叩かれ、ヴィーロはヴィーヴォの胸元に体を預けていた。

「もう平気……?」

 そっと顔をあげると、ヴィーヴォの優しい微笑みが眼の前にある。

「ヴィ……」

 口を開こうとした瞬間、犬歯についた血が舌に流れ落ちた。血の味が口内に広がる。ヴィーヴォから漂ってくる花の香りに酔いそうになる。

 彼をまた、喰らいたくなる。

「あ……いや……いやっ!」

「うぁっ」

 叫び声をあげ、ヴェーロはヴィーヴォの体を突き放していた。ヴィーヴォは呻き声をあげながら、床に倒れ込んでしまう。

「ヴェーロ」

 倒れた彼が、震える眼差しをヴェーロに送る。ショックを受けているのか、彼は自分を見つめたまま動かない。

「なんで……? 君が僕を拒絶きょぜつするなんて……。そんなこと、ありえない……」

 起き上がり、ヴィーヴォがへたり込むヴェーロに手を伸ばしてくる。ふわりと彼の香りが鼻孔をくすぐって、ヴェーロは思わず彼の手を払いのけていた。

「ヴェーロ……」

「来ないで……」

「ヴェ……」

「来ないでっ!」

 拒絶の言葉は、叫び声に変わる。大きく眼を見開くヴィーヴォに背を向け、ヴェーロは駆けだしていた。

「ヴェーロ!!」

 ヴィーヴォの悲鳴が耳朶に轟く。それでもヴェーロは構うことなく窓を開け放ち、そこから飛立っていた。

 生暖かい海風が、ヴェーロの体をもてあそぶ。その感触に、ヴィーヴォの血の味を思いだしてしまう。

 彼と一緒にいたくない。

 彼を、食べてしまいそうで恐いから。

 彼を、殺したくないから――




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